ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

オフの公園でのオン

2012年05月07日 | Weblog
GW明け、昼下がりの公園。そこではGWの賑わいはなく、穏やかな時間が流れている。風に揺れる木々の音。お母さんに連れられた子供たちの声。体をなでる風が心地よい。中には、カホーンの練習をしている連中もいる。ゆったりとした時間。

明日からの仕事で利用する資料をまとめようと、そんな中にPCを持ち込んで開いていると、いつもよりも開放的な気分で資料をみることができる。しかし実際に、仕事を始めてみると、公園にいようがいまいが、世界はPCのモニター上に表示されるものと脳内での思考作業に一色になる。ふっと気づくと、その時間というのは僕の周囲に流れているものとは全く別の時間感覚なのだ。

周囲に流れている時間、つまり公園の中に存在する時間というのは、ある意味、時間と空間が一体となったものだ。風が吹けば木々が揺れ音を立てる。風の音が聴こえ、実際に僕の体には風の通り抜ける感覚が残る。木漏れ日が揺れ、そのリズムに合わせてPC上のモニターに影ができ、葉の揺れる音が聴こえる。

しかし、例えこんな場所であっても、いったん仕事モードに切り替わると、それらの音は脳内からは切り離され、頭の中は次のタスクの洗い出しや、シュミレーション、複合的な観点からの見直し、課題の抽出と整理、あるいはそれらのための根拠データの作成や資料の構成づくりに支配される。

それらはただひたすら効率的に実行されるものであり、周囲の時間感覚とは無関係にただ繰り返されるものだ。と同時に、それらの作業は自分の脳内の回転速度を明確にあげることになり、ある種の高揚とともに自身の脳内の時間間隔を鋭く、速くしていくことになる。

1つの数字、1つの報告に対して、それが持つ意味や可能性を瞬時に考慮し反応すること。1つの質問に対し、そのことの意図や背景を推測し、自分たちが目指すべき方向との関係性を理解し、より適切な形での回答を行うこと。あるいは求められる結果に対して、現状とその課題を整理し、打つべき手段とそれによって得られる可能性を考慮し、より適切なストーリーを構築すること。

それは「観察」と「試行錯誤」とによって顧客にとって最適なソリューションを提供するという「デザイン思考」とは全く逆に、「反射神経」と頭の回転/「スピード」によって解決しようという姿勢――効率中心主義を体現するような姿勢なのかもしれない。しかし実際にそうした態度によって仕事は「こなされていく」のだ。

この時間間隔はまともなのだろうか。

せっかく開放的な空間にPCを持ち込んだというのに、世界を自身の脳内だけに閉じ込めるのであれば意味がない。自然のもつリズムとオン状態をうまく結び付けようとしたのに、いったんスイッチが入ってしまうと隔絶された世界になってしまう。

オンとオフの切替が大事だというけれど、少なくとも自然を相手にしている産業、農業や漁業ではそこまでのオンとオフに切替があるわけではないだろう。日常の延長として仕事があり、生活の一部として仕事も存在しているのだから。

こうした仕事のやり方というのは、うん、考え直したほうがいいのかもしれない。

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