MAKIKYUのページ

MAKIKYUの公共交通を主体とした気紛れなページ。
初めてアクセスされた方はまず「このページについて」をご覧下さい。

甘木鉄道・AR300形の新塗装車

2011-06-02 | 鉄道[九州・私鉄等]



先日「MAKIKYUのページ」で取り上げた甘木鉄道ですが、同社の標準塗装は白に薄緑色とピンクと言う、比較的おとなしい装いで、この塗装は甘木鉄道発足以来今日まで続いており、今でも多数派を占めます。

しかしながら昨年1両だけ塗装変更された車両が存在しており、こちらは甘木駅構内に停車している様子を見る事が出来ました。

この車両は車体を青と水色、そしてドア部分をオレンジに塗装し、側面には「AMAGI RAILWAY」と英文字で社名が大きく書かれるなど、従来塗装に比べると、随分大胆な装いと言えます。
(強烈過ぎる印象の車両がJRなどにゴロゴロしている九州だけあって、これでもさほど派手な印象を受けないかもしれませんが…)

甘木鉄道ではこの他に、先日取り上げた甘木観光バスに良く似た装いで、AR400形と呼ばれるイベント兼用のデラックス車両が1両だけ存在しており、随分前にMAKIKYUが甘木鉄道に乗車した際には、この車両に当たったものでしたが、先日甘木鉄道を利用した際には車庫の奥に留置されており、姿を収めることも叶わなかったのは惜しい限りでした。


甘木鉄道の主力車両・AR300形気動車と、同鉄道の乗車券

2011-06-01 | 鉄道[九州・私鉄等]

先月MAKIKYUが九州へ出向き、「FUKUOKA 1DAY PASS」などを利用して福岡県内を廻った際には、先日取り上げた甘木観光バス(別途運賃支払)に乗車した後、「FUKUOKA 1DAY PASS」が利用可能で、本数も頻発している西鉄バスで、朝倉街道駅辺りにでも抜けようと思っていました。

しかし甘木駅に到着した後は、目の前の甘木鉄道が気になり、この路線も久しく乗車していない事もあって、別途運賃を支払い、西鉄電車と接続する小郡駅まで同線に乗車したものでした。

甘木鉄道は鹿児島本線に接続する基山から、現在は市町村合併で朝倉市となった甘木を結ぶ単線非電化の路線で、旧国鉄時代の廃止対象線区に含まれた路線で、国鉄時代はかなり使い勝手の悪い路線だった様です。
(今日でもJR線として営業している近隣の路線では、筑豊本線の原田周辺がイメージ的にかなり近いと思います)

しかし第3セクター鉄道として再出発してからは、沿線が福岡都市圏に含まれる事もあって、西鉄電車との接続改善(小郡駅移設)や新たな駅の増設、列車の大幅増便(非電化単線ながらも、ラッシュ時間帯に最大毎時4本の運行は異色です)などの利便性向上策を次々と打ち出し、小規模ながらも第3セクター鉄道としては比較的好調な鉄道としても知られています。

甘木鉄道では発足から25年が経過した事もあり、車両寿命が短い簡素な構造の軽快気動車(甘木鉄道ではレールバスと称しています)は代替時期を迎え、発足当初に導入されたAR100形と呼ばれる車両などは、全て退役しています。


これに代わって現在の主力となっている車両が、AR300形と呼ばれる車両で、MAKIKYUが同形に乗車したのは今月が初めてでしたが、今世紀に入ってから導入が進んだこの車両は、典型的な地方第3セクター鉄道車両と言う雰囲気が漂います。


都市近郊輸送を担う短距離路線で、そこそこの本数が確保されている上に、乗車時間は長くても片道30分程度ですので、トイレ設置などはありませんが、それでも客席はオールロングシートではなく、車両中央部にボックス席が設けられているのが大きな特徴となっています。

また運賃収受は路線バスの様に完全車内収受となっており、有人駅でも乗車券販売は行うものの、改集札を行わない運行形態となっています。

この事もあってか、有人駅でも乗車券を購入せずにそのまま列車に乗車し、乗車時に取ったバーコード印刷の整理券を運賃箱に投入し、その後運賃を直接運賃箱に投入して乗車する事も可能です。


ただMAKIKYUが乗車した甘木駅では、駅舎内に今となっては古風な印象の自動券売機が1台設置されており、MAKIKYUは敢えてこの券売機で乗車券を購入してから乗車したものでした。


発券された乗車券は、自動読取式運賃箱に対応した両面印刷のバーコード印刷となっており、古風な印象の券売機から発券される乗車券らしからぬ雰囲気なのも特徴的と感じたものでした。
(乗車券画像は赤斜線の追加をはじめ、バーコード部分一部書き換えなどの加工を施しています)

甘木鉄道に関しては、近日中にもう一記事を追加したいと思います。


長崎電気軌道 5000形電車~長崎では2例目の全低床連接車

2011-03-03 | 鉄道[九州・私鉄等]

先月MAKIKYUが韓国へ出向いた際には、韓国旅行では恒例の「BEETLE」を利用した事もあって、博多港での出入国となっていますが、そのため日本国内の移動距離も相当なもので、むしろ国際航路や韓国内よりも、首都圏~九州間の移動距離の方が長い程です。
(それでも東京~博多間直通の新幹線のぞみ号で約5時間程度ですので、距離の割には訪れやすい所ですが…)

この九州も日頃の生活圏からは大きく離れており、頻繁に訪問する所でもないですので、韓国旅行の前後に九州内も少し廻る事になり、旅行のメインは韓国ながらも、国内旅行とのミックスといった雰囲気でしたが、その際には福岡(博多)からJRの特急「かもめ」号で約2時間程度の長崎にも足を運んだものでした。

長崎は市内交通機関として路面電車が大活躍している事でも知られ、その規模は国内随一の規模を誇る広島にこそ叶わないものの、路線長や車両数、輸送人員などあらゆる点で国内有数の規模を誇っており、また国内最安と言っても過言ではない運賃の安さ(最近若干の値上げがあったものの、それでも120円均一)も注目すべき点です。

この長崎の路面電車は長崎電気軌道という私鉄が運営しており、割安な運賃を維持するために比較的最近まで簡素な運賃箱や、つりかけ式と呼ばれる昔ながらの動力伝達方式を用いた車両ばかりを走らせるなどの特徴がありました。

しかしながらここ最近、バリアフリー化などの時代背景に応えた全低床新型車両の導入をはじめ、県内路線バスで普及しているICカード「長崎スマートカード」の導入と、これに伴う自動両替装置付運賃箱の設置といった動きが見られ、古参車両が多数活躍する状況こそ続いているものの、以前とはやや様相が異なっています。

全低床新型車両は2004年に3000形と呼ばれる3車体連接車が導入され、暫くはこの車両が増備されるもの…と思っていましたが、同形は3編成が導入されただけに留まり、今年に入ってから別形式の全低床新型車両が導入されています。


この車両が5000形と呼ばれる車両で、アルナ車両製3車体連接車という点では3000形と同様ですが、デザインは前面が傾斜した形状の3000形とは大きく異なり、直線的でシャープな印象を受け、最新鋭車両ながらも3000形と同様に行先表示に字幕を用いている点も大きな特徴です。
(余談ながら九州ではJRこそLED採用に積極的ですが、私鉄では大手の最新鋭車でも字幕です)

