これほど苦しみつづけてまで人は生きていかねばならないのだろうか―。「忘却」こそが人に与えられた最も優れた能力であるとしても、現実はそんなに簡単にはいかない。闇の中をもがき続けている人間は光溢れる世界を想像することなどできない。しかしもしかしたらそんな暗闇の中にでも希望への胎動があるのかもしれない。ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロの3人がそれぞれの苦悩と葛藤を見事に演じきった傑作。見終わった後に僕等は何を想うだろう。何を感じるだろうか。
夫と2人の幼い娘と幸せな生活を送っているクリスティーナ(ナオミ・ワッツ)は家族の帰りを待っている。前科を持つジャック(ベニチオ・デル・トロ)だが、今は信仰にいそしみ妻と2人の子どもと平和に暮らしている。心臓移植手術を受けないと余命1ヶ月の大学教授のボール(ショーン・ペン)は、別居していた妻メアリー(シャルロット・ゲーンズブール)の世話に鳴っている。自暴自棄なボールに対してメアリーは彼の子どもを宿したいと申し出、ボールもそれを受け入れる。出会うはずのない人々。
しかし1つの交通事故がクリスティーナ、ジャック、ボールの運命を変えていく。被害者はクリスティーナの家族、加害者はジャック。クリスティーナの夫の心臓を移植され一命をとりとめたのがボールだった。ボールは自分に命を与えてくれたドナーの行方を探すのだが…
この「21グラム」や「ミステイックリパー」などでもそうだけど、「原罪」意識というのはキリスト教文化には大きく影響しているのだろう。ジャックやデイブ(ティム・ロビンス)の抱えてしまった闇の重さというのは何もその事件に直接関わってしまったことだけではないだろう。むしろどこまでも責め続けてしまうことに、自らを赦すことのできないことに由来する。
この映画である意味もっとも被害者といってもいいのがこのジャックだろう。確かに彼は前科がある。しかしそれを反省し心の平穏をとりもどすために信仰を求めている。そのジャックに対して、しかし世間の風は冷たく、それでもジャックは誰も責めるわけではない。にも関わらず、神は彼に車を与え、そして自分の娘と同じくらいの年頃の少女を事故で殺してしまう。どんなに信仰しようと神までも彼を苦しめるのか―。死さえも許されず彼は苦悩し続ける…そこに「赦し」はあったのだろうか。
クリスティーナの抱えた孤独・絶望感。彼女もまた家族を失ったことに対して深く心に傷を負ったままだ。幸福だった生活が自分とは無関係のところで突然失ってしまったことに対する行き場のない感情は、例え普段は平素を装ったとしても消えるものではない。時に自暴自棄となり、酒や薬に姿を変え、体を求め、あるいは殺意となる。これらはいずれも行き場のない怒りであり、例えその1つ1つを満たしていったとしても決して埋められるものではないだろう。それでも彼女のもがき続けてしまう。
ボールは何故、自分のドナーを探してしまったのだろうか。何故、メアリーの下で静かに暮らせなかったのだろうか。何故、あのような言葉「好きだ」と言ってしまったのだろうか。何故、ジャックを殺そうとしてしまったのか…ある意味、ボールの存在はいくつもの矛盾を抱え込んでしまった人間そのもの、倫理や道徳、手続きといった(平穏のための)ルールに従って敬虔に生きることのできない人間の愚かさそのもの、原罪そのもののような気がする。人生を何度も生きそして何度も死を繰り返す中で、あるいはたった21グラムの中で、ボールは何を見つけたのだろうか。
これが日本人が撮っているとまた違うものになっていたのだろう。
確かに日本においても個人主義が発達し、昔のような家族や地縁・血縁関係にサポートされている部分と言うのが弱くなったてはいるが、どこかで他者への依存、関係性の中で生きている気がする。もちろんジャックやクリスティーナのような想いもあるだろうが、どこかで本人や周囲の人々を含めて、個人が自らを見つめつづけられない、あるいは周囲からのフォローが本人も周囲も当たり前だと想っている、そんな空気があるような気がする。結果、日本人が撮った場合、周囲の人々との関係の中で「癒されていく」物語になるのではないだろうか。
いずれにしろこの物語は人間の苦悩と愚かさを描いた単なる悲劇ではない。たった21グラムの違いでも、愚行と後悔を繰り返しながらでも、人生が続く限り、生きていかねばならない人間たちの物語だ。最後にクリスティーナが1つの「希望」を見出したように、そこにはきっと何かがあるのだから。
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この映画を見ていてやはり臓器移植者に対してドナーの情報は伝えるべきではないのだろう、とつくづく想う。「オール・アバウト・マイ・マザー」では逆に提供者の母親が息子の心臓を追って移植者の下まで行ってしまうというシーンがあったが、こうした想いは決して両者を幸福にしないのだろう。
まして日本のように医療関係者でさえ未だに脳死に対して明確な意思をもてない国においては、こうしたことが何故必要なのか理解されていないのではないだろうか。
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【評価】
総合:★★★★☆
役者:★★★★★
日本だとまた違う重さになるのでしょう:★★★★☆
