Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

ROMEO ET JULIETTE (Thurs, Mar 3, 2011)

2011-03-03 | メトロポリタン・オペラ
『ロミオとジュリエット』(以降略してロミ・ジュリ。フランス語では発音がロメオ・エ・ジュリエットなのでロメ・ジュリと言うべきなのでしょうが。)
のリハーサルがメトで始まって、オケとの通しになっても、まだゲオルギューがマーキングばかりして全然フル・ボイスで歌っておらず、
ポイズン(ポーション)・アリア(=毒薬/眠り薬のアリア。第四幕”ああ、なんという戦慄が Dieu! quel frisson court dans mes veines?)は全音下げで、
しかも2007年にネトレプコが歌った時よりも半分以下の長さになっているという話が聞こえてきました。
あのアリアは、毒薬に戸惑う前置き(A)→
愛よ、力を頂戴!そしてロミオのためにこれを飲むの! (Amour, ranime mon courageからO, Roméo, je bois à toiまで)(B)→
しかし、また色々考えて怖くなって来たわ!でもだめ!そんな恐怖心よ、消え去って頂戴!(C)→で、
最後にまたBを歌って終わるというのがフルのバージョンなんですが、どうやらAとBだけしか歌っていないらしいのです。
フィラデルフィアのジュリエット、アイリン・ペレーズもちゃんとフルで歌っていたのに。

よもや、あの女(ひと)、また良からぬことを考えているのでは、、、?
案の定、ゲオルギューはドレス・リハーサルになると、いよいよ姿すら見せなくなり、
初日の直前になって、今シーズンの『ロミ・ジュリ』の全公演から”体調不良により”降板になることが発表されました。
体調不良って、ランの最後の公演は20日以上先の26日ですけど、、。相変わらずゲオルギューってばゲオルギューしてます。



というわけでラン全ての公演でジュリエット役を歌うという突然のビッグ・チャンスが転がり込んで来たのが、
ゲオルギューのカバーであるヘイ・キョン・ホンで、ドレス・リハーサルにも彼女が登場しました。
ホンさんといえば、何度かこのブログでもふれたことがある通り、ソンドラ・ラドヴァノフスキーと同じく
ゲルブ支配人の寵愛薄く、彼の支配人就任以来、メトの舞台上から限りなく姿が消えた状態に近くなった、とヘッズの間で囁かれている歌手の一人です。

米版Wikipediaには、ホンさんのご主人が2007年の末に癌と診断され、それから半年余りでお亡くなりになり、
喪に服して2010年の『椿姫』まで活動を見合わせていた、とありますが、その『椿姫』はもともとゲオルギューのカバーだったわけですし、
今シーズンの『カルメン』も今回の『ロミ・ジュリ』にしても、いずれも元々はカバーで、キューマイヤーやゲオルギューがキャンセルしたから出番が回って来たに過ぎません。
カバーする歌手はされる歌手とほとんど同じ準備をして舞台に備えなければならないのですから、
喪に服して仕事の世界からしばらく距離を置きたかったはずの彼女がそもそもそんな大変な準備を引き受けるものだろうか?、
また、事情によっては本当に舞台に立たなければならず、それこそがカバーの仕事である、という事実を考えれば、
それではどうして喪中の時期にそもそもカバーを引き受けたのか?という疑問が残り、
実際、2010年にホンさんが登場した『椿姫』は、決してこのWikipediaの説明にあるようなニュアンスでの華やかなカムバックではありませんでした。
私自身は、ヘッズの間に巻き上がっていたゲルブ氏からの寵愛薄い論にカウンターアクトするための、彼女のマネージメントかファンによる書き込みである可能性が大ではないかと思っています。
ゲルブ支配人との間にしこりを作るとどういう結果になるかはルース・アン(・スウェンソン)姉さんが身を持って証明しましたから、、。

