Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

MET LEGENDS - JAMES LEVINE (Tues, Sep 15, 2009) 後編

2009-09-15 | メト レクチャー・シリーズ
前編より続く>

ここまでフィルムを見終わった後、レヴァインからも、
歌手とは特別な信頼で結ばれるという幸運が多く、
特に、優れた歌手の比較的後期のキャリアで、
レヴァインが重要な役割を演じることが出来た例をいくつかグルーバー氏があげると、
もしそうだとしたら、本当に嬉しい、というレヴァインの言葉がありました。
ビルギット・ニルソンやレオニー・リザネクらがこれらの歌手の中に含まれると思いますが、
リザネクについてはレヴァインがこんなエピソードを披露しました。

レヴァインが何度か指揮をしたことがあり、リザネクがメトで初挑戦することになったある演目で、
レヴァインのピアノ伴奏で歌をさらっていたとき、彼はリザネクにこう告げます。
”あなたの歌い方のどこが変だかがわかりました。”
当時、まだ若手だったレヴァインにそんな指摘を受けたリザネクはびっくりして、
”あら、そう?それは何?”と皮肉まじりに聞きます。
すると、”あなたは十分に息をしていない。
ブレスをするまで音をあまりにたっぷり延ばしているから、息を継ごうとした時にはもう遅い。
だから息が浅くなって、これではまるで酸欠状態で歌っているようなものです。
あなたがベームのような巨匠と一緒に仕事をしてきたから、みんなこのことを遠慮して言えなかったんでしょう。”
あっけにとられたリザネクですが、レヴァインの指摘が正しいことを認め、
以降、ブレスの仕方を工夫し、それが結果として彼女のキャリアを大いにのばすことになったといわれています。
実際、彼女自身も、こんなに長きに渡って誰もその時まで指摘をしなかったのは本当に驚きだ、
私のキャリアの最後の1/3は、この時のレヴァインの忠告がなければ存在しなかっただろう、
というような趣旨のことをしばしば語っていたそうです。

幼少時からオペラを散々聴き倒してきたせいか、歌手の歌に対するレヴァインの耳は非常に鋭いものがあり、
こんなエピソードもレヴァインから開陳されました。

レヴァインが初めてメトで指揮台に立つことになった記念すべき1971年6月の『トスカ』のリハーサル。
もともと2回しかリハーサルが与えられなかったことは前編でも書いた通りですが、
ここでせこく長々と練習をしても仕方がない、と思ったか、
割とさっくりとリハーサルを終わらせたために、
予定よりも早く歌手とオケのリハーサルが終わってしまいました。
そこでレヴァインは、カヴァラドッシ役を歌うフランコ・コレッリに、
”少し時間が残っているから、歌をさらおうか?”と声をかけると、
コレッリは、もちろん、と快諾します。
やがて、レヴァインのピアノの前で歌い始めるコレッリ。
しかし、ここでもまたレヴァインはコレッリの高音が何か変であることに気付きます。
実際、レヴァインは、コレッリがここ数ヶ月、舞台でも、
以前のような輝かしい高音を聴かせなくなったことに気付き、理由をいぶかっていたのです。
そこでおもむろにピアノを弾くのをやめ、レヴァインがコレッリに尋ねます。
”フランコ、高音に何か最近違うことをしてないかい?”
すると、コレッリが目を輝かせて答えます。”してるんだよ!気付いたかい?”
何が起こっているのか具体的にはわからないレヴァインは、
”一体何をやってるんです?”と尋ねると、”数えてるのさ!!”
、、、、は?、、、
”数えてるって何を?”とレヴァインが聞き返すと、コレッリは高音になるとその音を歌い始めた時から、
頭の中で ”1、2、3、、”と数え始めるのだといいます。
何でそんなことを?とレヴァインが尋ねると、
”そうじゃないと、指揮者が無理矢理割り込んで来て、高音を短くさせようとするから”。
要は、何が起こっても、○秒間は絶対伸ばすんだ!という決意のもと、
その秒数に達するまで、カウントをしている、と言うのです。
レヴァインが笑って、”私はあなたがどれだけ高音を伸ばしてもらっても構いません。
終わりを知らせる合図だけしてくだされば。
さあ、だから数を数えるのをやめて、リラックスして高音を出してみてください。”と言うと、
以前のコレッリと全く同じ素晴らしい高音が飛び出して来たということです。

このメト・デビューの時には、いよいよ指揮台に出動!という時に、
レヴァインあてに電話が入ります。
誰だよ、こんな時に!と受話器を取ると、それはリチャード・タッカーで、
”観客をぶちのめしてやれよ!”という激励の電話だったとか。
そして、目の前にはコレッリが立っている、、。
なんというところに自分はいるんだろう?と思ったそうです。
しかし、一方で、そういった同僚や歌手たちの温かい支えのおかげで、
デビューに関して、不思議と怖いという感覚はなく、
とにかく指揮が出来て楽しかった、という思いだけが残っている、と語っていました。

