
◎2025年3月14日(金)
三和公民館駐車場(12:15)……織姫神社(12:21)……天神山(12:43)……破線路北上……引き返し(13:25)……巡視路尾根に(13:33)……309m標高点付近(13:48)……榛名神社石碑(14:49)……東山(15:06)……稲荷山(15:24)……住宅地(15:34)……善光寺(15:41)……公民館(16:01)
午前中は歯医者の予約。午後からはヒマ。風は強いが陽気は良い。昼からダラダラ過ごすのももったいない。半端な時間帯だが、翌土日の天気は悪そうだ。前回の羽黒山尾根の帰りに寄ろうと思っていた、年寄りにはきついらしい石段続きの要害山にでも行こうか。登れてほっとする安心感さえあればそれで十分。時間的な余裕があったら、今回登った稲荷山とは違う、ヤブ山の方の稲荷山の様子見もと欲張って考えてみたりもした。
話は変わる。この周辺には、天神山、東山、ヤブではない稲荷山といった足利百名山が他にもいくつかある。この三山に限って山行記録を見ていると、例えば、稲荷山と東山を登り終えてから改めて天神山を往復したりしている歩きが多かった。自分には、無駄な歩きをしているように思える。天神山を北上する破線路の途中から西に尾根伝いに下り、さらに309m標高点付近から南下して東山、稲荷山に至って下れば、同じところを歩かずに周回できるだろうに。時間的にもそんなにかかるとは思えない。登って戻り、また登るのでは、ただの足利百名山アタッカーになるのではないのか。これはあくまでも地図上でのこと。周回で歩けるかは、歩いてみないとわからない。気になってはいた。
つまりは、場合によって、気分によっては後者を歩いてみてもいいかと松田町方面に向かったが、3時間もあれば周回できるかなと思えば、無理にでも後者の腹案を歩いてみたくなり、結局は、要害山登山口付近は素通りして、三和公民館の駐車場に到着。とりあえずは天神山までは行ってみよう。その先の破線路は地図を信じるとして、西に下る尾根が歩けないようなら戻ればいいし、東山と稲荷山は皆さんの歩きに従えばいい。
閑散とした公民館だった。車は数台あったが、人の動きはない。地区の集会所に駐車するよりも、広い敷地の公民館の方が迷惑もかけずに済みそうだ。
(織姫神社の鳥居。鳥居だけは新しいようだ)

(滑りながら登る)

(織姫神社。枝くらい払えばいいのにと思うが)

(風通しは良さげだが、雨が降ればもろにあたるのではないのか。神様だろうに)

確証もないままに北側の道を歩いて行くと、鳥居が見えた。おそらく織姫神社だろう。遠回りして鳥居前に出たせいか、<織姫神社>の看板も見かけないままに、急な坂道を登る。行き着いた神社は廃屋のようなもので、扉すらなく、社殿の中はむき出しで、周囲はヤブに覆われている。ここにも織姫神社の文字は見かけない。由来板もなければ、市内の織姫神社との関係すらわからない。見るべきほどの神社ではないことは確かで、帰路で、立派な神社入口の石柱を見かけはしたが、この荒れた有様では参拝者がいるとも思えない。
(少し先から行道山方面)

(歩きながら、早々に面白みのない尾根だと思った)

(天神山かと思う)

(ヤブがひどくなって)

(ヤブの先に山名板が見えた)

(なるほどねぇとしか言いようがない。周囲を刈る人もいないようだ)