そんなホンさんは現在51歳。
ゲルブ支配人が就任した2006年以来約4年半、
その間にはスラットキン&ゲオルギューが大バトルを起こしたシーズンの『椿姫』で、やっぱりゲオルギューが降りた時の代役や、
今シーズンの『カルメン』のBキャストで当初予定されていたキューマイヤーの代わり(ミカエラ役)を数回つとめたことはありますが、
本来ならこの4年半は、ホンさんのキャリアの中で声楽的にはちょうど最後の美しい時期にひっかかっていたはずで、
もっとメトで活躍していてもおかしくなかったのです。
その証拠に、彼女のメトでの影がすっかり薄くなった直前(2006-7年シーズン)の『トゥーランドット』のリューのそれは素晴らしかったことと言ったら!
特に”お聞き下さい、王子様 Signore, ascolta!”の最後の部分の美しさは今でもヘッズ仲間で良き思い出として語られている位です。
下の音源は、パヴァロッティと共演していますので、更に若い時期の音源だと思われますが(おそらく1997-8年シーズンのメトの公演ではないかと思います)、
2006-7年シーズンに聴いた彼女の”お聞き下さい、王子様”では、この音源よりも更に歌唱に繊細さが増していて本当に素晴らしかったのです。



彼女が本当に自身の意思で、カバーのみを希望し、本来のキャストには含まれないことを望むという、不思議な行動に出たのでない限り、
これはやはり、ゲルブ支配人が、彼女のような歌手よりも、ゲオルギュー、ネトレプコ、ポプラフスカヤというような、
人気のある、もしくは、若手の歌手ばかりを集中的にキャスティングする作戦の犠牲となったと考える方が自然であって、
(また、ゲルブ支配人はヴォルピ前支配人と関わりの強かった歌手やプロダクションとは手を切りたがる傾向にある、というのも、多くのヘッズが指摘しているところです。)
ホンさんのキャリアで最後の貴重な4年半になったかもしれない時期を、
(そして、オペラの世界の3年、4年というものがどれほど重い意味を持つか、ということは、つい先日の『ルチア』のレポートにも書いた通りです。)
”アジア人のおばはん歌手よりも、ビッグ・ネーム、もしくは新顔、できれば美人を!”という安易な支配人の判断により、メトの観客が失ったことに関して、
同じくアジア人のおばはんである私はかなり怒っていて、ぜひホンさんには今シーズンの『ロミ・ジュリ』で悔いのない歌唱を聴かせて欲しいと思うのです。
もちろん、ビッグ・ネームや力のあるニュー・カマーを迎えることは大事ですが、まだ優れた歌を聴かせられる歌手の活躍の場を奪うというのは絶対に間違っているし、
その”まだ優れた歌を聴かせられる”かどうか判断するのも、支配人の大事な仕事だろう!と思うわけなのです。



そんなわけで、この公演ではホンさんこそが私の最大の注目人物だったのですが、彼女の歌声が現れる全然前の、序曲の時点から私はびっくり仰天してしまいました。
ドミンゴ様の指揮が大変なことになっているのです、、、。
歌手としてのドミンゴ様にはもうこれ以上抱けないほどの敬意を私が持っているということ、
ただし、指揮者としてのドミンゴ様には時に疑問を呈することがあるということ、
この二つは、このブログ上、もはや秘密でも何でもなくて、皆様ご周知のことと思いますが、
今日のドミンゴ様の指揮は今までのような”ちょっとまったりしてるな。””間延びしているな。”というレベルではなく、
また、同じドミンゴ様が指揮した、HDにもなった2007年の公演(ネトレプコやアラーニャらが出演)の時の指揮の比でもない。
聴いているうちに段々時間軸がねじれ、音楽が加速的に遅くなり、終いには永遠に音楽が終わらないような錯覚が起こって、
まるでこの世ではない場所にワープしたように感じるほどなのです。

どんな作品でもテンポの設定というのは難しく重要であることに変わりないですが、
特にこの『ロミオとジュリエット』という作品は、早すぎても遅すぎても音楽があっという間に死んでしまって、
一旦音楽が死んでしまうと、どうしようもなく退屈で∞的に長く感じられてしまいます。
実際、スタジオ録音盤、ライブ盤を合わせ、通常に手に入る音源に関しては、どれを聴いてもやたら急き立てられるように早く感じるか、
どうしてそんなにまったり演奏するのか?と問いたくなるかのどちらかで、私の感覚にぴったり来るテンポで演奏している音源というのは今のところ皆無です。
それを言うと、先日見たフィラデルフィアの『ロミオとジュリエット』は、オケそのものの演奏能力には多大な問題がありましたが、
指揮者が設定していたテンポはなかなか私の感覚では適切に感じられ、
そのおかげで、どんなにオケのアンサンブルが乱れて、すかたんな音を出していても、音楽が死んでいなかったのが救いで、
実を言うと、あのフィラデルフィアの公演以来、私の中ではこの作品を見直す気運が高まっていて、
優れた指揮者、オケ、歌手達によって演奏されたなら、単なる美しい旋律の寄せ集めではない、とても感動的な公演になりうる、
もっともっと評価が高くてもよい作品なんではないかと思い始めているのです。



