Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

ROMEO ET JULIETTE (Sun, Feb 13, 2011)

2011-02-13 | メト以外のオペラ
三年半前に初めて彼の歌声を聴いた時(『ルチア』のアルトゥーロ役エドガルド役)の、あの清水のような響きが段々となくなって来た、とか、
スタミナ増強・レパートリーの拡大・声のロブスト化を狙う”改造計画”が間違ったペースや方向で進んでいるのではないか?などなど、
色々(この記事あの記事、、)苦言を呈しつつ、なぜかその動向を追い続けてしまうスティーヴン・コステロです。

今日はオペラ・カンパニー・オブ・フィラデルフィアの『ロミオとジュリエット』で、アイリン・ペレーズと夫婦共演なんですが、
フィラデルフィアといえば、コステロの出身地であり、二人が知り合う場所となったAVA(アカデミー・オブ・ヴォーカル・アーツ。
アメリカで屈指の声楽の学校。)の所在地でもあって、2人のホーム・グラウンドと言っても良い場所ですが、
夫婦揃って少しずつ活躍の場を広げていることもあり(コステロは来シーズンのメトのオープニング・ナイト演目『アンナ・ボレーナ』にも出演する予定。)、
彼らの今後の頑張り次第によっては、フィラデルフィアでも、夫婦共演という形で登場する機会はそう多くはなくなってしまう可能性もあるので、
出来ることは出来るうちに!の精神で、再びフィラデルフィアに日帰りでやって参りました。

前回、やはり彼ら夫妻の歌を聴きにこの地にやって来た際の貴重な失敗経験がありますので、
今回は、前に座っている金持ちに視界をブロックされることがないよう、
バルコニー・ロージュのサイド、つまり、メトでいうところのパーテールのサイド・ボックス席にあたる部分の、ステージ寄り最前列を押さえてみました。
通常は、舞台にあまり寄り過ぎると、視覚的に端が見切れたりして、理想的な席とは言い難いのですが、
私にとっては、ビジュアルよりもある程度のクオリティの音がきちんと保たれていることの方がプライオリティが高く、
このアカデミー・オブ・ミュージックの音響が非常に乾いているということを、前回、平土間の後方座席に座っていやほど体験しましたので、
今回は”これだけ近くに座ったら手も足も出まい、、。”と自信たっぷりに、この最前列の座席に座っています。



最近では、どこのオペラハウスも若年層を取り込むことに躍起になっているようで、
冒頭の写真のような、ファッション紙の記事かと見紛う、異様に気合の入ったコステロ/ペレーズ夫妻のスチール写真に加え、
この公演には地元の学生さん達から衣装を一般公募する企画がタイアップされていると事前に聞いていました。
まあ、こういう企画は若い人にチャンスを与え、地元を活性化する、ということで、良いことのように見えますが、
私は、このクラスのオペラハウスの公演では、そんなトーシロの仕事より、プロの仕事を見せてくれよ、、と思ってしまううえ、
(実際、舞台に出て来た衣装に、これは、、と思わせるものは一つもありませんでした。)
主役・準主役だけでは、とてもさばききれないような数の衣装デザインがカンパニーのサイトにあがっていたので、とてもいやーな予感がしていたのですが、予感的中!

