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鹿島鉄道キハ430形~加越能鉄道からやって来た湘南形気動車

2007-02-28 | 鉄道[北関東]

   

昨日MAKIKYUは3月末で廃線となる茨城県の鹿島鉄道乗車へ出向いており、石岡~鉾田間の往復で乗車して最後の乗り納め(だと思います)をして来ました。

この鉄道は以前にも何度か乗車し、現在稼動している4形式中の3形式(KR-500形・キハ600形・キハ714号)は既に乗車した事がありましたが、キハ430形と呼ばれる車両だけは乗車した事が無く、是非この車両に乗車できれば…と考えており、乗車する列車にどの車両が来るのか気になっていましたが、幸いにも直ぐに乗車する列車でこの形式が充当され、MAKIKYUは晴れて鹿島鉄道4形式全ての乗車達成となりました。

そんな事もありますので、今日はこのキハ430形について取り上げたいと思います。

この車両は1957年に2両が東急車輛で製造され、近年まで軌道線(万葉線)を運営し、現在はバス専業事業者となっている富山県の加越能鉄道の鉄道線・加越線(石動Isurugi~庄川町)が導入した車両で、70年代前半の加越線廃線時に2両共関東鉄道に引き取られ、鉾田線分社化(鹿島鉄道発足)前からずっと霞ヶ浦の畔を走っていますので、50年にも及ぶ車生(これはかなり長寿の部類に入り、同年代の現存
車両はかなり少ないですが、鹿島鉄道には更に古い車両も走っています)の大半を茨城の地で過ごしている事になります。

デザインは登場当時に国鉄をはじめ、各地の私鉄でも流行していた湘南形と呼ばれる前面2枚窓の非貫通形で、側面は16mの短い車体両端に扉を配し乗務員室扉が設けられていないのが特徴ですが、車両のスペックはこの車両が登場する少し前に同じ東急車輛で製造された東武熊谷線(廃止:現在熊谷~妻沼間には東武系列の朝日バスが多数運行されています)の車両とほぼ同等です。

この様な特徴を持つ車両ですので、ワンマン化改造は比較的容易に実施できたものの、小型であるが故に冷房装置搭載が難しい事もあって非冷房車のままで、またラッシュ時の収容力にも難がある事もありますので、近年は主に夏場以外の昼間の列車に充当されるといった状況になっています。

この車両は概ね50kmを越える速度を出すと縦揺れが激しくなる特性もあり、居住性は決して良いとは言えませんが、加速時のエンジン音もキハ600形と同様に素晴らしくなかなか乗り応えはありますので、レールファンには最高の車両です。

ただこの車両は稼働率が低いとはいえ、車内の化粧板などは張りかえられているのか割合綺麗で、つり革を支える金具の形状も鹿島鉄道の他形式車両に比べるとスマートな印象ですので、内装は古い割には結構見栄えがする様に感じますが、つり革の高さが所々で異なっている辺りは独特で、今や少なくなった板張りの床や網棚(金網ではありません)なども古き良き時代を連想させるものがあります。

また外観も稼働率が低い車両とはいえ結構よく整備されている事もあってか綺麗な印象を受け、地方私鉄のこの手の車両でよく見られるボロボロといった印象を感じる事が無いのも好感が持てる気がしますが、近年は2両在籍するキハ430形の内、431号が下半分を緑色に改めた装いに塗り替えられ、また432号は関東鉄道時代からの朱色とクリームの塗装(関鉄本体ではこの塗装を復元させたJR譲渡車両が2両あるのみで、鹿島鉄道でも他は714号のみです)ですが、これも近年は前面の塗り分けを改めるなどの変化が見られる点も興味深いものがあります。

それにしてもこの車両も21世紀の今まで走り続けたと思うと驚異的ですが、3月末の廃線と共にお役御免となってしまうのは確実で、車歴や設備面を考えると他鉄道や海外への譲渡と言った事もまずあり得ないと推測しますが、鹿島鉄道の沿線、或いはかつて走っていた加越線沿線にでも里帰りするなどして何処かで保存でもされるなら嬉しい気がします。
(ただ常陸小川駅に保存されていたDD901があっさりと解体されてしまいましたので、あまり期待できない気もしますが…)

写真は昨日乗車した432号の外観と車内の様子、431号に関しても廃線前に別途取り上げられれば…と思っています。
それにしても「みなさま さようなら」という表示を見ると、MAKIKYUは随分寂しく感じてしまいますが、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様は如何なものでしょうか?



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