裏手に回って尾根を登る。神社の裏に奥社があったようだが、これも確認していない。この辺から、今日は失敗歩きをしたような感じになってきた。路面は乾ききり、さらに落葉が多くて滑り、歩きづらい。周囲の樹々は枯れている。これは何らかの薬剤を散布しているからだろうか。その臭いが鼻にツンとくる。どこにでも目にする普通の尾根だが、うっとうしくも、登るにつれてヤブが多くなり、篠竹が出てくる。
ヤブが一時的に切れた高台から、前方にこんもりしたピークが見え、おそらくあれが天神山のようだ。次第に明瞭な踏み跡は薄くなり、再び現れた篠竹を避けるようにして登って行ったが、やがてはヤブを避けられなくなり、ストックが引っ張られるまでになった。羽黒山尾根も良い印象はなかったが、あれは登り下りが多発していたからで、ヤブはここに比べたら少なく、小さな岩場もあってむしろ歩きやすい方だった。
天神山の山名板が見えた。ヤブの中だった。出発から30分もかからなかったものの、えらく失望した。周りは背高越えのヤブで、見えるのは真上の空だけ。さらにこの先に行くのが嫌になった。実は、この時は知りもしなかったが、近くに杉のある平地があり、そこには石祠と<足利百名山 第34座 松田天神山>の山名板があったらしい。それを見ていれば、この先の歩き気分は少しは変わっていたのではないだろうか。ヤブの中の山名板を見て、足利百名山ってこんなものかとがっかりし、この先の東山も稲荷山もこのレベルだろうかと思えば、期待もできまいなといった気分になるのは自分だけではあるまい。
(歩きやすくはあるが、こんなコースがずっと続くと、やがては飽きてもくる)

(伐採地に出る)

(西側、湯殿山だろう。あの山には二度登った。良い印象しかないが、石尊山側から登った時には、尾根が削られて、かなり危ない思いをした)

(右手下には里が見える)

ヤブの中で休憩する気分にもなれずに、予定通りに先に行く。篠竹はかなり薄くなったし、前方の視界もまた広がる。伐採地に出た。ブル道が斜面を削っている。左を見れば、送電線の位置からして、復路で歩くだろう尾根と、その奥に湯殿山らしき山が見えている。今回の道中で、一番の展望地だったかもしれない。
(樹々に葉がまったくない)

(前方に見えるのは379m標高点ピークだろう)

(もういいかと、菓子パンを食べて、この辺で切り上げる。左下には鉄塔があったが、下って登るのも大儀そうなので、それはやめた。かなりやる気は失せている)

痩せた疎林の中を登って行く。ヤブは切れたとはいっても、景色も含めた変化に乏しく、あまり面白みのない尾根だ。予定では、破線路をそのまま標高点379mまで目安にして登り、後は戻って西尾根に入るつもりでいた。退屈な尾根歩きが続く。送電鉄塔が左下に見えたところで、右寄りに379mピークらしきのが見えたが、同じ風景の中の歩きが続くようで、379mに行くまでもなく見切りをつけて菓子パンで腹を満たしながらの一息。戻ろう。この先は、いずれ、深高山やら椿山、わたごさんに行った時にでもつなげることしよう。足利百名山踏破にこだわりはない。自宅から登山口まで車で30分もあれば行けるし、どうせなら、名前のある山に行きたい。それだけのこと。しかしながら、羽黒山尾根も含めて、松田町方面の山や尾根歩きは、西側の仙人ヶ岳や石尊山あたりを除けば、自分には面白みに欠ける。地元の方には失礼な表現になってしまうかもしれない。まだ桐生に接するあたりの山の方が、苦痛なく歩ける。
(西尾根は道になっている)

(やはり巡視路だったか)

(ピンクテープは伐採の目印ということもあって信用しない方がよいが、道沿いに続いている)

西の尾根への分岐は、心配するまでもなく明瞭だった。うっそうとした植生ならコンパス頼りかなと思ったが、痩せた松がメインの疎林が続いている。尾根型は明瞭だし、しっかりした踏み跡があってあれっと思った。こんなところを歩く人がいるのだろうか。何ということはない。鉄塔巡視路のポールがあった。地図を見れば、なるほど、横切る尾根の北側に送電線が走っている。
(巡視路はさらに続く。ここで、左手に南下する尾根に乗り換える)

(送電線からして正解のようだ)

(意外に急だった)

(目印はある)

(東山?)

