◎2009年7月18日(土)―木と
前日はテント泊の予定でいたが、清里あたりを通っていたら、木がビジネスホテルにでも泊まらないか?と言い出した。天気がしっくりせず、夜は雨の可能性もある。取りあえず、韮崎で目にしたルートインに行って見たら、シングルが1つしか空いていない。2人で泊まれないか?と聞いたが、当然ダメ。うろうろしているうちに、駅の近くで「ビジネス旅館美よし」の看板を見つけた。ガラガラ。ツインで7,000円だった。この地でこの価格は高いのか安いのか知らないが、宿をさっさと決めて今日は早く寝ないといけない。焼き鳥屋でビール1本、イモ焼酎1本。その後は幸楽で中華ソバ。木は大盛り。宿に戻り、寝たのは10時前。
3時に起こされる。木は携帯目覚ましを3時にセットしていた。頭が痛い。せめてあと30分は寝ていたいが、4時前に出る。コンビニを経由し、登山口の駐車場に着いたのは4時半。まだ薄暗い。車は10台。7~8人がうろうろしていた。登山口の標高は770m。そして甲斐駒ヶ岳は2,967m。ざっと標高差2,200mを日帰りで往復する予定。昭文社版の標準タイムは上り9時間30分、下り5時間40分、計15時間10分と、なかなかのハードコース。日帰りにしないといけない理由がある。木は明日、村の祭りに朝から出ないといけないのだそうだ。だったら、別の山でも良かったのだが、木にとって、黒戸尾根は憧憬のルートだったらしく、前々から誘われていたのをごまかして断っていた経緯がある。酔って、黒戸尾根に行かないかとメールしたら、本気になられてしまい、ちょっとやばいなと思いながらも、他の山の日帰りコースをいくつか提案したのだが、最後まで甲斐駒・黒戸尾根に固執されてしまった。今日のオレはヤツの付き添いみたいなものだ。
さて、4時40分に出発したのはいいが、神社の手前に「日向山登山口」という表示を見た途端、木が、「こっちじゃないんじゃないのか」と、また駐車場にUターン。確かに、地図にはこの登山口から日向山へのルートは記されていない。後ろから来たオッサンが2人、怪訝な顔をしていたので、「いきなり間違ったみたい」と言うと、2人も同じようにくっついて、戻りはじめた。ところが、駐車場に戻っても、他に行き道は無い。学生グループに聞くと、「こっちでいいんじゃないですか」と、戻った道に向かって歩き出した。学生グループの後に付く形になった。結局、あの表示の先にはすぐに駒ヶ岳神社があり、脇には吊り橋があった。橋を渡ったのが5時ちょうど。
学生5人の後を、我々2人、そして、さっきのオッサン2人(2人はそれぞれ単独)が続く。我々以外はテント泊のようだ。だらだらクネクネの樹林の中の道が続く。やがて、後ろの2人は見えなくなった。学生グループが決して早いわけではない。スローペースで、正直のところ、オレはいらいらしていた。先を行く木に何度か先に行くように促したが、何を気にしているのか、さっさと追い越しにかからない。どうも、その中の女学生3人の歩きをじっくりと観察している。目を上ばかり向けている。シンガリの男学生が「先にどうぞ」と言ってくれても、木は「いやぁ中々いいペースで歩いているから、しばらく付かせてくださいよ」なんて答える始末。学生の口数が少なくなり、休憩に入る。これを潮に追い越す。木は未練がましい顔をしていた。やはり、何を考えていたのか、女学生1人、1人の感想を言い出した。山に来てまで何を考えているのやら。
木の歩きはゆっくりしている。「これじゃ、日帰りは無理じゃないのか」と言ったが、動ずる気配はない。今日は、同伴に徹するつもりでいたから、これ以上は言わないことにする。おかげで、つらい登りを覚悟していたが、拍子抜けの感じで「身体にやさしい黒戸尾根」といった印象がずっと続くことになる。ちなみに、木はWストック。あんなに杖持ち歩きを批判していたのが、いつの間にやら杖を擁護している。オレも用心で1本持ちはしたが、これが、後で邪魔な存在でしかなくなってしまう。
