◎2010年9月10日(金)その1・上り編
期限の迫った夏季休暇を木・金でとった。今回、光岳にはI男も同行することになっていたが、I男は金曜日の休暇しかとれず、木曜日の午後から適当に仕事をごまかして直帰のスタイルをとり、遅くとも夕方には出発という段取りになった。そもそも、光岳に行くという話は直前に出たことで、K女のファミリーが室堂に物見遊山に行くという話を聞き、じゃ、こちらもそれに合わせて、大日岳あたりにでも行こうかというのが当初の計画だった。ところが、一か月前、I男の気胸が再発し、10日近い自宅療養を強いられ、一旦は、山行計画も中止となったのだが、平常の生活に戻り、早速、サーフィンに行ってみたら、ほぼ完治したようだとの報告。一旦は無理するなと言いながらも、彼の休暇は既に承認済みだし、予定どおり、大日岳に行ってみようとなった。ところが、こちらの立場にすれば、7月に聖岳の行った際に逃した光岳があったものだから、いずれは行くつもりでもいたし、この際、I男を連れて光岳に行こうという目論みも少なからず芽を出していた。I男に光岳を明かしたのは2日前。別に嫌な顔もせずに、即「いいですよ」の返事。彼にとっては、著名な山だったら、どこでも良かったのだろう。日光、足尾の山なら遠慮されるところだが、南アルプスというステータスが効いたのだろう。それでも問題はあった。病み上がりのI男には、光岳の日帰りは十分に無理。小屋かテント泊になるだろう。一泊のつもりの荷造りの準備を終えていたら、自分から「日帰りにしましょうよ」と言ってきた。素人はこれだから恐い。こちらもついその気になってしまった。二転三転して、光岳の日帰りとなった次第。その間、ザックの選別、テント探しやら荷物の出し入れも忙しかった。
易老渡の駐車場には20時に着いた。車は7台くらいだろうか。明かりの点る車はいない。この時点でのスケジュールは、明日、光岳から下りてきたら、便ヶ島まで行って、テント泊。そして、土曜日は温泉に寄って、ゆっくり帰るというものだった。途中、何度か、「小屋に泊まるか?」と気を遣って念押ししたが、I男は首を縦に振らなかった。日帰りは不動のものになっている。オレよりもI男が強気だ。赤石林道は前回来た時よりも、荒れが目立たない。ブルを5台くらい見かけたから、整地をしたのだろう。しかし、上島トンネルからは相変わらず長い。車の中で缶ビールを1本ずつ飲み、I男はソースカツ丼、オレはカレーを食べてさっさと寝る。月は出ていない。星は見えるが遠い。
(登山口の吊り橋)
(面平)
4時起床。オレはほとんど寝られず、I男は熟睡できたようだ。うらやましい限りだ。蚊にもやられた。しかし、腹の方は、こちらが早々に兆候があって○だったが、彼は×。4時半出発。ライトを持って歩き出す。他の車から、人の動きの気配が感じられない。昨日歩き出しの方々ばかりなのだろう。夜中にやって来る車はなかった。暗い吊り橋を渡って、いきなりの急登となった。30分ばかり歩いた頃、真下の駐車場でライトが2つ、チカチカしているのが見える。ということは、5時出発の方々か。こちらは日帰りのつもりでいるから、1分でも早く歩き出さないといけなかった。易老渡の標高は880m、易老岳は2,354m。この間の歩き具合が、今日の結果を左右する。登山口には、「易老渡まで5時間半」の表示があった(昭文社マップでは5時間5分)。せめて、4時間で歩きたいところ。ところがそううまくもいかない。オレが早速バテた。I男は元気そのものの歩き方。この間まで闘病生活をしていた男とは思えない。こちらは休みがちになり、彼について行くのがつらい。下から声をかけては休ませ、待ってもらう。5時15分、消灯する。九十九折れの急な上りが続く。嫌らしい上り。面平6時8分。ここまでは標準タイムで2時間だから、20分以上は貯金ができた。苔が多く、朝日が原生林の間に差し込み、なかなか幻想的。倒木が多くなる。便ヶ島から聖岳へのルートも倒木が多かったが、あちらは自然の力によるものが圧倒的で、こちらは、伐採、放ったらかしの倒木が多い。
