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音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

マイナー・オペラのあらすじ 『アフリカの女』

2011-03-02 | マイナーなオペラのあらすじ
オペラ『アフリカの女』

作曲:ジャコモ・マイアベーア
台本: ウジェーヌ・スクリーブ

初演:1865年4月28日 パリ・オペラ座 


第一幕 リスボンの王室議会の間

ポルトガル提督ドン・ディエゴの娘イネスが愛するヴァスコ・ダ・ガマと最後に会ってから二年が過ぎた。
ヴァスコはバルトロミュー・ディアスの命でアフリカ航海を目指す探検船を率いる船長で、
イネスはヴァスコとの別れの悲しみを追憶しながら、彼の安否に心を悩ませている。
ある日、ドン・ディエゴはイネスの侍女アンナにイネスを連れてくるよう命じ、
嵐による難破の結果、ディアスの探検隊が失われたという報を告げる。
さらにイネスは父に王室議会の議長であるドン・ペドロと結婚するよう言い渡される。
議会が召集されたが、やがて、ディアス探検隊の中でたった一人生き延びたヴァスコがその場に現れた。
ヴァスコはアフリカの奴隷市場から、セリカとネルスコという二人の奴隷を連れ帰り、彼らを伴って王室議会にやって来たのだ。
ヴァスコは彼らの肌の色や顔つき・体つきが今だ知られていない人種のものであると主張し、
彼らの故国を探し当てるべく、アフリカを航海するための資金援助を嘆願する。
縁起をかつぎ、事態を恐れる王室議会が彼の嘆願を拒否すると、ヴァスコは我を忘れ、議員たちを侮辱する言葉を吐き、牢獄に入れられる。


第二幕 牢獄

二人の奴隷たちと共に囚われている牢獄で睡眠をとるヴァスコ。
セリカは、その実の正体はアフリカ人に捕らえられたインドの女王であり、ヴァスコに思いを寄せている。
彼が眠る傍らで子守唄を口ずさむセリカ。しかし、セリカに恋をしているネルスコはこれに激しい嫉妬の情を催し、
もう少しで眠るヴァスコを殺害してしまうところを、セリカに止められる。
ヴァスコが目を覚ました時、セリカは、彼が熱望し続けていた、海の向こうにあるインドまでの航路を打ち明ける。
ヴァスコはこれでポルトガルに偉大なる栄光をもたらすことが出来る!と、感謝の気持ちに圧されるまま、
セリカを抱きしめるが、そこにイネスが彼女の夫ドン・ペドロと共に姿を見せる。
彼女はヴァスコと二人の奴隷の釈放を自ら確認すべく、この場所に現れたのだ。
イネスは今もなおヴァスコを愛しており、ドン・ペドロとの結婚に合意したのもひとえにヴァスコの釈放を可能にするためであった。
同様に今だイネスを愛し、彼女の結婚の事実を知らないヴァスコは、彼女の態度が以前よりよそよそしいのを、セリカとの抱擁を目撃したためと思い込み、
セリカをイネスに奴隷として献呈することで、自らがセリカとはなんの関係もないことを証明しようとする。逆上するセリカ。
ドン・ペドロはヴァスコの航海日誌を手に入れ、ヴァスコ・ダ・ガマが当初計画していたルートを辿る探検隊を再編成する許可をポルトガル王から受けた。
イネスおよびセリカも同行することを告げるドン・ペドロに対し、ネルスコは自らも乗船が許されるよう、まんまと彼を説き伏せることに成功する。


