ビールを飲みながら考えてみた…

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大震災時に駅施設の開放へ、JR東日本が対応検討

2011年06月26日 | ビジネス
ディズニーランドなどの対応と比べると雲泥の差が出たJR東日本の震災当日の対応だけれど、石原都知事の抗議もあって、どうやら改善されるらしい。大規模災害が起きた際に、主要駅の駅舎を帰宅困難者の待機所として開放し、毛布などを提供する方針とのこと。

 震災時の駅舎閉鎖謝罪JR東社長が都知事に : 東京23区 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 JR東、帰宅困難者支援へ 災害時に主要駅を開放 - 47NEWS(よんななニュース)


当日は僕も締め出された口だったので、この時の対応はやはり疑問を感じたし、何よりも競争の少ない≒顧客志向にはなれないインフラ企業ならではの体質を感じてしまった。

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結局、当日、行き場を失った帰宅難民たちは、運のいい人は何時間もかけてでも徒歩で帰り、そうでない人は自らが所属する会社や学校で夜を明かしたり、急遽開放された公共機関や寺院などを利用した。御茶ノ水では明大リバティタワーが開放され、新宿では高島屋タイムズスクエアが、品川プリンスや秋葉原UDX、築地本願寺も開放された。

営業を続けたデニーズの店舗ではトイレや飲料のサポートをし、小さな商店でもトイレや水の提供を行ったり、炊き出しを配った店舗もあった。

もちろんそうした施設や商店が完全に「安全」なエリアでもない、そうしたことで無用な「トラブル」を持ち込むことになるリスクもあった。しかしそれ以上に、社会やコミュニティの一員として、「帰宅難民」となった人たちを「放り出せない」という気持ちがあったからだろう。

阪神大震災の頃を思い出してもそうだし、今回の東日本大震災でもそうだけれど、結局、日本という国は「個人主義的自由主義」中心には成り切れない、どちらかと言えば「コミュニタリズム」の方に親和性が高い社会なのだろう。

そうした中では、JR東日本のとった「内向き」の思考(構内に人を入れて何かあったら困るから「外」に出してしまえ)は許されるものではない。アダム・スミス的な考え方で行くならば、「個」が私的自由を追求することで全体としての「最適さ」「調和」が成立するということなのだろうけれど、日本で求められたのは、社会全体にとっての便益を高めるためにどのように行動したのか、社会全体で救済措置が必要なときにどう「協力」できるか、そういった姿勢だ。

そういった意味でも、それがコミュニタリズムかどうかは別にして、成熟化した社会の中では、「社会」という「個」より1つ大きな次元でその最適化が求められるのだろう。「個」が「個」で完結するのでなく、より上位の「コミュニティ」の維持のためにどのように機能するのか、「部分」の判断が「全体」の為に寄与するという、ある意味、僕らの体や地球という「ガイヤ」にも通じるような思想が根底で求められるのかもしれない。

ともう1つ、今回の一連の騒ぎの中で気になったのが、権力の在り方だ。

JR東日本に対しての憤りは決して石原都知事だけではなかっただろう。それこそネットの中ではそういった声はいくらでも上がっているだろう。しかしJR側からすると、そうした声に反応したというよりは、やはり石原「都知事」に対して反応したというのが正しいのだろう。

それは何故か。

もちろん「石原」都知事の発言はマスコミ的には取り上げられやすいし、結果的に「世論」への影響力は大きいだろう。しかしこれ前「東国原」宮崎県知事がテレビで発言したのだとしても、正式な謝罪や抗議文に対しての回答を用意するとは思えない。もちろん元国鉄としては政治家や官僚に対しての本能的な不安があったかもしれない。

しかし何よりもJR東にとって脅威に感じたのは、石原都知事の「駅施設に課税したらいい」という発言なのだろう。

現在、「主に鉄道事業に供する鉄道施設」の固定資産評価は「周囲の価格の3分の1で評価」され、それに対して課税されている(実質的な減免措置)。これは駅施設の「公共性」と実質的に資産の売買などが不可能であるからだ。

しかし今回のJR東日本のとった措置は「公共性」という観点からはあまりにも身勝手だ。そしてそのことを石原都知事は持ち出したということだろう。

以前、石原都知事は「駅ナカ施設への固定資産税課税の一般並み課税」を打ち出したことがある。これはJR東日本が打ち出している「駅ナカビジネス」に対して、公共性の高い「鉄道施設」ではないとして、周辺の商業施設と同等の課税を行おうとしたものだ。

確かにキオスクのような明らかに鉄道施設の付帯施設のようなものもあれば、ecuteのように完全に商業施設となっているものもある。こうした施設は、交通ターミナルという「集客力」を独占しており、周辺地域よりも有利な面も多く、さらには課税対象額が低く設定されているのは不平等だというのだ。

その結果、実際に駅ナカの商業施設への課税基準が変更されるという事態となった。石原都知事には過去に「実績」があるのだ。

このある種の「徴税権」というのが1つの「権力」として働いているのだろう。もちろん石原都知事が一般の声を代弁してくれているという面もあるのだろうが、結局は「利用者」の声ではなく、「権力」に弱かったのだとしたら、この体質は決して変わってはないないのだろう。


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