それにしても、ドミンゴ様のこのテンポ設定は殺人的に遅すぎです。
しかも、以前、ラドヴァノフスキーが指摘していた全くのその通りで、指揮があまりに歌手に譲り過ぎていると思います。
それこそ、ドミンゴ様やパヴァロッティのような歌手なら、彼らががんがん歌うのに合わせて指揮の方が合わせるというやり方も通るかもしれませんが、
考えても見て下さい、今日、オペラの舞台に立つ歌手たちは彼に多大なる敬意を持っている歌手たちばかりなわけで、
そのドミンゴが指揮をするとなったら、歌手の側は自分達がドミンゴ様の指揮に合わせて歌おうと思うのが当たり前で、
間違っても自分達の歌にドミンゴ様の指揮を合わせてもらおう、なんて考えてるはずがありません。
だから、指揮者であるドミンゴ様の方がリードしなければならないのです。
特にこれは後にもふれますが、今日のホンさんは、久々の大舞台のしかも初日、ゲオルギューが大物議を醸してキャンセルした後の代役、シリウスの放送といったメンタルの要素に、
必ずしもベストでないコンディションというフィジカルな要素が重なって、かなり精神的に落ち着きのない状態になっていて、猛烈にドミンゴのリードを必要としているのに、
そのドミンゴがまたホンさんの様子を見て合わせているものですから、火事のまっただ中に二人で油を掛け合っているような状態になってしまっているのです。

また、オケの各セクションへのキュー、それから歌手へのキューがきちんと出ていないために、混迷を極めている箇所もあって、
多くの部分をオケの団員がゲス・ワーク(こうやって演奏すればいいのかな、、と自己判断で演奏している状態)しているのが伝わって来ます。
これは、演奏している団員にとって非常にストレスフルなはずです。



そして、この恐ろしい惨状を実際に自分の目・耳で見・聴いて、ふと、私の中にある考えが起こって来たのです。
ゲオルギューが降板したのは、この指揮も原因だったのではないか?と、、、。
彼女が指揮について、一家言もニ家言もあるのは先述の”スラットキンの椿姫”事件で証明済みです。
その彼女がこのドミンゴ様の指揮について何も思わないとは私にはとても考えられません。
しかし、そこで問題なのは、スラットキンなら、”あの親父、どうにかして。”とゲオルギューがゲルブ支配人に頼みさえすれば、スラットキンの方の首が簡単に吹っ飛んだ、
けれども、ドミンゴ様を相手に”あの親父、どうにかして。”なんてことを頼めるわけもなければ、
仮に頼んだとしても、ゲルブ支配人は絶対にスラットキンの時のようにYesとは言わないであろう事実です。
いや、ドミンゴ様が相手では、首が吹っ飛ぶのは彼の方ではなく、ゲオルギューの方でしょう。
そして、それは実際にそうなった。その結果が今回の彼女のキャンセル、ということではなかったか、と思うのです。
もちろん、彼女は馬鹿ではありませんし、ドミンゴとの長年の仕事仲間としての関係や大きな敬意はあるでしょうから、
スラットキンとの時のようには事を荒立てず、一応、ゲルブ支配人との同意で、自分の”風邪”による全幕降板という形で、幕を引くことにした、、、
そういうことなのではなかったか、と私は推測します。
”またあの我儘女がやらかしやがった!”とヘッズから非難轟々の今回の彼女のキャンセルですが、もしこの推測が当たっているとすれば、
このゲオルギューには冷淡な私ですら、すべてを自分で被って降板することにした彼女をちょっと気の毒に思う部分もあります。
それ位、ドミンゴ様の今回の指揮はやばい。私はそのように思います。
ま、もはや何をやっても狼少年状態になっているゲオルギューですので、本当の理由はおろか、その有無も、もう誰も気にしちゃいないかもしれませんが。



