ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

食べログ提訴:ソーシャルメディアと「削除」の意味

2010年09月17日 | ネットビジネス
例えば「ソーシャルメディア」の「ソーシャル」とは何だろう。「ソーシャルメディア」って何?と聞かれたら、どんな説明ができるだろう。はてなキーワードを見ると、

ソーシャル【social】

1. 社会の。社会的な。
2. ソーシャルエンジニアリングの略。
3. 集合知を利用した、の意。(例:ソーシャルブックマーク)
4. ソーシャルネットワーキングの略。

う~ん、何とも説明しづらい。多少、勝手な訳語を当てるならば「みんなで作り上げるメディア」といったところか。そうしたことを踏まえた上で、先日の「食べログの提訴で問われるソーシャルメディアの責任」で書き残したことをちょっと。


仮に「食べログ」のようなソーシャルメディアの影響力が高まり、リアルな世界と同様に一定の「責任」を果たすことが求められるのだとしたら、そこでの「削除」は適切なのだろうか。

これまでのメディアの場合、情報の発信者側がその情報を取捨選択・編集を行っていた。しかしソーシャルメディアの場合、まず大前提として「みんな」が参加し持ち寄った情報やデータベースがあり、特定の個人の意図ではなく、一定のルールや法則性によって再構成される。

仮に「削除」という行為はそういう意味で「編集」に当たるのか。これは微妙な問題だ。食べログの例でいえば、特定の店舗の特定の評価だけを削除するというのは運営者の「偏向」に当たるだろうが、評価の内容に関わらず過去の古い情報を削除するというのであれば運営者のバイアスがかかるわけではない。また店舗運営者からの要請によって自身の店舗の情報を全て削除するというのであれば、これは運営のポリシーの問題となる。

またここには「編集」されたメディアかソーシャルメディアかという問題とは別に、その情報/DBは誰のものかという問題もある。もちろんサイトに書き込みをする段階で、投稿された情報の扱い方、著作権の帰属などは規定されているのだろうが、例えば「私」が投稿した内容や評価を「私」が知らないうちに運営者が勝手に削除する、あるいは他者からの指摘によって削除されるというのは、あまり気持ちのいいものでもない。このあたりの適切な取扱いと透明性がなければ参加者は納得できないだろう。

そしてもう1つ、運営者側からすると、できるだけ「多く」の「多様な」意見があるほど、結果として中立的な評価が生じることになる。それは仮に偏った意見・評価があったとしても母数が多くなればその影響は少なくなるからであり、また多様な意見があればあるほど全体としてはバランスのとれた評価に繋がるからだ。そしてそのことが結果としてより信頼性の高いサイト・いいサービスへと繋がっていく。

書かれる店舗側からすると「いい評価・意見」はどんどん載せて欲しいし、「マイナスの評価・意見」は掲載しないで欲しいだろう。ましてや非難や営業妨害に繋がりかねない意見など「削除」して欲しいというのは当たり前だ。しかし結果的にはそうした一部の意見を削除することは、「みんなの意見は案外正しい」的な世界観とは相容れない。そういった意見も含めて、多くの多様な意見が集まることの方が望ましいと考えるだろう。

社会的影響力のある「メディア」なのだから「運営者責任」を果たすべきだという、リアルな世界ではまっとうな意見に対しても、ネットの世界ではリアルとは違うルール・思考・世界観で成り立っているところがあり、きっとそうした様々な観点も含めて考えていかねばならない問題なのだろう。


食べログの提訴で問われるソーシャルメディアの責任 - ビールを飲みながら考えてみた…



1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
だれか助けて (ある店舗経営者です。)
2010-09-21 13:58:35
食べログに、良いコメントも含めて一括削除を依頼しましたが、コピーメールで拒否が来るだけです。

店は家と兼用で、玄関が世界発信されてます。

食べログは、実際に食べてなくても好きにコメントかけます。

嫌みなコメントだと思ったら、定休日に食べたと書いてるし。

誰かたすけて。
返信する

コメントを投稿