(右手に家屋が見える)

そうたやすい尾根でもなかった。傾斜は急で、送電鉄塔の下で休もうかと思ったが、もう2時近くになっていたので、巡視路の踏み跡はそのまま西に向かっていたが、今の場所は309m付近のようだし、ここから左に南下した。この先は尾根一本下りだ。迷うこともないと思ってはいるが、当初の「3時間もあれば」は、自分の感覚であって、今は通用するはずもなく、4時間に訂正しても、何かのトラブルでもあれば、里山とはいえ薄暗くなってしまう。先を急ぐ。ここの下り尾根もまた、上り尾根と同じく、まったく尾根の風景に変わり映えはせず、せいぜい、真下に集落が見え、右手の湯殿山が大きくなっただけで、右下の集落にエスケープしようとしたとしても、それは無理。斜面は急で、持ち歩いている10mのお助けロープでは、何十回も樹に結わえ換えしながら下らない限り転落してしまいそうだ。左は、同じく急斜面の植林帯。尾根伝いに下るしかない。痩せた尾根やら岩場でないだけでも助かる。
(石碑のようなものが見えた)

(光の加減でアップして撮った。「榛名神社」とある)

くどいが、ここもまた退屈な尾根下り。巡視路から離れて一時間ほど歩いたところで、ネズミ男の後ろ姿のような石碑が見えた。表に回ると<榛名神社>の文字が彫られている。周囲を見回しても、神社跡らしき残骸もなく、おそらく、この石碑そのものが神社なのだろうが、石祠が傍らにあるわけでもなく、こんなのもまた珍しい。
(東山と思われる山が近づく)

(やはり)

(山名板)

下り続行。紛らわしいところがいくつかあったが、小高いピークが見える方に向かうと、そこが三角点のある東山だった。先が見えてほっとしたというのが正直な感想。そうなると、早いとこ山を下りたい。言葉として表現できないが、自分の居場所じゃない感じになっている。
直進しようとしたら植林の急斜面になっていて、まさかと思いながら右手を見ると、テープのある踏み跡が続いていた。右から回り込んで下るようになっているようだ。この先はよく歩かれているのか、踏み跡は明瞭だった。
(かなり飽きている)

(鞍部に出る。鞍部とはいっても、先は小高い丘)

(伐採地から行道山)

(稲荷山)

なだらかな下りで、本来なら気持ちよく歩けるはずだが、不思議にそんな気分にはならない。街並みが真下に見えると伐採地に出た。行道山と、先日歩いた羽黒山尾根の一角が見える。
稲荷山はまだかなと思っていたが、伐採地が鞍部になっていて、先が少しの登り返しになっていた。おそらく、登った先が稲荷山だろうと思ったが、まさにそうだった。天狗山と同様に、ここもまたピークながらも、下から見れば、あれが何山と特定するのは難しいかもしれないし、感慨もなかった。
(振り返って。あれが稲荷山のようだ)

(こうなったら、適当に安全なところを下るしかない)

(ブル道に出たが、この段差では下れなかった)

(下山してほっとする)

目的は達成したから下山となるが、テープを追うと、その先の踏み跡はうやむやになっていて、右手にかすかな踏み跡はあるが、急斜面のようだし、正面もまた木が横になって遮られている。どうも、ここは適当に伐採地を下ってブル道に出るしかないようだ。
危なっかしく下ると、ブル道の真上に出た。だが高さがあり過ぎる。ザックとストックを下におろして空身で何とか下りようとしたが、ブル道からはほぼ垂直になっていて、高さも1m以上はあり、飛び降りる自信はない。うろうろしながら、何とか崩れているところを見つけて、そこからブル道に出た。だが、そことて人が歩いた跡はなく、皆さん、どこをどうやって登り下りしているのだろう。しっかりしたコースはあるはずだと思うが。間違い歩きをしたことは確かだ。
(構えが立派な山門。二階建てだ)

(近づく、左右に仁王様。ガラス越しだったのでうまく撮れなかった。隙間から見える本殿への階段はツタに覆われている)

(寺の説明はない。あくまでも山門と仁王像のこと。寺の名前はこの場ではわからず、帰宅してから善光寺だとわかった)

(本殿。社務所すらなく殺風景。住職はかけ持ちなのだろう。由緒ある寺のようでもったいない)