この推測があながち外れていないとすれば、少なくとも今回のことに関しては彼女に全ての非があるわけではないのですが、
ゲルブ支配人は指揮者の指揮の内容やクオリティに関して、その知名度や話題性ほどには、興味も理解もないみたいなので、
今回の事件は、単なる”もうひとつのアンジェラの我儘”と映ったようで
(まあ、ロミオ役のべチャーラはそれでも歌い続けているわけですから、彼のようにプロに徹せよ!ということなのかもしれませんが、、)
この『ロミ・ジュリ』降板事件をきっかけにして、彼女とゲルブ支配人の関係は決定的に悪化し、
とうとう、新シーズンの『ファウスト』からも彼女は降板してしまうことが確定しました。
中には彼女はもうこの先、メトには戻って来ないのではないか?と言っているヘッズもいます。
『ファウスト』に関しては、表向きは彼女が”演出が気に入らない”と不満を見せたのが原因、ということになっていて、それももちろん理由の一つだとは思いますが、
これまでに貯まったゲルブ支配人側の鬱屈(昨シーズンの『カルメン』新演出からの降板、『椿姫』でのスラットキン問題、
そして今シーズンの『ロミ・ジュリ』の降板、来シーズンの『ファウスト』の降板、、、これらに費やされた余計な手間と心労)が爆発し、
彼女クラスの人気歌手にはおよそこれまで厳しい言葉を発したことのないゲルブ支配人が、
”メトがどんなに彼女を受け入れるつもりがあったとしても、まずは実際にちゃんと舞台に立ってくれないと話にならない。”と、
珍しく痛烈な嫌味を彼女に浴びせていて、メトの方も、これまでのように彼女に跪いてまで来て歌って貰うつもりは最早ない、という意思表示だともとれます。



さて、肝心の公演について話を移しましょう。
まず、私が一番注目していたホンさんですが、とても50歳代とは思えぬ可愛さ!!!
ローティーンであるジュリエット役を演じてこんなに無理がないなんて、化け物のような人です。
ゲオルギューにだって、こんなに少女らしさを感じさせながらこの役を歌うのは絶対無理でしょう。ああ、私もこんな50歳になりたい、、。
MetLegendsのレヴァインの回の会場で見かけたホンさんはアニマル・プリントのお洋服に身を包み、なかなかの派手なファッション・センスでしたので、地がどのような方かは存知あげませんが、
必要な時に舞台で可憐に見える、それだけで私にとっては十分です。
歌の方は、しかし、先にも書いたように、相当、今日の公演ではプレッシャーがかかっていたようで、
登場して最初に歌うEcoutez! Ecoutez! C'est le son des instruments joyeux qui nous appelle et nous convie!
(聴いて!私たちを呼び、そして、繋ぐ、あのうきうきするような楽器の音を!)のフレーズのほとんど全ての音でピッチが狂っていて、
1984年にメト・デビューして以来、本当に多くの公演、色々な役で非常にソリッドな結果を出して来た彼女ですら、こんなに緊張することがあるんだな、というのが驚きでした。
その後も声が落ち着いて来るのにだいぶ時間がかかりましたし、正直言うと、今日の公演では最後の最後まで彼女の歌唱にはどこか落ち着かないところがあって、
彼女の100%の力が出ていたとは言い難い部分があります。
それから、4年半前に比べると少し高音にウェアが出始めているせいで、以前のような全音域での安定した涼やかな声というのは出にくくなっていて、
『カルメン』のミカエラのような、登場場面が比較的短い作品だと目立たなくても、この作品でのジュリエットは相当歌うパートが多いですから、
声のパワー、スタミナという面で、直近の2007-8年シーズンに同役を歌ったネトレプコに比べると、アンダーパワーであると感じられる部分はあると思います。
年齢を考えれば、本当に上手く声を保っているのは明らかで、それは単に必要な音域をきちんと確保して無難に歌っているということだけではなくて、
このジュリエットという役に必要な少女らしさ、純真さ、というのが声と歌唱自体で表現できている、その部分に大きなメリットを感じます。。
またネトレプコがパワーとパッションでおしまくる直感的ジュリエットとすると、ホンさんのジュリエットには長い間舞台に立って来た歌手にだけ可能な、
作品の構成とかフレージングに注意が行き渡った歌唱で、彼女の声にはネトレプコのようなパワフルさはないですが、
ネトレプコの歌が客席の椅子の背に観客を押し飛ばすような歌だとすると、
逆にホンさんンの歌唱には、大事なフレーズをオーディエンスに身を乗り出して聴かせるようなクオリティがあって、
第四幕のジュリエットの寝室のシーンのラストにある、
”Adieu, mon âme! adieu, ma vie! Anges due ciel, à vous, à vouse je le confie!
さよなら、私の魂よ、さよなら、私の命よ!天使たちよ、あなた方に、あなた方に、彼のことを託します。”
という部分の、まるで囁くように、静かに祈る歌い方と、そこに込められたジュリエットの感情の表現は素晴らしかったと思います。
メトのHDの時の映像からこの愛の二重唱をアップしてくださった方がいて、それを紹介したかったのですが、
ロミオとジュリエットが別れる瞬間に無残に拍手で途切れさせられ、そのせいなのか、この一番感動的なフレーズの前でその方は映像をちょん切ってしまわれているので(なんということ!)、
別の映像(2002年のオランジュでの公演の時のもの)から、今回の公演でジュリエットを歌うはずだったゲオルギューの歌唱を。
下の映像の8'20"からが、その部分です。