これに加え装いもグレーに水色などの帯が入る3000形とは対照的に、白と赤の塗装となっており、この装いは色合いや塗り分けこそ異なるものの、全低床新型車両導入前に導入された比較的新しい車体更新車(下回りは旧型の転用)を思わせる雰囲気があります。

それ以前の車体更新車でもアイボリーと赤の装いの電車が活躍していますので、この点では先代の低床車3000形に比べ、長崎の路面電車らしい雰囲気と感じたものです。


車内に足を踏み入れると、グレー系を主体とした色彩の車内は比較的シンプルな印象を受けるものの、化粧板をドア部分だけ異なる色彩とするなどのアクセントが見受けられるのが特徴です。

この新形式5000形は現在1編成のみの活躍で、主に長崎駅前には顔を出さない蛍茶屋~石橋間の5系統で運用されており、MAKIKYUが先月末に乗車した際も5系統での運用でした。

5系統と言うと以前は石橋周辺の電停設置箇所の関係で、前後扉配置の古参車両ばかりが活躍しており、同系統への乗車も久々でしたので、長崎の路面電車も随分変わったものと実感させられたものです。

また5000形は今後も増備が計画されている様ですが、その際には他所から長崎を訪れる観光客の多い長崎駅前や松山町(原爆投下地点の近く)などを通る1・3系統への充当などにも期待したいと感じたものでした。


西鉄2000系電車・遂に来月全廃に~今月末には前面の塗り分けなども…

2010-09-16 | 鉄道[九州・私鉄等]

   

数日前日本の大手私鉄で唯一九州に路線を持つ西日本鉄道(西鉄)では、かつて大牟田線特急の主力として活躍し、近年は数を減らしつつも急行などで活躍していた2000系電車を、来月限りで運行することを発表し、HPなどでも告知していますので、ご存知の方も多いかと思います。

2000系は1970年代前半に、特急用に製造された2扉転換式クロスシート車で、既存車両と異なるクリーム色に赤帯を巻いた装いをはじめ、非貫通型となっている先頭車は運転台が車両のほぼ中央に設置されている事も、大きな特徴となっています。

大牟田線(後に天神大牟田線に改名)ではその後、現在の特急用車両の主力となっている8000系電車が登場し、花形の座を同系に譲った後は、主な活躍舞台が急行となる事もあって、各車両の中央部にも扉を増設し、3扉車となって今日に至っています。

通常花形の座を譲り、短~中距離輸送用に転用される特急用車両ともなれば、クロスシート→ロングシートへの改造が行われる事が多く、西鉄でも2000系導入前に特急用として活躍していた1000系(現在は全廃)などは、主に普通用に転用する事もあってこの様な改造が行われています。

装いも最末期に往年の活躍を労い、リバイバル塗装で運行された他は、他の一般車両と同等となるなど、どう見ても格落ちと言わざるを得ない状況になってしまい、同種の事例は他の標準軌大手私鉄でも幾つか存在しています。
(特に首都圏で活躍し、奇しくも今回西鉄で退役となる形式と同じ「2000」という形式を名乗る車両は、改造後の座席がイマイチと感じる上に、比較的最近の新種別列車設定までは長編成を構成した車両の昼間稼働率が低く持て余し気味、短編成を構成している方も性能特性に合わない列車への充当が多くダイヤを乱す事が多いなど、特に格落ち車両の印象を受けます)

しかしながら西鉄2000系の場合は、3扉車へ改造された後も特徴的な装いをはじめ、転換式クロスシートの座席も扉増設の関係で数こそ減らされたものの、花形時代の設備が存置されるなど、割合花形時代に近い雰囲気のまま今日まで活躍し続けたのは、2000系の大きな特徴の一つと言えます。

MAKIKYUは日頃首都圏に居り、西鉄電車を利用するのは九州を旅行した際や、九州の更に位置する韓国への前後泊(博多港~釜山港間はJRの高速船で片道約3時間・この高速船の出港する博多港(国際ターミナル)へのアクセスも、西鉄のバスが担っています)の序で福岡周辺を動き回った時に限られますので、乗車機会はさほど多くなく、今までの合計で指の数程度、それも3扉改造後の晩年の姿に限られる状況です。

ちなみにMAKIKYUが最後に乗車したのは、昨年韓国から帰国した直後ですので、もう一年近く前になり、現在の主な活躍舞台となっている急行で乗車しており、この時は現在最後のしている2021編成に当たり、この記事の画像もこの時撮影したものですが、経年もあってやや草臥れた印象はあったものの、設備的には特急で福岡(天神)~大牟田間を乗り通しても…と感じたものです。

今年に入ってからMAKIKYUが西鉄電車に乗車した際には、数を減らし乗り難い存在になっている2000系への乗車機会こそないものの、現に休日夜の特急として活躍する姿も目撃し、8000系の代役としても充分通用するのでは…と感じたものでした。

引退発表から退役日までの期間が短く、今後MAKIKYUが2000系に乗車する機会は…といた所で、永年の活躍を労い、前面の塗り分け変更や旧社紋(現行ロゴ導入前にも2000系には一度乗車していますので、この姿はMAKIKYUも見ているのですが…)の復活などが施された姿(プチリバイバル)となる事も発表されていますが、遠方だけにこの姿を見に行く機会がなく、終焉を迎えそうなのは少々残念です。

とはいえ今日まで花形の雰囲気を強く保ち、今日特急で走っても恥じない姿のままというのは、用途変更による扉増設車では、扉増設と共に種々の改造が施され、格落ちの観が否めない車両が多い中では大いに賞賛できる事と感じています。

この事もプチリバイバルでの姿が短期となる要因なのでは?と感じる程ですが、最後まで花形の雰囲気を強く保ち続けた2000系の姿は、退役後も記憶に留めておきたいものです。


平成筑豊鉄道400形気動車~様々なカラーバリエーションが存在する主力車両

2010-08-13 | 鉄道[九州・私鉄等]

先日「MAKIKYUのページ」では、北九州を走る平成筑豊鉄道の500形気動車に関して取り上げましたが、同社では500形は1両しか存在していないものの、車両形状や性能面では同等の400形と呼ばれる気動車が多数存在し、現在の主力車両となっています。


この400形は2007年から導入され、平成筑豊鉄道発足時から運行していた軽快気動車(LE-DC)の老朽取替えを目的に次々と増備されています。

今や平成筑豊鉄道では殆どの列車が400形で運行される程にまで勢力を拡大しており、MAKIKYUが2ヶ月程前に平成筑豊鉄道に乗車した際とは、車両面では数年前とは大きく様変わりした事を実感したものです。

「平成」を冠する事業者名だけあって新しい鉄道会社と言う印象が強い平成筑豊鉄道も、もう車両取替えとなると結構な年数を経ていると感じると共に、バス並と言われるLE-DCの寿命の短さを痛感(首都圏などの大都市圏では、バスも12年以上経過した車両は車検が通りませんが、福岡県内では平成初頭のバスもゴロゴロしており、九州内ともなればまだ昭和製のバスすら存在している状況です)させられるものです。

