◎2010年9月10日(金)その2・下り編
(イザルヶ岳山頂)
(イザルヶ岳から富士山)
(雲海)
(茶臼岳から上河内岳、聖岳、兎岳)
小屋のコーヒーはドリップでおいしかった。砂糖を入れて飲んだら、疲れも吹き飛んだ感じ。12時30分、下山にかかる。小屋のオバチャンは易老渡まで4~5時間で行けるよと言っていた。それぐらいで着けば、明るいうちだから御の字だ。しかし、管理人のオッサンが言っていたことも気にかかる。「南アルプスの山地図に書かれたコースタイムは、テント泊の人達のような、大荷物を背負って歩いている人に合わせた時間になっているから、かなり甘く書かれていますよ」。ということは、先日の聖岳も、今回の光岳も、オレ達は時間食いということか。だとすれば、下山の4~5時間も、オレ達の足だと、6時間は見ておいた方がいいかもということだ。日没まではぎりぎりのところだね。ライトを点けて下っているのでは様にならないし、登山口の吊り橋も、とうとう、行き帰り、暗がりで見ただけで終わるかも。間もなくイザルヶ岳分岐に着く。I男を待たせ、空身でイザルヶ岳を往復する。ハイ松の間を歩いて、あっという間に山頂。確かに360度。山頂は広く、茶臼岳、上河内岳もばっちり。20分程度で、さっさと下りてきたものだから、ベンチに寝そべっていたI男の顔はすこしばかり引きつっていた。各自の水を確認する。オレは2リットル持参で1リットルほどの残。I男は3リットル持参の1.5リットル。大丈夫だろう。イザルヶ岳の山名は、今でいう、差別用語から由来するような気がする。そうしてでも行けるのか、そうしてまでも行く価値のある山といったところだろうか。易老岳→イザルヶ岳→光岳という順番は、山名を追うだけでも、連なった意味があるような感じだ。それにしては、光岳の山頂は宗教的な臭いはまったくなかった。
(下る)
(しばらくはアップダウンジャブの応酬)
これから小屋に向かう方々と次々に行き会う。今日の小屋泊まりは今のところ11人。静高平からのガレの下り、I男は足が痛いと言いながらも、何とか下る。問題は、その先の易老岳までの上りだ。嫌らしいアップダウンが続く。感覚的に、易老渡から易老岳までの上りがつらかったものだから、鞍部まで一気に下ることに抵抗もあり、かなり急な感じを持っていたが、実際に逆に歩くと、それほどでもないとは思っていたし、実際もそうであった。ただ、上り下りをジャブで試されているような部分が多すぎ、フィニッシュの上り部分になかなか至らない。意地悪なアップダウンだ。I男はよくがんばった。何度も休むように言っても無視された。だからといって、顔が強ばっているわけでもない。たまに流れる風がひんやりして気持ちいい。三吉ガレは相当に暑くなっていた。それでも20℃。
グループが通過。9人だ。ツアーのようで、しんがりはオニイさんタイプ。黙々と歩いていた。これで小屋泊まりは20人か。易老岳14時29分。小屋から2時間。途中、イザルヶ岳に寄ったりしたから、早かった。それをいいことに、携帯もつながったし、楽天にアクセスして、今夜の宿さがし。だが、画面はすぐに固まってしまった。ちょっと下って2,254m三角点。ここからの方が携帯電波の感度はいい。飯田駅前にツイン素泊まり8,000円を見つけて予約。ギトギトラーメンとビールを合わせても、一人7,500円をオーバーすることはないだろう。2人にメールが届く。セレブのK女は、これから、宇奈月温泉のホテルにチェックインだと。昨夜は一人一泊30,000円近い、マイカー移動付きで室堂のホテル立山に泊まったはずだ。もう饐えた臭いの汗ばんだ身体で安宿さがしをしている身が嘆かわしい。明日はケヤキ平だって。何だか別世界だね。
(子泣き爺がいた)
(こんなところに御料所三角点)