インターミッションに入る前にスクリーンで紹介された映像は、
1983年に、おそらくカーネギー・ホールと思われる場所で行われたメト・オケの演奏で、『運命の力』序曲。
これはレヴァインによるリクエストだそうで、その1983年にTV放送された後、
ずっとお蔵入りになっていた映像です。
1970年代のメト・オケの演奏を聴いていて思うのは、
現在と比べてやや野太く素朴な感じの音で、随分印象が違うな、ということなのですが、
この1983年の演奏も、まだその流れが感じられます。
1984年のメトでの全幕公演での序曲の演奏はYouTubeにあがっていますが、
それよりも1983年はもっと頭の金管の合奏のフレーズを短め、かつタイトにした演奏で、
弦セクションも今よりずっとシャープな音色。
当時のコンサート・マスターで、40年間の長きに渡りその重責をつとめあげた
レイモンド・ニーヴェクの姿も映像に何度か捉えられていますが、
この方は気難しそうでなかなか素敵です。
途中に現れる金管のコラールの部分など非常に美しく、
本人がリクエストするだけあって、この序曲だけを取ると、やや個性的な演奏ではありますが、
1984年のそれより、1983年の方が私も出来が良いと思います。
面白い映像を見せていただきました。


③ 客席に混じるレヴァインの仲間たち

インターミッション終了後、再びレヴァインとグルーバー氏が舞台にあらわれ、
今日の”アナード・ゲスト”(honored guest 要は我々のような普通の客ではなく、
主催者の側からレヴァインと仕事をした業績を讃えて招待された客たち)の紹介がありました。
グルーバー氏が読み上げる名前に答えてアナード・ゲストたちは、
その場で立ち上がったり、軽く手を振って会釈で答えたり、、
その人物を求めて会場中がいっせいにウォリーを探せ!モードになります。

今日のイベントでの私は、なぜだか会場でものすごく良い座席が割り当てられたためだと思うのですが、
半径数メートルの範囲の周りで、ぼこぼこゲストたちが立ち上がるのにびっくり仰天。

ヨハン・ボータ(現役活躍中のテノール。新シーズンのメトの『アイーダ』に出演予定)、
マルティーナ・アローヨ(メトでは60年代半ばから70年代半ばを中心に活躍したソプラノ)、
キャサリーン・マルフィターノ(80年代から90年代にかけて主に活躍したソプラノ。
ドミンゴと共演したローマで現地撮影されたトスカの映像などがよく知られていますが、
他にもサロメや蝶々夫人などを得意とした。)、
テレサ・ストラータス(メトに登場したソプラノの中で最高の女優、と評するヘッズも多い。
ベーム指揮ウィーン・フィルとの『サロメ』の映像でもわかるとおり、
コケティッシュな魅力を持つ美女。歌も上手い。
メトではルルなどで最高の歌唱と演技を見せた。80年代を中心に活躍。)、
そしていきなり私の目の前で立ち上がったのはジュディス・ブレーゲン
(70年代から1991年に引退するまで、モーツァルト、R.シュトラウス、
そして軽めのヴェルディの諸役など、多くの役をつとめたソプラノ)、びっくりしたな、もう。
そして、その隣のおじさまが立ち上がってこちらを振り返ると、
さっきスクリーンで気難しい顔を見せていた元コン・マスのレイさんでした。
このお二人はご夫婦なんですね。
それにしても、さっきまで目の前に座っているのは普通のおっちゃんかと思ってましたよ、、
メトの音を40年も支えて来た方にそれはあまりに失礼だ!本当にすみません。
さらに、その隣は、コーネル・マクニール(1959年から1987年までメトで活躍したバリトン。
特にリゴレットと『オテッロ』のイヤーゴを得意としていた。)、
そして、さらにそのむこうの席は、ロベルタ・ピータース(前編でフィルムにも登場している、
レヴァインの最初のアイドル。コロラトゥーラの技術を得意とし、ベル・カントなどの作品で活躍。)。
ちょっと立ち上がるのもおぼつかない感じでひやひやしましたが、
1930年生まれですから、もう80歳近いのですね。
それから、マリリン・ホーン(ベル・カントの諸役で60年代から80年代に活躍したメゾ。)、
そのすぐそばにドローラ・ザジック(現役活躍中のメゾ。ボータと同じく新シーズンの『アイーダ』に登場予定。
この二人はいずれもつい最近までスカラの来日公演で日本にいた組です。)、
レイさんに加え、オケからもう一人、この新シーズンでなんとメトで演奏するのは65シーズン目(!!)となる
ティンパニーの首席奏者であるリチャード・ホロヴィッツ氏
ライブ・イン・HDでも時々演奏している姿が見れる、小柄でかわいいおじいちゃまです。
それにしても、65シーズン目って、、、今、一体、いくつなんだろう、、?
そして2008-9年シーズンは一度もメトへの登場がなかったのでちょっと久しぶりの感のあるヘイ・キョン・ホン
インターミッションでも近くを通りかかったのですが、素敵な方でした。
そして、久しぶりと言えばもっと久しぶりなのはシェリル・ミルンズ(60年代から90年代まで
メトでヴェルディのバリトン・ロールといえばこの人!だった。
最近、イエローキャブで彼がラジオのトーク番組に招かれていたのをたまたま聴いたのですが、
彼はキャリアの末期に、徐々にではなく、
ほとんど声帯障害といってもよいほど突然に声を失い、非常に辛い時期を過ごしたことを明らかにしていました。)
さらには、フィルムにも登場していた舞台演出家のファブリツィオ・メラーノ
そして、レヴァインが共演したことのある、ヴァイオリンのイツァーク・パールマン、ピアノのエフゲニ・キーシンといったソリストたち、
指揮者のダン・エッティンガーらがアナード・ゲストに含まれていました。