(樹間から聖岳)
I男のスピードはやや鈍ったが相変わらず元気で、距離が離されて行く。こちらはもうかなりヘバっている。後で彼から聞いた話だが、この辺りで、オレから「もうやめにして、下に戻ろうか」と言われるのを期待していたそうだ。彼も気合いで歩いていたのだろう。確かに、口数が少なくなってはいた。上から、若い女性の単独が下ってきた。光岳小屋に泊まったのか。立ち話のついでに小屋に何人くらい泊まったかと聞いた。そしたら、「私たち以外に、…(数えながら)…、20人くらい」という返事だった。この「私たち」というのが引っかかった。後から男(とも限らないだろうが)が下りてくると思ったが、一向に来ない。一方は茶臼岳に向かったのか。このことをI男に話したら、「そういえば、私たちと言っていましたね」と、どうも反応が今ひとつ鈍い。いつもながら、「後で思えば」ということになるが、この頃から、I男はかなり疲れ始めていたようだ。相変わらず、ウンザリする上りが続く。全然、先が見えない。先が切れているように見えて、ほっとするも束の間、ちょっとした平坦な道の先には、さらに先の見えない上りが続いている。女性に出会って30分以上経過して、今度は4人グループが下りてくる。「私たち」の仲間ではないことは確か、年代が違い過ぎる。その後も数人、下りてきた。20人の宿泊客のうち、易老渡に下りるのは半分程度か。林間の切れ間から、左手に聖岳が見えてくる。右手には光岳。いやあ遠い。遠すぎる。
(しばらく意味が分からなかった。光岳まで5.7km、易老渡まで3.7kmということらしい)
(三角点)
I男の疲れが目につくようになる。もしかすると、日帰りどころか山頂までも無理かなと思い、「せめて、易老岳までは行こうよ」となった。8時37分、2,254mの三角点。ここまで4時間。コースタイムよりまだ30分ほどの余裕は残っている。I男は「大丈夫、大丈夫」を連発。ここで、2つ目の目標変更を考慮した。「11時まで先に行ってみて、そこで切り上げよう」ということに。光岳に未練があるのは、このオレだけなのだ。下から白ヒゲのジイサンが上がって来た。すごく元気で、軽口をポンポンたたく。途中で下に見えたライトの1人だ。日帰りだと言ったら、大声で「冗談はやめてくれ」と言われた。広げた地図は、何かの山の雑誌掲載の地図コピーで、クシャクシャになっている。「光岳山頂でまたお会いしましょう」と別れた。おそらく、抜かれるだろう。すぐにまた大声が聞こえた。振り向くと、下りの単独が携帯で電話をしていた。ここは、ところどころ、電話が通じるようだ。
(ようやく易老岳)
ちょっとしたガレ場を通って、ようやく易老岳。9時10分。4時間40分かかってしまった。もう、小屋泊まりを想定した方がいいだろうか。せめて、替え下着を持って来れば良かったなぁ。そして、小屋泊まりなら、それなりに計画の変更もしたい。出来れば、明日は茶臼岳、上河内岳経由で便ヶ島に下りてもいい。さすが、そのことは、疲れたI男には言えなかった。身勝手すぎる。靴下の右足首の部分が、かなり広く血が滲んでいた。I男に言われるまで気づかなかった。どこかにぶつけたのだろうが、血は止まっている。そんなことに気づかないくらいだから、自分もかなり疲れている。両太股が痛くなっていて、痙攣の兆しが出てもいる。これまでは樹林に遮られていた。ここからは、陽射しも強くなるはず。
(三吉ガレ?)
