ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

宮崎アニメは、なぜ当たる--スピルバーグを超えた理由 / 斉藤 守彦

2008年07月15日 | 読書
「崖の上のポニョ」の公開も間近にひかえ、元来の宮崎駿ファンとしてはちょっと気になるタイトルだったこともあり、思わず購入。帯に書かれている「『となりのトトロ』から最新作『崖の上のポニョ』まで、20年間の軌跡をたどる」が決めてだったのだけど、読んでみた感想はというと…

年代ごとに日米の巨匠、宮崎駿とスピルバーグの作品の興行収入を比較し、その背景を語った(つまり分析ではない)作品なのだけれど、まぁ、正直、映画の配給会社のプロモーション手法などが語られた以外はそのあたりのブログの方が語られているというか、映画作品のマーケティング本としても不十分だし、作品解説としても物足りないしという中途半端な状態。おそらくamazonなどを利用すれば事前に商品レビューなどを見ることもあるのだろうが、これがリアルに書店で買い物をするリスクというものか。



宮崎アニメは、なぜ当たる スピルバーグを超えた理由 (朝日新書 121)

個人的には、宮崎駿は大好きな監督の1人だけどスピルバーグの作品は殆ど見ない。単純にいうと、スピルバーグは超一級のエンターテナーなのだ。作家性以上にエンターテナーとしての才能がもたげてしまい、それが僕には癇に障るのだ。

ETやグレムリン、「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」までは普通に楽しめたと思う。それがそれなりに映画を見始めたからか、スピルバーグ自身の慢心かはわからないけれど、「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」だったか「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」だったかの頃には既にお腹いっぱいで、その楽しませるための演出が鼻につくようになりはじめた。もちろんその後も、「ジュラシック・パーク」や「A.I.」、「マイノリティ・レポート」などは好きな作品だけれど、それはどちらかというと演出面などが面白そうというところに興味がいってて、大作や感動作といわれるものには興味が持てなかったりする。

こうすれば感動するでしょう的な演出が我慢できないのだ。

これに対してジブリ作品いや宮崎駿作品は、いい意味で作家の独善性が保たれている。この著ではそのあたりの様子も書かれているが、だからこそ「宮崎駿」作品に興味を抱く。

個人的に宮崎駿作品で好きなものを3っ挙げるとしたら、

1 紅の豚
2 もののけ姫
3 ルパン三世 カリオストロの城

という感じ。ナウシカはマンガと比べるとどうしても未完成な感じが否めないというか…といっても、もちろんナウシカに関しても映画館でリアルタイムに見ている口だ。当時、地元の映画館では、一週間のみそれも朝の1回限りという中で上映だった。それだけ愛着があってもやはりマンガにはかなわない。

「カリオストロの城」は抜群のエンターテインメント性で3位。「紅の豚」を1番にあげた理由は、斉藤守彦さんが好きな理由と同じく、あれがもっとも宮崎駿個人が描かれているからだ。社会主義への幻想。失われた理想。そんな中で何を描くべきなのか。そうした様々な想いが描かれている。

これに対して「もののけ姫」は1つの到達点といえる。マンガ版「風の谷のナウシカ」と同じく、「正義」と「悪」とが明らかに存在することなど、この世の中にはない。清も濁も一体混在となった中で、あるいはあるものにとっての正しさがあるものにとっての不正義という状況の中で、それでも「正しいもの」を求めるしかない。「もののけ姫」にはそんな世界観がある。

正直言えば、あの作品があれだけの興行収入を得られたことそのものが不可思議な状況だと思う。本来、家族みんなで見に行くような作品ではないのだ。

しかしそれを成しえたところが「ジブリ」ブランドの凄さだろう。

「カリオストロの城」「ナウシカ」「ラピュタ」はもちろん、「トトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」で作られた「家族で楽しめるアニメ」「子供に安心して見せられるアニメ」というブランド、みんなが見ている映画(見ないといけない映画)というイメージの力は絶大だ。

優しさに満ちた絵柄はそこには根っからの「悪意」など存在しないのではないかと思わせるし、そこには不必要に「死」や「暴力」は描かれない。誰もが優しい気持ちになれるのだ。少なくとも「紅の豚」までは。

実際、「もののけ姫」で描かれている世界観はこれらのイメージを覆うものだ。世界は暴力で覆われ、そんな中で人は生きる。しかし皆がこの映画を見るのだ。金曜ロードショーではテレビでも放送され、あたかも「ジブリ」ブランドを継承しているかのように扱われる。既に「ジブリ」ブランドに対する幻想が一人歩きをしているといってもいい。

「もののけ姫」以降、宮崎駿作品は確実にスタイルわ変えた。「千と千尋の神隠し」も単純に子供の幻想譚というには毒があるし、「ハウルの動く城」には消化不良のまま「戦争」が差し込まれている。それでも我々は「ジブリ」ブランドを追い求める。そしてそれが100%叶えられているものではないにしても、その中から「ジブリ」らしさや「優しさ」「安心」を見つけ出し続けるのだ。

最近になって一気に「崖の上のポニョ」のCMが流れるようになった。あの大橋のぞみの何ともいえない「ポ~ニョ、ポ~ニョ~♪」という歌声はもうそれだけで僕らをジブリの世界へ誘ってくれる。きっと、そこには「トトロ」や「魔女の宅急便」のような世界があるのだろう、と。


もののけ姫 : 「ナウシカ」という理想の喪失と宮崎駿がたどり着いた地平

ハウルの動く城-宮崎駿がおくる女性のためのラブストーリー



宮崎アニメは、なぜ当たる スピルバーグを超えた理由 (朝日新書 121)





コメントを投稿