第三幕 航海用の大きな船の甲板

ネルスコはドン・ペドロに正しい航路を進んでいると主張し納得させるが、
実のところ、彼は船が最終的に礁に乗り上げ、難破するように仕組みながら、それを実現させられる場所へ船をおびき寄せようとしている。
ドン・ペドロの船が喜望峰に近づくと、なんとそこにはすでに、予期せぬ幸運によって再び航海に必要な物資と人材を手に入れ、
航海を続けることが可能になったヴァスコ・ダ・ガマ率いるポルトガル船の姿があった!!
イネスを自分から奪い取ったドン・ペドロへの憎しみにも関わらず、ヴァスコはドン・ペドロの船に渡り、
ドン・ペドロがまさに向き合わんとしている危険に警告を発する。
それに対し、ヴァスコを捕らえるという行動で答えるドン・ペドロ。
やがて嵐が訪れ、船は難破。ネルスコに率いられたインド人たちが船に乗り込んで来て、一人残らず囚われの身とする。

第四幕 インドの寺院への入り口

セリカは再び女王の座に帰り着いた。ドン・ペドロと彼の船員たちは全て死刑に処される。
ヴァスコが連れて来られるが、彼は周りに広がるインドの土地の様子にすっかり魅了され、
この場所こそ、自分が今までずっと夢見て来た楽園ではないか、と思いを新たにする(アリア“ああ、楽園よ O Paradis”)。
セリカは従者たちにヴァスコが自分の婚約者であると述べ、そのおかげでヴァスコは命を救われる。
イネスが処刑されたものと信じるヴァスコは、セリカの優しさに打たれ、愛を歌いあげるセリカに加わる。
しかし、その時、ヴァスコの船員に助けられたイネスがその場に現れる。

第五幕 セリカの宮殿

イネスを呼び入れるセリカ。当初はイネスを処刑する心積もりであったセリカだが、
言葉を交わすうち、イネスのヴァスコへの愛の深さに気づき、イネスに道を譲り、二人をもう一度結びつける決心をする。
イネスとともに船に乗り、遠ざかるヴァスコの姿に、絶望にかられたセリカは、
強い毒性で人々に恐れられているマンカニラの木から漂う香りを吸いこみ、悲しみに打ちひしがれるネルスコの腕の中で息絶える。

(あらすじ出典:カーネギー・ホールのプレイビルより、オペラ・オーケストラ・オブ・ニューヨーク編纂によると思われるあらすじのページから拙訳。
写真は1892年メトの全幕公演のセリカ役の衣装を着けたリリアン・ノルディカ。)

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1 コメント

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メジャーとマイナー (le Grand Condé)
2011-04-10 17:43:36
ご無沙汰してます
冒頭のこの写真、ミステリアスです. 熱帯の密林の奥地から太鼓の音が聞こえてきそうです.
『アフリカの女』って、こういう筋なのですね… 書いて下さると興味が湧きます. 「Adamastor, re delle acque profonde」(Tita RuffoのCD)という曲のみ、面白い曲なので記憶がありました. 『オリー伯』も“マイナー”ですか. グラインドボーンの作品(録画)は楽しめたので、そういう印象は無いのですが… 現在は、マイアベーアやロッシーニ等の新しい時代の作品はあまり聴かなくなってきていて、モーツァルトの音楽に影響を与えたのではないかと考える作曲家(J.C.バッハ、J.A.ハッセ、K.ディッタースドルフ、G.パイジェッロ、G.B.ペルゴレージ、N.ピッチンニ、…..…)のオペラ、器楽作品を探して聴き続ける”旅”をしています. 色んな事が発見でき、例えばモーツァルトの本当のオリジナリティというのは、どの辺りにあるのかが、何となく見えてきているような気がしてますし、また質の高い作品の宝の山が”マイナー?”故に、眠っていることにも驚かされます. 上述のた作曲家も作品も、今日では、”マイナー?”であるので、聴きたい作品の録音自体が、存在しないか、入手困難なことが多くて困ります. J.A.ハッセの『アルタセルセ』の全幕ものとか、『アルバのアスカーニョ』が打ち負かしたというハッセの『ルッジェーロ』など聴いてみたくとも見つかりません. (そういえばハッセの『アントニーとクレオパトラ』(録音)に、メトオーディション2007優勝者のJAMIE BARTONという女性が出てますがいかがなものでしょう?)
“メジャー”、“マイナー”という表現には、メジャーリーグ、マイナーリーグ、1軍、2軍みたいなニュアンスがありますけど、私の場合、音楽での”メジャー”の定義は、ポピュラーである、大衆受けする、売れ筋である、なので、あまりいい意味に取らないのです. マイアベーアの『アフリカの女』は、もしかしたら本当に”マイナー”(2流、質の低い)なのかも知れないのですが、上述した現在あまり顧みられていない大作曲家、作品に関して”マイナー”という言葉はちょっと抵抗があるので、何といえばよいのでしょう?
J.S.バッハは、死後、すっかり忘れ去られていた存在であったし(当時バッハといえばJ.C.バッハを指していたらしい)、G.A.ロッシーニのオペラ作品など見直されたのは比較的新しい話です. “メジャー”、”マイナー”という区分は、結構、いい加減で気まぐれなものだと考えています. メジャーレーベルとか、メジャー雑誌、メジャー劇場とかが選んだ演目、作品という敷かれたレールから選ぶ(踊らされる)よりも、聴きたいものは別の次元も含めて、選ぶというのが現在のスタンスです(笑)

“マイナー”な演出っていうのもあるのでしょうね.コンヴィチュニーの『サロメ』観ましたけど、演出に無頓着な私が観てもひどいものでした.ただ、最後に登場したコンヴィチュニーに対して“ブー”がすごかったのですけど、コンヴィチュニー自身は大変嬉しそうで、マゾみたいです. でも案外、本人”メジャー”な演出が嫌いということならそれはそれで結構なことです.

ところで、「あの日」は大変でした. 私は、ただひたすら、自宅に向けて延々歩き続けました….
夜空が済みきっていて、三日月が白く煌々と輝いていたのを、妙に記憶してます.

TOSCA (Sun, Feb 20, 2011) 後編 のコメント欄が、3/11以降、震災掲示板のようになっているのをざっと拝読しましたが、時系列的に、事態の深刻さが人々に伝播する迄には時間がかかるものだということに、ゾっとさせられました. 

それから1週間程、精神的にも、肉体的にも、音楽など聴く気になどなれず、その後は、モンテヴェルディの音を再発見し、『オルフェオ』などをずっと聴いているくらいです. モンテヴェルディの通奏低音サウンドはすごいですね. アリアでもレチタティーヴォでもなく、アリオーソっていうのかな、歌のような科白のようなもの、ひたひたと悲しみの旋律を続けるので、それがアリアで・レチタティーヴォ形式と異なり、音楽劇としての流れを自然にするので、内容の方にどんどん引きこまれていってしまいます.リュートっていう楽器は今使われないのですが、心情の揺れ動きに併せて掻き鳴らされると、まさにぴったりで、モダン楽器でこれに匹敵する表現が出来る楽器ってないのではないかな、などと思います.

[重 唱]不吉な雲が迫り、ひどい嵐で世界を脅かした後は、太陽はその光をより明るく放つもの
[リュート]ポロロロ、パラララリ、ポロロロパラ、ポロロロロ、ロロロロ
[チェンバロ]チャラララ、トゥラララ、チャラララ、トゥララララ、チャラララ、
[ヴィオローネ]ヴーーーーーヴーーーーーーヴーーーーーーヴーーーーーーヴーーー
[キタローネ]ヴン・・・・・・ヴン・・・・・・ヴン・・・・・・ヴン・・・・・・
[オルガン]バォーーーーーーーヴァォーーーーーーーーーーバォーーーーーーーーー
(使用楽器、音とも、あくまでイメージです)

最近になってようやく、モーツァルトのk452などが聴けるようになってきました.

>仕事での私のモットー、“口を動かさず、手を動かしなさい。”

なぜか、このコメント読んだら、少し明るい気持ちになれました.
“手の動きが遅いぞー”とか、“手だけしか動かしてないのかー” とか…

矛盾するようですが、ワルキューレ楽しみです
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