(長~いガレ場を登る)
しばらく下りになる。アップダウンもあって、最終的に150m程下った。帰り道は、ここがネックになりそうだ。絶対に響くだろう。I男が元気を取り戻し、軽快な足取りになる。右手にガレた光景が広がる。ここがきっと三吉ガレだろう。見晴らしはいい。光岳は何となく分かるが、特定はできない。もしくは、見えていないのかもしれない。また少し下る。樹林の中の鞍部からは、今度はカンカン照りのガレ場の上りがはじまる。決して、急ではないのだが、陽射しが強く、かなり応える。気温は15℃ながらも、体感は30℃。I男がまたバテ気味になり、数歩歩いては休む回数が多くなる。こちらは、正直のところ元気を取り戻していた。一人だったら、一気に行ったであろう。その先はどうなったかは知らない。ここも長い。日陰に入っては休む繰り返し。見えない先がずっと続く。
(静高平)
幾分傾斜が緩くなり、ガレ場も終わりかけた。静高平。10時53分。腰をおろしてしばらく休む。ここまで来たら、山頂はもう少し。ジイサンはまだ来ない。ここはいい気分になれるところだ。苔とハイ松。唯一の水場は枯れている。台風の通過で、水は流れていると思っていたが甘かった。水不足なわけではないが、冷たい水を飲みたかった。さっきすれ違った女性が、「小屋では水をいくらでももらえますよ」と言っていたから、太っ腹の小屋の管理人に期待もしていたし、水が足りなくて、ここで水を補給しなければならない情況でもなかった。もう、あのピークを越えれば、小屋も見えるはずだと、I男を励まして、歩き始める。そして、またすぐに休む。また励ます。
(イザルヶ岳)
(光岳小屋が見えてきた)
小屋が見えた。その上にようやく確実な光岳。左手にはイザルヶ岳。イザルヶ岳は360度の眺望と地図にコメントが付けられている。ここで、イザルヶ岳に寄り道をしたいところだが、I男の手前、我慢する。木道があらわれ、平坦になる。ハイ松が広がる。なぜか、雲の平の風景を思い出した。自然の庭園になっている。光岳は、百名山コレクターの山程度の扱いを受けているようだが、この風景は一見の価値が十分にある。易老渡に下りる老夫婦に「がんばって。もう少しだよ」と声をかけられる。11時18分、小屋に着く。出発から6時間50分もかかった。それでも、コースタイムよりも45分早かった。小屋からの眺望はすこぶる良い。正面に聖岳と兎岳。雲海の上に富士山。イザルヶ岳がじゃまになって、茶臼岳方面は見えない。
I男が彼女に富士山の写メールを送っている間に、小屋に入り、バッチを買う。これはI男のコレクションだ。I男は車に財布を置いたままで来ている。ここでの財布役はオレになる。500円のしょぼいバッチ。原価はどうみても50円未満。ついでに400円のポカリを2本。そして、これが本題ではあったが、「水はありますか?」と聞いた。そしたら、「水場は下って20分」のつれない返事。水が飲み放題とは宿泊者限定の話だろう。そんなものだとは思っていたが。
(光岳山頂)
(光石までは遠そう)
荷物をそのままに、空身で光岳を往復する。ここで、I男が肺の痛みを訴えるようになる。どうも、気圧の関係らしい。気胸の病み上がりだから、仕方もない。ゆっくりと15分ほど歩いて山頂。11時45分。ここからの展望は良くない。10m先に展望台がある。光石はその先だ。山頂にI男を残し、光石に向かう。ところが、展望台から眺めた光石は尾根を随分下った先にあるように見え、体力も消耗しそうで、やめにした。展望台からの眺めは、北から西にかけて広がっていた。富士山は見えない。小屋から先に歩いて行った、茶臼岳から来たと言っていたネエチャンの姿は、山頂には見えなかったから、光石まで行ったのだろう。小屋に戻りかけたら、下から、「どなたか、上にいらっしゃいますか?」と大声を上げながら登って来る方がいる。あのジイサンだった。開口一番、静高平手前のガレ場の登りをののしっていた。
(光岳小屋に戻る)