天気はグズついている。ガスが濃い。時々、雨がパラパラ。樹林の中は薄暗く感じる。6時59分、横手駒ヶ岳神社との合流点。ここから笹の平。ここまで2時間かかったが、コースタイムよりは30分ほど早い。携帯がつながる。山頂の天気をネットで調べると、曇りまたは雨。風速15m。体感温度もグンと下がり、何も見えないだろうな。石碑、石像を見かけるようになる。享和年間のものがあった。甲斐駒は古くからの山岳信仰の山なんだね。黒戸尾根は江戸期以来の信仰ルートか。そういえば、このルート、19年前に皇太子御用達だったと、駐車場に記念碑が掲げられていた。七丈小屋にお泊まり遊ばし、翌日は長衛小屋だったそうな。しばらく歩く。腹具合がどうも良くない。木が用足しに行き、帰ったところでオレも行く。都合、前後2回。腹にパンやオニギリを入れ、水を飲むと、用足し直行となる。昨日のイモ焼酎かな。そんなことで時間を費やしていたら、初見の2人に抜かれてしまった。この中の青年1人がずっと前後して歩くことになった。七丈小屋でテント泊だそうだ。新調の靴の具合が悪いとこぼしていた。もう1人のオッサンは、我々と同類のようで、荷物が軽い。その後2人組に抜かれる。
刃渡りにさしかかったのが8時39分。南面がスパッと切れている。ヤセ尾根だから、恐い。天気が良ければ、眺望も良くなり、恐怖心もさらに増すだろうが、ガスの中だから、日向山以外、何も見えない。だけど恐い。木はWストックでどうするのかなと思っていたが、意外と器用に2本杖を捌いている。ザックに収めるわけでもない。これが、後続のオレには邪魔になる。後ろに長く伸ばすから、これが頭にあたったり、踏みそうになったりする。距離を離していないとこっちが危ない。えらい小荷物の青年が急ぎ足で追い越して行った。ランニングか。そういえば、最近のブログで、神社から2時間45分で山頂というのを読んだ。ランニング。まぁ、この世界のことは何とも申す立場にはない。いろいろな山の楽しみ方があるのだから。9時、刀利天狗。ここの標高は2,049m。もう標高差1,300mを登ったことになる。小さな神社とずらりと並んだ石碑、石像。黒戸は正確には黒砥と書くのだろう。碑に刻まれている。さっきの青年がうろうろしている。「登山道はどっちですかね?」と聞かれた。大分疲れている気配だ。テント泊だとこうなる。ここまで4時間。コースタイムよりも30分早いが、分岐でも30分早かったから、ペースが落ちてきているということだ。ガスと霧雨が続いている。果たしてどこまで行けるのやら。この時点で、山頂往復の日帰りはあきらめざるを得ない。コースタイムを無視し、日没までに戻ることを考慮すれば、下りに5時間費やすとして、休憩時間を含め、山頂下山を遅くとも1時半に設定しないといけない。このペースで、あと4時間で山頂に着くのは無理な相談。コースタイムですら、ここから5時間かかる。今のペースダウンの状況と、取りすぎの感のある休憩時間を考えれば、6時間はみるべきだろう。また、刀利天狗の前で、下山のオッサン2人と行き交った。彼らは、小屋泊まりだったらしいが、起きたらガスで何も見えず、しばらく様子を見ていたが、晴れる気配も無かったので、山頂はあきらめて下山することにしたそうだ。
とうとう、ザックカバーを付ける。合羽だけはやめた。ここで問題。オレのザックの脇には杖を括り付けているのだが、カバーを付けると、杖がじゃまになる。となると、外して持つしかない。刀のように、腰に結わえればいいのだろうけど、今日はベルトをしていない。苦肉の策で木からカラビナを借りて、カバーの外側に垂らしてザックのベルトで押さえたが、かなりじゃまくさいことは確か。だからといって、これから続く岩場を杖を持って登るのは嫌な話だ。ザックに入らない以上、サイド固定で我慢するしかない。ハシゴ場の上りがぎこちなくなってしまった。
