ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

仕事を推し進める「何か」

2011年10月05日 | Weblog
基本的に仕事中の「ムダ」が嫌いだ。「ムダ」な作業、「ムダ」な気配り、「ムダ」な打ち合わせ、「ムダ」な提案…もちろん「ムダ」をすべて否定するつもりはない。例えば車でいうハンドルの「遊び」。あるいはブレスト中の「どうでもいい」会話。こうしたものは状況の変化に対応するために必要であったり、新しい何かを生み出すために必要なものだ。これらの「ムダ」は決して「ムダ」ではない。

これに対して「やること」が明確でそれに対してのアプローチがはっきりとしているなら、それをより効率的に実施することこそが望ましいと思う。

この価値観は結構はっきりしていて、いろいろなグッズ(鞄にしろ、スマホにしろ)を選ぶにしても、「使いやすさ」「必要性」といった要素が大事になる。「かわいい」とか「ブランド」という要素は関係なく、いかにムダを削ぎ落しているか、目的に合致しているかといった観点から判断してしまう。

閑話休題。

こうしたムダが嫌いではあるものの、営業をやっていと「ムダ」だからといって切り捨てられないこともある。どうみても勝ち目のない提案。不利な状況。巻き返しを図るための仕掛けをつくってみたものの、例えば価格面だったり、仕様面だったりで大きな差がついていたりすると、そこまで巻き返せるほどの効力はない。

「じゃぁ、撤退しますか」

かといって、その一言はなかなか言えない。この提案に頑張ってきたメンバーや協力してくれたSEや、お客さんの中で応援してくれた人々の「想い」を考えると、そんな風に簡単に諦めることはできない。仮に「ムダ」になる確率が高かったとしても、ギリギリまで「逆転」できないかと考えてしまう。

物事を合理的に考えることと、人を何かに駆り立てるモチベーションとは全く別物なのだろう。

こんなケースもある。

お客さんから発注をもらう。構築にあたって打ち合わせを行う中で、当初の予定とは別の方法でお客さんやベンダーと盛り上がる。仕様変更だ。しかし予算は限られている。今の予算の中で何とか無理くり帳尻を合わせようとする。一見、納期や仕様未確定のためにリスクは高まるかもしれない。

その一方で現場での協調関係は強化される。新たに「目標」がセットされたことで、「一緒に」創り上げていくという感覚、「場」の空気が生み出される。それはそれによってもたらされた「リスク」以上の何かをその場に与えることになる。

「合理的」に考えるならばこうしたことは決して得策ではない。不要な「リスク」を生み出すことになるし、ムダな作業も増えることになる。

しかしそうではないのだ。

結局のところ「合理的思考」や「分析」というものは過去から見た「現実」しか語れない。「未来」を生み出すのはそうしたものとは違う、現場の感覚や人の想いや信念やそういった「身体性」がともなったところに生まれるのだろう。

本当のリスクとは何か。本当の成功要因とは何か。いずれも現場から遠く離れた「合理的思考」「分析」からもたらされるものではないのだ。


コメントを投稿