なぜか、この『ロミオとジュリエット』では、ジュリエット父の職業がファッション・デザイナーで、
ファッション・ショー当日でばたばたするキャピュレット家の、そのショー後の祝賀パーティーに、ロミオたちが正体を隠して紛れ込む、、というような設定になっています。
ショーで給仕するウェイターたちが、全員、カール・ラガーフェルドのように、白髪+サングラスなのはちょっとした洒落でしょうか。
で、そのショーの中で、モデルたち(地元フィラデルフィアのモデル・エージェンシーに所属するモデル達だそうです。)が着るのが、
学生たちがデザインした衣装、というわけなんですが、この衣装一般公募企画を成立させるがためだけに、
無理やりファッション・ショーのシーンを埋め込んだり、ジュリエット父をデザイナーに仕立てあげたのがみえみえで、
一幕ではそれが非常にぎこちない感触を生み出してしまっているかと思えば、
幕が進むうちに、いつの間にか演出家すらそんな設定が面倒臭く、かつ、どうでもよくなってしまったのか、
いつの間にか、モード界云々という設定はどうした?と思うような、いたってオーソドックスな『ロミオとジュリエット』に移行してしまっていて、
全体的にまとまりを欠いた、中途半端なものになってしまっていたと思います。
現代に舞台を移した『ロミオとジュリエット』というのは、『ウェスト・サイド・ストーリー』をはじめとする派生作品や、
ディカプリオらが出演していた映画等を例に出すまでもなく、珍しくも何ともないですが、
ステファーノ役がドレッド頭のラッパーで、アリア(Que fais-tu, blanche tourterelle)を歌いながら、ヒップホップダンスを繰り出したり
(あの曲で?と思われるかもしれませんが、あの曲で!なのです。ベルフィオーレというイタリアの若手メゾが、地のかわいらしい顔の跡形もないヘアメークで、
エミネムの友達か?と思うような、ホワイト・トラッシュなラッパーに扮して頑張ってます。)、
マキューシオとティボルトの決闘シーンでは、剣ではなくて、道路工事のために積まれていた鉄パイプで殴りかかるなど、
家対家、というよりは、地元”チーム”同士の決闘という感じなんですが、現代的なリアリティを求めるオーディエンスにとっては、こういった設定の方が共感しやすいのかな、とは思います。
必ずしもそういう読み替えは必要がない、というのが持論の私でも、物語のコアを見失っているようには感じられませんでしたし、
今回の演出は、予算が限られていたのか、なかなかに寒い(=お金がかかってなさそうな)プロダクションではあるものの、
”モードの呪縛”を切り抜けた後の部分については、寒いなりに楽しめる部分もあったので、前半でとっちらかってしまったのは少し残念です。



先ほど、”これだけ近くに座ったならさすがに大丈夫なはず、、”と書いたアカデミー・オブ・ミュージックですが、やはり侮れませんでした。
恐ろしいのは、これだけ近くに座っても(舞台から高さを除いた純粋な水平距離だけで言うと、5メートルも離れていない。)、
乾いた音響であることにはいささかの間違いもなく、この音の響かなさ・届かなさは尋常じゃありません。歌う側にとっては本当に大変な会場だな、と思います。

ペレーズは声が乗り出してくるまでに少しタイムラグがあって、”私は夢に生きたい Ah! je veux vivre”あたりまでは声もか細い感じがして、心配させられましたが、
歌いすすめてきちんと音が開いて来ると、間違ってもサイズが大きいとは言いかねますが、この劇場でも十分聴こえるのですから、
このあたりのレパートリーを歌っている分には、声量的には致命的なほどの問題はないと思いますし、
声に温かさやしなやかさがあって、フランスものと彼女の声質はまずは相性が良いといってよいと思います。
彼女は”私は夢に~”で判断するに、それほどコロラトゥーラの技巧が卓越して上手い、というタイプではないので、
ベル・カント・ロールも色々歌っているようですが、彼女の声の質と合わせても、私はもう少しリリカルな、
それこそ、フランスものあたりを中心としたレパートリーを組んで行くのが今の彼女には良いのではないかな、と思います。
『ロミオとジュリエット』は結構長丁場ですが、後になるほど歌が良くなって行く感じで、なかなかに疲れ知らずでスタミナもきちんとありそうな彼女ですので、
こんなに元気なら、もう少し、”私は夢に生きたい”から突っ走れるようなコンディションの持って行き方をしたなら、尚良かったと思います。
今回の公演にも、メトの公演時と同様に、毒薬のアリア("Amour ranime mon courage")が含まれているのですが、
ネトレプコの迫力で押しまくるそれ(彼女の毒薬のアリアでの強靭な高音は、客席で聞いているだけでこめかみが痛くなってくるほどです。
私は決してそういうのが嫌いでないですが。)とはまた違った、しなやかさと軽さのあるポイズン・アリアで、ペレーズも健闘していたと思います。