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21グラム
アモーレス・ペロス
レビュー:「ミスティックリバー」が描く「アメリカ」の抱えた病巣
オール・アバウト・マイ・マザ
生と死の境界線 と 医療の立場
夫と2人の幼い娘と幸せな生活を送っているクリスティーナ(ナオミ・ワッツ)は家族の帰りを待っている。前科を持つジャック(ベニチオ・デル・トロ)だが、今は信仰にいそしみ妻と2人の子どもと平和に暮らしている。心臓移植手術を受けないと余命1ヶ月の大学教授のボール(ショーン・ペン)は、別居していた妻メアリー(シャルロット・ゲーンズブール)の世話に鳴っている。自暴自棄なボールに対してメアリーは彼の子どもを宿したいと申し出、ボールもそれを受け入れる。出会うはずのない人々。
しかし1つの交通事故がクリスティーナ、ジャック、ボールの運命を変えていく。被害者はクリスティーナの家族、加害者はジャック。クリスティーナの夫の心臓を移植され一命をとりとめたのがボールだった。ボールは自分に命を与えてくれたドナーの行方を探すのだが…
この「21グラム」や「ミステイックリパー」などでもそうだけど、「原罪」意識というのはキリスト教文化には大きく影響しているのだろう。ジャックやデイブ(ティム・ロビンス)の抱えてしまった闇の重さというのは何もその事件に直接関わってしまったことだけではないだろう。むしろどこまでも責め続けてしまうことに、自らを赦すことのできないことに由来する。
この映画である意味もっとも被害者といってもいいのがこのジャックだろう。確かに彼は前科がある。しかしそれを反省し心の平穏をとりもどすために信仰を求めている。そのジャックに対して、しかし世間の風は冷たく、それでもジャックは誰も責めるわけではない。にも関わらず、神は彼に車を与え、そして自分の娘と同じくらいの年頃の少女を事故で殺してしまう。どんなに信仰しようと神までも彼を苦しめるのか―。死さえも許されず彼は苦悩し続ける…そこに「赦し」はあったのだろうか。
クリスティーナの抱えた孤独・絶望感。彼女もまた家族を失ったことに対して深く心に傷を負ったままだ。幸福だった生活が自分とは無関係のところで突然失ってしまったことに対する行き場のない感情は、例え普段は平素を装ったとしても消えるものではない。時に自暴自棄となり、酒や薬に姿を変え、体を求め、あるいは殺意となる。これらはいずれも行き場のない怒りであり、例えその1つ1つを満たしていったとしても決して埋められるものではないだろう。それでも彼女のもがき続けてしまう。
ボールは何故、自分のドナーを探してしまったのだろうか。何故、メアリーの下で静かに暮らせなかったのだろうか。何故、あのような言葉「好きだ」と言ってしまったのだろうか。何故、ジャックを殺そうとしてしまったのか…ある意味、ボールの存在はいくつもの矛盾を抱え込んでしまった人間そのもの、倫理や道徳、手続きといった(平穏のための)ルールに従って敬虔に生きることのできない人間の愚かさそのもの、原罪そのもののような気がする。人生を何度も生きそして何度も死を繰り返す中で、あるいはたった21グラムの中で、ボールは何を見つけたのだろうか。
これが日本人が撮っているとまた違うものになっていたのだろう。
確かに日本においても個人主義が発達し、昔のような家族や地縁・血縁関係にサポートされている部分と言うのが弱くなったてはいるが、どこかで他者への依存、関係性の中で生きている気がする。もちろんジャックやクリスティーナのような想いもあるだろうが、どこかで本人や周囲の人々を含めて、個人が自らを見つめつづけられない、あるいは周囲からのフォローが本人も周囲も当たり前だと想っている、そんな空気があるような気がする。結果、日本人が撮った場合、周囲の人々との関係の中で「癒されていく」物語になるのではないだろうか。
いずれにしろこの物語は人間の苦悩と愚かさを描いた単なる悲劇ではない。たった21グラムの違いでも、愚行と後悔を繰り返しながらでも、人生が続く限り、生きていかねばならない人間たちの物語だ。最後にクリスティーナが1つの「希望」を見出したように、そこにはきっと何かがあるのだから。
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この映画を見ていてやはり臓器移植者に対してドナーの情報は伝えるべきではないのだろう、とつくづく想う。「オール・アバウト・マイ・マザー」では逆に提供者の母親が息子の心臓を追って移植者の下まで行ってしまうというシーンがあったが、こうした想いは決して両者を幸福にしないのだろう。
まして日本のように医療関係者でさえ未だに脳死に対して明確な意思をもてない国においては、こうしたことが何故必要なのか理解されていないのではないだろうか。
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【評価】
総合:★★★★☆
役者:★★★★★
日本だとまた違う重さになるのでしょう:★★★★☆
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21グラム
アモーレス・ペロス
レビュー:「ミスティックリバー」が描く「アメリカ」の抱えた病巣
オール・アバウト・マイ・マザ
生と死の境界線 と 医療の立場
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