ちなみにこの400形は、新潟トランシス製の標準仕様気動車(NDC)だけあり、似た様な車両が各地の第3セクター鉄道でも導入され、比較的質素な仕様の車両が多いのも特徴ですが、平成筑豊鉄道の400形もその典型と言える存在で、同じNDCでも極めて豪華な雰囲気の500形とは大きく異なります。

客室内は水色無地の化粧板が一昔前の通勤列車を連想させられますが、路線特性を考慮してかトイレは設置されず、座席も殆どがロングシートであるなど、主に短距離乗車向けに設計されている事を強く感じさせられます。


ただ座席は殆どがロングシートとはいえ、オールロングシートではなく、片側1ボックスずつだけクロスシートを設けているのが特徴で、JRなどでは片側2ボックス程度のクロスシートを設けた車両は結構良く見かけますが、真ん中辺りに1ボックスだけ、それも左右のボックスがずれた座席配置は異色で、こんな車両はなかなか見かけないだけにインパクトがあります。

また外観も標準塗装は黄色を基調にした装いとなり、開業当初に導入されたLE-DCとは随分様相が異なりますが、標準塗装以外にもLE-DC時代と同様に平成筑豊鉄道のマスコットキャラクター「ちくまる」をデザインした車両が存在するほか、ラッピングによる広告車両なども存在しています。


そのため座席配置を除くと、比較的単調な雰囲気が否めない標準仕様気動車ながらも、様々なカラーバリエーションのお陰で結構バラエティに富んでいます。

筑豊では「平成」を冠さない電気鉄道(平成筑豊鉄道とは直接の接続駅こそありませんが、直方は両者の駅間を徒歩で移動する事も充分可能です)でも、最近になってやたらとカラーバリエーションが充実していますので、どちらも見た目で利用客を楽しませるという点では共通しています。

筑豊地区の鉄道でカラーバリエーションが増加しているのはただの偶然なのか、それとも近隣事業者の施策に影響を受けて相次いで…というのかは分かりませんが、九州はJRも派手さで目を引く車両が多いだけに、他事業者の影響もあるのでは…と感じてしまうのはMAKIKYUだけでしょうか?


平成筑豊鉄道500形気動車「へいちく浪漫号」~1両だけの豪華気動車

2010-08-10 | 鉄道[九州・私鉄等]

 

今年の夏は記録的な猛暑と言われており、MAKIKYUも異常な暑さで体力が低下気味、仕事以外での外出頻度もやや減少している有様ですが、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様は如何でしょうか?

また猛暑と共に、局地的な集中豪雨などによる災害が多発している事も困ったもので、鉄道もJRでは三重県内で昨年発生した災害の復旧工事を行わず、一部区間を恒常的なバス代行としているローカル線が存在している上に、今年夏には閑散線区として知られる非電化ローカル線(一路線は一応地方交通線ではなく「幹線」扱いで、他に電化路線でも一部区間不通が長期化している路線があります)が相次いで災害による運休→バス代行という状況になり、現在JRでは本州内旅客3社全てで列車が運行できない路線が存在する異常な状況になっています。

JR線は地方の閑散ローカル線でも事業者としての規模が大きく、その公式HPなどでも情報が告知されるため、災害による運休情報なども比較的知れ渡っていますが、現在他に北九州の第3セクター鉄道・平成筑豊鉄道でも一部区間の不通→バス代行が続いています。

こちらも不通区間の復旧までに数ヶ月かかる見込みと案内されており、復旧の見込みを告知しているだけまだ良いのかも知れません(近年九州では災害復旧に要する多額の費用を懸念し、復旧することなくそのまま廃線となってしまった路線も存在する程です)が、現在この様な状況で旅客に不便を強いている事へのお詫びも兼ね、平成筑豊鉄道では1日フリー乗車券を期間限定で特別割引するなどの努力もしており、幾つかのJR線と共に早急な災害からの復旧を望みたいものです。

ところでこの平成筑豊鉄道ですが、日頃首都圏に身を置くMAKIKYUにはかなりの遠方で、ちょっと乗りに行くという距離ではありませんので、応援も兼ねて乗りに行くのもかなり厳しいですが、MAKIKYUも今までに3回程利用した事があり、比較的最近では2ヶ月程前にも利用する機会がありました。

その際には田川線の現在災害で不通となっている区間にも乗車しているのですが、この時に乗車した車両が500形と呼ばれる気動車で、1両しか存在しないこの形式の気動車は、「へいちく浪漫号」と呼ばれる愛称も付けられています。

「へいちく浪漫号」は、現在平成筑豊鉄道で主力となっている新型気動車・400形と車体形状や性能面では同等の車両で、400形自体も各地の第3セクターで近年導入が進んでいる新潟トランシス製標準仕様気動車(NDC)の一派ですので、見た目は何処のローカル線で走っていてもおかしくない雰囲気を受けます。

しかしながら愛称に「浪漫」と言う語句が入る事もあり、外観をレトロ調に仕上げているだけでなく、車内も2人掛けの転換式クロスシートがずらりと並び、テレビなども設置されるなど、内装も比較的簡素な印象の車両が多いNDCの中では、異色とも言える程凝ったものとなっているのが大きな特徴です。

イベント兼用車とはいえ、全国各地の第3セクター鉄道で活躍するNDCの中でも、設備の豪華さという観点では恐らく2番手位(一番手はまだ姿を見た事もないのですが、元中京圏大手私鉄特急用気動車の代替で、大手私鉄乗り入れにも使われる車両かと思います)と感じる程の意欲作です。

平成筑豊鉄道は観光色が薄く、利用客も専ら短距離客と言う事や、優等列車や観光列車(近年北九州市の委託で運行している元貨物線のトロッコ列車を除く)の類は存在せず、専らワンマン運転の普通列車ばかりという事も考えると、路線の特性もあってトイレが設置されていないとはいえ、普通列車で20~30分程度の乗車では、直ぐに降りるのが惜しいと感じてしまう程でした。

また九州ではJRをはじめ、一部の第3セクター鉄道や路線バスにも、随所に散りばめた英文字やロゴ、近年ではこれに加えて内装に木材を多用する事も特徴の某デザイナーが絡んだ車両が大増殖していますが、「へいちく浪漫号」は九州で大勢力となっている某デザイナーが絡んでいないにも関わらず、内外共に人目を引く車両と言うのも大きな特徴と言えます。

平成筑豊鉄道は第3セクター鉄道の中ではそこそこの規模を誇りますが、「へいちく浪漫」号はその中で1両しか存在しない車両だけあり、平時は一応運用がHPで公開(現在は暫定ダイヤなので期待できませんが…)されるとはいえ、余所者にはなかなか乗り難い存在です。

遠方で日頃利用機会の乏しい路線と言う事も考えると、MAKIKYUは再び「へいちく浪漫」号に乗車する機会があるのだろうか…という程ですが、この車両をはじめとする平成筑豊鉄道の伊田線~田川線列車が、早く再び直方~行橋間を通し運行出来る事を望むと共に、また「へいちく浪漫」号に乗車する機会に恵まれるのであれば、直方~行橋間を通して乗車してみたいとも感じたものでした。


平成筑豊鉄道・門司港レトロ観光線(1)~車両編

2010-07-16 | 鉄道[九州・私鉄等]

