ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

【書評】がんと死の練習帳 / 中川恵一

2013年09月09日 | 読書
先日から、近藤誠氏の「がん放置療法のすすめ」、中村仁一氏の「大往生したけりゃ医療とかかわるな」、向山雅人氏の「生きる力がわく『がん緩和医療』」と立て続けに癌治療に関しての本を読んできたのだけれど、その流れで手にとった一冊。しかしそれまでの3冊が「実践」を前提にした考え方をまとめたものだったのに対し、中川恵一氏の「がんと死の練習帳」はもう少し生と死についての意味について書かれた、哲学的な視点の本。そういう意味でも、がん患者の人にとっても一度立ち止まって、これからを見つめなおす契機になるかもしれない一冊。


がんと死の練習帳 (朝日文庫) / 中川恵一


【概要】

われわれの体は宇宙の一部である。137億年前に「ビックバン」によって「宇宙」が誕生したが、その時にうまれた「水素原子」が今も我々の人体の7~8割を占める「水」の分子となっている。赤血球のヘモグロビンに必要な「鉄」は星の内部の「核融合」によって生まれたものだし、甲状腺ホルモンに必要なヨードは「超新星爆発」によって生まれたものだ。事実、我々が死ぬと体を構成していた元素は宇宙へと戻っていく。そうした「大きな循環」の中で人は生きている。そして人だけでなく、太陽にも、銀河系にも、宇宙全体にも「死」が待ち受けている。

我々は「量としての時間」に振り回されている。しかし絶対的な時間など存在しない。江戸時代、日の出と日の入りに基づいていた時間は季節によって変化するものだった。またゾウとネズミでも1年の意味は違う。それぞれの人がそれぞれの固有の時間を持っている。

無性生殖によって分裂するバクテリアには寿命がない。しかしバクテリアには自他の区別がない。有性生殖をする生物がかけがえがないのは、「性」があるからである。有性生殖をおこなうためには「DNA」が線分状でなければならないが、それはDNAを複製するたびに短くなっている。このため細胞分裂には限りがあり、「死」が運命づけられた。

個体の「死」と引き換えに「性」と「かけがえのなさ」を手に入れたのだ。

我々のカラダを仮初の「乗り物」だとするならば、有性生殖を通じて、我々の遺伝子は綿々と受け継がれていく。

太古の原始的な生命から繰り返されてきた「突然変異」と「淘汰」の結果、38億年をかけて人間へと進化してきた。そして人間が生き残るために発達させてきたのが「脳」である。

脳は「死」を知ることによって「宗教」を生み出してきた。世界の半分の人々が「一神教」を信じ、「聖書」や「コーラン」が示す「永遠の生」が心の拠り所となっている。しかし日本では「檀家制度」「廃仏毀釈」戦後の「教育改革」の結果、宗教が衰退し、「死を受け入れられない国」となってしまった。

多細胞である我々のカラダでは、毎日多くの細胞が死に、細胞分裂によって補われている。この細胞分裂の際にコピーミスによって「死なない細胞」が生み出される。これから「がん細胞」だ。免疫が見過ごせば、がん細胞は増殖し、体中に転移し、死に至る。がん細胞からすると、がん治療によって「自然淘汰」を受けることになるが、生き残った(再発した)がんは手ごわいものとなる。

多細胞である我々の「死」に絶対の基準はない。どの段階で「死んだ」かは時代によって変わってきた。「死の定義」は共同体のあり方や宗教に依存するが、共同体も宗教も崩壊した日本では、「死を定める法律」と患者や家族「心象」との大きな乖離が生じている。日本は「医療行為をやめられない国」となってしまい、「自分の死に方すら選べない国」となってしまっている。


【感想】

本書は前半部と後半部で大きく色合いが異なる。

前半部は、がんによる「死」という、どうしても個人的な視点で、感情的に考えてしまいそうな問題に対して、宇宙や時間との関係、連綿とつらない遺伝子といった、より大きな視点から自らの「死」を捉え直すための哲学的な様相が強い。

それに対して後半部は、がんそのもののメカニズムや医療制度上での問題等より実際的な内容となっている。

他のがん治療関係の本がどうしても実際の治療に対しての考え方、緩和ケアの在り方が中心となっているだけに、こうした自らの気持ちを整える上では非常に貴重な一冊だと思う。特に宗教の不在と共同体の喪失が日本人に「死」を受け入れられなくしたという記述は納得できる。

戦後教育と戦前の村社会を否定することを「是」ととらえていた父が、「死は誰にでも訪れるもの」と口にだしていう言葉とは裏腹に、「死」に対して非常に恐れを抱いている様はまさにこういうことなのだろう。頭では分かっている、しかし心の奥で「死を受容する」ための準備がなされていないのだ。

だからと言って、今さら「宗教」を信仰しろという気はないものの、この一冊を読むことで、自らの死の恐怖を相対化し受け入れるための余裕を持てるのであれば、それも意味があるだろう。

後半部の「がんのメカニズム」の中で、がん治療で生き残ったもの(再発したもの)が自然淘汰の結果、より強力なものになるというくだりは、だからこそ放置することががんそのものをおとなしいものとするという近藤誠氏らの「がん放置療法」との懸け橋になる内容で、非常に合点がいく。

末期がんと診断された父に進めてみたい一冊だ。

と、その一方で違和感もある。

中川恵一さんの趣旨とは反するだろうが、この著書を読むと、僕らは遺伝子が生き残るための仮初の「乗り物」でしかなく、遺伝子を残すことのみが我々の役割のように受け取れなくもない。では、子供がある程度育った後の人生の意味はどこにあるのか、あるいは子供を持たない夫婦や結婚をしていない人は「不要」な存在なのか。

もちろん「利己的遺伝子」のドーキンスにしろ、中川恵一さんにしろ、そんな趣旨で言っているわけではないのは分かっているが、この著作での捉え直し方でそう聞こえても仕方がない要素を持っていると思う。

と、全く別な観点から。

仮に「自然淘汰」に勝ち抜くための「進化」を得るために、有性生殖を選び、引き換えに「死」という存在を受け入れたのだとしたら、その上で今後の人間の進化が脳による「身体の拡張」によってなされるものだとしたら、僕らはこれ以上、身体そのものを進化させる必要はない。となると、僕らは「脳」だけを発達させればよく、改めて「不老不死」を求めることが許されるのか。

仮に身体的な進化の代償が「死」であるとするならば、もはや僕らは身体的進化は必要としなくなる。その時に「永遠の生」を求めることが許されるのか。

正直、そんなもの欲しいとは思わないけれど、そんな風にも思えてしまう。

そういった点も含めて、非常に刺激的な一冊だった。


がんと死の練習帳 (朝日文庫) / 中川恵一


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