豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

サリンジャーとノルマンディー上陸

2024年06月05日 | テレビ&ポップス
 
 6月6日は “D - Day”、1944年のこの日に、第2次大戦末期に連合国側のヨーロッパ戦線における勝利を決定づけたノルマンディー上陸作戦が開始された記念日である。

 1、2週間前の(もっと前かも)NHKテレビ「映像の世紀」で、ノルマンディー上陸作戦のドキュメントをやっていた。その番組では、この作戦にアメリカ兵として参加した作家サリンジャーのことが紹介されていたと思うが、数日前に放送されたNHKのテレビ番組の中でも、サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」へのノルマンディー作戦参加体験の影響が話題になっていた。
 数日前に見た番組を「映像の世紀」と勘違いしたため、NHKのHPからなかなかこの番組を見つけることができなかったが、「映像の世紀バタフライエフェクト」のほうは「史上最大の作戦ノルマンディー上陸」(4月15日放送)で、数日前に見たのは、「完全なる問題作――善と悪の深遠なる世界」という別の番組で、第1回が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(初回は3月21日放送)の再放送だったことが判明した(下の写真)。
 ※ あの小説(“The Catcher in the Rye”)は、ぼくにとっては1969年に読んだ「ライ麦畑でつかまえて」(野崎孝訳、白水社)であって、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」などでは決してないので、以下では「ライ麦畑・・・」と略記する。

   

 「完全なる問題作」は、なぜ「ライ麦畑・・・」がアメリカで禁書の対象とされたかをテーマにしていて、ノルマンディー作戦参加体験はメインテーマではなかった。
 ぼくはまったく知らなかったが、この番組によると、アメリカでは、「ライ麦畑・・・」の性表現や卑語が青少年に悪影響を与えるとして、全米図書協会の禁書目録に載せられ(そんなリストがあったとは!)、閲覧が禁止されてきたという。テロップによると、2009年になってようやく禁書目録の上位から姿を消したということだったから、いまだに禁書目録の下位にリストアップされているのだろう。
 番組では、禁書の理由の背景としてソ連など共産圏諸国との冷戦の影響も指摘していたが、マッカーシーの赤狩り時代のアメリカでは、「ライ麦畑・・・」程度の「反体制」でも危険視されたのだ。アメリカはいまだに学校で進化論を教えることを禁止している地方があるくらいだから、「ライ麦畑・・・」の禁書も驚くに値しないのかもしれないが、それでも驚いた。今の中国と似たようなものではないか。

 しかしそれよりも、この番組では、戦後サリンジャーが隠遁生活を送ったニューハンプシャー州コーニッシュの風景や、サリンジャーの住居と思われる瀟洒な建物が開けた小高い丘の上に建っている映像を見ることができたのが大収穫であり、驚きだった。プライバシーに配慮してか、番組では彼の家だと明示していなかったが、前後関係からしておそらく彼の住居だろうと思った(息子らが建て替えた可能性はあるが)。
 サリンジャー作品や、娘が書いた「我が父サリンジャー」(新潮社)に登場するコーニッシュや彼らの住居を、ぼくは、もっと木々の生い茂った森林の奥地で、建物ももっと素朴で質素なものかと思っていたが、どうして、さすがはアメリカ有数のベストセラー作家の住居と思わせる立派な建物だった。
 あれが彼の旧居だとしたら、作家サリンジャーに言わせれば、まさに “phony” (インチキ)じゃないかと思うが、彼の私生活がけっこう “phony” だったことは娘が書いた伝記でも語られていたから(作品の中では毛嫌いしていた寄宿学校(プレップスクール)に自分の子どもたちを入学させたり、ニューヨークでの宿泊はいつもプラザホテルだったりなど)、今さら驚きはしない。

      

 もう一つの驚きは、映像の中に、アメリカで発売された “The Catcher in the Rye” の表紙が写っていたのだが、そこに、主人公ホールデンらしき人物を描いたイラストが入っていたことである。
 サリンジャーは、自分の本の表紙や本文中に登場人物のイラストを入れることを一切禁止し、エリア・カザンやスピルバーグによる映画化の申し出も拒否したと何かに書いてあったので、このイラストの入った表紙にも驚いた。フィリップ・マーロウものにでも出てきそうなトレンチコートを来て中折れ帽をかぶった男が横を向いて立っているイラストだった(ように思う)。
 ぼくの持っている「ライ麦・・・」(野崎孝訳)の表紙は、白水社「新しい世界の文学」シリーズの統一された装丁だし、“Catcher ・・・” (Penguin Modern Classics,1969!)の表紙の味気ないことといったら悲しくなるくらいである(上の写真)。

       

 ぼくにとって垂涎の本の1冊に、サリンガー/橋本福夫訳「危険な年齢」(ダヴィッド社、1952年)がある。この本は、橋本による「ライ麦・・・」の本邦初訳であるというだけでなく、表紙にホールデンのイラストが入っていることでも貴重である。
 橋本訳「危険な年齢」の表紙は、片岡義男「僕が出会った三人のホールデン」というエッセイの中に写真が入っているので見ることができる(講談社HP「現代ビジネス」2017年4月30日。上の写真)。片岡はこの本を持っているそうで(羨ましい!)、彼によると、橋本訳の他にも、ホールデンのイラストが入っているものとして、Signet Book のペーパーバックがあるという。先日の番組でぼくが一瞬見たイラストはこの本の表紙だろうか(その服装はぼくの記憶とは違っているが)。さらに彼によれば、イギリスで出版されたハードカバー版の表紙にもホールデンのイラストがあるという。
 ※ 橋本が “Catcher ・・・” に「危険な年齢」という邦題をつけたのは、戦後間もない時期(アプレ・ゲール)の日本の時流におもねったもののように考えていたが、赤狩り勢力によって「禁書」とされたことを考えると「危険」というのは本質をついた題名だったのかもしれない。同書の帯の宣伝文句も挑戦的だし、Signet 版の表紙もかなり扇情的なものだったようだ。

 サリンジャーの戦後の作品の背後に彼自身の戦争体験があることは、短編集(「サリンジャー短編集Ⅰ(若者たち)、Ⅱ(倒錯の森)」荒地出版社)を読めば明らかだが、「ライ麦畑・・・」にまで及んでいるとはぼくは思わなかった。
 「ライ麦畑・・・」のテーマは、あの時代(出版されたのは1951年だが、ぼくが読んだのは1969年だった)の若者たちの多くが、社会の既成勢力(政府、企業、大学などのエスタブリッシュメント)の胡散臭さ(“phony”)に対して抱いた反感と、それらに対するホールデン流の異議申立てへの共感だったと、ぼくは思う。 
 なお、「フランスの少年兵」などを読んだ限りでは、サリンジャーにとっては、ノルマンディー上陸作戦よりもその後の旧ドイツ占領地帯への反攻の際の困難な体験のほうが強く影響したように思う。

 ついでに、蛇足を。
 2週間ほど前のBSテレビ(たしか451chの wowow )で、「オペーレーション・ミンスミート」(挽き肉作戦!)という映画をやっていた(コリン・ファース主演)。
 シチリア島上陸作戦の際に、連合国側のスパイたちが、連合軍はギリシャから上陸する計画であるという偽情報をナチス側に流し、ヒトラーがまんまと罠にかかってギリシャに兵力を集めたため、連合軍側は大きな被害なくシチリア島上陸(1943年7月)に成功したという実話に基づいた映画だという。

 2024年6月6日 記
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