   

もう一月程前の事になりますが、MAKIKYUが先月九州へ出向いた際には、熊本県内の他に、北九州地区へも足を伸ばしたのですが、その際には通称「やまぎんレトロライン」とも呼ばれる門司港レトロ観光線にも、初めて乗車する機会がありました。

やまぎんレトロラインは、JR門司港駅から田野浦方面へ向かう用途不要となった貨物線・田野浦公共臨港鉄道の一部区間を、昨年観光路線として再生させた異色の路線です。

北九州市が軌道などの施設を保有していますが、運行は交通局(現在若松区などに市営バスを運行する他、軌道の運行実績もあります)を持つ北九州市が直接行うのではなく、県内の第3セクター鉄道・平成筑豊鉄道が行っています。

そのため正式名称は平成筑豊鉄道・門司港レトロ観光線と呼ばれていますが、平成筑豊鉄道の既存路線とは異なり、通勤通学路線としては機能しておらず、専ら観光目的に特化した路線となっています。

最高速度は15km/hと非常に遅く、運転日が冬場を除く土休日や長期休暇期間等に限られる事や、運行時間帯が日中に限定されている事などは、観光目的に特化した路線ならではと言えます。

この様な路線ですので九州内や近隣に居るのならまだしも、首都圏などの遠方に居る人間にとっては、踏破が厄介な路線の一つとなっており、MAKIKYUにとっては遠方と言う事もあってか、開業から1年以上経過して初乗車という有様でした。

使用車両はかつて島原鉄道のトロッコ列車で使用していた貨車改造客車(トラ701・トラ702)の両端に、南阿蘇鉄道のトロッコ列車を牽引していた小柄なでディーゼル機関車(DB101・DB102)が連結されて編成を構成しています。

トロッコ客車は島原鉄道時代に姿を見た事があり、「MAKIKYUのページ」でも取り上げた事(該当記事はこちらをクリックがありますが、乗車が叶わずに運行終了となってしまいましたので、島原で見かけた時には思いも付かなかった所での再会で、ようやく念願達成といった所ですが、路線だけでなく車両までもが再利用、それも車両放出先になる事が信じ難い鉄道からの譲渡(島鉄・南阿蘇の両者共に、旧国鉄の車両譲受暦がある小私鉄ですので…)と言う辺りは、やまぎんレトロラインの注目点と言えます。

九州内の小規模私鉄2社から移籍した車両は、ブルー1色に装いを改め、「潮風号」という愛称名を名乗って活躍していますが、乗車する客車2両は小柄な車両にも関わらず、各車共に木製のボックス席が並び、40名前後の定員を確保しています。

座席は木製で結構窮屈な印象を受けたもので、客車自体も貨車改造のトロッコ客車だけあって、乗り心地は決して良いとは言い難いもので、むしろ乗り心地の悪さを楽しむと言った方が良いと感じたものでした。

しかしやまぎんレトロラインは最高速度が極めて低いとはいえ、旅客輸送を行う九州鉄道記念館(JR門司港駅)~関門海峡めかり間の路線長が2.1kmしかなく、ミニ鉄道として知られる和歌山県の紀州鉄道よりも短い程ですので、全線を乗り通したとしても、すぐに終点に到着してしまいます。

まして2箇所の途中駅で乗降ともなれば…と言うのは惜しい限りで、客車はトンネル内で天井がプラネタリウムの如く光る演出など、凝った仕掛けも用意されているのですが、乗り心地の悪さを堪能するまでもなく、列車旅を終えてしまうというのが実感で、車両構造故に慌しく乗り降りする際の乗降性の悪さが印象に残ったものです。

ちなみにMAKIKYUがやまぎんレトロラインに乗車した際は、片道乗車券(300円)を購入して自由席に乗車したのですが、その気になれば全線を徒歩移動する事も可能な程の超短距離路線にも関わらず、一部列車では要追加料金の指定席車が設けられているのも、趣味的には注目点の一つと言えます。
(指定席連結列車の中では、恐らく日本の鉄道で最も運行距離の短い部類に入るかと思います)

ただJR門司港駅~関門海峡めかり間は本数が少ないとはいえ、やまぎんレトロライン以外に路線バス(西鉄バス北九州)を利用し、220円で移動する事も可能ですので、乗車区間や車両設備などを考えると、片道乗車券に加えて要追加料金の指定席券(一部列車では2両しかない客車の1両が指定席になります)まで購入するとなると…と感じたものでした。

とはいえJR九州が発売し、九州内各鉄道の普通列車が任意の3日間(或いは3人分)乗り放題となる「旅名人の九州満喫きっぷ」の対象路線にも含まれていますので、この乗車券で門司港周辺を訪れた際に、ふらりと乗車してみるのは面白いかと思いますし、門司港周辺を訪れる機会があれば、一度は乗車する価値があると感じたものでした。

機会があれば車両以外の駅設備などに関しても、別記事で取り上げたいと思います。
(ただ明日には首都圏の辺境で新線開通が控え、この関連の記事は優先的に取り上げたいと思っていますので、続編記事は暫く後になると思いますがご了承下さい)


くま川鉄道・KT-31形気動車~JRから移籍した異色の存在

2010-06-30 | 鉄道[九州・私鉄等]

 

昨日「MAKIKYUのページ」では、くま川鉄道のリニューアル気動車「KUMA」に関して取り上げましたが、くま川鉄道では「KUMA」を含め、現在定期列車で使用される車両は、1両を除くとNDCと呼ばれる軽快気動車で占められています。

しかし例外的存在と言える車両が1両だけ存在しており、この異色の存在と言える気動車が、KT-31形と呼ばれる車両です。

くま川鉄道では以前、肥薩線の優等列車がキハ58形などによる急行列車だった頃には、朝の通学時間帯にJRの急行形車両を間合いで増結し、NDCと併結して運転するという、他ではなかなか見られない編成が見られた事でも有名でした。

しかしながら九州新幹線開業と共に行われたダイヤ改正で、肥薩線の優等列車が急行→特急に格上げとなった際には、車種も特急形のキハ185形に変更され、そのままではNDCと併結出来なくなっています。
(四国では一般型に転用されたキハ185形が、他の一般型気動車と併結運転を行った事例が存在しますので、その気になれば不可能ではないはずですが…)

そのため朝の通学時間帯における輸送力確保策として、くま川鉄道ではJR優等車両の間合い運用に代わる代替策が必要となり、JR車両乗り入れの代わりに自社車両を増備する事になっています。

とはいえ第3セクター鉄道だけあって新車増備は容易でなく、JRの一般型気動車1両が移籍する事で、自社車両保有数1両の増加(それでもJR優等車両乗り入れ時は2両が乗り入れていましたので、1両の減車になります)を実現しています。

このJRからの移籍車両がKT-31形と呼ばれる車両で、JR九州で活躍中のキハ31形1両が、帯色だけを改めてくま川鉄道に移籍したといっても過言ではない車両ですが、多数のNDCに紛れて1両だけの活躍ですので、余所者がふらりとくま川鉄道を訪れて狙っても、当たるかどうかは運次第です。

