豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

エドモンド・カーン『法と人生』

2024年01月22日 | 本と雑誌
 
 エドモンド・カーン/西村克彦訳『法と人生--裁判官の胸のうち』(法政大学出版局、1957年)を読んだ(原題は “The Moral Decision -- Right and Wrong in the Light of American Law”)。
 人が生れてから死ぬまでの人生を時系列に追って、折々の法律問題を考えるという、ぼくの「法学入門」の参考にするために買った古本だった。
 本書では、「人の始期」から「人の終期」までの間は「取引行為」が中心になっていて財産法入門の色合いも強いが、家庭生活をめぐる家族法の問題も含まれており、各節の冒頭で具体的な裁判例をまず提示してから、関係する法的な論点を解説するという記述のスタイルは参考になった。
 著者は20年間の裁判官経験を経て、執筆当時はニューヨーク大学ロースクールの教授という。

 「人の始期」の第1節は、いわゆる「カルネアデスの舟板」のケースである(U.S. v Holmes,26 Fd. Cas.36(1842)。
 リバプールからフィラデルフィアに向かった帆船が氷山と衝突して難破した。水夫と乗客を合わせて40名近くが1艘の長艇(定員は20名だった)で脱出したが海水が浸入して沈み始めたため、航海士の命令でホームズらの水夫が14名の乗客を船から投げ出した。残った乗客らは翌日通りかかった船に全員救出されたが、ホームズは裁判にかけられた(罪名は書いてない)。
 裁判官は陪審に対して、このような場合は必要最小限の水夫を除いてまず水夫を船外に投げ出すべきであり、次には船客の中から「くじ引き」によって犠牲者を選ぶべきであったと説示したという。陪審員はホームズを有罪としたが、情状酌量で9か月の懲役が言い渡されたという。
 著者は、くじ引きによる決定も、余命(の長短)による決定にも否定的だが、ぼくはそのいずれかで決定するしかないと思った。少なくとも、「すべての生命はそれ自体で尊いものである」といった命題では、沈没しかかった船内での最大多数の幸福は実現できない。こんな場合には功利主義のほうが全員が平等に死ぬよりはマシではないかと思うのだが。
 結論はともかく、「法と人生」問題の最初のテーマとしては難しすぎるだろう。このような場面の起こりにくいことを思えば、日常生活における「ありふれた」事件から法律問題を考えるという本書「法と人生」には不要なテーマとも思う。もし起こりうるとしたら、災害時のトリアージの場面だろう。

 「人の始期」につづく「男女の関係」と題する章の第1節は「恋愛の秘密を侵されない権利」である。最初に提示される判例は、男女の婚姻外の性関係が摘発された事件である(Ruby v. State,107P 2nd 813,1940)。
 成人の男女間の合意による性関係に警察や裁判所などの公的機関が介入することは「プライバシーの権利」の侵害として許されないという原則は、後に連邦最高裁判決によって確立する(グリズウォルド事件判決、1965年)が、本件はそれ以前に起きた事件にもかかわらず、「プライバシーの権利」を拡張する論理によらないで、グリズウォルド判決と同趣旨の結論に到達している。
 被告は黒人男性で(著者は「ネグロ」と書いている)、相手の女性が白人だったため、根にもった(?)黒人警官(!)によって密会の場に踏み込まれて逮捕された。第1審では有罪とされたが、オクラホマの控訴裁判所は、個人の住居内で秘密に行なわれた「姦淫」を処罰する法律はないとして被告を無罪とした。

 第2節は「結婚の成立する理由」と訳してあるが、わが国の家族法では「婚姻の成立要件」のことだろう。「婚姻の取消」に関する事件を取り上げる。
 無一文の男が事業を始めるために、資産家だと称する女の財産を目当てにその女と婚姻(の儀式)を済ませたところ、実際には女には資産などないことが分かったので、婚姻の取消を請求したという事件である。第1審は請求を棄却したが、控訴審は4対3で請求を認容した(S v S,260 N.Y. 477, 184 N.E. 60(1933))。
 ぼくにとっては、この節が一番面白くてためになった。