小屋でカップラーメンを食べ、コーヒーを飲んだ。合わせて1人900円。オニギリを持ってはいたが、食べる気にはなれない。I男のカップラーメンは地域限定とかのカレーヌードルで、無理矢理押しつけられたようで、管理人さんの前ではおいしいと言いながら、不味い顔をして食べていた。さすが営業マンだ。この時点では、小屋に泊まることはまだ決めかねていた。オレは内心、着替えもないし、日帰りしたかった。I男は「泊まりたい」から「泊まってもいい」に変わり、下りたら、飯田の安宿に泊まって、シャワーを浴び、生ビールにギトギトしたラーメンを食べるという手もあると言ったら、「下りましょう」に変わった。しかし、これは姑息な手段であることは確かで、アメムチと何ら変わりはない。自分がそうしたいだけの話で、今のI男の疲労度からしたら、とんでもない話ではある。I男は、オレのこの軽い言葉もさることながら、目の前で、見るからにぬるそうな500円のキリンラガーを飲んでいるオッサンを見て、下山を決心したみたいなところもあるようだった。ちなみに、このオッサン、例のジイサンの話をI男としていたら、聞き耳を立てていて割り込んできた。易老渡を出発する時に、ジイサンにつかまって、一緒に歩きましょうと誘われたけど、断ったと言っていた。山頂からジイサンが下りて来て、大騒ぎしながら、小屋に泊まりの申し込みをした。ネエチャンも下りて来た。やはり光石に行ったようで、それほど、きつくもなかったと言っていた。ぬるビールを飲んでオニギリを食べている割り込みオッサンに宿泊代を聞いたら、素泊まり4,000円+寝袋1,500円+2食2,000円=7,500円とのこと。寝袋といったって、汗ですごい悪臭だろうな。悪臭といえば、我々も、相当に臭っている。ザックの中も臭い。聖岳に行った時も、大量の汗はかいたけど、臭いを放つまでもなかった。ところで、このオッサン、どちらから来たのかと聞くので、千葉と群馬と答えたら、かなり驚いていた。そんなに驚くような遠隔地なのだろうか。敢えて、逆質問はしなかった。このオッサン、今夜はジイサンのえじきだろう。
期限の迫った夏季休暇を木・金でとった。今回、光岳にはI男も同行することになっていたが、I男は金曜日の休暇しかとれず、木曜日の午後から適当に仕事をごまかして直帰のスタイルをとり、遅くとも夕方には出発という段取りになった。そもそも、光岳に行くという話は直前に出たことで、K女のファミリーが室堂に物見遊山に行くという話を聞き、じゃ、こちらもそれに合わせて、大日岳あたりにでも行こうかというのが当初の計画だった。ところが、一か月前、I男の気胸が再発し、10日近い自宅療養を強いられ、一旦は、山行計画も中止となったのだが、平常の生活に戻り、早速、サーフィンに行ってみたら、ほぼ完治したようだとの報告。一旦は無理するなと言いながらも、彼の休暇は既に承認済みだし、予定どおり、大日岳に行ってみようとなった。ところが、こちらの立場にすれば、7月に聖岳の行った際に逃した光岳があったものだから、いずれは行くつもりでもいたし、この際、I男を連れて光岳に行こうという目論みも少なからず芽を出していた。I男に光岳を明かしたのは2日前。別に嫌な顔もせずに、即「いいですよ」の返事。彼にとっては、著名な山だったら、どこでも良かったのだろう。日光、足尾の山なら遠慮されるところだが、南アルプスというステータスが効いたのだろう。それでも問題はあった。病み上がりのI男には、光岳の日帰りは十分に無理。小屋かテント泊になるだろう。一泊のつもりの荷造りの準備を終えていたら、自分から「日帰りにしましょうよ」と言ってきた。素人はこれだから恐い。こちらもついその気になってしまった。二転三転して、光岳の日帰りとなった次第。その間、ザックの選別、テント探しやら荷物の出し入れも忙しかった。
易老渡の駐車場には20時に着いた。車は7台くらいだろうか。明かりの点る車はいない。この時点でのスケジュールは、明日、光岳から下りてきたら、便ヶ島まで行って、テント泊。そして、土曜日は温泉に寄って、ゆっくり帰るというものだった。途中、何度か、「小屋に泊まるか?」と気を遣って念押ししたが、I男は首を縦に振らなかった。日帰りは不動のものになっている。オレよりもI男が強気だ。赤石林道は前回来た時よりも、荒れが目立たない。ブルを5台くらい見かけたから、整地をしたのだろう。しかし、上島トンネルからは相変わらず長い。車の中で缶ビールを1本ずつ飲み、I男はソースカツ丼、オレはカレーを食べてさっさと寝る。月は出ていない。星は見えるが遠い。
(登山口の吊り橋)
(面平)