MAKIKYUも以前に姿を見た事はあったものの、この車両への乗車は今月が初めてで、乗車した列車は単行ワンマン列車だったものの、通学時間帯などでは他のNDC(勿論「KUMA」が含まれる事もあります)と併結した彩り豊かな編成を見る事もでき、これも趣味的には面白いものです。

このKT-31形は、車体長17mとJR車両にしては小柄な部類に入るものの、NDCばかりのくま川鉄道では最も車体長の長い車両であると共に、唯一のステンレス製車体を持つ車両で、製造がくま川鉄道発足前の昭和生まれというのも特徴です。

車内も座席も転換式クロスシートを装備(座席の背もたれは転換可能ですが、専らボックス配置で用いられており、せっかくの機能は余り活用されていない様です)するなど、他の車両に比べてハイグレードな設備は、くま川鉄道の他車両とは大きく異なるもので、「KUMA」の様な派手さはないものの、列車好きが見れば非常に目立つ車両と言えます。

またキハ31形は国鉄分割民営化直前に大半が製造され、くま川鉄道に移籍した車両もこのグループに属しますが、JR九州の国鉄から継承した一般型気動車の中では最も新しく、JR化後に登場した新形式を含めても中堅格といった所です。

そのためKT-31形となった1両以外は、全てJR九州でローカル輸送に従事しており、くま川鉄道移籍車はキハ31形の中でも、極めて異色の存在と言えますが、JR九州ではもっと古いキハ40系列がゴロゴロしており、近年JR九州で観光列車用に改造される車両の種車も、近隣の肥薩線を走る「いさぶろう・しんぺい」号や「はやとの風」号の車両は、経年車で数も多いキハ40系列が用いられています。

これらの観光列車は、予想を超える人気ぶりに増車が相次ぐ状況ですが、この増車には片運転台で単行運転が不可能な事もあって、他の一般型気動車に比べ使い勝手の悪いキハ47形が次々と種車に充てられています。

JR九州で持て余し気味の一般型気動車はこの形式位…と言いたくなる程ですので、通学時間帯の輸送力を確保するための増結用途に限定するのであれば、キハ47形でも充分だったはずです。

昼間時間帯の単行運転などにも使う事を考慮しても、キハ40形を譲渡する方法もあっただけに、くま川鉄道への移籍話を聞いた時には、よくJR九州も古いキハ40系列ではなく、キハ31形を供出したと感じたもの(様々な事情が絡んでいるかとは思いますが…)ですが、こんな事を感じてしまうのはMAKIKYUだけでしょうか?


くま川鉄道のリニューアル車両「KUMA」~テーマ性はやや弱い気も…

2010-06-28 | 鉄道[九州・私鉄等]

MAKIKYUが今月熊本県南部の人吉まで出向いた際には、人吉を起点に球磨盆地を走る第3セクター鉄道・くま川鉄道にも乗車する機会がありました。

このくま川鉄道ではJR九州湯前線からの転換時以来、今日に至るまでずっと新潟鉄工(現新潟トランシス)製のNDCと呼ばれる軽快気動車が用いられています。

その後1両だけJRから購入した中古車両(キハ31形)を除くと、現在のくま川鉄道の旅客列車で活躍する車両は、全てNDCで占められている状況です。

NDCも初期の車両では登場から20年を迎え、日本の鉄道車両にしては比較的簡素な部類に入る車両と言う事もあってか、九州内の他第3セクター鉄道では、同形NDC車両の老朽置き換えも行われている程で、比較的新しい気動車という印象のNDCも今やベテラン、年季を感じる車両も多く見られる様になり、くま川鉄道で活躍するNDCも例外ではありません。

そのためくま川鉄道転換時からの装いで活躍するNDCは、もうそろそろ何らかの手を施した方が…と感じてしまうのですが、くま川鉄道ではJR九州の「SL人吉」号運行と時期を同じくしてNDCのリニューアル車両を登場させており、このリニューアル車両が「KUMA」と呼ばれる車両です。


「KUMA」はKUMA-1・KUMA-2の2両が活躍しており、種車はくま川鉄道に在籍するNDC2形式(KT-100・KT-200)それぞれから1両ずつという事もあり、座席配置は種車同様に一方がセミクロス(「KUMA-2」・KT-103)、もう一方がオールロングシート(「KUMA-1」・KT-203)になっています。

このリニューアルではJR九州などで有名な某デザイナーが絡んでいる事もあり、車両内外の雰囲気はJR九州の車両に近い印象を受けるもので、深緑色となった車体の随所に書かれた英文字やロゴや、木材をふんだんに使用した内装などに、その特徴がよく現れています。

 
車内に足を踏み入れると、元がNDCという簡素な車両にしては随分インパクトのある仕上がりとなっており、NDC自体は全国各地のローカル線で活躍していますが、これだけ強烈な印象を受けるNDCは…と思う程で、とても鉄道車両とは思えない様な形状のロングシートが幾つも並ぶ様は、某デザイナーが手がけた車両ならではといった所です。

「KUMA-2」の方にだけ設置されているクロスシートも、ロングシートとの境界となる部分だけ、木製仕切りが上方向に伸びて半個室風となっているのが特徴で、独特な雰囲気を漂わせています。

クロスシート(ボックス席)は、座席自体は「SL人吉」号に近い雰囲気を受けるもので、座り心地も普通列車用車両としては充分なものですが、グループ利用などを想定して木製テーブルが設けられている事も、大きな特徴となっています。


この木製テーブルは展開する事で結構な大きさとなり、グループ利用で弁当を拡げる時などは便利そうですが、比較的大きなサイズと言う事もあってか、同じデザイナーが手がけ、近隣を走るJR九州の観光列車「いさぶろう・しんぺい」号用改装車の如く、テーブルの脚が床まで伸びています。

そのためボックス席の足元がやや窮屈に感じるのが難点ですが、「KUMA-2」自体がセミクロスシート車で、ロングシートという選択肢も用意されている事を考えると、充分許容できるものとはいえ、くま川鉄道が観光利用よりも生活路線としての役割が大きい事を踏まえると、大きなテーブルは存在意義自体が怪しいかもしれません。

 
また「KUMA-1」では人吉球磨地方の自然、博物館をモチーフにした 「球磨の自然」列車、「KUMA-2」では人吉球磨の見所をイメージした「球磨の観光」列車というテーマ性を持たせており、植物のアクリル封入標本などは特徴的ですが、個性の強い某デザイナーの車内外デザインも影響してか、2両それぞれのテーマ性はやや弱い様に感じてならないのは残念な所です。

この「KUMA」は目玉車両だけあって、人吉温泉駅(=JR人吉)では当日の充当列車を示す案内板まで設置されている程ですが、くま川鉄道では一応「SL人吉」号接続列車に優先充当する以外は、一般の普通列車に充当(くま川鉄道ではそれ以外の列車は存在しないのですが…)しています。


そのため「KUMA」はMAKIKYUが乗車した際、やや「惜しい」と感じる難点もあるものの、かなり大胆なリニューアルを施した車両にも関わらず、優等列車や特別車両扱いではなく、普通運賃のみで乗車できる点は大いに評価すべきものです。