 著者によれば、20世紀初頭のアメリカ法を支配したのは、聖書に示されたユダヤ法とローマ法に由来する考え方だったが、婚姻法だけはいずれの影響も受けなかった(1950年ころのアメリカ諸州では原則として離婚が禁止されていた)。これら古代法は婚姻制度や家庭生活を支持し、姦通を処罰したが、両法とも離婚によって結婚生活を解消することを認めていた。
 キリストの離婚観のうちパリサイの田舎を代表したシャマイ派は窮屈で弾力性に乏しい離婚観を示したが、ユダヤ法の多数派はパリサイの都会のヒレル派の寛大な離婚観を採った。ローマ法も、常に夫婦双方に離婚の自由を認めており、少なくとも帝政初期には「偕老同穴」式の結婚はむしろ異例だったという(125~6頁)。したがって、離婚禁止を免れる便法としての「婚姻の取消」などは主張する必要もなかったのである。
 驚いたことに、著者によれば、ローマ法のもとでは(違法とされた)近親婚でさえも「婚姻取消」を求める民事訴訟ではなく、近親相姦として刑事事件によって処断されたという。近親婚も含めた違法な婚姻の救済方法は「婚姻の取消」ではなく、離婚だったという(126頁)。文脈は異なるが、結論的にはぼくの考えと同じであり、もっと早くに知っていたら原稿に書き加えられたのにと、残念である。ただし、ここで紹介されたローマ法の記述がはたして正しいのかどうかは不明である。現役だったらローマ法専攻の同僚に質問できたのだが、彼もすでに定年退職してしまった。

 著者によれば、19世紀後半から20世紀半ばまでの英米の婚姻制度を支配したのは、ローマ法ではなく、ヴィクトリア時代の思潮だった。著者はその特徴を「清教徒主義(ピューリタニズム)」と「重商主義(マーカンティリズム)」の2つだという。
 ピューリタニズムは離婚を禁止し、その影響力が強いニューヨーク州などの裁判所は離婚自由化に抵抗したが、これに対抗して、「婚姻取消」によって壊れてしまった婚姻から夫婦を解放する圧力が強まった。重商主義によれば、当事者は熟慮の上で婚姻すべきであって(「危険は買主が負担する」)、たとえ婚姻締結時に欺罔があったとしても、それが婚姻の本質的要素に関わる欺罔だった場合以外は当該婚姻は取消すことはできない。婚姻の「本質的要素」とは心身の健全、婚姻に必要な性交、生殖の能力のみである(127~8頁)。
 
 ぼくは、西欧社会が離婚を禁止するようになったのは、古代ローマでキリスト教が普及して、その「婚姻非解消主義」--神が合わせたもうたものは、神のみが死によって分つことができるーーが採用されたからであると聞いていたが(誰かから聞いたのか、何かで読んだのかは今では記憶にないが)、本書によれば、1950年代までの英米の離婚禁止は、ヴィクトリア朝時代のピューリタニズムに起源があるというのだ。
 この離婚禁止法を回避し、破綻してしまった婚姻から夫婦を解放するためには、(唯一の離婚事由とされていた)姦通を当事者が通謀してでっち上げて離婚判決を得るか、相手の属性(資産、家柄、性格、生殖能力など)に関して錯誤があったとでっち上げて婚姻取消の判決を得るしかなかった。夫婦にとって、「姦通」をでっち上げるよりも、「欺罔による錯誤」をでっち上げて「婚姻取消」を申し立てる方が、良心の呵責は小さかったので、何千という婚姻取消判決が集積されることになったという。
 
 著者は配偶者権侵害訴訟(わが国でいう不貞慰謝料請求訴訟だろう。アメリカでは「怒りを鎮める訴訟 “Heart-balm suits”」と呼ばれているそうだ)に批判的で、離婚は協議・調停によって解決すべきであり、当時いくつかの州で認められるようになった離婚要件としての「性格不調和」を「調停不可能」と読みかえて、調停不調の場合には離婚を認めるべきという考えを示している(~151頁)。
 翻訳してくれたことは有難いが、訳文は分かりにくい個所があった。

 2024年1月22日 記
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