ポイズン・アリアは、ゲオルギューがオケとのリハーサルで用いていた一音下げた調ではなく、結局オリジナルに戻していたように私の耳には聴こえましたが、
長さに関しては、ホンさんも自身のスタミナに少し自信がなかったのか、ネトレプコが歌ったフル・バージョンではなく、
短縮されたゲオルギュー・バージョンのままでした。
ことこのアリアに限って言うと、私はやはり、ネトレプコのようなパワフルさとパッションがあった方が適切だと思うので、
ホンさんの歌唱では、この場面の本質が伝わりにくく、アンダーパワーだと感じました。



上の映像は、メトのHDの公演の時からのものですが、ネトレプコのポイズン・アリアは、このマイクで拾った音源から伺われる迫力とほとんど違いがなくて、
劇場で聴いても頭に直接がんがん来るような力のある高音だったのを懐かしく思い出します。

今回のメトのユーステンによるプロダクションでは、ポイズン・アリアの後、セットはそのまま、次のパリスとの結婚式への準備のシーンになるのですが、
この映像にある、階段付きの台の上でウェディング・ドレスをお付きの者に着せられながら、薬が効果を発して、ジュリエットがその場で気を失う、という
(まわりは彼女が死んだと思うわけですが、、)演技があります。
この台は映像ではそんなに高さがあるようには見えないかもしれませんが、実際には結構な高さで、
ホンさんが気を失った演技をした後、どしーん!というものすごい音がして、彼女がこの台から舞台の床にそのまま落下したのが見え、
その落ち方があまりにリアルで、彼女が全く自分の体を守る動きを見せなかったものですから、
私の周りの座席から、"Oh, Jesus!"という叫び声が上がって、私も思わず息を呑み、
神父役のモリスがホンさんを慌てて抱きかかえて大丈夫か!?という様子をしているのもあまりにリアルなんですが、
彼女が全くびくともしない様子で普通に演じ続けているので、ああ、これは演技なのか、
マリア・カラスが、自分を揶揄して、”太って醜い女は、音符の上に一つ二つ余計に点をつける必要があるんです。”というような趣旨のことを言った、
というエピソードがありますが、私はもしや、ホンさんも”激しさのないポイズン・アリアを歌うソプラノは、
ちょっとした高さのところから飛び降りるくらいのことはして見せなければいけないのです。”とでも考えて、
アドリブであんなところから飛んで見せたのかしら、だとしたらガッツのある人だわ、、、と思っていたのですが、
どうやら、これは全くの事故で、彼女は自分がそんな高さのある台の上にいることを忘れてしまっていたらしく、膝からそのまま床に落ちたんだそうです。
痛くなかったわけがないと思いますが、その後も全然それを観客に感じさせないで舞台を努め切り、その後の公演も一日もキャンセルしていないんですから、すごい人です。



