ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

ディズニーランドの地震対応から考える個人の行動規範

2011年05月22日 | 思考法・発想法
3.11に直面した企業の多くの人が東京ディズニーリゾートの対応の素晴らしさに驚嘆したに違いない。5月8日(日)の「Mr.サンデー」で取り上げられた直後から、同僚の間でもそのことは話題になったし、社内でもその内容が紹介されたりもした。

番組を見た人も多いだろうし、日経ビジネスオンラインの「3.11もブレなかった東京ディズニーランドの優先順位」にも載っているので、詳細は記述しないが、ポイントは大きく3つがある。

1)明確な行動規範が存在しており、あらゆる場面でそれに基づいて行動していること(企業としての統一性)
2)お客様の安全を確保するためにアルバイトが自主的にどのような行動を取るべきか判断し行動できること
3)地震から僅か8分後に「地震対策統括本部」が設置されるほど、徹底した事前対策・防災訓練がなされていること

その中でも組織人としてもっとも印象に残った「2)どのような行動を取るべきか判断し行動できること」について考えてみた。

東日本大震災当日、ディズニーリゾートには約7万人が訪れていたという。TDRのスタッフは約1万人。そのうち9割がアルバイトだという。

普通の企業の感覚だと、スタッフのうち社員はともかく、アルバイトがこうした状況に素早く、適切に行動できるとは考えにくい。雇われる際に、マニュアルでの説明くらいは受けているかもしれないが、緊急時の訓練を受けていることなど稀だろう。

しかしTDRのスタッフたちは違う。彼らはTDRの行動規範に基づき、独自の判断で行動を行った。

TDRの行動規範とは、4つの項目からなりその頭文字をとって「SCSE」と呼ばれる。

S:Safety(安全)
C:Courtesy(礼儀正しさ)
S:Show(ショー)
E:Efficiency(効率)

当然上から優先順位が高い。つまりディズニーのショーで楽しませること以上に、お客様への安全確保や礼儀正しさが優先される。

例えば、地震直後、ディズニーランド内にアナウンスが鳴った。これまでは「夢の国」(=SHOW)を実現するために一切館内放送を行うことがないTDRが、お客さんの動揺をおさえ安全を確保するために、館内放送を実施した。また安全確認がとれた建物へのゲストを誘導するために、より「安全」なルートを確保するという観点から、決してゲストに見せることのなかったスタッフ用の通路を通ることを決断する。「SHOW」よりも「Safty」が優先。そうした姿勢が貫かれている。

そしてその行動規範「SCSE」の共有化がスタッフ全員に徹底化されている。

その結果、アルバイトのスタッフたちは利用者の安全のために次のような行動を「自主的に」行った。

あるキャストは店舗内に置かれていた販売用のダッフィーのぬいぐるみを周囲のゲストたちに無償で配り、防災頭巾がわりに頭を守るように訴えかけた。

また他のキャストは、長時間の避難・待機で疲れていたゲストたちに、店舗で販売していたクッキーやチョコを無料で配り始めた。「必ずみなさんにお配りしますから、その場でお立ちにならないでお待ちください」と声を掛けながら。

当日は雨混じりで気温は10度前後と冷え込んでいた。あるキャストはお土産用のビニール袋や青いゴミ袋、そして段ボールまで引っ張り出してきた。「これをかぶって寒さをしのいでください」。

長時間座り込んでいるゲストを見て、軽い運動を促したキャストもいた。「ずっと同じ姿勢のままだと体に良くないので、少し運動しましょうか」。

あるいはゲストの気を紛らわすために、お土産袋を掲げて「みなさん、この絵の中に“隠れミッキー”(ミッキーマウスの形)があるのをご存じでしたか。よろしければ一緒に探してみてください」と語りかけたり、シャンデリア近くで怯えている子供たちに「僕はシャンデリアの妖精ですから、何があってもみなさんを守ります。大丈夫です」と話かけたりなどなど。

これらはマニュアルに記載されているものではない。その場その場でキャストたちが自主的に判断したものだ。こんな判断を下せるスタッフが果たして普通の企業に何人いるだろうか。会社の同僚と話していたときに出た言葉は