100m程下って、5合目小屋跡。9時43分。霧雨が眼鏡にかかる。この下り、帰りにはかなり負担の登りになるだろうな。眼前に花札の「松」みたいな峰がある。まさか、あれを登るんじゃないだろうなと思っていたら、まさにそうだった。急なハシゴが続く。本当に、ここ、皇族がお登り遊ばしたのかね。片側が切れているから、かなり危険だよ。地元の山岳会のスタッフは、さっきの刃渡りを含め、皇族が転落した際、どんな受けをするような態勢になっていたのか、すこぶる興味がある。まさか人柱ではあるまい。この写真は、5合目跡から仰ぎ見た「松」の山。下ると鞍部があり、上りのハシゴの側には、また石像群、石碑群。そして複数の鉄の剣。これを一つ、持ち帰って、桐生の山にでも奉納しようかと、冗談で持ってみたが、かなりの重さ。持ち上がらない。石も剣も、往時の人々はどうやって運んだのだろうか。そして、地蔵背負いで苦労して運んで、相応の御利益をさずかったのだろうか。
急なハシゴの連続が終わり、ほっとしたら、同じような「松」の山がもう一つ前にあった。何とか第二段階を切り抜け、樹林帯の急登に入る。ランニングが下りてきた。山頂まで行ったのかどうかは聞かなかった。あの青年がもうくたびれ状態で休んでいる。上からオッサンが降りて来る。青年といっしょに抜かれたオッサンだ。木が「もう、山頂往復しちゃったんですか?」と聞いたら、七丈小屋でUターンだそうだ。やはりな。日帰りなら賢明な選択だね。「小屋はすぐそこですよ」と言っていたが、概して、下って来る人に尋ねると、「すぐそこだ」と言うものだ。しかし、本当にすぐに着いた。10時48分。標準タイムでは、登山口から7時間。して、我々の6時間は多少のペース挽回ということか。しかし、ガスがかなり濃くなり、時たま落ちる雨の粒も大きくなった。遅れて登って来た青年に、「どうすんの?」と聞いたら、かなり迷っていた。ネットで確認すると、明日も、山頂の天候の回復は見込めない。むしろ、さらに悪くなるかも。
気温は11℃。汲み上げたらしい水はおいしい。小屋の周辺にはだれもいない。抜かれた連中も、結局は、重荷のため、我々よりも遅くなってしまっている。ここから鳳凰三山が正面に大きく見えるらしいが、何も見えない。キャンプ場まで行ってみた。1張。夫婦らしいのが、山頂に向かう。見るからに健脚。山頂往復か。オレ達には無理だな。ここからコースタイムで2時間半、ここの標高は2,355mだから、山頂までの標高差は600m。行けなくもない時間配分かもしれないが、トムラウシ山の例もあるから、止めた方が無難だろうと、都合のいい最終判断をした。オレと木の間には、早月尾根日帰り山頂往復の一種のトラウマがある。5時前に出て、下山時に降り出した雨の中、駐車場に着いたのは8時少し前だった。あの時、ヘッデンを点け、フラフラ状態での下山だった。あれの繰り返しだけは避けたい。
テント場から11時15分に下る。七丈小屋の前には7~8人、軒下で待機している。皆んな、困った顔をしている。青年が座り込んでパンを食べていた。どうするのか気になったが、「思案中」だそうだ。疲れた、疲れたを連発していたから、下山するにしても、体力を気にしているのではないだろうか。人がだんだん多くなって来た。ほとんどがテントか小屋自炊。登山口には、運搬上の問題で、食事の提供が出来ないと記されていた。下りの途中で、40人くらいと出会ったろうか。さすが、5合目小屋跡までの下りはしんどい。出がけのオッサン2人、大学生グループとも行き合った。女の子は1人を除いて元気だが、残りの3人は参っている。登りの人が増えてきているから、待ち時間が多くなった。
5合目小屋跡12時。雨は本格的になった。ここからは樹林帯だから、合羽は着ないことにする。合羽を着れば、うっとうしいし、眼鏡も曇る。100mの上り。帰りが大変かなと思っていたが、それ程もなく、平坦地に着いた。刀利天狗12時47分。刃渡りで休憩。若い女性の一人歩き。テント。結構、健脚だなと感心したが、木はそういう感覚で見ている様子はなかった。別な見方の講評を述べる。そして、また、大学生グループの女の子の話題を言い出した。ヤツの子供は3人とも男だから、そういうのが平気だが、こっちは、そうじゃないから、その感覚が理解できない。むしろ、不謹慎とすら思う。