ロミオ役を歌ったべチャーラは、声の質そのものはこの役に向いていて、若々しい雰囲気もきちんとあるのですが、
今日は最初からどこか音の座りが非常に悪いというか、最初に登場した時から、音の芯の場所を探しながら発声しているような様子があって、
心配していたところ、やがてところどころに、非常にこちらを心配させるような危うい音が混じるようになって来たんですが、なんとか持ちこたえて歌っていたところ、
第三幕、マキューシオの命を奪ったティボルトを、ロミオが怒りを抑えきれずに刺し殺してしまった後、追放を命令され、
幕の最後の言葉となる"O désespoir! l'exil! Non! je mourrai, mais je veux la revoir!
ああ、何ということだ!追放!いや、そんなことならいっそ死んでしまおう。でもその前に一目彼女を!”の最後のrevoirは、
剣を交えるシーンや、合唱と張り合ってソロ・パートを歌った直後に現れる、地獄の高音で、しかもドラマのハイ・ポイントでもあるんですが、
このrevoirで、べチャーラの声がひっくり返ってしまったのでした。
ここの高音が恐ろしいのは、この言葉でオケには休符があって、テノールがvoirの部分の高音を延ばした後に再び音がなだれ込んでくる、
というオーケストレーションになっており、非常にエクスポーズされた、失敗したら、もうどこにも隠れるところがない高音であるという点で、
べチャーラの声がひっくり返った瞬間、オケの音がないせいもあって、劇場中がはっ!と息を呑んだ音が聴こえました。
まあ、こういうこともあります。元々あまりコンディションも良くはなさそうだったので、この後のラン、あまりこの部分に関してくよくよせず、
気持ちを切り替えて、乗り切って欲しいな、と思います。



また、一言言わせてもらうなら、観客から早く帰宅できるようにして欲しい、という注文があるのでしょう、
ゲルブ支配人は開演時間を早めたり、できるだけ多くの作品で、幕を続けて上演して、インターミッションを二回から一回にする方向に向けて動いているようなんですが、
はっきり言って、そんな観客の寝ぼけた戯言にいちいち耳を貸す必要はないんです。
演奏のクオリティを保つには、観客が何を望んでいるかということよりも、歌う側、演奏する側のニーズを尊重する方がずっとずっと大事です。
大体、この『ロミオとジュリエット』のような作品を一幕から三幕までぶっ通しで演奏するなんて、正気の沙汰じゃありません。
ただ座って鑑賞している観客ですら、”なが、、”と思うような時間を、連続して歌手やオケ・合唱に演奏させるなんて、、、。
十分な休憩を取らさずに、演奏者を馬車馬のようにこき使っていると、喉も腕も呼吸も疲弊しますし、こういうアクシデントは増えるでしょう。
演奏者は機械じゃないんです。
ちゃんと必要なリフレッシュの時間を与えてあげて欲しいですし、大体、幕が別になっているのはそこに作曲者やリブレッティストの意向があるのであって、
それを続けて演奏したら、ドラマをより深く感じる上で観客が必要な間まで奪い取ることになってしまいます。



ステファノ役を歌ったブリアンヌ、マキューシオを歌ったミーチャムは2007年のレナードとガンのコンビよりも魅力に欠けましたが、
キャピュレットを歌ったドウェイン・クロフトは存在感があり、かつ、歌もそれに伴っていたと思います。
(最近彼はこういう比較的登場場面の少ない、しかし存在感の必要な役でたくさん舞台に立つようになっているような気がします。)、
モリスの神父、これはとても微妙で、存在感はもちろんあるんですが、彼にまだ残された良さがあったとしても、それが十分に活かされる役ではないように思います。
モリスは今シーズン、メトでは『トスカ』のスカルピアが先に待っているんですよね。大丈夫かな、、。

今日の公演とフィラデルフィアの公演を比べたら、フィラデルフィアの方が大きな欠点はあったし、歌手陣の平均した力のレベルにも差があるんですが、
この作品の、若さゆえの駆け抜けるような悲劇、という側面は、フィラデルフィアの方が良く捉えていたかな、と思います。
ただ、ホンさんに関しては、出来れば、もっと心理的に落ち着いた、本来の彼女の力での歌唱を聴いてみたいので、
もし機会があれば、ランの最後までにもう一回鑑賞が出来たら、、と思います。
ドミンゴの代わりにネードラーが指揮をする公演があるみたいですのでそこが狙い目か?