県道を歩いて戻るのが楽なのはわかっているが、それをしたくはなく、脇道で公民館に戻れるかと思い、それらしき道を歩くと、左に寺らしきものが見えた。寄ってみる。何という寺かはわからない。足利市の建造文化財指定の<山門附仁王像>だけはわかったが、肝心な解説板に寺の名前はない。山門の扁額にかろうじて<定額山>らしき字は読み取れた。仁王様の木像をガラス越しに眺め、これまた荒れた階段を登ると本堂。織姫神社と違って、さすがに扉はあったが、その上の扁額の文字が読めない。おそらく右から読むのだろうが、後で調べると、この寺は<定額山善光寺>とのことで、本堂の扁額は<善光寺>とも<定額山>とも読めなかった。長野の善光寺も定額山善光寺とのことで、何らかの関連はあるのだろうし、綱吉が館林藩主の頃にここを訪れたらしいところからして、由緒ある寺なのだろうが、ここもまた墓地からして檀家は多いものの、人の気配はまるきしなかった。つまりは無人寺のようだ。ちなみに、この寺は、長野善光寺が無宗派なのに対し、珍しくも黄檗宗とのこと。
(ここを行ったはいいが退却。往復ともに不安定なパイプにつかまって渡った)

裏道で公民館に戻るはいいが、小川に架かった橋は、橋げたの板が腐っていた。そろそろと端を渉ったが、その先は行き止まり。あの橋を渡りたくもないので何とかこのまま行けやしないかと算段したが、密なヤブと溝の高さで無理。またそろそろと橋を戻ったが、真ん中を歩いたら、確実に板が割れる気配だった。今回の山で神経をすり減らしたことはなかったが、ここだけはドキドキだった。
(織姫神社入口の石柱。これだけなら、それなりの神社かと思ってしまう)

(羽黒山尾根を正面に見て)

(公民館に戻った)

結局は県道に出てしまった。このまま行くつもりでいたら、左手に<織姫神社入口>の石柱があった。こんな立派なのがあるなら、神社をもっと整備すれば良いのにと思う。それでいながら、そちら方面に向かうと、神社への標識すら見かけなかった。
公民館に到着。3時間見当が4時間近くかかった。しかし、今日の歩きは、印象が悪かったとまではいかないが、あまり面白みのない尾根歩きだった。二度と歩くことはあるまい。
(今回の歩き)

この地図は電子地形図25000(国土地理院)を加工して使用しています(令和元年手続改正により申請適用外)
三和公民館駐車場(12:15)……織姫神社(12:21)……天神山(12:43)……破線路北上……引き返し(13:25)……巡視路尾根に(13:33)……309m標高点付近(13:48)……榛名神社石碑(14:49)……東山(15:06)……稲荷山(15:24)……住宅地(15:34)……善光寺(15:41)……公民館(16:01)
午前中は歯医者の予約。午後からはヒマ。風は強いが陽気は良い。昼からダラダラ過ごすのももったいない。半端な時間帯だが、翌土日の天気は悪そうだ。前回の羽黒山尾根の帰りに寄ろうと思っていた、年寄りにはきついらしい石段続きの要害山にでも行こうか。登れてほっとする安心感さえあればそれで十分。時間的な余裕があったら、今回登った稲荷山とは違う、ヤブ山の方の稲荷山の様子見もと欲張って考えてみたりもした。
話は変わる。この周辺には、天神山、東山、ヤブではない稲荷山といった足利百名山が他にもいくつかある。この三山に限って山行記録を見ていると、例えば、稲荷山と東山を登り終えてから改めて天神山を往復したりしている歩きが多かった。自分には、無駄な歩きをしているように思える。天神山を北上する破線路の途中から西に尾根伝いに下り、さらに309m標高点付近から南下して東山、稲荷山に至って下れば、同じところを歩かずに周回できるだろうに。時間的にもそんなにかかるとは思えない。登って戻り、また登るのでは、ただの足利百名山アタッカーになるのではないのか。これはあくまでも地図上でのこと。周回で歩けるかは、歩いてみないとわからない。気になってはいた。
つまりは、場合によって、気分によっては後者を歩いてみてもいいかと松田町方面に向かったが、3時間もあれば周回できるかなと思えば、無理にでも後者の腹案を歩いてみたくなり、結局は、要害山登山口付近は素通りして、三和公民館の駐車場に到着。とりあえずは天神山までは行ってみよう。その先の破線路は地図を信じるとして、西に下る尾根が歩けないようなら戻ればいいし、東山と稲荷山は皆さんの歩きに従えばいい。
閑散とした公民館だった。車は数台あったが、人の動きはない。地区の集会所に駐車するよりも、広い敷地の公民館の方が迷惑もかけずに済みそうだ。
(織姫神社の鳥居。鳥居だけは新しいようだ)