長い下りが延々と続く。次のポイントは横手神社の分岐だが、なかなか着かない。かなり飽きてきている。上り時には、ゆっくりと歩いていたから感じなかったが、結構、急な尾根。身体にやさしい尾根どころではなかった。まだまだ、登って来る人に出会う。ほとんどがテント。休んでいるグループのオバサンに声をかけられる。「ここから先はエライ?」。何のことを言っているのか、しばらくは分からなかった。「ここから先はえらくきつい?」ということだとは思ったが、いったい、どこの言葉使いだろうか。分岐14時17分。これで最後だろうと思われるカップルが上がってきた。ここから七丈小屋まで4時間かかっている。状況を聞かれ、「小屋到着は7時近くになるんじゃないの?」と答えたが、2人ともに、驚きあきれた顔をしていた。「5合目小屋跡でテントを張ったら?ただ、水は無いよ」とアドバイスしたら、それだけで落胆の顔をしていた。いったいどうなったのやら。失礼な話かもしれないが、出足の遅い方はわがまま登山の方が多いようだ。このカップルの少し前、木が登ってきたオバサン2人組のスローペースにあきれて、ついこう聞いた。「この時間に、ここにいて、いったい、どこに泊まんですか?」と聞いた。そしたら、オバサンは平然と「七丈小屋で自炊ですよ」。それはそれでいいだろう。自己責任で登っているのだから。ただ、いい年をして、小屋番を含め、周りの宿泊客に迷惑がかかること程度のことは理解できないのだろうか。当初、ここの尾根を歩いている人は、他の山に比べて、マナーをわきまえた方が多いなと感心していたが、後半はそうじゃない方もいるんだなと思うようになった。前をオッサン2人組が下っている。今日は見ていない顔だから、早々にリタイヤしたのか。この時間、当たり前の選択だと思う。
急坂に感じるようになっていた道が相変わらず続く。歩くのも飽きてきた。神蛇滝分岐でしばらく休んだ。2人ともぼーっとしていた。足が痛いというよりもだるい。カップルが滝の方から下りて来た。吊り橋に着いたのは15時40分。観光客が水辺で遊んでいる。雨は上がっているが、どんよりしている。そして駐車場15時46分。上り6時間、下り4時間半。標高差1,585mという結果だった。
山好きそうなオッサンに声をかけられる。どこに行ったのかと聞かれたから、甲斐駒と答えたら、すごいですねと言われた。調子にのって、日帰り往復13時間と付け足した。だが、後で考えてみると、13時間かかるとしたら、3時に歩き出したことになる。さばを読み過ぎた。帰りは小淵沢の延命の湯に立ち寄り。甲斐駒どころか八ヶ岳も上は見えない。不思議に富士山だけは大きく見える。次回は七丈小屋に泊まって、北沢峠に下りたいものだが、車では無理か。あの尾根、上りはともかく、下りでは使いたくない。小屋に泊まっていたら、一日おいて下りもきつく感じなかったかもしれない。日帰りだったから余計にきつく感じたのだろう。ともかく、しばらくはいい。木には、今度はオマエ1人で行けよとつい言ってしまった。
前日はテント泊の予定でいたが、清里あたりを通っていたら、木がビジネスホテルにでも泊まらないか?と言い出した。天気がしっくりせず、夜は雨の可能性もある。取りあえず、韮崎で目にしたルートインに行って見たら、シングルが1つしか空いていない。2人で泊まれないか?と聞いたが、当然ダメ。うろうろしているうちに、駅の近くで「ビジネス旅館美よし」の看板を見つけた。ガラガラ。ツインで7,000円だった。この地でこの価格は高いのか安いのか知らないが、宿をさっさと決めて今日は早く寝ないといけない。焼き鳥屋でビール1本、イモ焼酎1本。その後は幸楽で中華ソバ。木は大盛り。宿に戻り、寝たのは10時前。
