豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

1968年の深夜放送

2007年03月14日 | テレビ&ポップス
 
 ぼくが中学高校時代によく聴いていたラジオは、ほとんどが音楽番組だった。中学生になった最初のころ(1963、4年)は、“ユア・ヒット・パレード”、“9500万人のリクエスト”、“S盤アワー”などである。当時は、“ビルボード”や“キャッシュ・ボックス”のランキングの変動を把握していないと、クラスの話題についていけないので、せっせと聴いたのである。コニー・フランシスやヘレン・シャピロの時代である。
 “ユア・ヒット・パレード”は東京田辺の提供で、「あのシーンをもう一度」というコーナーがあった。リスナーからの映画の思い出話の投書を読んでから、サントラ盤で主題歌が流れるという趣向である。「鉄道員」なんて映画はこのコーナーで知ったと思う。「エデンの東」が1年以上にわたってリクエストのベスト・ワンを続けたというエピソードも、この番組ではなかったかと思う。
 その他にも、欧米のヒット曲を知ることができた番組に、文化放送で夜8時頃に放送されていた土井まさるの番組があった。番組名は忘れたが、時おり金子プロデューサーという人が登場して、最新情報を紹介していた。ロス・マルチェロスの“アンジェリータ”などは金子プロデューサーの紹介がきっかけで大ヒットした曲である。数年前に、青山のサバティーニで弾き語りの二人組にこの曲をリクエストしたら、「あれはスペインの曲だから」といって断られてしまった。家に帰ってからレコードのジャケットで確認すると、彼らはスペイン系のイタリア人となっていたのだが。
 土井まさるは、手塚レンタカー(後に栄進予備校)提供!“真夜中のリクエスト・コーナー”という夜中の12時すぎの番組もやっていた。深夜放送はTBS“パック・イン・ミュージック”、文化放送“セイ・ヤング”、ニッポン放送“オールナイト・ニッポン”があった(今でもやっているのかどうかは、全然聴いていないので分からない)。土曜日の夕方には高崎節がDJのラジオ関東(NHKだったかも・・)の番組もあった。番組名は忘れてしまったが、ビリー・ボーンの“真珠貝の唄”がテーマ曲だった。
 ぼくがよく聴いたのは、土井まさるのほかに、野沢那智・白石冬美、落合恵子、今仁哲夫あたりだが、大学時代になると、局アナではなく、歌手などがパーソナリティーを務めるようになった。「神田川」などは、発売前に南こうせつが自分の番組(+山田パンダ)でかけたデモ・テープではじめて聴いた。
 マイナーなパーソナリティーでは、滝良子と馬場こずえというのがぼくのお気に入りだった。どの局だったか、いつの時代だったかもはっきり覚えていないのだが、夜中の3時から始まる第2部だったと思う。彼女たちの写真が載っていたはずだと思って、先日物置から“深夜放送ファン”1970年12月号(自由国民社)というのを引っ張り出してきて探したが、残念ながら見つからなかった。
 ちなみに、現在ぼくがごひいきのアナは、石本沙織と曽根純恵(スカパー258ch)、かつてはNHKの森田美由紀である。どうでもいいことだけど・・。もう一つ、ちなみに、ぼくが大学1年のときにアイスホッケーで足を骨折し、入院した北品川総合病院の最上階の特等室には土井まさるが入院していた。やがて彼が退院すると、入れ違いに小林麻美がその部屋に入ってきたことは以前に書いた。


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