(滑りながら登る)

(織姫神社。枝くらい払えばいいのにと思うが)

(風通しは良さげだが、雨が降ればもろにあたるのではないのか。神様だろうに)

確証もないままに北側の道を歩いて行くと、鳥居が見えた。おそらく織姫神社だろう。遠回りして鳥居前に出たせいか、<織姫神社>の看板も見かけないままに、急な坂道を登る。行き着いた神社は廃屋のようなもので、扉すらなく、社殿の中はむき出しで、周囲はヤブに覆われている。ここにも織姫神社の文字は見かけない。由来板もなければ、市内の織姫神社との関係すらわからない。見るべきほどの神社ではないことは確かで、帰路で、立派な神社入口の石柱を見かけはしたが、この荒れた有様では参拝者がいるとも思えない。
(少し先から行道山方面)

(歩きながら、早々に面白みのない尾根だと思った)

(天神山かと思う)

(ヤブがひどくなって)

(ヤブの先に山名板が見えた)

(なるほどねぇとしか言いようがない。周囲を刈る人もいないようだ)

裏手に回って尾根を登る。神社の裏に奥社があったようだが、これも確認していない。この辺から、今日は失敗歩きをしたような感じになってきた。路面は乾ききり、さらに落葉が多くて滑り、歩きづらい。周囲の樹々は枯れている。これは何らかの薬剤を散布しているからだろうか。その臭いが鼻にツンとくる。どこにでも目にする普通の尾根だが、うっとうしくも、登るにつれてヤブが多くなり、篠竹が出てくる。
ヤブが一時的に切れた高台から、前方にこんもりしたピークが見え、おそらくあれが天神山のようだ。次第に明瞭な踏み跡は薄くなり、再び現れた篠竹を避けるようにして登って行ったが、やがてはヤブを避けられなくなり、ストックが引っ張られるまでになった。羽黒山尾根も良い印象はなかったが、あれは登り下りが多発していたからで、ヤブはここに比べたら少なく、小さな岩場もあってむしろ歩きやすい方だった。
天神山の山名板が見えた。ヤブの中だった。出発から30分もかからなかったものの、えらく失望した。周りは背高越えのヤブで、見えるのは真上の空だけ。さらにこの先に行くのが嫌になった。実は、この時は知りもしなかったが、近くに杉のある平地があり、そこには石祠と<足利百名山 第34座 松田天神山>の山名板があったらしい。それを見ていれば、この先の歩き気分は少しは変わっていたのではないだろうか。ヤブの中の山名板を見て、足利百名山ってこんなものかとがっかりし、この先の東山も稲荷山もこのレベルだろうかと思えば、期待もできまいなといった気分になるのは自分だけではあるまい。
(歩きやすくはあるが、こんなコースがずっと続くと、やがては飽きてもくる)

(伐採地に出る)

(西側、湯殿山だろう。あの山には二度登った。良い印象しかないが、石尊山側から登った時には、尾根が削られて、かなり危ない思いをした)

(右手下には里が見える)

ヤブの中で休憩する気分にもなれずに、予定通りに先に行く。篠竹はかなり薄くなったし、前方の視界もまた広がる。伐採地に出た。ブル道が斜面を削っている。左を見れば、送電線の位置からして、復路で歩くだろう尾根と、その奥に湯殿山らしき山が見えている。今回の道中で、一番の展望地だったかもしれない。
(樹々に葉がまったくない)

(前方に見えるのは379m標高点ピークだろう)

(もういいかと、菓子パンを食べて、この辺で切り上げる。左下には鉄塔があったが、下って登るのも大儀そうなので、それはやめた。かなりやる気は失せている)