Hei-Kyung Hong replacing Angela Gheorghiu (Juliette)
Piotr Beczala (Roméo)
Julie Boulianne (Stéphano)
Lucas Meachem (Mercutio)
James Morris (Frère Laurent)
Sean Panikkar (Tybalt)
Dwayne Croft (Capulet)
Jeff Mattsey (Paris)
Wendy White (Gertrude)
David Won (Grégorio)
Brian Frutiger (Benvolio)
Jordan Bisch (The Duke of Verona)
Conductor: Plácido Domingo
Production: Guy Joosten
Set design: Johannes Leiacker
Costume design: Jorge Jara
Lighting design: David Cunningham
Choreography: Sean Curran
Dr Circ C Odd
OFF

*** グノー ロメオとジュリエット ロミオとジュリエット Gounod Romeo et Juliette Roméo et Juliette ***

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7 コメント

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え~っと(苦笑) (みやび)
2011-03-22 00:21:17
歌手としてのドミンゴは、テンポの設定は指揮者の仕事であるということを良く理解しているので、指揮者に逆らって勝手なテンポで歌ったりすることはありません。なので、ご自分が指揮棒をとったとなれば、指揮者が歌手をリードせねばならないことも十分ご承知のはずですが…

>指揮があまりに歌手に譲り過ぎている

なんか、御本人もこれが欠点であることを認識しているフシが(汗)
それを抜きにしても、なんとなくロミ・ジュリはドミンゴに向かないような気が(根拠なしですが)するんですが、それにしては結構振ってますよね…不思議。

ゲオルギューについてですが…指揮が気に入らない可能性もなくはないですが、私はジュリエットをレパートリーから落とすつもりなのでは、と思っていました。アラーニャと結婚してからCDでは結構重たい役も録音していますが、舞台でもその路線まっしぐらのアラーニャと比べて、ゲオルギューの方はそれほど急にレパートリーを広げてはいないと思います。それでもアメーリア、トスカを舞台で歌い、今年はアドリアーナも歌いました。(CDではフェドーラを出したところです。)レパートリーはこちらにシフトしていて、ロミ・ジュリ、ファウスト、椿姫あたりはそろそろ…なのかな、と。ファウストは今年ROHで歌う予定があるようですけど。
返信する
みやびさん (Madokakip)
2011-03-22 13:57:36
確かに、ドミンゴ様が振る演目はどういう基準で決まっているんでしょうね?
ご自身で歌っている作品の幅の広さや、それこそ『オテロ』なんか、良く作品を知り尽くしていらっしゃることを考えると、
確かになぜ他の作品でなく、『ロミ・ジュリ』、、、?と思います。

>私はジュリエットをレパートリーから落とすつもりなのでは、と思っていました

彼女って、デビューした後にあまり声が変わっていかなかったタイプの歌手だと私は思っていて、
それは、ある面では、例えば長い間ヴィオレッタのような役を歌うことを可能にしたり、
良かった面もたくさんあるのですが、その一方で、レパートリーがあまり拡張されなかった、という点はあったんじゃないかな、という風に思います。
ガラやコンサート、CDなんかでは色々歌っていますが、
実は彼女が全幕で歌えるレパートリー(特に人気演目では)って、かなり限られていると思うんですよね。
彼女くらい人気があると、毎年個々のオペラハウスに登場しつつ、この限られた役柄で回していかなければならない、、
ということで、彼女自身はジュリエットを落としたいと思っていても、
なかなか落とせない、という事情もあるのではないかな、と思います。
それは『椿姫』も同じで、もう落ちそう、もう落ちそう、と見えながら、
つい去年までメトで歌っていたり、その後もまだ日本で歌うつもりだったり(ROH)、、、

特に今回のメトの公演に関しては、
ジュリエットをレパートリーから落とすことが直接の降板の原因なら、
もうちょっと早くに落としたのではないかと思います。
彼女はオケ合わせにも登場していたし、ドレス・リハーサルの直前のリハーサルまでは全部参加していたんですよ。
もちろん、先に書きましたように、出来れば役を落とす方向ですすみたい、という気持ちがどこかにはあったかもしれませんが、
初日の一週間位前までは歌うつもりだった役を、突然にドロップするというのは、
その間に何か原因があったと考える方が自然じゃないかな、と思うのです。

で、この間にあったことで二つ考えられるのは、
①ポイズン・アリアをオリジナルの調+フル・レングスで歌えない、という噂がヘッズの間に広まってしまったのに気を悪くしたか、
(これは間接的にはレパートリーの問題といえますが)
②指揮の問題
なんですが、彼女が①を気にするような人にはあまり思えないんですよね、、、
大体、そんなことを気にする人なら、それをオケにお願いする時点で
(事前にライブラリアンが全員のスコアに手直しをしなくてはいけないですから、、。)
もうこの役からは身を引こう、と考える、
よって、やはりもうちょっと早い時期での降板になったのではないかと思うのです。
返信する
ホンさんのジュリエット (みやび)
2011-03-23 13:36:59
>ドミンゴとの長年の仕事仲間としての関係や大きな敬意はあるでしょうから、

