豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

推理小説とクルマ

2006年09月08日 | テレビ&ポップス
 
 最近ぼくが“はまっている”ものの1つは、スカイ・パーフェクト・テレビ(略してスカ・パー)で放映されている(いた)海外の推理ものである。とくに気に入っているのは、「フロスト警部」、「女警部ジュリー・レスコー」、「ダルグリッシュ警部」である。「刑事タガート」もまずまずである。
 もちろんストーリーも、低調な日本の地上波のテレビドラマなどよりはるかによく出来ているが、これらの番組に出てくるイギリスやフランスの郊外の風景と、それを背景に走りまわるクルマが様になっているのである。
 イギリスの刑事ものでは刑事たちの乗るフォードが、徳大寺氏にいわせれば“安物クルマ”なのかもしれないが、それでもやっぱりいい雰囲気を醸し出している。ちょうど刑事コロンボにあのおんぼろ車が似合っていたように。ジュリー・レスコーでは、警察の車はどれもプジョーだった。実際のフランス警察がプジョーなのかどうかは知らないが、ジュリー・レスコー警部はおそらくプジョー406だったと思う。イギリスの刑事たち、とくにフロストなどと比べると、はるかにソフィスティケイトされた警部なのである。それでも、フロストのフォード(?)も、レスコーのプショーも、どちらの車もその風景のなかにきわめて馴染んで見えるのである。
 これに対して、日本の推理もの、刑事ものには車は似合わない。柴田恭兵、舘ひろしが刑事で、舞台が横浜だったとしても、やっぱり日本の刑事ものに車は似合わない。それでは日本の刑事には何が似合うかというと、これは“聞き込み”と“張り込み”であろう。その名もずばり、松本清張原作の「張込み」という映画(野村芳太郎監督、1957年、松竹)は実に印象的な映画であった。今ではわずかしかその面影をとどめない昭和30年代の佐賀市を舞台に、そのほとんどの場面が大木実演じる刑事が犯人の立ち寄り先と思われる妻の家をのぞむアパートの一室で“張り込む”姿を描いたものである。日本の刑事には、車ではなく、張り込みこそよく似合っているように思う。
 どう頑張ってみても、日本の刑事ものに車が似合わないということは、結局は、日本の風景に車は似合わないということなのだろう。車は文化である。日本も車という道具は輸入し、受容したが、それは鹿鳴館と同じようなもので、日本の風景、とくに日本の道路に馴染むような文化の一部には、とうとうなれなかったのではないだろうか。

 話はかわるが、スカ・パーといえば、KBSワールドかSo-netチャンネルで放映されている韓国ドラマの「復活」と「ソウル1945」というのも面白い。「復活」のほうは、双子の兄弟が入れ替わったことが育ての親たちに気づかれないというリアリティのなさに目を瞑ればけっこうスリリングだし、「ソウル1945」のほうは、1945年という年が韓国(というか朝鮮半島の人たち)にとってどのような年だったのかということがよく理解できる。とにかく、いい韓国ドラマは最近の日本のテレビドラマと違って入念に作られている。
 最近のわが家では、ニュース以外はあまり日本の地上波テレビを見なくなってしまった。

 * 写真は、J・シムノンのメグレ警部ものの決定版だった「メグレ警視シリーズ」の第1巻「メグレと殺人者たち」(河出書房、1976年)。第1巻から表紙にシトロエン2CVが描かれている。他にも、第4、5巻などの表紙に2CVが登場する。水野良太郎氏の絵である。
 1969年、大学1年のぼくは第2外国語でフランス語を選択し、NHKラジオのフランス語講座を聞いていたが、当時のテキストの表紙と挿絵が水野氏のものだった。三保敬太郎氏の軽快な主題歌(?)とともに懐かしい。

(2006年 9月 8日) 

 ** きょう午後スカ・パーの“ミステリー・チャンネル728”で“女警部ジュリー・レスコー”第23話 幽霊の仕業というのをやっているのを観た。遊園地のシーンや長女が誕生祝にスクーターを買ってもらうシーンなど、前にも見たような気がする。 レスコー警部が乗っているプジョー(もっと後ではシルバーだったような気がするが、きょうのはブルー・グレーだった)のロゴがかすかに見えたのだが、405だったか、406だったか確認できなかった。わが家に絵葉書のある404でないことは確かだが。1997年製作とあったが、その頃は5だったのか、6だったのか。(9月9日追記)

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