たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

聖と光のダブル狙い、結局、聖の日帰りに。

2010年07月24日 | アルプス系
◎2010年7月23日(金)

 日曜日が出勤になり、金曜日に夏期休暇を1日とって南アルプスに行くことにした。前日の木曜日は出先から直帰と称し、出先にすら立ち寄らずに、自宅にそのまま帰った。便ヶ島までは長い。何とか、その日のうちに着いておきたい。17時過ぎに家を出て、便ヶ島に着いた時には23時を回っていた。林道赤石線はすさまじく、道幅は狭く、落石だらけ。そして、崖から滝のように流れてくる水が道路を川の状態にしている。これが4~5か所。さらに、遠山川に沿った片側は、ガードレールこそあるものの数百メートルの断崖になっている。ガードレールすらない部分もある。対向車がやって来たら、待避するのが苦しくなる。一週間前の豪雨で、一時通行止めになっていたらしいが、今は解除されたということだった。こんな道路状態では、いつまた土砂崩れで通行止めになってもおかしくはない。上島トンネルから便ヶ島まではほぼ20kmあるようだが、その倍にも感じるほどの悪路だった。光岳の登山口にあたる易老渡の駐車場には8台、その先の便ヶ島には4台の車があるだけ。車の台数で判断する限り、聖岳は静岡側から、他の南アルプス南部の山の縦走の一環として登られ、光岳は単体での登山が多いのではないだろうか。

(便ヶ島の登山口)


 ほとんど寝られなかった状態で4時半に歩き出す。山間のため、まだ薄暗い。今日の荷物はかなり重い。ザックには、小屋泊まりながらも、予備も含めて、2回分の着替えやら、カップ焼酎、つまみが大量に入っている。しかし、反面、日帰りも想定している。予定では、聖岳のあとに茶臼小屋に向かい、翌日は光岳に登って下ることにしている。当然、易老渡から便ヶ島までは林道歩き。かなりハードな予定だが、茶臼小屋に泊まらない限り、翌日中に戻って来られないうえ、日曜日の出勤に支障が来す。のんびり出来れば、初日は聖平小屋、翌日は光岳小屋泊まりが無難であろうが、そんな、山小屋に2泊もして縦走する時間と金銭の余裕はない。第一、山小屋そのものが嫌いなことも確かである。あの、かつてのユースホステル的な感覚がどうも苦手。茶臼小屋に16時に着くことを前提にすれば、聖岳に登って、薊畑に正午前に戻っていないとまず無理。標準タイムでは、出発後9時間5分。4時半出発だと、1時間35分の短縮をしないといけない。その後は、20分短縮で無事、茶臼小屋16時到着。この程度なら、何とかなるかもしれない。これはあくまでも机上の計画である。つまるところ、12時前に、薊畑に戻っていなければ、日帰りで戻ることにするつもりでいる。聖平小屋に泊まって、冷たいビールを飲み、翌日、下山のみではあまり意味がない。光岳に行かれなければ、上河内岳のみに登ったとしても、たいした感慨もわかないだろう。

(渡し籠)


 登山道はしばらく平坦な道が続く。ここも林道の延長で悪路。あちこちで土砂崩れになっている。トンネルをくぐり、例の渡し籠に着く。川は増水し、橋は撤去している。この籠を利用するしかない。運悪く、籠は対岸にある。まず引き寄せ、乗って、対岸に渡る。籠の動きはのろく、渡るだけで、貴重な時間を10分ほどつぶした。計算外。それだけでなく、かなり、腕の力が必要だった。体力も若干消耗。「薄気味悪い」と形容される造林小屋。どこが気持ち悪くなるのか、廃れた小屋は、どこもこんなものだろう。意外と大きい小屋だったのに驚いた。一升瓶が散乱している。昔は、こういった林業小屋で過ごすようになると、やることもなく、結局、いい加減な食事と酒だけになってしまう。自分の祖父も若い頃に営林署の林業小屋暮らしが続き、結局、肝臓をだめにしてしまった。一升瓶を見て、つい思い出した。ここから先、1,200mを手始めに、200m単位で標高の標示板が木に打たれている。薊畑は2,400mくらいか。まだまだ先。この林間の尾根は、陽が直射せず、風通しも良くて、歩きやすい。ただ、ここも荒れている。倒木だけではなく、伐採した木をそのまま放り出しているから、倒れた木だらけである。気温は20℃。次第に急になる。

(1,600mの標示板)


 1,400mあたりから、身体が重く感じられるようになった。荷物のせいもあろうか。汗が吹き出し、昨夜、虻に刺された尻の3か所が無性にかゆくなった。ここで単独に抜かれる。出がけに、準備していた方だ。軽快な足取り。荷物も少ない。そして、上から、元気のいい感じのオバチャン1人。立ち話をする。渡し籠のことが心配のようだ。何でも、籠には乗りたくなく、橋を渡りたいけどとのこと。状況を話したら、うんざり顔になった。聖光小屋からタクシーを呼んでもらうとのこと。送迎料含めて、何万もかかるんじゃないの。「私、トリクラ林道から入ったから」と言っていたが、その時はぴんと来なかったが、後で調べると、三伏峠の鳥倉林道のことだろう。塩見岳まで行ったかは知らないが、すごい縦走をして来たんだね。驚いた。その割には、荷物も日帰りの小振りだった。足取りがどんどん重くなる。

(苔平?)


 尾根が急になり、しきりに休んでは水分補給。地図に記された「大木の広場」や「苔平」は、標示がなくて(気付かなかっただけかも)どこか分からなかった。イメージから想定しただけだが、倒木に苔がびっしりとからみついた風景はいいね。2,200mで休んでいると、また抜かれる。話好きな単独。岐阜の方。仕事の関係で、岐阜の人を数人知っているが、いずれも例外なく、話好きである。この方、自分と同じに、茶臼小屋に泊まって明日は光岳だそうだ。6時に出たと聞いた瞬間、もう、光岳はあきらめかと思った。この時点で、1時間半の差をつけられている。こちらは、4時半に出たとは言いづらくなり、つい5時とウソを言ってしまった。茶臼小屋で会いましょうなんて言われたが、これでは、聖岳で出会うこともないだろうな。この方も、荷物は軽そうだった。自分みたいに、小屋泊まりといえ、着替えと酒、つまみをしこたま持って歩くのはやはり愚かな山歩きかもしれない。ここまで出会ったご3方とも、ザックの大きさは30~40リットル程度で、自分のは55リットルだ。

(樹林帯を抜けて光岳?)

(薊畑)

(聖岳に向かう)


 薊畑が近づき、視界も広がる。光岳らしき山が右手後方に見える。果たして、明日、あそこまで行けるだろうか。薊畑9時ちょうど。ここまで4時間30分かかった。コースタイムは5時間15分だから、45分の短縮でしかすぎない。机上短縮予定の1時間35分にはほど遠い。ここからは、日照りの中を聖岳まで歩く。12時までにここに戻るのは不可能に近いし、ここから先の時間短縮は望めない。あの林間歩きが勝負だった。この時点で、茶臼小屋は8割方あきらめた。正面に大きく居座る上河内岳に続く道を、今日登って行くのは無理だろう。何だか、この前の、荷鞍山を前にしてUターンした気分と同じだねぇ。5分休憩。

(聖岳)

(上河内岳)

(小聖岳から)



 山のお客さんが増えてくる。昨日、聖平小屋に泊まったらしい方々が、聖岳から下りて来ている。薊畑というくらいだから、アザミがかなり咲いているのかなと思ったが、フキの群生みたいなものはあるものの、アザミの花は見あたらない。数本、つぼみを持ったのがあったが、どうもアザミには見えない。詳しい方なら、これは何々だと返答がかえってはくるだろう。風があって涼しい。ただ、相変わらず、足取りは重く、休みがち。汗はぐっしょりで、のども乾く。水は3リットル持参してきていたが、すでに1リットルと少し空けている。小聖岳9時55分。ここからがつらい。正面に聖岳がある。標高差は350mくらいだが、急で、石ころだらけで、道もくねくねしている。何度も立ち止まっては休む。どんどん下りて来る。こっちは上りだから、気を遣って待機している。これがつらい。一気に登らなくてはならず、息が上がる。やがて、林間で最初に追い抜いて行った方が下りてきた。さして、離されなかったようだ。奥聖岳往復を追加しているとしたら、見上げたものだが、茶臼小屋に泊まる方が奥聖岳往復はしないのではないかな(この方とは会話を交えなかったが、てっきり、この方も茶臼小屋往復と思っている)。続いて、あと標高20m程度のところで、岐阜の方が下って来た。ヘルメットをかぶっていた。沢もやる方なのだろうか。岐阜に住んでいるから北アルプスばかり歩いていて、南は初めてとは言っていた。それなりに、経験豊富なのだろう。どうするのか聞かれた。日帰りに変更しますよと答えた。彼氏、やはり、奥聖岳には行かなかったそうだ。肩が痛いとこぼしていたが、初対面の2回目の会話にしては、気安く自分のことを言っている。それに話を合わせて、「いゃー、私も、さっきから、虻に刺されたケツがかゆくて、かゆくて、たまらんですよ」とは、気安く言えない。岐阜の地域性(特異性?)もあるのかな。上河内岳に続く尾根を見ながら、あれがネックになりそうだねと心配していたが、難なく、茶臼小屋まで行けたろう。