1月21日にテアトロ・レアルで開催されたドミンゴbirthday gala concertにも(歌わなかったけど)いたようです。
何より7月29日にロンドンのO2 arenaでドミンゴとのコンビでコンサートがありますから、いかにゲオルギューといえども関係を悪くしたくはないでしょうね。

↓は16年前(!)のホンさんのジュリエット&ドミ様のロメオです。

http://www.youtube.com/watch?v=RpWu4fhWra8
返信する
みやびさん (Madokakip)
2011-03-23 16:14:30
ドミ様のロミオ!!
そしてこれは場所がソウルなんですね。
相変わらずレパートリーが広く神出鬼没なドミ様です!

でも、私の計算が間違いでなければドミ様はこの頃54歳位?ということは、
今のホンさんとあまり変わらない年齢なんですよね、、、
現在のホンさんの舞台上での若々しさはやはり化け物級だと思います。
声の衰えをのぞくと、歌唱は当時より今の方がずっと柔らかな表現力があって良いのですが、、
うまく行かないですね。
返信する
51歳。 (ゆみゆみ)
2011-04-16 23:01:32
事前のキャストを見て、眠ってしまうかも等と失礼な事を思っていました。
「なんて上手な代役さん。すごい力が有る人。こんな人を探してくるなんて流石メト。若そうで、そうじゃなさそうだし」
まさか、50を越えていらっしゃるとは。細かい表情が歌にあって、ネトさんとは異なった「ジュリエット」に眠気なんて全く起きませんでした。ただ高音が、達しきらない・聞いていて心配になる感が有ったのは仕方ないのですね。前日に引き継いだなんて信じられません。
ジョン様とツェルリーナを歌った人です。生で拝見できて良かった!!ゲオルギューありがとう。

私はベチャーラは、ボエームの時より好きでした。ボエームでは本当に歌に表情の乏しい人だと思っていたのですが、今回はこの役はがっちり入っているのかな?!と思えるような歌いっぷりだった気が致します。

可愛い51歳ですね~~
返信する
地獄の高音? (keyaki)
2012-01-02 01:39:27
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

>剣を交えるシーンや、合唱と張り合ってソロ・パートを歌った直後に現れる、地獄の高音で、しかもドラマのハイ・ポイントでもあるんですが、このrevoirで、べチャーラの声がひっくり返ってしまったのでした。

ベチャラの見事なひっくり返りを偶然YouTubeで聞いてしまって、初笑いさせてもらいました。
ところで、ここは、確かにハイCに上げて歌っているテノールが多いと言うか、ほとんどのようですが、(私の見た)楽譜ではそうなってないんですけど.....
グリゴーロは、スカラ座でもLAオペラでも上げてません。グリゴーロのことですから、楽譜がハイCになっていれば、上げて歌うのではないかと思いますけど....
ベチャラは、なぜ上げたんでしょうね?
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keyakiさん (Madokakip)
2012-01-04 15:14:06
あけましておめでとうございます!
こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。

>ベチャラの見事なひっくり返りを偶然YouTubeで聞いてしまって、初笑いさせてもらいました

わお!音源がYouTubeにありましたか!
あれはもうごまかしようのない見事なひっくり返りでしたが、
あそこまで見事だと、かえって爽快ですね。

>(私の見た)楽譜ではそうなってないんですけど

なんと!そうすると、あれはオプショナルの音なんですね。

>グリゴーロのことですから、楽譜がハイCになっていれば、上げて歌うのではないかと思いますけど....

彼はロドルフォのアリアでも楽々ハイCを出していましたから、
避ける理由がないですよね。

べチャーラはあの高音に至るまでにかなり疲れている感じがあったので、
上げずに歌う選択もあったと思うんですけれども、
迷うことなく突っ込んで玉砕してしまいました、、。

それにしても最近、メトは幕と幕を合体させることが多くなっていて、
私はこのトレンド大反対なんですよね、、
歌手や演奏者にはスタミナを確保する為にも、きちんとした幕間の休憩の時間が必要だと思うんです。
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