むしろ、私がペレーズの歌で危惧するところは、器用貧乏な感じがする点です。
彼女は歌に大きな失敗がなく、精神力も強く度胸もありそうですし(これは大きな劇場で歌っていくには非常に大事な資質。)、一生懸命さもあるし、
演技もスムーズで、特にあげつらって書きたくなるような欠点は何もないのですが、といいつつ、オペラのことになると、意地の悪い姑キャラになる私ですので、
あげつらってしまうと、彼女の歌には、オーディエンスとして本当に心を打たれる、”真実の瞬間”というのがない、そこが私には一番気になる点です。



で、一方のコステロ。
彼はペレーズと共演する度に、レビューなどに、必ずと言ってよいほど、歌はまあまあ~上なのに、
”ペレーズの自然で淀みのない演技・舞台所作に比べて、とてもぎこちない。”と書かれていて、そのうち、名前ではなく、
”夫婦のうちのぎこちない方”と呼ばれてしまうようになるのではないかと心配するほど、不器用な人のポジションを着々と固めています。
私は実は彼がペレーズと組まずに、他の歌手と組んで歌っている舞台を観たこともあって、
その時にはそこまで彼の舞台所作が不器用だとは感じなかったんですが、今日の彼は確かに歩けば右の足と右の腕が同時に出てしまいそうなほどのそれで、
もしかすると、本人も、いつもペレーズとセットで”彼女は優れているのに、彼の方は、、”と書かれていることをある程度知っていて、
余計、彼女と組むと舞台で硬くなるのかな、、と感じる部分もあります。

それにしても、良くこんな舞台セット、カンパニーや劇場が許可したものだ、と、私が驚き、最初からとても怖い思いで見つめていたのが、
すぐ下の写真にある、片側に全く手すりも柵もない狭い螺旋階段で、この階段がセットのメインなものですから、
大事なシーンのほとんど全てで、ロミオとジュリエットがこの階段の上に立って歌うのですが、
後ろも見ずに距離勘だけで立ち回って演技しているペレーズが、いつ、足を踏みはずして、私達のつい眼の前位の高さ(優に6-7メートルはある高さ、、)から、
ネットもクッションもない、板張りの舞台に叩きつけられるのではないか、と、気が気で仕方がなく、私は全然歌に集中できませんでした。
一幕終了後のトイレの列で、”ご感想は?”とたまたま前に立っていた隣の座席の女性に尋ねられたので、
”歌は楽しんでいるのですが、私はもうあの階段が怖くて!”と、その女性のみならず、周りにいるフィラデルフィアのおば様たちに向かって訴えてみたのですが、
皆様、”落ちる時は落ちる時でしょ。”とでも思っていらっしゃるのか、”あら、そう。”と微笑まれるばかり、、。



しかし、その休憩後、二幕のいわゆるバルコニーのシーンで、恐れていた事態が発生してしまうのです。
彼が蔦のからまった外壁の梯子をのぼり、ジュリエットのいる場所にたどり着くと、セットが反転して、例の階段になるのですが、
かなり上段の方で、シェイクスピアの戯曲の、”どうしてあなたはロミオなの?”の部分に対応する、2人を引き裂く家への思いをジュリエットが吐露し、
それでもお互いを愛していることを確認する、この切ない二重唱を歌う二人、、。
コステロが歌いながら、数段階段を下がり、また上がろうとしたその時、なんと、コステロが階段につまずいてしまったではありませんか!!
息を呑む周りの観客!!
私は、体勢を失ったコステロが、そのまま階段の端に座っていたペレーズの肩を摑んでしまって、そのまま2人で下に真っ逆さま、、
てなことになるのではないか、と、思わず出かけた悲鳴を抑えるべく、手で口を覆ってしまいました。
しかし、コステロは批評家が思っているほど反射神経が鈍いわけではないらしく、ペレーズには指一つ触れずに自らの体勢を建て直し、
何事もなかったように、いえ、それどころか、このドジで体の力が抜けたのか、かえって歌に関しては余計な力が抜けて、
この地点以降、久々に彼らしい歌を聴かせてくれたと思います。
結果、このシーンの2人の歌唱は今日の公演のハイライトと言ってもよい、素晴らしい場面になりました。
レパートリーによっては、本来の声よりも強い声を作っているような作為を感じるコステロの最近の歌唱ですが、
今回の『ロミオとジュリエット』に限って言うと、それはほとんど気にならず、一つ高音で音程を外してしまった以外は、高音の響きも、
以前のような涼やかな感じはやはり減退していて、ほんの少し骨が太くなったような音色ですが、そう悪くはなかったと思います。