痩せた疎林の中を登って行く。ヤブは切れたとはいっても、景色も含めた変化に乏しく、あまり面白みのない尾根だ。予定では、破線路をそのまま標高点379mまで目安にして登り、後は戻って西尾根に入るつもりでいた。退屈な尾根歩きが続く。送電鉄塔が左下に見えたところで、右寄りに379mピークらしきのが見えたが、同じ風景の中の歩きが続くようで、379mに行くまでもなく見切りをつけて菓子パンで腹を満たしながらの一息。戻ろう。この先は、いずれ、深高山やら椿山、わたごさんに行った時にでもつなげることしよう。足利百名山踏破にこだわりはない。自宅から登山口まで車で30分もあれば行けるし、どうせなら、名前のある山に行きたい。それだけのこと。しかしながら、羽黒山尾根も含めて、松田町方面の山や尾根歩きは、西側の仙人ヶ岳や石尊山あたりを除けば、自分には面白みに欠ける。地元の方には失礼な表現になってしまうかもしれない。まだ桐生に接するあたりの山の方が、苦痛なく歩ける。
(西尾根は道になっている)

(やはり巡視路だったか)

(ピンクテープは伐採の目印ということもあって信用しない方がよいが、道沿いに続いている)

西の尾根への分岐は、心配するまでもなく明瞭だった。うっそうとした植生ならコンパス頼りかなと思ったが、痩せた松がメインの疎林が続いている。尾根型は明瞭だし、しっかりした踏み跡があってあれっと思った。こんなところを歩く人がいるのだろうか。何ということはない。鉄塔巡視路のポールがあった。地図を見れば、なるほど、横切る尾根の北側に送電線が走っている。
(巡視路はさらに続く。ここで、左手に南下する尾根に乗り換える)

(送電線からして正解のようだ)

(意外に急だった)

(目印はある)

(東山?)

(右手に家屋が見える)

そうたやすい尾根でもなかった。傾斜は急で、送電鉄塔の下で休もうかと思ったが、もう2時近くになっていたので、巡視路の踏み跡はそのまま西に向かっていたが、今の場所は309m付近のようだし、ここから左に南下した。この先は尾根一本下りだ。迷うこともないと思ってはいるが、当初の「3時間もあれば」は、自分の感覚であって、今は通用するはずもなく、4時間に訂正しても、何かのトラブルでもあれば、里山とはいえ薄暗くなってしまう。先を急ぐ。ここの下り尾根もまた、上り尾根と同じく、まったく尾根の風景に変わり映えはせず、せいぜい、真下に集落が見え、右手の湯殿山が大きくなっただけで、右下の集落にエスケープしようとしたとしても、それは無理。斜面は急で、持ち歩いている10mのお助けロープでは、何十回も樹に結わえ換えしながら下らない限り転落してしまいそうだ。左は、同じく急斜面の植林帯。尾根伝いに下るしかない。痩せた尾根やら岩場でないだけでも助かる。
(石碑のようなものが見えた)

(光の加減でアップして撮った。「榛名神社」とある)

くどいが、ここもまた退屈な尾根下り。巡視路から離れて一時間ほど歩いたところで、ネズミ男の後ろ姿のような石碑が見えた。表に回ると<榛名神社>の文字が彫られている。周囲を見回しても、神社跡らしき残骸もなく、おそらく、この石碑そのものが神社なのだろうが、石祠が傍らにあるわけでもなく、こんなのもまた珍しい。
(東山と思われる山が近づく)

(やはり)

(山名板)

下り続行。紛らわしいところがいくつかあったが、小高いピークが見える方に向かうと、そこが三角点のある東山だった。先が見えてほっとしたというのが正直な感想。そうなると、早いとこ山を下りたい。言葉として表現できないが、自分の居場所じゃない感じになっている。
直進しようとしたら植林の急斜面になっていて、まさかと思いながら右手を見ると、テープのある踏み跡が続いていた。右から回り込んで下るようになっているようだ。この先はよく歩かれているのか、踏み跡は明瞭だった。
(かなり飽きている)

(鞍部に出る。鞍部とはいっても、先は小高い丘)

(伐採地から行道山)

(稲荷山)

