豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

小津安二郎 “風の中の牝鶏”

2010年08月29日 | 映画
 
 “風の中の牝雞”は、戦後、夫の復員を待つ妻(田中絹代)が主人公である。

 戦後の生活苦の中で、幼い子を抱えた妻は、着物などを切り売りしながら生活を支えてきたが、子どもが急病(赤痢か何か)にかかり、入院費用の支払いに窮する。
 同じく生活に苦しむ友人に頼むこともできず、以前から彼女に売春を勧めていた女の斡旋で、入院費用を工面するために一度だけ体を売ってしまう。

 やがて復員してきた夫(佐野周二)に、このことを打ち明けてしまう。
 夫は妻から聞き出したその売春宿に出かける。やって来た女も妻と同じく生活のためにこんな仕事をしていると語る。夫は金だけ払って、帰って行く。
 事情を聞いた友人の笠智衆は、「お前はその売春婦には同情的なのに、奥さんには厳しすぎるではないか」と意見する。

 夫は、頭では理解しているのだが、感情がついていかない。
 間借りする部屋に戻っても気持ちが高ぶり、すがりつく妻を思わず突き飛ばしてしまう。妻は階段を転げ落ち倒れる。やがて、びっこを引きながら2階に上がってきた妻を抱き寄せ、「もう忘れるんだ」と自らに言い聞かせる。
 この階段から転落するシーンが凄い。スタントマンを使ったのかどうか分からないが、コマ落としで観ると、少なくとも階段の2階から突き飛ばされるシーンと、階段の4、5段目から1階の廊下に転げ落ちるシーンは田中絹代のようである。
 めくれたスカートの中のズロースまで映っていた。

 ぼくはこんなことは夫に告白しなければよかったのにと思う。妻の友人もそう忠告したが、間に合わなかった。 
 
 ちなみに、この映画に描かれたような事件は戦後間もなくのわが国で実際に少なからず起こったようで、こんなケースで夫からの離婚請求を認容した最高裁判決もある(最高裁昭和38年6月4日判決)。
 最高裁判決の事案では、夫から遺棄され生活に困窮した妻が、子を養うために売春をした(判決文は婉曲に「街頭に立って生活費を補う等のことをしなければならなくなった」と書いている)にもかかわらず、「子供を抱えて生活苦にあえいでいる世の多くの女性が、生活費を得るためにそれまでのことをすることが通常のことであり、またやむをえないことであるとは到底考えられない」と述べて、妻の不貞行為を理由とする夫からの離婚請求を認めている(民法770条1項5号)。
 ただし、このケースの妻は父親不明の子を生んでいるという事情も不利に考慮されたのだろう。

 * 小津安二郎“風の中の牝雞”(1948年)(Cosmo Contents)のケース。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小津安二郎 “父ありき”と “... | トップ | 笠智衆 “小津安二郎先生の思... »

映画」カテゴリの最新記事