3時に起こされる。木は携帯目覚ましを3時にセットしていた。頭が痛い。せめてあと30分は寝ていたいが、4時前に出る。コンビニを経由し、登山口の駐車場に着いたのは4時半。まだ薄暗い。車は10台。7~8人がうろうろしていた。登山口の標高は770m。そして甲斐駒ヶ岳は2,967m。ざっと標高差2,200mを日帰りで往復する予定。昭文社版の標準タイムは上り9時間30分、下り5時間40分、計15時間10分と、なかなかのハードコース。日帰りにしないといけない理由がある。木は明日、村の祭りに朝から出ないといけないのだそうだ。だったら、別の山でも良かったのだが、木にとって、黒戸尾根は憧憬のルートだったらしく、前々から誘われていたのをごまかして断っていた経緯がある。酔って、黒戸尾根に行かないかとメールしたら、本気になられてしまい、ちょっとやばいなと思いながらも、他の山の日帰りコースをいくつか提案したのだが、最後まで甲斐駒・黒戸尾根に固執されてしまった。今日のオレはヤツの付き添いみたいなものだ。
さて、4時40分に出発したのはいいが、神社の手前に「日向山登山口」という表示を見た途端、木が、「こっちじゃないんじゃないのか」と、また駐車場にUターン。確かに、地図にはこの登山口から日向山へのルートは記されていない。後ろから来たオッサンが2人、怪訝な顔をしていたので、「いきなり間違ったみたい」と言うと、2人も同じようにくっついて、戻りはじめた。ところが、駐車場に戻っても、他に行き道は無い。学生グループに聞くと、「こっちでいいんじゃないですか」と、戻った道に向かって歩き出した。学生グループの後に付く形になった。結局、あの表示の先にはすぐに駒ヶ岳神社があり、脇には吊り橋があった。橋を渡ったのが5時ちょうど。
学生5人の後を、我々2人、そして、さっきのオッサン2人(2人はそれぞれ単独)が続く。我々以外はテント泊のようだ。だらだらクネクネの樹林の中の道が続く。やがて、後ろの2人は見えなくなった。学生グループが決して早いわけではない。スローペースで、正直のところ、オレはいらいらしていた。先を行く木に何度か先に行くように促したが、何を気にしているのか、さっさと追い越しにかからない。どうも、その中の女学生3人の歩きをじっくりと観察している。目を上ばかり向けている。シンガリの男学生が「先にどうぞ」と言ってくれても、木は「いやぁ中々いいペースで歩いているから、しばらく付かせてくださいよ」なんて答える始末。学生の口数が少なくなり、休憩に入る。これを潮に追い越す。木は未練がましい顔をしていた。やはり、何を考えていたのか、女学生1人、1人の感想を言い出した。山に来てまで何を考えているのやら。
木の歩きはゆっくりしている。「これじゃ、日帰りは無理じゃないのか」と言ったが、動ずる気配はない。今日は、同伴に徹するつもりでいたから、これ以上は言わないことにする。おかげで、つらい登りを覚悟していたが、拍子抜けの感じで「身体にやさしい黒戸尾根」といった印象がずっと続くことになる。ちなみに、木はWストック。あんなに杖持ち歩きを批判していたのが、いつの間にやら杖を擁護している。オレも用心で1本持ちはしたが、これが、後で邪魔な存在でしかなくなってしまう。
天気はグズついている。ガスが濃い。時々、雨がパラパラ。樹林の中は薄暗く感じる。6時59分、横手駒ヶ岳神社との合流点。ここから笹の平。ここまで2時間かかったが、コースタイムよりは30分ほど早い。携帯がつながる。山頂の天気をネットで調べると、曇りまたは雨。風速15m。体感温度もグンと下がり、何も見えないだろうな。石碑、石像を見かけるようになる。享和年間のものがあった。甲斐駒は古くからの山岳信仰の山なんだね。黒戸尾根は江戸期以来の信仰ルートか。そういえば、このルート、19年前に皇太子御用達だったと、駐車場に記念碑が掲げられていた。七丈小屋にお泊まり遊ばし、翌日は長衛小屋だったそうな。しばらく歩く。腹具合がどうも良くない。木が用足しに行き、帰ったところでオレも行く。都合、前後2回。腹にパンやオニギリを入れ、水を飲むと、用足し直行となる。昨日のイモ焼酎かな。そんなことで時間を費やしていたら、初見の2人に抜かれてしまった。この中の青年1人がずっと前後して歩くことになった。七丈小屋でテント泊だそうだ。新調の靴の具合が悪いとこぼしていた。もう1人のオッサンは、我々と同類のようで、荷物が軽い。その後2人組に抜かれる。