なだらかな下りで、本来なら気持ちよく歩けるはずだが、不思議にそんな気分にはならない。街並みが真下に見えると伐採地に出た。行道山と、先日歩いた羽黒山尾根の一角が見える。
稲荷山はまだかなと思っていたが、伐採地が鞍部になっていて、先が少しの登り返しになっていた。おそらく、登った先が稲荷山だろうと思ったが、まさにそうだった。天狗山と同様に、ここもまたピークながらも、下から見れば、あれが何山と特定するのは難しいかもしれないし、感慨もなかった。
(振り返って。あれが稲荷山のようだ)

(こうなったら、適当に安全なところを下るしかない)

(ブル道に出たが、この段差では下れなかった)

(下山してほっとする)

目的は達成したから下山となるが、テープを追うと、その先の踏み跡はうやむやになっていて、右手にかすかな踏み跡はあるが、急斜面のようだし、正面もまた木が横になって遮られている。どうも、ここは適当に伐採地を下ってブル道に出るしかないようだ。
危なっかしく下ると、ブル道の真上に出た。だが高さがあり過ぎる。ザックとストックを下におろして空身で何とか下りようとしたが、ブル道からはほぼ垂直になっていて、高さも1m以上はあり、飛び降りる自信はない。うろうろしながら、何とか崩れているところを見つけて、そこからブル道に出た。だが、そことて人が歩いた跡はなく、皆さん、どこをどうやって登り下りしているのだろう。しっかりしたコースはあるはずだと思うが。間違い歩きをしたことは確かだ。
(構えが立派な山門。二階建てだ)

(近づく、左右に仁王様。ガラス越しだったのでうまく撮れなかった。隙間から見える本殿への階段はツタに覆われている)

(寺の説明はない。あくまでも山門と仁王像のこと。寺の名前はこの場ではわからず、帰宅してから善光寺だとわかった)

(本殿。社務所すらなく殺風景。住職はかけ持ちなのだろう。由緒ある寺のようでもったいない)

県道を歩いて戻るのが楽なのはわかっているが、それをしたくはなく、脇道で公民館に戻れるかと思い、それらしき道を歩くと、左に寺らしきものが見えた。寄ってみる。何という寺かはわからない。足利市の建造文化財指定の<山門附仁王像>だけはわかったが、肝心な解説板に寺の名前はない。山門の扁額にかろうじて<定額山>らしき字は読み取れた。仁王様の木像をガラス越しに眺め、これまた荒れた階段を登ると本堂。織姫神社と違って、さすがに扉はあったが、その上の扁額の文字が読めない。おそらく右から読むのだろうが、後で調べると、この寺は<定額山善光寺>とのことで、本堂の扁額は<善光寺>とも<定額山>とも読めなかった。長野の善光寺も定額山善光寺とのことで、何らかの関連はあるのだろうし、綱吉が館林藩主の頃にここを訪れたらしいところからして、由緒ある寺なのだろうが、ここもまた墓地からして檀家は多いものの、人の気配はまるきしなかった。つまりは無人寺のようだ。ちなみに、この寺は、長野善光寺が無宗派なのに対し、珍しくも黄檗宗とのこと。
(ここを行ったはいいが退却。往復ともに不安定なパイプにつかまって渡った)

裏道で公民館に戻るはいいが、小川に架かった橋は、橋げたの板が腐っていた。そろそろと端を渉ったが、その先は行き止まり。あの橋を渡りたくもないので何とかこのまま行けやしないかと算段したが、密なヤブと溝の高さで無理。またそろそろと橋を戻ったが、真ん中を歩いたら、確実に板が割れる気配だった。今回の山で神経をすり減らしたことはなかったが、ここだけはドキドキだった。
(織姫神社入口の石柱。これだけなら、それなりの神社かと思ってしまう)

(羽黒山尾根を正面に見て)

(公民館に戻った)

結局は県道に出てしまった。このまま行くつもりでいたら、左手に<織姫神社入口>の石柱があった。こんな立派なのがあるなら、神社をもっと整備すれば良いのにと思う。それでいながら、そちら方面に向かうと、神社への標識すら見かけなかった。
公民館に到着。3時間見当が4時間近くかかった。しかし、今日の歩きは、印象が悪かったとまではいかないが、あまり面白みのない尾根歩きだった。二度と歩くことはあるまい。
(今回の歩き)

この地図は電子地形図25000(国土地理院)を加工して使用しています(令和元年手続改正により申請適用外)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます