ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

ソンエリュミエール、そして叡智:金沢21世紀美術館

2013年01月05日 | コンテンツビジネス
帰省がてら金沢21世紀美術館「ソンエリュミエール、そして叡智」を見に行った。


金沢21世紀美術館:ソンエリュミエール、そして叡智

この金沢21世紀美術館は建物自体も非常に素敵で、一面ガラス張りで覆われた外壁は、日常=街と非日常=美術館という境界を曖昧にし、1つの作品のようにその空間を切り取り、内と外、見る者と見られる者との区分けさえも曖昧にしてしまう。建物の中だと油断した姿が外の人にもさらけ出され、刻々と変化する街の風景が内側から1つの作品のようにも見えるのだ。

今回、展示されていたのは、北出智恵子さんがキュレーションを担当した「ソンエリュミエール、そして叡智」。タイトルの「ソンエリュミエール」はフランス語で「音」を指す「ソン」と「光」をさす「エリュミエール」を組み合わせた言葉。展示されている作品群もフランシスコ・デ・ゴヤから村上隆、草間彌生など多彩な面々。

展示場に入っていくと、まずChim↑Pomの「SUPER RAT」が展示されている。部屋の中央には街でよく見かける喫茶店何かの看板の上にハンバーグなどの食べ残しがあり、それをピカチュウのようなネズミたちが食べているというオブジェが。

親に連れてこられた子供たちも、それを見て「かわいいー」など声を上げている。ほほえましい姿。でも解説を読むとその印象は一変する。渋谷センター街で駆除され続けた挙句、毒代謝能力が高まったネズミ「スーパーラット」の都市を生き抜く能力をモチーフに、このネズミらを捕獲し、その剥製を展示しているのだという。見た目のかわいさとは裏腹にいきなり盛り込まれた「毒」。

「SUPER RAT」 / Chim↑Pom

木村太陽の「Feel Your Gravity(重力を感じろ)」も面白い作品。雑誌の化粧品の広告ページ。モデルが見開きにアップで写っている。そこにその雑誌を通じて無数の「目」が現れている。雑誌というメディアを通じて、多数目に見られること=監視状態である様が浮かび上がる。いや、「見られること」によって僕らは成り立っているのではないか。都市のIT化が進み、ネットを通じてあらゆる行動が衆目に晒される時代。既に監視から逃れることではなく、「見られること」を前提として生きかたが必要なのかもしれない。

Feel Your Gravity」/ 木村太陽

「カプーアの部屋」では傾いた壁に巨大な黒い穴が…。あまりに黒く吸い込まれそうになるその「穴」は果たして壁面に描かれたものなのか、それともどこまでも続く穴なのか。虚無でありながら圧倒的な存在感。

ちょっと余談になるのだけれど、この深く暗い闇を作り出すために、「黒」ではなく光を吸収する「濃い青」を使っているのだそうだ。これはある意味、演劇の照明でも通じるもので、舞台に夜や闇を作り出すのに、照明を消しただけ(暗くするだけ)では「闇」を作り出すことは出来ない。これほど深い青ではないけれど、照明の世界でも青に染めることで、「夜」や「闇」が作り出されることになる。

ラファエル・ロサノ=ヘメルの「パルスルーム」は観客の心拍数にあわせて300灯の白熱灯の明滅パターンが変わるというもの。心拍数という人間の生きる証に即して明滅する光は生命を感じさせるが、同時にビット化された生命体のようでもあり、社会という「個」と「個」、「点」と「点」のつながりが、自立した1つの器官として存在しているようでもある。

展示物の中で目が留まってしまったのが、草間彌生の3作品。何だろう、この何を書いてあるのか分からないけど、何か妙に落ち着かない不安感のようなものは。何か、見ないようにしてのについつい見ちゃったなー的な、でも嫌とか不快とかそういうのではないんだけど、何か、落ち着かない。この丸い模様は生命なのか。初めて王蟲を見たナウシカもこんな気持ちだったのだろうか。

今回の作品群は、決して心地よい作品とはいえないものが多い。

ビジネスの世界では、あるいは駆り立てられるように生きていかねばならない現代人にとっては、何事も「ポジティブ」に変換して考える能力が求められている。道端で小石に躓いて転べば、痛いと嘆いていたり、何でこんな所に石があるんだと怒るのではなく、「(嘆いても仕方がない)さっ、立ち上がろう!」「他の人が躓かないようにこの石を取り除いてあげよう」といった具合。それはもちろん間違えではない。むしろ肯定されるべきだろう。

しかしあまりにもそうした「ポジティブ」さ、「建前」への圧力が強すぎないか。

そうした「キレイごと」だけですまないのが、人間であり、社会のはずだ。そうした人間の本来持つ毒々しさや残酷さ、不安や恐怖といったネガティブさは消し去ることが出来ない。そうしたものを今回の提示では突きつけられた気がする。そしてその上で、そうしたものたちが持つ、生きることへの「力強さ」を感じてしまう。

「キレイごと」ではなく「力強さ」を、そんなものが求められているのかもしれない。


コメントを投稿