刃渡りにさしかかったのが8時39分。南面がスパッと切れている。ヤセ尾根だから、恐い。天気が良ければ、眺望も良くなり、恐怖心もさらに増すだろうが、ガスの中だから、日向山以外、何も見えない。だけど恐い。木はWストックでどうするのかなと思っていたが、意外と器用に2本杖を捌いている。ザックに収めるわけでもない。これが、後続のオレには邪魔になる。後ろに長く伸ばすから、これが頭にあたったり、踏みそうになったりする。距離を離していないとこっちが危ない。えらい小荷物の青年が急ぎ足で追い越して行った。ランニングか。そういえば、最近のブログで、神社から2時間45分で山頂というのを読んだ。ランニング。まぁ、この世界のことは何とも申す立場にはない。いろいろな山の楽しみ方があるのだから。9時、刀利天狗。ここの標高は2,049m。もう標高差1,300mを登ったことになる。小さな神社とずらりと並んだ石碑、石像。黒戸は正確には黒砥と書くのだろう。碑に刻まれている。さっきの青年がうろうろしている。「登山道はどっちですかね?」と聞かれた。大分疲れている気配だ。テント泊だとこうなる。ここまで4時間。コースタイムよりも30分早いが、分岐でも30分早かったから、ペースが落ちてきているということだ。ガスと霧雨が続いている。果たしてどこまで行けるのやら。この時点で、山頂往復の日帰りはあきらめざるを得ない。コースタイムを無視し、日没までに戻ることを考慮すれば、下りに5時間費やすとして、休憩時間を含め、山頂下山を遅くとも1時半に設定しないといけない。このペースで、あと4時間で山頂に着くのは無理な相談。コースタイムですら、ここから5時間かかる。今のペースダウンの状況と、取りすぎの感のある休憩時間を考えれば、6時間はみるべきだろう。また、刀利天狗の前で、下山のオッサン2人と行き交った。彼らは、小屋泊まりだったらしいが、起きたらガスで何も見えず、しばらく様子を見ていたが、晴れる気配も無かったので、山頂はあきらめて下山することにしたそうだ。
とうとう、ザックカバーを付ける。合羽だけはやめた。ここで問題。オレのザックの脇には杖を括り付けているのだが、カバーを付けると、杖がじゃまになる。となると、外して持つしかない。刀のように、腰に結わえればいいのだろうけど、今日はベルトをしていない。苦肉の策で木からカラビナを借りて、カバーの外側に垂らしてザックのベルトで押さえたが、かなりじゃまくさいことは確か。だからといって、これから続く岩場を杖を持って登るのは嫌な話だ。ザックに入らない以上、サイド固定で我慢するしかない。ハシゴ場の上りがぎこちなくなってしまった。
100m程下って、5合目小屋跡。9時43分。霧雨が眼鏡にかかる。この下り、帰りにはかなり負担の登りになるだろうな。眼前に花札の「松」みたいな峰がある。まさか、あれを登るんじゃないだろうなと思っていたら、まさにそうだった。急なハシゴが続く。本当に、ここ、皇族がお登り遊ばしたのかね。片側が切れているから、かなり危険だよ。地元の山岳会のスタッフは、さっきの刃渡りを含め、皇族が転落した際、どんな受けをするような態勢になっていたのか、すこぶる興味がある。まさか人柱ではあるまい。この写真は、5合目跡から仰ぎ見た「松」の山。下ると鞍部があり、上りのハシゴの側には、また石像群、石碑群。そして複数の鉄の剣。これを一つ、持ち帰って、桐生の山にでも奉納しようかと、冗談で持ってみたが、かなりの重さ。持ち上がらない。石も剣も、往時の人々はどうやって運んだのだろうか。そして、地蔵背負いで苦労して運んで、相応の御利益をさずかったのだろうか。