4時起床。オレはほとんど寝られず、I男は熟睡できたようだ。うらやましい限りだ。蚊にもやられた。しかし、腹の方は、こちらが早々に兆候があって○だったが、彼は×。4時半出発。ライトを持って歩き出す。他の車から、人の動きの気配が感じられない。昨日歩き出しの方々ばかりなのだろう。夜中にやって来る車はなかった。暗い吊り橋を渡って、いきなりの急登となった。30分ばかり歩いた頃、真下の駐車場でライトが2つ、チカチカしているのが見える。ということは、5時出発の方々か。こちらは日帰りのつもりでいるから、1分でも早く歩き出さないといけなかった。易老渡の標高は880m、易老岳は2,354m。この間の歩き具合が、今日の結果を左右する。登山口には、「易老渡まで5時間半」の表示があった(昭文社マップでは5時間5分)。せめて、4時間で歩きたいところ。ところがそううまくもいかない。オレが早速バテた。I男は元気そのものの歩き方。この間まで闘病生活をしていた男とは思えない。こちらは休みがちになり、彼について行くのがつらい。下から声をかけては休ませ、待ってもらう。5時15分、消灯する。九十九折れの急な上りが続く。嫌らしい上り。面平6時8分。ここまでは標準タイムで2時間だから、20分以上は貯金ができた。苔が多く、朝日が原生林の間に差し込み、なかなか幻想的。倒木が多くなる。便ヶ島から聖岳へのルートも倒木が多かったが、あちらは自然の力によるものが圧倒的で、こちらは、伐採、放ったらかしの倒木が多い。
(樹間から聖岳)
I男のスピードはやや鈍ったが相変わらず元気で、距離が離されて行く。こちらはもうかなりヘバっている。後で彼から聞いた話だが、この辺りで、オレから「もうやめにして、下に戻ろうか」と言われるのを期待していたそうだ。彼も気合いで歩いていたのだろう。確かに、口数が少なくなってはいた。上から、若い女性の単独が下ってきた。光岳小屋に泊まったのか。立ち話のついでに小屋に何人くらい泊まったかと聞いた。そしたら、「私たち以外に、…(数えながら)…、20人くらい」という返事だった。この「私たち」というのが引っかかった。後から男(とも限らないだろうが)が下りてくると思ったが、一向に来ない。一方は茶臼岳に向かったのか。このことをI男に話したら、「そういえば、私たちと言っていましたね」と、どうも反応が今ひとつ鈍い。いつもながら、「後で思えば」ということになるが、この頃から、I男はかなり疲れ始めていたようだ。相変わらず、ウンザリする上りが続く。全然、先が見えない。先が切れているように見えて、ほっとするも束の間、ちょっとした平坦な道の先には、さらに先の見えない上りが続いている。女性に出会って30分以上経過して、今度は4人グループが下りてくる。「私たち」の仲間ではないことは確か、年代が違い過ぎる。その後も数人、下りてきた。20人の宿泊客のうち、易老渡に下りるのは半分程度か。林間の切れ間から、左手に聖岳が見えてくる。右手には光岳。いやあ遠い。遠すぎる。
(しばらく意味が分からなかった。光岳まで5.7km、易老渡まで3.7kmということらしい)
(三角点)
I男の疲れが目につくようになる。もしかすると、日帰りどころか山頂までも無理かなと思い、「せめて、易老岳までは行こうよ」となった。8時37分、2,254mの三角点。ここまで4時間。コースタイムよりまだ30分ほどの余裕は残っている。I男は「大丈夫、大丈夫」を連発。ここで、2つ目の目標変更を考慮した。「11時まで先に行ってみて、そこで切り上げよう」ということに。光岳に未練があるのは、このオレだけなのだ。下から白ヒゲのジイサンが上がって来た。すごく元気で、軽口をポンポンたたく。途中で下に見えたライトの1人だ。日帰りだと言ったら、大声で「冗談はやめてくれ」と言われた。広げた地図は、何かの山の雑誌掲載の地図コピーで、クシャクシャになっている。「光岳山頂でまたお会いしましょう」と別れた。おそらく、抜かれるだろう。すぐにまた大声が聞こえた。振り向くと、下りの単独が携帯で電話をしていた。ここは、ところどころ、電話が通じるようだ。
(ようやく易老岳)
ちょっとしたガレ場を通って、ようやく易老岳。9時10分。4時間40分かかってしまった。もう、小屋泊まりを想定した方がいいだろうか。せめて、替え下着を持って来れば良かったなぁ。そして、小屋泊まりなら、それなりに計画の変更もしたい。出来れば、明日は茶臼岳、上河内岳経由で便ヶ島に下りてもいい。さすが、そのことは、疲れたI男には言えなかった。身勝手すぎる。靴下の右足首の部分が、かなり広く血が滲んでいた。I男に言われるまで気づかなかった。どこかにぶつけたのだろうが、血は止まっている。そんなことに気づかないくらいだから、自分もかなり疲れている。両太股が痛くなっていて、痙攣の兆しが出てもいる。これまでは樹林に遮られていた。ここからは、陽射しも強くなるはず。
(三吉ガレ?)