一般車両と同じく、普通列車として活躍している事を考えると、くま川鉄道乗車時は是非「KUMA」の方に乗車したいもので、当たるかどうかは運次第です。

とはいえくま川鉄道では3両程度での運転も多い事を考えると、真っ先に目に入った車両が違う車両でも、他の車両へ足を運ぶと…という事もありますので、2両以上の編成を組む列車に乗車した場合は要チェックです。

またMAKIKYUが乗車したのは、原則として「KUMA」が充当される「SL人吉」号運転日のSL接続列車でしたが、それでも地元学生の利用は多く見られたものの、遠方からの観光客と見られる乗客の姿は、少なく感じたのは残念な所でした。

「SL人吉」号運転開始と共に、肥薩線の観光利用は増加しながらも、JRの観光列車だけを乗り継ぐ利用形態も多い様で、人吉市内や周辺の球磨盆地一帯にはSL利用の観光客は余り…と言われていますが、「KUMA」はJR九州の観光列車に劣らない列車と感じただけに、もっと注目されても良いのではと感じたものです。

「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も、有名なJR九州の観光列車などで人吉を訪れる機会がありましたら、是非くま川鉄道にも足を伸ばし、大きく様変わりした軽快気動車「KUMA」にも乗車してみては如何でしょうか?


ダイヤ改正で消滅した「直行」列車~西鉄独自の種別は見納めに

2010-03-31 | 鉄道[九州・私鉄等]

 

日本一のバス事業者であると共に、本州以外で鉄道を運行する唯一の大手私鉄としても知られる西日本鉄道(西鉄)は、今月に入ってからICカード(nimoca)の他カード(SUGOCAなど3種)との相互利用開始や、新駅(紫駅)開業とこれに伴うダイヤ改正、割引率の高さが魅力的な磁気SFカード(よかネットカード)の発売終了など、大きな動きが目白押しとなっている事は、ご存知の方も多いかと思います。

この様な大イベントは日を同じくするのが通例ですが、西鉄では今月に入ってからのこれらの大イベントは全て異なる日(前者から順に13日・27日・31日)となっている点は、様々な事情が存在しているとは思いますが、極めて異色と言えます。

その中でも先日紫駅開業と共に行われたダイヤ改正では、天神大牟田線で平日朝ラッシュ時間帯にだけ運行していた2種別が消滅し、列車種別は全日各時間帯において運行する特急・急行・普通の3種に整理されましたので、西鉄電車を使い慣れない人間にも単純で分かりやすい運行体系になったと言えます。

ちなみに先日のダイヤ改正で消滅した2種別は「快速急行」「直行」の2種別で、快速急行の方はMAKIKYUが乗車する機会はないまま終焉を迎えてしまいましたが、直行の方は先月MAKIKYUが九州へ出向いた際にも、始発の福岡(天神)から1駅だけながら乗車する機会がありました。

「直行」と聞くと、MAKIKYUは西鉄電車の走る福岡から高速船で北上し、所要3時間程の半島各地を走る市外バス(主に観光タイプの車両を用いる都市間バスですが、座席は先着順の自由席である事が殆どで、彼の地では高速バスとは別種のバスとして運行しています)を連想してしまいますが、日本の鉄道(ケーブルカーを除く)における列車種別では、近年では西鉄が唯一の存在でした。

西鉄電車の「直行」は英訳が「NON-STOP」ではなく「STRAIGHT」を用いていたのも特徴的で、かつては福岡を出ると途中停車駅がなく、終点まで直行していたのですが、近年は薬院駅にも停車しており、「直行」という種別名にも関わらず途中停車駅が存在していた事も異色でした。

また「直行」は平日の朝ラッシュ終わり頃に、福岡(天神)へ到着した列車を折り返して車庫(筑紫)に戻す際、実質回送と言っても過言ではない下り方面の車両を、何本かだけ「直行」として二日市まで営業で走らせていた状況でしたので、日頃西鉄電車を利用している方でも馴染みは…という方が多いかと思いますし、九州外の人間であるMAKIKYUなどは尚更です。

その上二日市までの停車駅は「特急」と全く変わらず、朝ラッシュ終わり頃の下り数本のために、わざわざ別種別を設定していた事は異例と言えます。

今までこんな列車が走り続けていた事自体が不思議なもので、「直行」廃止→急行格下げで途中駅の利便性向上を図る事は、MAKIKYUは妥当な施策と感じ、同感と思われる方も多いかと思います。

停車駅増加は勘弁と感じる方も、二日市行きの特急として走らせれば…と思われる方が大勢かと思いますので、実効性のない種別を増やす事で不慣れな利用者を混乱させる事を考えると、「直行」廃止は妥当な施策と言えます。

とはいえ西鉄電車にしか存在しない異色の種別が消滅した事は、他の大手私鉄には見られないサービスが幾つも存在する西鉄の独自色が薄れ、趣味的には寂しいと感じてしまう一面もあります。

「直行」は他鉄道では見られない種別として知られていただけに、定期列車で姿をみる機会は無くなっても、イベントや臨時列車での登板に期待すると共に、西鉄電車で異色の種別が用いられていた事を、記憶の片隅に留めておきたいものです。


トロッコ神楽号・JR九州へ~一方で設備撤去なども…

2008-12-06 | 鉄道[九州・私鉄等]

今から3年前の2005年、9月に襲来した台風の影響で甚大な被害を受け、宮崎県を走る第3セクター鉄道・高千穂鉄道(TR)が運行不能となり、その後復旧することなく一部区間(延岡~槇峰)は廃止となり、法律上は今も休止が続く残りの区間(槇峰~高千穂)も、まもなく休止期限が切れて正式に廃線となる公算が強い事は、ご存知の方も多いかと思います。
(現在の休止期限は27日限りですので、今後何らかの動きがなければ、28日に槇峰~高千穂間が廃止となり、TR路線の全線廃止が確定します)

この事は台風による被害が少なく、高千穂鉄橋も存在する高千穂方だけでも観光鉄道として再開する構想が、残念ながらうまく行っていない事の現われとも言え、TRの車両や設備の今後も気になっていましたが、今日ネットサーフィンをしていた所、JR九州HPでTRの観光列車として活躍していたTR400形気動車「トロッコ神楽号」を購入するニュースリリースが掲載(記事公開日は昨月25日ですので、既にご存知の方も多いかと思います)されているのを見つけ、導入からまださほど使用していない同車(2003年に2両が導入され、2年少々しか営業に供されていませんので、現状では走っていない期間の方が長い事になります)は、過去に乗り入れ実績もあるJRで再活躍する事が確定しています。

TR400形のJR九州への譲渡は、トロッコ気動車を用い、別会社移管による観光鉄道として、TR路線を再開する選択肢の消滅確定を意味する事にもなりますので、ある意味少々残念な感もあります。

とはいえTR運行休止からずっと出番がなかった新型気動車(いつでも稼動可能な状況に整備され、時折高千穂駅構内などを動いていた様ですが…)が再び活用される事は喜ばしい面もあり、活躍の場を変えながらも引き続き宮崎の地で活躍する事になる模様(主に日南線などで使用予定となっている様です)ですので、今後の活躍に期待すると共に、TR時代とさほど変わらぬ姿で活躍する事になるのか、それともJR九州らしい派手な改装を経て運行開始となるのかも気になります。