急なハシゴの連続が終わり、ほっとしたら、同じような「松」の山がもう一つ前にあった。何とか第二段階を切り抜け、樹林帯の急登に入る。ランニングが下りてきた。山頂まで行ったのかどうかは聞かなかった。あの青年がもうくたびれ状態で休んでいる。上からオッサンが降りて来る。青年といっしょに抜かれたオッサンだ。木が「もう、山頂往復しちゃったんですか?」と聞いたら、七丈小屋でUターンだそうだ。やはりな。日帰りなら賢明な選択だね。「小屋はすぐそこですよ」と言っていたが、概して、下って来る人に尋ねると、「すぐそこだ」と言うものだ。しかし、本当にすぐに着いた。10時48分。標準タイムでは、登山口から7時間。して、我々の6時間は多少のペース挽回ということか。しかし、ガスがかなり濃くなり、時たま落ちる雨の粒も大きくなった。遅れて登って来た青年に、「どうすんの?」と聞いたら、かなり迷っていた。ネットで確認すると、明日も、山頂の天候の回復は見込めない。むしろ、さらに悪くなるかも。
気温は11℃。汲み上げたらしい水はおいしい。小屋の周辺にはだれもいない。抜かれた連中も、結局は、重荷のため、我々よりも遅くなってしまっている。ここから鳳凰三山が正面に大きく見えるらしいが、何も見えない。キャンプ場まで行ってみた。1張。夫婦らしいのが、山頂に向かう。見るからに健脚。山頂往復か。オレ達には無理だな。ここからコースタイムで2時間半、ここの標高は2,355mだから、山頂までの標高差は600m。行けなくもない時間配分かもしれないが、トムラウシ山の例もあるから、止めた方が無難だろうと、都合のいい最終判断をした。オレと木の間には、早月尾根日帰り山頂往復の一種のトラウマがある。5時前に出て、下山時に降り出した雨の中、駐車場に着いたのは8時少し前だった。あの時、ヘッデンを点け、フラフラ状態での下山だった。あれの繰り返しだけは避けたい。
テント場から11時15分に下る。七丈小屋の前には7~8人、軒下で待機している。皆んな、困った顔をしている。青年が座り込んでパンを食べていた。どうするのか気になったが、「思案中」だそうだ。疲れた、疲れたを連発していたから、下山するにしても、体力を気にしているのではないだろうか。人がだんだん多くなって来た。ほとんどがテントか小屋自炊。登山口には、運搬上の問題で、食事の提供が出来ないと記されていた。下りの途中で、40人くらいと出会ったろうか。さすが、5合目小屋跡までの下りはしんどい。出がけのオッサン2人、大学生グループとも行き合った。女の子は1人を除いて元気だが、残りの3人は参っている。登りの人が増えてきているから、待ち時間が多くなった。
5合目小屋跡12時。雨は本格的になった。ここからは樹林帯だから、合羽は着ないことにする。合羽を着れば、うっとうしいし、眼鏡も曇る。100mの上り。帰りが大変かなと思っていたが、それ程もなく、平坦地に着いた。刀利天狗12時47分。刃渡りで休憩。若い女性の一人歩き。テント。結構、健脚だなと感心したが、木はそういう感覚で見ている様子はなかった。別な見方の講評を述べる。そして、また、大学生グループの女の子の話題を言い出した。ヤツの子供は3人とも男だから、そういうのが平気だが、こっちは、そうじゃないから、その感覚が理解できない。むしろ、不謹慎とすら思う。
長い下りが延々と続く。次のポイントは横手神社の分岐だが、なかなか着かない。かなり飽きてきている。上り時には、ゆっくりと歩いていたから感じなかったが、結構、急な尾根。身体にやさしい尾根どころではなかった。まだまだ、登って来る人に出会う。ほとんどがテント。休んでいるグループのオバサンに声をかけられる。「ここから先はエライ?」。何のことを言っているのか、しばらくは分からなかった。「ここから先はえらくきつい?」ということだとは思ったが、いったい、どこの言葉使いだろうか。分岐14時17分。これで最後だろうと思われるカップルが上がってきた。ここから七丈小屋まで4時間かかっている。状況を聞かれ、「小屋到着は7時近くになるんじゃないの?」と答えたが、2人ともに、驚きあきれた顔をしていた。「5合目小屋跡でテントを張ったら?ただ、水は無いよ」とアドバイスしたら、それだけで落胆の顔をしていた。いったいどうなったのやら。