(長~いガレ場を登る)
しばらく下りになる。アップダウンもあって、最終的に150m程下った。帰り道は、ここがネックになりそうだ。絶対に響くだろう。I男が元気を取り戻し、軽快な足取りになる。右手にガレた光景が広がる。ここがきっと三吉ガレだろう。見晴らしはいい。光岳は何となく分かるが、特定はできない。もしくは、見えていないのかもしれない。また少し下る。樹林の中の鞍部からは、今度はカンカン照りのガレ場の上りがはじまる。決して、急ではないのだが、陽射しが強く、かなり応える。気温は15℃ながらも、体感は30℃。I男がまたバテ気味になり、数歩歩いては休む回数が多くなる。こちらは、正直のところ元気を取り戻していた。一人だったら、一気に行ったであろう。その先はどうなったかは知らない。ここも長い。日陰に入っては休む繰り返し。見えない先がずっと続く。
(静高平)
幾分傾斜が緩くなり、ガレ場も終わりかけた。静高平。10時53分。腰をおろしてしばらく休む。ここまで来たら、山頂はもう少し。ジイサンはまだ来ない。ここはいい気分になれるところだ。苔とハイ松。唯一の水場は枯れている。台風の通過で、水は流れていると思っていたが甘かった。水不足なわけではないが、冷たい水を飲みたかった。さっきすれ違った女性が、「小屋では水をいくらでももらえますよ」と言っていたから、太っ腹の小屋の管理人に期待もしていたし、水が足りなくて、ここで水を補給しなければならない情況でもなかった。もう、あのピークを越えれば、小屋も見えるはずだと、I男を励まして、歩き始める。そして、またすぐに休む。また励ます。
(イザルヶ岳)
(光岳小屋が見えてきた)
小屋が見えた。その上にようやく確実な光岳。左手にはイザルヶ岳。イザルヶ岳は360度の眺望と地図にコメントが付けられている。ここで、イザルヶ岳に寄り道をしたいところだが、I男の手前、我慢する。木道があらわれ、平坦になる。ハイ松が広がる。なぜか、雲の平の風景を思い出した。自然の庭園になっている。光岳は、百名山コレクターの山程度の扱いを受けているようだが、この風景は一見の価値が十分にある。易老渡に下りる老夫婦に「がんばって。もう少しだよ」と声をかけられる。11時18分、小屋に着く。出発から6時間50分もかかった。それでも、コースタイムよりも45分早かった。小屋からの眺望はすこぶる良い。正面に聖岳と兎岳。雲海の上に富士山。イザルヶ岳がじゃまになって、茶臼岳方面は見えない。
I男が彼女に富士山の写メールを送っている間に、小屋に入り、バッチを買う。これはI男のコレクションだ。I男は車に財布を置いたままで来ている。ここでの財布役はオレになる。500円のしょぼいバッチ。原価はどうみても50円未満。ついでに400円のポカリを2本。そして、これが本題ではあったが、「水はありますか?」と聞いた。そしたら、「水場は下って20分」のつれない返事。水が飲み放題とは宿泊者限定の話だろう。そんなものだとは思っていたが。
(光岳山頂)
(光石までは遠そう)
荷物をそのままに、空身で光岳を往復する。ここで、I男が肺の痛みを訴えるようになる。どうも、気圧の関係らしい。気胸の病み上がりだから、仕方もない。ゆっくりと15分ほど歩いて山頂。11時45分。ここからの展望は良くない。10m先に展望台がある。光石はその先だ。山頂にI男を残し、光石に向かう。ところが、展望台から眺めた光石は尾根を随分下った先にあるように見え、体力も消耗しそうで、やめにした。展望台からの眺めは、北から西にかけて広がっていた。富士山は見えない。小屋から先に歩いて行った、茶臼岳から来たと言っていたネエチャンの姿は、山頂には見えなかったから、光石まで行ったのだろう。小屋に戻りかけたら、下から、「どなたか、上にいらっしゃいますか?」と大声を上げながら登って来る方がいる。あのジイサンだった。開口一番、静高平手前のガレ場の登りをののしっていた。
(光岳小屋に戻る)
小屋でカップラーメンを食べ、コーヒーを飲んだ。合わせて1人900円。オニギリを持ってはいたが、食べる気にはなれない。I男のカップラーメンは地域限定とかのカレーヌードルで、無理矢理押しつけられたようで、管理人さんの前ではおいしいと言いながら、不味い顔をして食べていた。さすが営業マンだ。この時点では、小屋に泊まることはまだ決めかねていた。オレは内心、着替えもないし、日帰りしたかった。I男は「泊まりたい」から「泊まってもいい」に変わり、下りたら、飯田の安宿に泊まって、シャワーを浴び、生ビールにギトギトしたラーメンを食べるという手もあると言ったら、「下りましょう」に変わった。しかし、これは姑息な手段であることは確かで、アメムチと何ら変わりはない。自分がそうしたいだけの話で、今のI男の疲労度からしたら、とんでもない話ではある。I男は、オレのこの軽い言葉もさることながら、目の前で、見るからにぬるそうな500円のキリンラガーを飲んでいるオッサンを見て、下山を決心したみたいなところもあるようだった。ちなみに、このオッサン、例のジイサンの話をI男としていたら、聞き耳を立てていて割り込んできた。易老渡を出発する時に、ジイサンにつかまって、一緒に歩きましょうと誘われたけど、断ったと言っていた。山頂からジイサンが下りて来て、大騒ぎしながら、小屋に泊まりの申し込みをした。ネエチャンも下りて来た。やはり光石に行ったようで、それほど、きつくもなかったと言っていた。ぬるビールを飲んでオニギリを食べている割り込みオッサンに宿泊代を聞いたら、素泊まり4,000円+寝袋1,500円+2食2,000円=7,500円とのこと。寝袋といったって、汗ですごい悪臭だろうな。悪臭といえば、我々も、相当に臭っている。ザックの中も臭い。聖岳に行った時も、大量の汗はかいたけど、臭いを放つまでもなかった。ところで、このオッサン、どちらから来たのかと聞くので、千葉と群馬と答えたら、かなり驚いていた。そんなに驚くような遠隔地なのだろうか。敢えて、逆質問はしなかった。このオッサン、今夜はジイサンのえじきだろう。
易老岳までの上りはそんなにきついんですか?ならやっぱり逆回りにしようかな・・。それにしても最後の写真、小屋越しのイザルヶ岳と雲海の先の富士、早く実際に見たいものです。
そうですか。順延ですか。残念ですね。
1泊2日の計画を立てれば、予備日も出来るような気がしますけど、足首の調子では致し方ありませんね。どちらから回るにしても、相当に痛めますしね。
あくまでも、私にはきつかったのです。聖岳を後にしていたら、そちらをきつく感じたかもしれません。いずれも急で長かったです。
翌日に日帰りで歩いた方のブログを拝見しましたら、同じコースを8時間で行っていましたね。易老渡まで何と2時間半ですよ。そういう方もいらっしゃるんだなと感心しましたけど。こういう方には、さして、きつくは感じなかったでしょう。