コステロの演技と歌には、とんでもなく鈍臭いところも、大きな欠点もあるのですが、その一方で、緊張がとれて彼本来の力が出てくると、
彼の歌と声にロミオの心情が生き移っている瞬間、つまり、これこそが、私がペレーズの歌からはなかなか感じることが出来ない”真実の瞬間”と私が呼んでいるものなのですが、
それが確かにあって、クレシェンド、デクレシェンドの本当に微妙なコントロールの仕方、延ばす音を、ほんの心持ち長く、とか、
またはこの表現にはこの声のカラーを、、といった、スコアで全てを書き記すことのできないニュアンス、”真実の瞬間”のマジックを引き起こせるセンスというものは、
どんなに学習しても後付ではなかなか学ぶことが難しい、もって生まれたものだと思います。
例えば、最後の、ジュリエットが死んだと信じている時の深い嘆き、悲しみ、それから、彼女を追って死を決意する時の表現、
そして、ジュリエットが生きていることを知った時の喜び(ロミオの彼女への愛が利己的なものを越えていることを表している大事な瞬間)、
最後にほんの短い瞬間でもジュリエットと再び生を共有できた喜び、そして、死に対する万感の思い、、。
短い時間の間に刻々と変化するロミオの感情を非常に豊かに表現していたのが印象的でした。



私はペレーズの方には、(もちろん元々持って生れた才能がゼロとはいいませんが)どちらかというと、学習したことや自分の努力で歌を作り上げている、
良い言い方をすれば利口な、悪い言い方をすれば計算高い印象を彼女の歌から受けるのとは対照的に、
コステロは、その鈍臭い演技と、学習能力の遅さ、計算能力ゼロのその向こうに、何か特別なものが眠っている感じがあって、
最近の彼の迷走っぷりを見るにつけ、いつもの私ならとっくに”見込み違いだった、、。”と思うところなのですが、
何か、そう思い切らせないものが彼の歌にはあって、その特別なものを引き出す技をなかなか身につけてくれない
(どころか、最近では遠回りしているような気すらする、、。)ところが、本当にもどかしいです。
実際、今日の全幕を聞いて、内容が良くなければ、彼を今後ウォッチすることはないな、、と思いながらやって来たのですが、
そう思った時にこういうポテンシャルを感じる歌を歌って来るのが、実に悩ましい。
バルコニーのシーンの最後、再び蔦の絡まる外壁の梯子を降り、地面にたどり着いたロミオ。
その足に蔦が絡まってしまって、舞台の中央に歩いて行こうにも行けず、蔦に絡めとられた片足を浮かせたまま、もがき苦闘するコステロの様子を見つつ、
”いつか、その不器用さの殻を破って、本来の自分を解放するのよ!”と心の中で呟いてしまうMadokakipなのでした。

逆隣に座っていたおじい様は地元の大学で心理学を教えている教授とかで、”人の身の上を聞くのは魅惑的なんだよ。”と言いながら、
私のプライベートなことまで根堀り葉堀り聞いてきます。
パートナーはいますが未婚です、というと、私が30をやっと出たところくらいだと勝手に思い込んでいるようで、
”女性はね、40を越えると何もかもが終わりだからね。彼と早く人生計画を立てた方がいいよ。”
、、、、。
このじいさん、まじで殺す!!と一瞬思いましたが、あえて気まずい思いをさせるのも面倒なので、
私の年齢については、もう勘違いさせたまま放っておこうと思ったのですが、さらに彼の根堀り葉堀りは進んで、
ついに、”で、君のパートナーの年齢はいくつ?”
正直に彼の年齢を言うと、”(頭で数を計算している様子で)おやおや、随分君と年齢が離れていないかい。”
そこで、じい様の目をじっと見据えて言いました。”ええ、確かに少し離れていますけれども、あなたが思われているほどには離れていませんのよ。私、41ですから。”
2人の間にひらひらと一匹蝶が舞っていったような微妙な間があって、
”そうかい、、、。そうすると、君はもう人生計画は立て済みなんだね。明らかに、、。”としどろもどろになる教授。
”ええ。もう、’何もかもが終わる’前にすっかりと。”と畳み掛けておきました。
私は実際自分で選んだ人生ですから気にしてませんが、気をつけましょうね、男性が女性を相手に年齢の話をするのは。