失礼な話かもしれないが、出足の遅い方はわがまま登山の方が多いようだ。このカップルの少し前、木が登ってきたオバサン2人組のスローペースにあきれて、ついこう聞いた。「この時間に、ここにいて、いったい、どこに泊まんですか?」と聞いた。そしたら、オバサンは平然と「七丈小屋で自炊ですよ」。それはそれでいいだろう。自己責任で登っているのだから。ただ、いい年をして、小屋番を含め、周りの宿泊客に迷惑がかかること程度のことは理解できないのだろうか。当初、ここの尾根を歩いている人は、他の山に比べて、マナーをわきまえた方が多いなと感心していたが、後半はそうじゃない方もいるんだなと思うようになった。前をオッサン2人組が下っている。今日は見ていない顔だから、早々にリタイヤしたのか。この時間、当たり前の選択だと思う。
急坂に感じるようになっていた道が相変わらず続く。歩くのも飽きてきた。神蛇滝分岐でしばらく休んだ。2人ともぼーっとしていた。足が痛いというよりもだるい。カップルが滝の方から下りて来た。吊り橋に着いたのは15時40分。観光客が水辺で遊んでいる。雨は上がっているが、どんよりしている。そして駐車場15時46分。上り6時間、下り4時間半。標高差1,585mという結果だった。
山好きそうなオッサンに声をかけられる。どこに行ったのかと聞かれたから、甲斐駒と答えたら、すごいですねと言われた。調子にのって、日帰り往復13時間と付け足した。だが、後で考えてみると、13時間かかるとしたら、3時に歩き出したことになる。さばを読み過ぎた。帰りは小淵沢の延命の湯に立ち寄り。甲斐駒どころか八ヶ岳も上は見えない。不思議に富士山だけは大きく見える。次回は七丈小屋に泊まって、北沢峠に下りたいものだが、車では無理か。あの尾根、上りはともかく、下りでは使いたくない。小屋に泊まっていたら、一日おいて下りもきつく感じなかったかもしれない。日帰りだったから余計にきつく感じたのだろう。ともかく、しばらくはいい。木には、今度はオマエ1人で行けよとつい言ってしまった。
本文登場の「青年」です。あの時は大変お世話になりました。
あの時私はバテバテでしたので七丈小屋で引き返し、
今年こそリベンジと情報収集をしていたらこの記事にたどり着きました。
黒戸尾根の山行記録楽しく読ませて頂きました。
今後もちょくちょく読ませていただきます。
もうあれから1年ですね。今年もまだ梅雨明けになっていませんが、1年前もそうだったでしょうか。
残念ながら、全然、情報収集になりませんでしたね。
私らは、今年は無理でしょう。
リベンジ成功したら、お知らせくださいよ。
10/2日~3日の土日で黒戸尾根リベンジを果たした事をご報告に来ました。
山頂ではあいにくのガスでしたが、その他は天候に恵まれた2日間でした。
今回リベンジできた要因も天候ですし、前回たそがれオヤジ様、高木様、私が
ピークまで行けなかった要因も天候だと今回の山行で再確認しました。
最後に、私の山行記録ブログ記事からこの記事にリンクをさせて頂きました事を
合わせてご報告致します。
(ビールを片手に書いているブログですのでお目汚しにもならないかもしれませんが…)
青年さんこと、pugeraさん、やりましたね。黒戸尾根往復、念願叶いましたね。
だらけた山行への戒めですか。いいですね。こちらは、ここのところ、どうもピリッとした山歩きから遠ざかっていますよ。見習わないと。
さて、木が、先日、一人で黒戸尾根に行ったようです。もっとも、前回も、彼からの誘いによるもので、彼の黒戸尾根への執念もすごいものがありましたからねぇ。
14時間かけて、日帰りしたそうです。神社に戻ったのは21時頃とか。7時出発というのもまた遅すぎる感がありますけど。彼からは結果を聞いただけのことですし、ブログもHPもやっていませんから、真実の程は分かりかねるところがありますが、まあ、本当でしょうね。
pugeraさんのブログを拝見し、こちらも、改めて行き直ししたくなってきましたよ。来年でしょうね。