またTR一般車両も(TR100/200形気動車)も延岡駅に長期に渡って留置され、その後廃車解体となったTR102号(わかあゆ号)に続き、高千穂の車庫に留置されていた車両の解体も開始された情報が流れており、最近になってTR延岡駅舎なども解体された情報が流れていますので、TRが正式に「廃止」となる事を強く感じるものです。

TRの軽快気動車は元々耐久性の面で難がある車両と言う事に加え、製造から20年近くなる事もあって、TR400形とは明暗を分ける状況になっていますが、こちらも一部は四国の3セク鉄道や沿線自治体などに引き取られる情報が流れていますので、九州を離れて四国へ移籍する車両は、第2の地での活躍にも期待したいと感じるものです。

写真はTR運行休止の一月ほど前、列車乗り換えの空き時間に延岡で撮影したTR400形気動車「トロッコ神楽号」(手前の2両がTR400形・前の一両は一般車両)です。

MAKIKYUはTRには一度も乗車する機会がないまま、乗れない状況になってしまったのは心残りですが、このトロッコ車両がJRに移籍した後も、再び延岡の地にやってくる機会が巡ってくるのか気になるものです。


筑豊電気鉄道2000形「レインボー電車」~装いを改めた古参電車

2008-11-12 | 鉄道[九州・私鉄等]

  

先日「MAKIKYUのページ」では、下関市内を走る2階建てロンドンバス・ルートマスターに関する記事を掲載しましたが、MAKIKYUがこのバスに乗車した後は九州へ向かい、その際に乗車した電車の一つが筑豊電気鉄道(筑鉄)です。

筑鉄は全線専用軌道でありながらも、かつて隆盛を誇った西鉄北九州線(現在は全廃)と直通運転を行っていた事もあって、路面電車型の車両を用いているのは大きな特徴で、それも開業当初は西鉄からの乗り入れや借入車両に頼り、自社の車両を持たない鉄道と言う点で非常に異色な存在でしたが、その後親会社の西鉄から譲渡された車両が活躍する様になり、西鉄北九州線が全廃となった今日では、当然ながら全車両が自社車両によって運行されています。

その活躍車両は現在3000形と2000形の2形式が存在しており、両形式共に釣り掛け駆動の車両ですので、今時珍しく全列車が釣り掛け駆動の車両のみで運行される路線となっており、その上路面電車型の車両が活躍する路線でありながらも全列車に車掌が乗務し、ワンマン運転が行われていない点も異色と言えます。

その中でも3000形は車体更新され、下回りは旧式ながらも外観はそこその近代的な印象であるのに対し、2000形は冷房化改造をはじめとする様々な改造を経ながらも、1950年代~60年代に製造された西鉄時代からの古風な印象を比較的よく保っており、最近になって「土手ノ内」駅が「希望が丘高校前」駅に改称された今日でも、今や電車や路線バスなどで見る機会はかなり少なくなった字幕式の運賃表示器が用いられている事も、非常に希少な存在と言えます。

3車体連接という長さも、かつて隆盛を誇った西鉄北九州線や福岡市内線(こちらも現在は全廃)を連想させられるものがあり、収容力がある事を生かし、平日朝ラッシュ時などには今でも大活躍していますが、見るからに古めかしい車両で、サービスレベルの面では3000形に比べて見劣りする事は否めない事もあるのか、昼間や休日などは稼働率が極端に減少するのも事実です。

また親会社・西鉄天神大牟田線の旧特急用車両2000形(現在は主に急行で使用)や、同貝塚線各車両と同じクリームに赤帯の通称「黄電(きなでん:画像はこちら)」と呼ばれる装いも、3000形に比べると古風な印象が否めない事もあり、最近になって編成が7編成と言う事もあって、「レインボー電車」と称して一編成毎に異なる装いを施し、7編成で虹を構成する7色が揃うと言う新塗装へのイメージチェンジが進行しています。

MAKIKYUが先日久々に筑鉄に乗車した際には、休日ダイヤで運行本数が少なくなっている事もあって、2000形がやって来た事自体驚いたものでしたが、すれ違った他の列車は3000形ばかりで、2000形の他編成は楠橋の車庫に留置されている状況でしたので、運用本数が少ない休日の筑鉄に乗車し、レインボー電車(赤)に乗車できた事は幸いに感じたものです。

新塗装には賛否両論が出るかもしれませんが、古風な印象を残しながらも、新塗装でイメージチェンジを図った2000形が、3000形と共に末永く活躍する事に期待したいと感じたものです。


惜別・島原鉄道南目線~素晴らしい車窓も見納めですが…

2008-03-31 | 鉄道[九州・私鉄等]

    
  

昨日は東京で新交通システム、日暮里・舎人ライナーが開業し、首都圏では横浜市営地下鉄の新線・グリーンラインも日を同じくして開通するなど、喜ばしい話題が続きましたが、その一方で今日3月31日限りで長崎県の島原鉄道・南目線の殆どの区間(島原外港~加津佐)と、兵庫県の三木鉄道全線が廃止になるなど、残念な話題も続いています。

MAKIKYUは三木鉄道には過去に一度だけ乗車(厄神→三木)した事があり、島原鉄道も昨年暮れに一度乗車する機会がありましたが、今日は島原鉄道南目線の廃線惜別企画も兼ねて、「MAKIKYUのページ」で今まで取り上げきれなかった同線廃止対象区間の車窓風景などを幾つか掲載したいと思います。

この区間は島原半島の南側を有明海に沿って走り、海岸に面して走る区間では天草を望む事も出来る一方で、山側に目を向けると雄大な雲仙普賢岳を望む事もできますが、普賢岳では大規模な火山活動があり、甚大な被害が発生したのは記憶に新しい所です。

島原鉄道でもこの火山活動によって路線に大きな被害が生じ、一部区間の長期運休と路線分断という異例の事態になりましたが、その後災害復旧区間は真新しい高架線となった部分もあり、この高架線から普賢岳の雄大な風景を楽しめる様に、観光トロッコ列車も走らせるなど、随分積極策に出た事もあって、この復旧から10年程度で比較的新しい高架線も御用済み…と思うと、高架化後数年で廃線となった名鉄非電化路線(コスト削減の為に電化設備を使用中止し、レールバス運行に切替)の一部区間を思い出してしまうものがあります。

この様な結果になってしまう事は、少子化による通学生徒の減少や過疎化が深刻化し、また道路整備や自家用車の普及が進むなど、公共交通を巡る環境が激変している事の現れとも言えますが、その様な中で今日まで、島原半島南部で南目線が走り続けてきた事を記憶に留めておくと共に、この路線に乗車された事がある方はその時の情景を思い出して頂き、また残念ながら乗車機会がなかったという方も、この写真を見てイメージだけでも連想して頂ければ幸いです。

また今回の島原鉄道南目線廃止によって、鉄道の存在しない市となってしまう南島原市内をはじめとする廃線区間では、廃線前から概ね並行する区間を運行していた島原鉄道による路線バスが、系統再編や便数増強を行って、引き続きこの地域の公共交通を島鉄が担っていく事になります。