デザイナーのキャピュレット父を歌ったモブスは、キャラモア音楽祭の準主役系でお馴染みのバス・バリトン。
キャラモアでは『セミラーミデ』、『ノルマ』と、セリアが続いているので、その役柄のまま、
いつも眉間に皺が寄った感じの、堅苦しい陰気臭い人と思いこんでいましたが、
今日の公演では、地元のデルモたちを両手に抱え、鼻の下を延ばしながら、実に楽しそうに歌ってました。こっちの方が地だな、きっと。

ローレンス神父はメトではベテランの老齢歌手によって歌われることも多いですが、ホプキンスは若い黒人歌手。歌は取り立てて書くほどの内容ではありませんが、
気は良さそうなのだけれど、いつも煙草を手放さず、もしかするとサイド・ビジネスとしてドラッグの売買にも手を染めてそうな、
ストリート系やさぐれ神父風にこの役を演じていて、面白いな、と思いました。眠り薬も、この人の手から出てくると、妙に納得してしまいます。

オケはそもそもの演奏能力にもんだ、、、、いや、あえて、書くのは控えておきましょう。ただ一言、指揮者のラコンブが気の毒だった、、とそれだけで十分。

Ailyn Pérez (Juliette)
Stephen Costello (Romeo)
Marian Pop (Mercutio)
Elena Belfiore (Stephano)
Daniel Mobbs (Capulet)
Olivia Vote (Gertrude)
Justin Hopkins (Friar Laurence)
Taylor Stayton (Tybalt)
Siddhartha Misra (Paris)
Jeffrey Chapman (Gregorio)
Paul Vetrano (Benvolio)
Frank Mitchell (Duke of Verona)

Conductor: Jacques Lacombe
Production: Manfred Schweigkofler
Set design: Nora Veneri
Costume design: Richard St. Clair
Lighting design: Drew Billiau
Chorus Master: Elizabeth Braden
Wig & Make-up design: Tom Watson
Choreography: Myra Bazell
Fight direction: Charles Conwell

Opera Compnay of Philadelphia
Balc Loge AA Even
Academy of Music, Philadelphia

***グノー ロメオとジュリエット ロミオとジュリエット Gounod Romeo et Juliette***

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5 コメント

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そうですよね! (Kinox)
2011-02-26 06:16:09
>”真実の瞬間”のマジックを引き起こせるセンス

すばらしい表現だと思いました。
ライブでの”真実の瞬間”のマジックは特にかけがいのないものだとつくづく思います。
本当に素晴らしいパフォーマンスに出会えると、同時代人でこの日・この場に居られたことを感謝する気持ちで一杯になります。
今シーズンそんな演奏を聴いたのは、カーネギーホールでの内田光子さんでした。
これがわたしたちがコンサートやオペラに通う麻薬なんでしょうね。
返信する
Kinoxさん (Madokakip)
2011-02-26 12:38:26
ありがとうございます。
舞台芸術の難しさ、素晴らしさ、というのは、やはり、このマジックにあるのだと思います。
どんなに正確な歌唱技術も、それがなかったら人の心は動かせない、
いや、正確な歌唱技術だけで全てが解決するようなものなら、
それこそ、電動人形でも舞台に置いておきゃいいのですものね。
ただ、今回の公演は、正確さと舞台への真摯さと努力で抜きん出たものがあるのに、
そのマジックがないペレーズと、
それらで引けをとっていても、尚、そのマジックがあるコステロの対比が、
すごく興味深かったです。

ただ、マジックの素質だけでは世界の舞台で活躍して行けないですからね、
それを高い頻度で引き起こすには、やはり、きちんとした歌唱技術が必要なわけで、
コステロには頑張って欲しいと思います。