(聖岳山頂)

(奥聖岳)

(赤石岳。後ろに荒川岳)


 聖岳(正確には前聖岳)到着11時10分。薊畑から2時間5分。15分の短縮だが、光岳をあきらめた今となっては、時間を気にすることもなくなった。3,000m越えの山は久しぶりだ。一昨年の乗鞍以来か。しばらく大の字になって休憩。山頂には3人しかいない。真ん前の赤石岳は立派だ。右側にちらりと荒川岳が覗いているが、赤石岳と重なっている。奥聖岳まで行けば、姿を確認できるだろうが、やめて奥(聖)だね。ここに来て、周りの山々の名前が分からないのはつまらない。地図を広げて、一つ一つ確認するが、遠望する山の名前が分からない。展望盤があった。文字が見づらくて、目をこらして読むと、ただ、北アルプスと記されているだけ。昼食をとり、下山にかかる。ちょうど、下からガスがわき出し、辺りが一瞬真っ白になったが、すぐに晴れた。山頂には20分ほどいた。

(小聖岳に向かう)



 下りは、石ころだらけがくねくねで歩きづらい。それでも、何人か追い越した。若い女性の一人歩き。振り返ったその顔は、会社の受付嬢といった感じ。一人歩きは危ないねぇ。オバサンの単独行とは大違いなんだから。虎視眈々と機会を狙っているのが、自分の山歩き仲間にもいる。今回、木にも声をかけたが、返事がないまま、便ヶ島に向かっている最中に返信が届いた。1日ずらして欲しいということだった。最早遅い。薊畑12時40分。もうためらいはない。今の自分には、小屋泊まりにしても、せいぜい聖平小屋だ。そんなことを考えていたら、無性に冷たいビールが飲みたくなった。聖平小屋には売っているだろう。ここから小屋往復50分か。行けない寄り道でもない。悩んだ。そして我慢した。最低2本飲んで、気分良くなって、そのまま泊まってしまう可能性がある。夜までの長い時を過ごすための文庫本まで用意してきていたから、時間つぶしの材料はあった。ビールを飲んでその気になってしまえば、明日は一日ふいになる。

(2,314.1mの三角点)

(倒木だらけ)


 元来た樹林の尾根を下る。意外と、登って来る人がいる。上りで見逃した2,314.1mの三角点は道からちょっと逸れたところにあった。だれも気にも留めないだろうな。しんどい下りだ。いかに長い上りだったかだ。ここも、200m単位の標識を見つけては休んだ。前回の尾瀬で靴はダメになり、ようやく新調した靴は、まったく以前と同じ靴ながらまだ馴染めず、もう足小指に靴づれの水ぶくれが出来てしまっている。何度も休みながら下らないと、足がいかれてしまう。ただ、本当に退屈な下り。ここで、おもしろい光景を目にしてしまった。2,000mの少し先で、7~8人のグループが休んでいる。その群れから1人の女性が離れて行った。用足しであることは間違いなく、やがて、太い倒木の陰に隠れて、ズボンを下ろしてしゃがんだ。それが、自分が下っている上からは丸見えだった。こちらは、林の中は鈴を鳴らしているから、気付かなかったのだろうか。意外と、こういう用足しの時、周囲は見渡すものだが、上に気を向けることはあまりない。自分でも見られているとは思いもせず、すっきりして群れに戻るのだろう。まさか、上からは見えましたから、注意した方がいいですよとも言えない。

(かつら沢橋)

(トンネル)


 1,400mで最後の休憩とし、1,200mを無視して通過。だが、身体が、200m毎に休むようになってしまっていたのか、休憩を要求。造林小屋の手前で休む。籠はまた対岸にあった。最後の利用があのグループだとすれば、籠はこちら側にないといけない。対岸にあるということは、自分の前にだれかが歩いていたということだろう。ここでまた引っ張って返す10分のロス。対岸に渡り、川に降り、水をがぶ飲みした。まだ1リットル残っていたが、ぬるくて飲む気にならず、ここまで我慢していた。登山道は修復工事中。石ころを小型のブルと軽トラで除去していた。駐車場に着いたのは15時50分。時間のことばかり記していたから敢えて記せば、薊畑から3時間ちょうど。コースタイムは3時間35分。別に下りに強いということはないが、どうせ帰るだけだからと、余力をすべて費やした結果だろう。概して、今日の歩きは、コースタイムに比べ、かなり厳しいものだった。記載されたコースタイムそのものが、他の山に比べて短めに記されているのかどうかは知らない。今日の自分の体力状況ではきつく感じただけだ。ただ、コースタイムよりも早いペースで歩けると思い込み、それで計画を立てて失敗したいい例になった。