「うちの後輩じゃこうはいかないな。(決定権のない)上司でも無理かも」

大企業に勤めていると、こうした非常時に限らず、平時でも物事を判断する際に階層による制約をうけることになる。部長には部長の役割がありるし、課長には課長の役割がある。それ自体は当たり前の話。組織である以上、階層化は必要だし、それによって権限の違いは当然のことだ。問題はそのことによって、「判断しなくなる」「判断できなくなる」ことだ。

このTDRのぬいぐるみを配った例やクッキーやチョコを配った例のようなことを担当者がやろうとすれば、必ずこういった反論がでるだろう。

「担当者が勝手に配ったりして、その費用の責任を誰がとるのか(権限を持った人に確認したのか)」
「ぬいぐるみでどれだけ効果があるのか(それでも怪我したら誰が責任をとるのか)」
「全員に配れなかったらどうするんだ(貰えなかった人から苦情がきたらどうするんだ)」

そうして、そうした(社内から責め立てられる)リスクを回避するために、担当者は上司に相談し、上司はさらにその上に相談する…マニュアルに記載されていることは許可された行動だ、それ以外の行動はコンプライアンスの名の下に「判断」の先送りがなされる…。

平時ならばこれで問題はない。しかしこのような緊急時にこうした行動パターンではできることもできなくなる。

もちろん組織全体がTDRのような行動規範が徹底されるようになることが理想だけれど、一朝一夕でできるものではない。では、個人をベースにこうした「自発的な判断のともなう」行動はできないのだろうか。

方法は2つあると思う。

1つは、その個人が企業のトップの、あるいは判断をなしうる人の考え方や判断基準を十分に理解し、その考え方に基づき行動するというもの。

トップであれば、このようなシーンでこういう指示を出すだろう、ゲストの安全とぬいぐるみやクッキーの費用と比較した上で、その場でゲストの人々に配ると判断するだろうと見越した上で、個人として行動に移すのだ。仮にトップとの間に入る管理職とは考え方が異なるかもしれない、しかし最終的に判断を下すのは、その権限を持つものだ。この考え方や価値基準を先取りし行動するということは、組織自体を強化・一体化することにも繋がる。。

もう1つは、自身で社会全体の倫理や常識、求められる行動と踏まえた上で、適切だという行動をとるというもの。

その状況を理解しマニュアルの想定外の事象だとしてその場でより適切な判断を下すこと。例えば、宮城県石巻市の大川小学校では、今回の津波で児童の7割が犠牲になった。地震発生から津波が到着するまでには1時間弱の時間があったにも関わらず、なぜ、適切な避難ができなかったのか。

大川小学校は川沿いにあり、少し裏手には山がある。もちろん学校では避難を実施しようとした。生徒を集め、津波の際の避難地として指定されている橋桁付近の7mほどの高台へ避難しようとしたのだ。

しかし現実にはその高台は巨大津波の前では意味をなさないものだった。

もしその時に、避難指定先ではない「山」を選んでいたらどうだっただろう。確かに山を登る間には他の危険が存在したかもしれないし、登れない生徒たちもいたかもしれない。またこれはそのことを責めるために書いているわけでもない。ただ山へ避難していればあれだけの被害にはならなかっただろう。

そうした判断を下すには、その状況を理解し、前例や決まりにとらわれず「判断」を下さねばならないのだ。

組織として考えた場合、前者は「望ましい」判断のあり方であり、後者はある意味「アウトロー」だ。前者は組織そのものの一体化を促進するが、後者では組織としての判断と社会やコミュニティが求める判断とが異なる可能性があるし、個人プレーとして見られかねない。前者は会社からの支援を受けることが可能だけれど、後者は自身の責任で行わなければならない。

企業人としては、前者を目指さねばならない。トップの考えを理解し、それを担当者が自発的に行動に移す。

しかしその一方で、企業のトップの判断が必ずしも社会やコミュニティの求める答えと一致しているとは限らない。東京電力にしろ、JR東日本にしろ、今回の震災の対応には非難される点も多い。大企業の場合、どうしても「社会の論理」以上に閉鎖的な「社内の論理」に基づきかねない。

社会がより不確定要素が強くなり、中央集権的な組織からよりフラットに、より個への権限委譲が進む社会へと移行していくのであれば、僕らは個人として自律した判断ができるようにならねばならないだろう。その時、こうした2つの論理をそれぞれ理解していかねばならない。僕らは「企業人」であることと同様に「社会の構成員」としての責任も負っているのだから。



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