ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

2005年1月17日という日に…

2005年01月18日 | Weblog
今日は何といっても「阪神・淡路大震災」から10年なのだが、もう1つ気になるニュースがネットに流れていた。趙紫陽氏がなくなったとのこと。こないだ危篤か、といったニュースが流れていたとはいえ、月日を感じてしまう。確か「第2次天安門事件」が起こった時、僕はまだ高校生で、日本はまだバブルに酔いしれ、学生運動そのものがほぼ喪失し「逃走」がキーワードとなり、どこまでも軽くなることが是とされる時代だった。そんな時に海のむこうの遠くない国で起こった遠い出来事。中国の民主化を求めて天安門に集まっていた学生たちに中国当局・人民解放軍が弾圧を加え、その模様はテレビを通じて全世界に流されたのだ。その時、学生側を擁護し後に失脚したのが趙紫陽氏だった。

一時は死者何千人とも言われ、やがて何百人とも死者は0人とも言われつつ「天安門事件」自体も風化していった。そのときの学生運動のリーダー ウーアールカイシ氏もかろうじてアメリカに逃亡し、今や台湾で青年実業家として活躍しており、既にあの熱気の面影はない。

そして気がつけば、中国は最も原始資本主義とでもいうべき「ルールなき競争」社会に突入し、今や最もHOTな主戦場と化してしまった。あの民主化運動は一体何なんだったんだろう。あの運動があったから今の「開かれつつある」中国があるのか、あの運動とは無関係なのか…

「阪神・淡路大震災」から10年。確かに今回の「新潟・中越地震」ではそのときの反省がある程度活かされていたような気がする。初動体制の迅速さはそれを端的に示していたと思う。しかし何がどれだけ解決され、次に繋がっていったのだろうか。

あの時、崩壊した町は外見上は全く何事もなかったかのように戻ったのだろう。しかしもう戻らないものもあるのだ。


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