南目線廃止後も島原鉄道の鉄道線は路線の約半分(諫早~島原外港)は残存し、こちらは残念ながら所用車両数減少によって旧式のキハ20系列は退くものの、南目線廃線後のダイヤ改正によって、新型車両への統一によるサービス面での向上をはじめ、急行列車が大幅増便される事などによる所要時間の短縮など、利便性の大幅向上が図られますので、この区間が今後も地域に根ざした鉄道として末永く走り続ける事を願いたいもので、日頃首都圏に居るMAKIKYUはこの地域を訪問する機会自体が限られますが、機会があれば是非また島鉄にも乗車したいと思っています。

「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も島原鉄道南目線への思い出をはじめ、感想等ありましたらコメントもどうぞ。
(コメント承認制のため反映に多少時間を要しますが、その点は悪しからずご了承下さい)

写真は加津佐駅に停車中のキハ2008号、有明海に沿って走る様子と車窓から望む天草、車窓から望む普賢岳と災害復旧区間のワンシーンです。


松浦鉄道・たびら平戸口駅~日本最西端の駅からは、首都圏よりも韓国の方が…

2008-02-06 | 鉄道[九州・私鉄等]

  
 

MAKIKYUが12月に乗車した長崎県と佐賀県に跨って走る第3セクター鉄道・松浦鉄道(MR)に関しては、この路線で使用している車両に関して何度か取り上げていますが、今日は日本最西端の駅として知られるたびら平戸口駅に関して取り上げたいと思います。

日本の東西南北端にある駅としては、旧国鉄時代から北海道の宗谷本線・稚内駅(北端)、根室本線・東根室駅(東端)、九州の指宿枕崎線・西大山駅(南端)と共に、松浦線(現松浦鉄道)の平戸口駅(MR発足後たびら平戸口へ改称)が知られています。

この内西端のたびら平戸口駅以外の現在もJRに属する3駅は既にMAKIKYUは通った事があり、12月にたびら平戸口駅へ立ち寄った事で、MAKIKYUとしてはようやく日本国内(本土)の東西南北端にある駅全てを通った事になりました。
(ただ無人の途中駅である東根室駅と西大山駅は下車しておらず、その代わり最東端と最南端の有人駅になっている根室駅と山川駅に下車しただけですが…)

MRはそれなりに乗り応えがあって魅力的な路線とはいえ、全国的な知名度は決して高いとは言えず、ワンマン運転の軽快気動車ばかりが走る路線という事もありますので、やや地味な印象が否めないですが、この様な特色のある駅を持つ事は非常に特徴的で、全国にMRの存在をPRできる事もあってか、駅構内などには最西端の駅である事を誇らしげに示す看板などが幾つも目に付き、駅舎のすぐそばには最西端を示す石碑も建てられている他、たびら平戸口駅へ列車が到着する際の案内放送でも最西端の駅である事が案内され、駅では最西端の駅へ訪問した事を証明する証明書(200円)も発行している程です。

MAKIKYUがたびら平戸口駅に立ち寄った際は、10分程度の列車停車時間に少々記念撮影をして訪問証明書を求めた程度でしたが、たびら平戸口駅は単に最西端の駅というだけでなく、駅舎内には鉄道資料館が設けられているのも注目です。

資料館では旧松浦線やMRに関する様々な資料などが展示されていますので、多少待ち時間があっても退屈せず、むしろもう少し時間があるなら資料館をゆっくりと眺めていたいと感じる程でしたので、機会があればまた再訪したい駅ですが、平戸口と名乗るにも関わらず平戸方面へのアクセスは決して便利とは言えないのは惜しい限りです。
(現在平戸島へ行くのであれば、佐世保~平戸間を直通運行する西肥バス利用が最も至便です)

また駅舎脇の最西端駅である事を示す石碑の脇には、日本国内にある東西南北端駅や主要都市を示す地図が描かれた看板(看板の拡大画像はこちらをクリック)があり、ここには博多124km、大阪780km、東京1336km、札幌2551km、ソウル538kmなどと書かれているのを見ると、随分遠くまで来たものと感じさせられ、日本という国の広さを意識させられると共に、首都圏からはるばる九州までやって来たからには、もう一歩足を伸ばして韓国にも…という気になるものです。
(実際に九州と韓国は非常に近く、福岡~釜山間は200km強・JRの高速船で片道僅か3時間程度、九州からはソウルまで行っても大阪より近い位ですので…)

ただ12月の九州旅行では韓国へ足を伸ばす余裕がないどころか、たびら平戸口駅を訪問したその日には新幹線で九州を離れ、首都圏まで帰らなければならないハードな行程だったのは惜しい限りで、またこの駅を訪問した後に乗車する新幹線(のぞみ号)の速さと便利さを実感させられたものです。

ちなみに余談ながら日本では本土と遠く離れ、唯一鉄道のない県として有名だった離島の沖縄(今でも国内各都道府県の中で唯一JRが通っておらず、また2本のレールで走る営業線もありませんが…)にも数年前モノレールが開通し、これも日本の鉄道に含めるのであれば、最南端を名乗る同じ九州の西大山駅と同様に、厳密な意味での最西端駅ではなくなってしまいますが、西大山駅では現在最南端を示す標柱の上部に赤で「JR」と記されているのに対し、こちらは最西端の他に「MR」「本土」などの表示は加えられていないのも特徴です。
(まあどちらにしてもMAKIKYUにとっての日本国内最西端駅は、当分たびら平戸口駅である事(最南端は勿論西大山駅)に変わりないのですが、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様は如何感じられているでしょうか?)


口之津駅とバスターミナル~鉄道駅は忘れ去られたような感が…

2008-02-03 | 鉄道[九州・私鉄等]

  

12月にMAKIKYUが、3月末で路線の約半分が廃線となる島原鉄道(島鉄)を訪問した際には、諫早~口之津(Kuchinotsu)間を島鉄のバスで移動し、口之津から鉄道線に乗車したのですが、口之津は島鉄の鉄道駅とバスターミナル(口之津営業所)があり、またバスターミナルは海に面し、天草へ向かう島鉄フェリーの発着場にもなっているなど、この一帯(南島原市)の交通の要衝となっています。

バスターミナルと鉄道駅は通りを挟んで向かい合っており、鉄道とバスやフェリーとの乗り継ぎも容易ですが、バスターミナルは乗車券販売(バス・フェリー)などを行い、係員が常駐しているのに対し、鉄道駅はすぐそばとはいえ島鉄ではポピュラーな存在といえる箱型建物がバス車庫内に建っているだけ(バス車庫内に駅舎が存在するのは、首都圏でも関東鉄道寺原駅などの事例がありますが…)で終日無人、また駅構内も2両編成の列車が停車できる程度のホーム一本のみという状況です。

この一帯の交通の要衝にある駅にしてはかなり質素な感があり、鉄道が走る島原方面ですら昼間は並行バス路線(これも島原鉄道が運行)の方が至便な状況ですので、まるで鉄道の存在が忘れ去られたかの様な感がありますが、この地を初めて訪問したMAKIKYUは少々驚いたものですが、この忘れ去られたかの様な駅に列車がやってくるのも来月末まで、その後この一帯の陸上を走る公共交通機関は路線バスのみという状況になってしまうのは寂しいものです。

写真は口之津駅の駅舎と駅構内、通りを挟んで向かいに位置するバスターミナルで、口之津駅に入線中の列車(この列車は加津佐行)にも注目です。