(駐車場に到着)


 駐車場には車が6台。登って来た人に比べて、少ないような気がする。タクシー利用だろうか。着替えをする。汗をたっぷり含み、車にこのままでは座れない。だれもいないのをいいことに下着まで外で取り替えた。また虻に襲われる。3か所。尻の虻跡は、もう掻き過ぎでジクジク状態。修復まで時間がかかるなぁ。帰り道、易老渡の駐車場には10台以上あった。やはり、こちらが人気のようだ。というよりも、光岳は他の山と連携して歩くには時間がかかり過ぎるといったことがあるのか。南アルプスの縦走に光岳を加えれば、普通、往復2日は余計にかかる。だから、光岳のみの歩きになるということもあるのだろう。林道の下り、対向車が来ないか絶えず気になりながら、むしろ、前を走る車がいれば幸いだなと思ったりしたが、最後まで車の姿は見かけなかった。

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6 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2010-07-24 21:37:13
今晩は。
すごいコースですよ。
おいらの持っている登山地図によると、本コースの往復時間は15時間10分です。4時30出発なら19時40分帰着。従って3時間50分の短縮ですよ!おいらには、とても真似はできないし、発想できない計画です。
30代半ば、テントで8泊9日を要し塩見から光まで縦走しました。兎岳から聖岳間で、徹底的にバテました。以来、南ア南部に足を運ぶことはなくなったのです。記憶も遠ざかりつつあります。久しぶりに聖や赤石の頂を見て、苦しかったことだけが思い出されましたです。
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二人ともすごい! (Yossy)
2010-07-24 22:15:29
たそがれさんが軽く歩いたように書いてあるので、行けるかなと思ってしまうと大変みたいですね。走って登っているのかなと計算しそう。ぶなさんも、8泊9日、山を歩き続けたのですか。すごいですね、戻って来て普通の生活に戻れたのかなと思ってしまいました。
最大の敵は蚊だったとはね。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2010-07-25 07:09:06
こんにちは。
ぶなじろうさん、それは計算違いでしょう。昭文社版では12時間40分ですよ。たかだか1時間20分の短縮です。スピードアップしているとは思えないし。
私は、南ア南部は初めてでした。塩見岳から南は未知でしたが、そんなにクセになりそうな感じはしませんね。一つずつの山がでか過ぎますよ。
かつてのこととはいえ、テント8泊というのは信じがたいですよ。私なら、せいぜい2泊ですね。
赤石岳の西側鞍部に百間洞山の家が見えましたけど、あそこのトンカツは名物のようですね。せめてそれだけは食べてみたいと思っていますが。
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Yossyさん (たそがれオヤジ)
2010-07-25 07:15:09
こんにちは。引き続きありがとうございます。
実は蚊(か)ではなく虻(あぶ)なんですよ。昨夜、風呂で確認しましたが、尻は8か所やられていました。豪雨の影響で、聖光小屋のトイレが断水で使えず、やむなくアウトドアしてしまった結果です。
山の蚊や虻は、里のそれらよりも凶暴ですね。まっ、山では最低限の尻出しにしておきましょう。
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Unknown (俺だ)
2010-07-27 18:48:05
便ヶ島まで入れてよかったな。あそこの林道はいつ通行止めになるかわからない。雷雨でもあって、土砂崩れで通行止めなんてことになると、車を置いて椹島まで引き返して帰宅、ということもあるだろうな。次は三伏峠から荒川三山、赤石岳、聖、茶臼、光岳までのテント縦走だな。前日に、それぞれの登下山口に車を置いて行くなら、帰りが楽だが、計画してみるか?前日夜発山中3泊4日。やはり無理かなぁ。
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俺ださんへ (たそがれオヤジ)
2010-07-28 08:43:20
まずその計画は無理と言った方がいいでしょう。
最低でも1日足りない。
全部セットにするから無理が出てくる。光岳だけはセットから外して計画立てた方が無難。前後2回、足を運ぶのが無理なら、もう1泊追加ということ。ただ、それでも予備日がないと思う。あの林道が通行止めにでもなっていたら、帰るに帰れない。
再考だね。
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