ここから急坂が続く。最初のうちは良かったが、やがて、心配していたように、I男の足の痛みは、ついに膝にきてしまった。笑った状態。限界点。ブレーキの効き具合もかなり悪くなっていて、急坂を走ってしまう。転んだりつまずく回数が多くなり、傍から見ていると、酔っぱらいの千鳥足。杖を持っているのだから、使うように促しても使おうともしない。それなら頻繁に休むしかない。16時23分、面平。よくもまぁ、こんなところを登ってきたものだ。ただ感心する。標高差は、聖岳の方があったが、疲労度はこちらがたっぷりとある。この下は九十九折れの急なところ。ゆっくりと行くように絶えず言ってはいるが、自然に早くなる。向かいの山に陽が隠れようとしている。ライト点灯かなあ。沢の音が高まる。もう少しだ。真下にやっと駐車場が見えた。そして、吊り橋も。I男を励ます。吊り橋を渡ったのは17時15分。流れ落ちる沢水をがぶ飲みし、顔を洗い、駐車場へ。I男に「何で、そんなに普通に歩いていられるんですか?」と聞かれた。仕方あるまい。年寄りは痛みも時差があり、翌々日に訪れる。17時20分帰着。I男はそのまま、車の前でひっくり返ってしまった。まだ明るい。今日は13時間か。
(ようやく吊り橋を渡った。まだ明るい。)
(そして、I男はとうとうダウンしていた)
駐車場では、オッサンが2人、談笑していた。明日、登るのだろう。戻った我々の姿は、しばらくは関心の外だったようだが、I男が元気を取り戻し、いざ出発となったら、つかつかとやって来て、いろいろと状況を聞きに来た。明朝登る方を相手に、当たり障りのないことを言うに越したことはないが、易老岳までの登りがしんどいということは話した。どうせ小屋泊まりだから、その先は惰性で歩いてもヘタることはないだろう。不思議なことを聞かれた。水はどれくらい持ちましたか?と。これまで、山を歩いていて、持参水の量を聞かれたのは初めてだ。「がんばってください」と言って、易老渡を後にした。
帰りの林道、陽は没したが、しばらくは明るさが残っていた。I男は宿のことを絶えず気にしていた。安宿だから、エレベーターがなかったらどうしよう。階段を上り下りする自信はないと。当初の予定どおりに、あれから便ヶ島まで行ってテントを張ったとして、最早、余力もなくなっていたI男はそのまま着替えもせずに車の中で寝たことだろう。今日のオレは、I男にとって、本当に無慈悲な鬼に見えたろうな。とんでもないリハビリをさせてしまった。下山後の彼の一言が響いた。「ボク、山小屋って、泊まってみたいなと思っていたんです。夜は外に出て、星空を眺めてビールを飲んでみたいし、朝はご来光を拝みたいなって」。オレはそんなロマンチストの夢を、見事に砕いてしまった。本当に悪かった。次回、セットするよ。しかしながら、2時間後、エレベーター付きの安宿でシャワーを浴び、ラーメン屋で生ビールを飲み、餃子とラーメンを食べたのには、それなりの幸せ感もあった。I男は9時には寝入ってしまった。かたやオレは、前夜に続いてなかなか寝つけなかった。
(イザルヶ岳山頂)
(イザルヶ岳から富士山)
(雲海)
(茶臼岳から上河内岳、聖岳、兎岳)
小屋のコーヒーはドリップでおいしかった。砂糖を入れて飲んだら、疲れも吹き飛んだ感じ。12時30分、下山にかかる。小屋のオバチャンは易老渡まで4~5時間で行けるよと言っていた。それぐらいで着けば、明るいうちだから御の字だ。しかし、管理人のオッサンが言っていたことも気にかかる。「南アルプスの山地図に書かれたコースタイムは、テント泊の人達のような、大荷物を背負って歩いている人に合わせた時間になっているから、かなり甘く書かれていますよ」。ということは、先日の聖岳も、今回の光岳も、オレ達は時間食いということか。だとすれば、下山の4~5時間も、オレ達の足だと、6時間は見ておいた方がいいかもということだ。日没まではぎりぎりのところだね。ライトを点けて下っているのでは様にならないし、登山口の吊り橋も、とうとう、行き帰り、暗がりで見ただけで終わるかも。間もなくイザルヶ岳分岐に着く。I男を待たせ、空身でイザルヶ岳を往復する。ハイ松の間を歩いて、あっという間に山頂。確かに360度。山頂は広く、茶臼岳、上河内岳もばっちり。20分程度で、さっさと下りてきたものだから、ベンチに寝そべっていたI男の顔はすこしばかり引きつっていた。各自の水を確認する。オレは2リットル持参で1リットルほどの残。I男は3リットル持参の1.5リットル。大丈夫だろう。イザルヶ岳の山名は、今でいう、差別用語から由来するような気がする。そうしてでも行けるのか、そうしてまでも行く価値のある山といったところだろうか。易老岳→イザルヶ岳→光岳という順番は、山名を追うだけでも、連なった意味があるような感じだ。それにしては、光岳の山頂は宗教的な臭いはまったくなかった。
(下る)
(しばらくはアップダウンジャブの応酬)
これから小屋に向かう方々と次々に行き会う。今日の小屋泊まりは今のところ11人。静高平からのガレの下り、I男は足が痛いと言いながらも、何とか下る。問題は、その先の易老岳までの上りだ。嫌らしいアップダウンが続く。感覚的に、易老渡から易老岳までの上りがつらかったものだから、鞍部まで一気に下ることに抵抗もあり、かなり急な感じを持っていたが、実際に逆に歩くと、それほどでもないとは思っていたし、実際もそうであった。ただ、上り下りをジャブで試されているような部分が多すぎ、フィニッシュの上り部分になかなか至らない。意地悪なアップダウンだ。I男はよくがんばった。何度も休むように言っても無視された。だからといって、顔が強ばっているわけでもない。たまに流れる風がひんやりして気持ちいい。三吉ガレは相当に暑くなっていた。それでも20℃。
グループが通過。9人だ。ツアーのようで、しんがりはオニイさんタイプ。黙々と歩いていた。これで小屋泊まりは20人か。易老岳14時29分。小屋から2時間。途中、イザルヶ岳に寄ったりしたから、早かった。それをいいことに、携帯もつながったし、楽天にアクセスして、今夜の宿さがし。だが、画面はすぐに固まってしまった。ちょっと下って2,254m三角点。ここからの方が携帯電波の感度はいい。飯田駅前にツイン素泊まり8,000円を見つけて予約。ギトギトラーメンとビールを合わせても、一人7,500円をオーバーすることはないだろう。2人にメールが届く。セレブのK女は、これから、宇奈月温泉のホテルにチェックインだと。昨夜は一人一泊30,000円近い、マイカー移動付きで室堂のホテル立山に泊まったはずだ。もう饐えた臭いの汗ばんだ身体で安宿さがしをしている身が嘆かわしい。明日はケヤキ平だって。何だか別世界だね。
(子泣き爺がいた)
(こんなところに御料所三角点)
ここから急坂が続く。最初のうちは良かったが、やがて、心配していたように、I男の足の痛みは、ついに膝にきてしまった。笑った状態。限界点。ブレーキの効き具合もかなり悪くなっていて、急坂を走ってしまう。転んだりつまずく回数が多くなり、傍から見ていると、酔っぱらいの千鳥足。杖を持っているのだから、使うように促しても使おうともしない。それなら頻繁に休むしかない。16時23分、面平。よくもまぁ、こんなところを登ってきたものだ。ただ感心する。標高差は、聖岳の方があったが、疲労度はこちらがたっぷりとある。この下は九十九折れの急なところ。ゆっくりと行くように絶えず言ってはいるが、自然に早くなる。向かいの山に陽が隠れようとしている。ライト点灯かなあ。沢の音が高まる。もう少しだ。真下にやっと駐車場が見えた。そして、吊り橋も。I男を励ます。吊り橋を渡ったのは17時15分。流れ落ちる沢水をがぶ飲みし、顔を洗い、駐車場へ。I男に「何で、そんなに普通に歩いていられるんですか?」と聞かれた。仕方あるまい。年寄りは痛みも時差があり、翌々日に訪れる。17時20分帰着。I男はそのまま、車の前でひっくり返ってしまった。まだ明るい。今日は13時間か。
(ようやく吊り橋を渡った。まだ明るい。)
(そして、I男はとうとうダウンしていた)
駐車場では、オッサンが2人、談笑していた。明日、登るのだろう。戻った我々の姿は、しばらくは関心の外だったようだが、I男が元気を取り戻し、いざ出発となったら、つかつかとやって来て、いろいろと状況を聞きに来た。明朝登る方を相手に、当たり障りのないことを言うに越したことはないが、易老岳までの登りがしんどいということは話した。どうせ小屋泊まりだから、その先は惰性で歩いてもヘタることはないだろう。不思議なことを聞かれた。水はどれくらい持ちましたか?と。これまで、山を歩いていて、持参水の量を聞かれたのは初めてだ。「がんばってください」と言って、易老渡を後にした。
帰りの林道、陽は没したが、しばらくは明るさが残っていた。I男は宿のことを絶えず気にしていた。安宿だから、エレベーターがなかったらどうしよう。階段を上り下りする自信はないと。当初の予定どおりに、あれから便ヶ島まで行ってテントを張ったとして、最早、余力もなくなっていたI男はそのまま着替えもせずに車の中で寝たことだろう。今日のオレは、I男にとって、本当に無慈悲な鬼に見えたろうな。とんでもないリハビリをさせてしまった。下山後の彼の一言が響いた。「ボク、山小屋って、泊まってみたいなと思っていたんです。夜は外に出て、星空を眺めてビールを飲んでみたいし、朝はご来光を拝みたいなって」。オレはそんなロマンチストの夢を、見事に砕いてしまった。本当に悪かった。次回、セットするよ。しかしながら、2時間後、エレベーター付きの安宿でシャワーを浴び、ラーメン屋で生ビールを飲み、餃子とラーメンを食べたのには、それなりの幸せ感もあった。I男は9時には寝入ってしまった。かたやオレは、前夜に続いてなかなか寝つけなかった。
南アルプスでは、戦いがあったのですね、読んでいても足が痛くなりそう。山頂から見える富士山が労を労ってくれるのがいいね。アップダウンは初心者の登山者にとって、一番嫌な事かな。何だか、目の前の宝を遠くに持っていかれるような感じになるのです。
光岳制覇、ご苦労様でした。
「お疲れさま」はそのまま倍にしてI男君に差し上げてください。
ところで、K女さんも、あんだけコストをかけて室堂に行かれ、星も見られなかったのでは目も当てられませんわな。
ようやく、雨女を返上ですね。よかった。よかった。
で、今度は3人でアップダウンを楽しみましょう。めぼしいきつい所を探しておきますよ。
日曜日の午前に布団でゴロゴロとは、海にも行けず状態になっていたりして。
実は、光岳小屋に泊まるんだったら、無理して茶臼小屋に行った方がいいかなとは思っていたんだ。易老岳から2時間で行けるし。眺望も期待出来そうだったしね。
今度、星ビールは茶臼小屋で飲むことにしようか。また、易老渡から登って。
光岳が、これほど美しいとは知りませんでした。
私は茶臼から縦走してようやく達したのですが、一日中雨で乳白色の世界に埋没しておりました。易老度から一日かけて駅まで歩くつもりが見ず知らずの人に拾っていただきました。それだけが救いの山でした。
ですから、今回の写真の数々は衝撃的でした。
光岳を見直しました。
疲れが昨日になってあらわれました。足の痛みはまったくないのですけど、昼からうつらうつらして、昨夜も9時に寝てしまいました。年ですね。
光岳は、私もまったく期待せずに出かけたのですが、予想を超えるいいところでした。山頂はまったく冴えませんが、周囲の風景、イザルヶ岳からの展望は最高でしたね。
ぶなじろうさんが行かれたのは、例のテント8泊の時ですか。今度、天気のいい日を選んで、改めて行ってみてくださいよ。
ご推察の通り光岳に行ったのは8泊9日の縦走の8日目です。
2日目塩見岳雨。高山裏雨。荒川・悪沢・赤石・聖晴れ。上河内・茶臼曇り。易老・光雨。でした。
光到着時はボロボロで、ただ、山旅が終わったという安堵感だけでした。光小屋近くのテン場は、内野グラウンドを一回り大きくしたぐらいの水溜りができていました。小屋に泊まらせてくれと言ったら、小屋番は「一等地を教えますから」と登山道から見える草原の高台に案内してくれました。テントを張り、転がっていると、横を通る登山者から非難の声が上がりました。「こんな所にテントを張るとは、フトドキ者である」と。おいらも、この日ばかりは小屋に泊まりたかったのです。悲しい最後の夜でした。
今回、前回(聖)の記事を拝読し、たそがれオヤジさんの基礎体力にはとても及ばないなぁと思いました。最早、光岳ははるか遠い山になってしまいました。もう一度行くことは、よもや無い事でしょう。
基礎体力とかいう便利な物も持ち合わせはありませんよ。荷物が重くなる山中泊は基本的に嫌いで、日帰り可能なところは、無理をするが信条で山を歩いているだけです。
かつてのこととはいえ、山で8泊なんざ、とても考えられない範疇外です。それこそ、ぶなじろうさんの強烈な基礎体力と忍耐力には及びませんよ。
光岳ではそんなことがあったのですか。ひどい話ですね。ネットで読んだことがありますが、あの小屋の管理人さんは、易老岳からの出発時間を聞いては、日帰りを奨励したり、茶臼小屋に行かせたりするらしいですね。