>内田光子さん

の名前を挙げてくださいましたが、これを持っているアーティストというのは、
数が少ないですからね。
内田さんのように素質だけでなく、それを開花させ、いつも観客にそれを体感させてくれるアーティストの存在というのはさらに稀、
彼らの素晴らしい演奏を聴かせて頂けるというのは、本当にありがたいことだと思います。
返信する
おかえりなさい (keyaki)
2011-02-26 14:23:25
二人とも30そこそこで、今のところ同程度の実力ということで夫婦共演が多いのかしら....今後どうなるのか注目ですね。ペレスは、シカゴ生まれのメキシコ人だそうですが、オペラ界では、アメリカ人にしか見えないコステロよりも、スペイン系とかが有利なのかもしれませんね。
スペイン公共放送の番組でも、多分スペイン語が喋れるので出ているのではないかと...
http://www.youtube.com/watch?v=U477fI-8m3o

スカラ座のトスカ、本当にやっとカウフマンが出てくれて行ったかいがありましたね。Madokakipさんのレポートを楽しみにしている私としても、ほっとしました。カウフマンじゃないと意味がないですから。
オペラフォーラムで「カウフマンが舞台に出て来たら、拍手があがって吃驚、メトから出張して来たのか....」みたいな20日に行った人のコメントがありましたが、Madokakipさんが思わず拍手をしたってことはないですよね。(笑
返信する
お礼 (olive)
2011-02-28 00:27:34
以前、ランメルモールのルチアのチケット購入の件で質問させて頂いたものです。先日無事デッセイさんの舞台を鑑賞する事が出来ました。舞台はそれはそれは素晴らしく、あの様に舞台と観客が一体となった緊張感を味わったのは初めてです。アドバイス本当にありがとうございました。これからも、こちらのブログを楽しく拝見させて頂きます。
返信する
頂いた順です。 (Madokakip)
2011-03-03 16:53:37
keyakiさん

ありがとうございます!
なんだかやたら時間がかかってしまいましたが『トスカ』のレポート、昨晩upしましたので、
読んで頂けると嬉しいです。
もう今回は本当にドキドキしました。特に出発前に見てしまった17日のヴェントレの名前、
あれにやられました。
いくら、カウフマンが20日は登場する、なんて書いてあっても、そんなの当日までわかりませんものね。

>「カウフマンが舞台に出て来たら、拍手があがって吃驚、メトから出張して来たのか....」

ははは。確かに拍手ありましたねー。気持ち的には私も“うおーっ!!”という感じで限りなくメト出張組入ってましたが、
そこはやはりスカラということで、周りの様子を見てから、、と、心の中でパチパチ、、しておくにとどめました。

さて、ペレス&コステロなんですが、私は正直言うと、コステロは今将来オペラの世界で、
世界レベルでやって行けるかどうか、もう本当、ぎりぎりのところを歩いているように思います。
なんでこんなことになってしまったんでしょうね。三年前の彼の前途はすごく明るかったですのに。
今の状態だと、彼ら二人の才能を足してやっと,
世界の舞台で人気歌手として活躍する歌手の一人分、くらいに相当する感じかもしれませんね。
ただ、今回の歌を聴いて、コステロは、特別なものは潜在的に持っている人だと思うんですよ。
来シーズンのオープニングの『アンナ・ボレーナ』はとても大事なステップになるかな、と思います。
ペレスは、ほんとだ、スペイン語、達者ですね。
(ヒスパニックの人口が増えるにしたがって、スペイン語は今やアメリカの第二言語になりつつありますから、
喋れる人、結構いるんですよね。)
彼女の方は、綺麗に無難に歌うところから飛び出て何か+αがこの上に付いたら、すごく良い歌手になると思うんですけれど、、。
二人とも頑張れ!私は期待しています。

oliveさん

そうですか!無事に鑑賞されましたのですね!
このコメントを頂いたタイミングからすると、初日の公演でしょうか?
それならば、うふふふふ、私も鑑賞いたしましたよ!
ということで、次のレポートは『ルチア』です。

>舞台と観客が一体となった緊張感を味わったのは初めてです

もうそれを伺って、本当に嬉しいです!

>これからも、こちらのブログを楽しく拝見させて頂きます

ありがとうございます。またコメント欄にも遊びにいらしてくださいね!
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