ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

「伝える」ことと「わかる」こと

2005年08月26日 | 思考法・発想法
押井守の「攻殻機動隊」の世界がいずれ訪れるのか――cnetの「未来の無線通信を想像してみる」の記事の中で描かれている20年後の無線通信のイメージは、まさに「攻殻機動隊」の世界と言える。その中では「単に頭のなかで何かを思い浮かべるだけで、その「考え」を世界中のどこにいる相手にでも飛ばすことができる」のだ。これは「通信」を考えた場合のある種の理想像のように思えるかも知れない。しかしことはそんなに簡単ではない。「考え」を伝えるということと、「考え」を理解する・わかるということは別のことだからだ。少なくとも我々は、「伝える」ことではなく、「わかる」ことを望んでいるだろう。

 未来の無線通信を想像してみる

例えば「攻殻機動隊」を思い出して欲しい。あの作品の登場人物の多くは大なり小なりサイボーグ化しており、1番オリジナル(生身の肉体)を保持しているトグサでさえ、脳とネットワークを繋ぐための「電脳化」を行っている。彼らはこの「電脳通信」を通じて、他者と声を出すことなく語り合い、あるいはその風景の記憶を伝えることができる。他者にきこえることなく語りかけることを「囁き」と呼ぶのであれば、彼らは「脳」と「脳」をネットワークで直接結びつけることで、仕種には表れないままリアルタイムに「囁き」あっている。

しかしこれらは「伝え」ているだけであって、決して、「わかる」こととは違う。面と向かって話をする時、すぐにこちらの話を理解してくれる人もいれば、何度話をしてもどうも上手く伝わっていない、あるいは違うように解釈する人がままにいる。彼らの中には、何度も様々な角度から話をすることで、理解してくれる人もいるし、ひどい場合にはどれだけ説明しても、自分の中の「思い込み」や「偏見」「こだわり」にとらわれて、こちらの話を理解してもらえない人もいる。言葉で説明すればそれで「理解」できるというものではないのだ。

これはイメージや映像も同じだ。仮に美しい青空を僕が見たとする。その時の風景を他者にそのまま伝送できたとしても、その映像から感じる「想い」というのは千差万別だろう。その美しさに「感動」を覚える人もいるだろうし、そこに寂しさやはかなさを感じる人もいる。ジョンレノンは「because」の中で、「Because the sky is blue,it makes me blue」と歌ったが、その空の青さにジョンが見たのは決してただの空の色ではなく、彼が感じていた心象風景だったのだろう。そう考えれば、たとえそれがイメージであったとしても、決して僕の目に映った映像を他者にそのまま再現したとしても、必ずしもそこに僕が感じ取った意味を理解できるとは限らないだろう。

つまり仮に様々な情報をbit化し、脳内から直接伝達したとしても、それはただ通信効率を高めただけであり、「わかる」こととは違うのだ。

では「わかる」とは何か?

「言葉」や「映像」といった記号化されたものによって我々は「考える」ことができるわけではあるが、それは「整理」の問題であってこれが直接「わかる」ことではない。これらの記号は伝達可能なものであり、それゆえに他者との「理解」を促進するための道具にはなりうるかもしれないが、根本的に「わかる」「理解する」というものは、もっと体感的なものであり、内在的なものだろう。それは単に他者から伝達されたから「わかる」のではなく、自分の内面から、「経験」や「想像力」によってもたらされるものだろう。僕があなたの「悲しみ」がわかる時、それはあなたの「悲しみ」であり、同時に僕の「悲しみ」でもあるのだ。

だからこそ僕は時々言葉に詰まる。

例えば片方に「A」という状況があり、もう一方に「B」という状況があるとする。今、直面している状況が「A」のようでもあり、あるいは「B」のようでもあるとする。人が物事を考える場合、多くは「記号」によって処理される以上、その状況に対して、「A」もしくは「B」として分類しがちだ。しかし仮に、「A」のようでも「B」のようでもあり、あるいは「A」とも「B」とも違うこの状況に対して、「A」「B」という概念を取っ払い、新しい、しかもまだ記号化されていない概念であると感じたとき、このことを伝えるにはどうしたらいいだろう。仮にこの新しい概念を「C」として呼べるのであれば、そう伝えればいいのである。しかしまだ未分化な、「記号」以前の「概念」であった場合、このことを伝えることはそうたやすいことではない。

我々が求めていることというのは、こうしたまだ未分化な概念(「c」)をそのまま伝え、理解してもらうことだ。しかし記号化以前の概念「C」は、「A」と「B」とに分けて考える人に対しては簡単に伝わるものではない。こればかりは通信効率をどれだけ高めようと、記号を前提とした通信である限り伝わることはなく、また「理解」されることはない。

我々の通信に対する「夢想」の実現はまだまだ遠いのだろう。


 「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」―押井守が問いかける「私」であることの意味



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