豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“ニュー・シネマ・パラダイス”

2007年08月24日 | 映画
 
 近所の映画館のレイト・ショーが安いというので、女房と高校生の息子と連れだって出かけた。ところが、東京都条例によって高校生は入場できないという。たとえ親が同伴していてもダメだという。石原都知事も、とんでもない無粋な条例を作ったものだ。
 しかたないので、隣りのツタヤで、“ニュー・シネマ・パラダイス”(1989年)を借りてきて、家で観ることにした。かつて“Life is beautiful”と“ニュー・シネマ~”を並べてほめている批評を読んだので、“Life is ~”を観たらあまり面白くなかった。それで、“二ューシネマ~”のほうも放ったらかしていたのだが、息子が友達に薦められたというので借りることにした。
 これがよかった。若い頃に“フェリーニのアマルコルド”を観たときのような印象である。この手の映画の草分けは何なのだろうか? ぼくは“アメリカン・グラフィティ”が最初のように記憶するけれど・・。“パラダイス座”にかかっていた映画は、すべて僕が多少映画を観るようになった頃よりも以前のものばかりだったが。ぼくの世代は、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジータ、ロッサナ・ポデッサ(少し後かな)、クラウディア・カルディナーレなどであり、シルヴァーナ・マンガーノは少し古い。
 いずれにしても、戦後のシチリアの田舎町の映画館という設定がいい。そして主人公の映写技師アルフレード役のフィリップ・ノワレがいい。一見主人公のようなトトは、アルフレードの掌のなかで踊っているだけである。ただし、イタリアの戦後の情景は、仕方ないことだが同時代に撮られた“自転車泥棒”などに及ぶべくもなく、リアルタイムで実体験したことのない監督による再現は、ちょっと“3丁目の夕日”の嘘っぽさを思い出させる。だけど、しょせん「映画」自体が絵空事なのだから、“パラダイス座”のいかにもセット然としたペチャンコさも含めて許してやろう。
 それにしても、映画館という消え去りつつある文化に対する愛惜を描いた映画を、条例を盾に映画館に入ることを拒絶されために、仕方なくビデオ屋で借りてきたDVDで観るというのも情けない話である。

 ところで、ぼく自身の映画館の思い出は、小学校時代は経堂駅前の“南風座”(あの川内康範の月光仮面を観た!)、大学時代に通った“東急名画座”(今は壊されてしまった東急文化会館の最上階にあった)や、山手線の車窓から今でも見える新宿東口の“名画座ミラノ”などを除けば、中学・高校生の頃にせっせと通った練馬駅近くや武蔵関駅近くにあったピンク映画専門館である。名前はもう忘れてしまった(最初から名前なんか関係なかった)。当時はビデオだとかDVDだとかいう便利なものはなかった。
 かかっていたのはいわゆる「ピンク映画」で、谷ナオミ、辰巳典子、香取環、大西康子(クラスに同姓同名の女の子がいた)などの時代である。パート・カラーで、どうでもいいストーリーの部分はモノクロ、セックスシーンになると突如カラーになって、モノクロでは分からなかったのが真っ赤な腰巻(!!)だったりすると、えらく扇情的で興奮したものだった。“ニュー・シネマ~”みたいに映画館の中でマスかくのはさすがに見たことはなかった。
 中学生の頃、草加次郎という爆弾魔がいて、あちこちに爆弾を仕掛けていたが、「もしこの映画館に爆弾が仕掛けられていて、こんな所で爆死したらみっともないな」と思いながら息をひそめて観ていたものである。

 そうしたら、偶然、きょうの朝日新聞の夕刊に、“ニュー・シネマ~”のジョゼッペ・トルナトーレ監督の新作が紹介されていた。

(写真は“ニュー・シネマ・パラダイス”の1シーン。彼女を追いかけたトトが彼女の家に押しかけるシーン。貧しいはずなのに、何故かポンコツだけどオープン・カーを持っている。トポリーノ風だけど車種は分からない。
 この映画にはイタリア車ファンには懐かしいクルマが何台か登場するが、アルフレードの葬列が教会に入っていくシーンでは、門の脇に先代のフィアット500[チンクェチェント]が駐っているのが見えた。ただし成長して有名な映画監督になったトトがローマで乗りまわしているクルマはベンツだった!)

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