レナータ・スコット、ジェームズ・モリス、カリタ・マッティラも元々ゲストのリストに入っていたのですが、
姿を見せませんでした。
最初の二人はともかく、マッティラはレヴァインのイベントどころではない、
今の私には『トスカ』という大変な心配事が!!というのが本音でしょう。

それにしても、会場に入った途端、猛烈なオペラ臭を感じたのは不思議でも何でもなかった、、。
過去40年ほどのメトの歴史を生きてきた方々がこれほど客席に混じっていたら、それも道理というものです。

④ レヴァインの自選映像30

ここで一旦②のパートでオケの奏者のコメントの中にあった、
spontaneity(spontaneousであること)という言葉について、
それがいわゆる”良い公演”の中でどのような役割を果たすのか、
グルーバー氏がレヴァインに質問を投げかけました。
ここでのレヴァインの答えが興味深かったのでご紹介します。

レヴァイン曰く、いわゆる良い演奏というのは、最初から最後まで、
この音をこのように演奏して、、という風にがっちりと決まっているものではない、といいます。
その意味ではリハーサルにおいて、何度も何度も同じ遣り方を繰り返すという手法は効果的ではない、と。
良い演奏、最高の演奏というものを定義するものは、もっと小さな点のようなものであって、
歌手やオケはそれに向かって努力をするわけですが、そこへの行き方は無限大にあるとレヴァインは考えます。
リハーサルでその行き方を模索することで、段々とその点への距離を狭め、
そして、近づける率をあげること、そのことはリハーサルを通してある程度は可能であり、
そしてまさにそのことがリハーサルを行うことの意味である、と述べていました。
しかし、素晴らしい歌唱、素晴らしい演奏というのは、歌手や奏者が目指す場所、
自分がそこに行くルート、それをわかったうえで、なおかつ、そこにとどまるだけでなく、
自分を解放し、爆発させた時に、生まれるものではないかと思う、と語っていました。
この自分を解放し、爆発させる、ということが、まさにspontaneityにあたる部分であり、
それが公演をエキサイティングにするものである、と。

かように名演という言葉を定義づけしたレヴァインですが、
この第4のパートでは、過去にPBSでテレビ放映されたメトの公演から、
レヴァインが名演ベスト30を選び、そのハイライトシーンがスクリーンで紹介されました。

グルーバー氏が30公演とお願いしたのにもかかわらず、当初レヴァインは50公演を候補にあげていて、
30まで削る作業が大変だったそうです。

ものすごい勢いで次々と紹介される映像に圧倒され、私もとても30すべてを覚えきれなかったのですが、
『コジ・ファン・トゥッテ』のバルトリ(ものすごいコメディエンヌぶりを発揮しています)、
『仮面舞踏会』のパヴァロッティ、
先日の『三部作』のレクチャーでも参考資料に使用されていた、『外套』のマクニールとスコット、
『オテッロ』は思い入れのある作品なのか、複数の公演が紹介されました。
ドミンゴが歌うオテッロ役、スコットが歌うデズデーモナ役(この時のオテッロはヴィッカーズ)もいいですが、
意外にも(といっては叱られる?)フレミングが歌う”アヴェ・マリアのラストの高音がびっくりするほど美しく、
会場から溜息がもれました。
フレミングといえば、ターフェルと共演した『ドン・ジョヴァンニ』の映像もベスト30入り。
先月亡くなったヒルデガルド・ベーレンスの姿が
『ワルキューレ』(ジークリンデ役はジェシー・ノーマン、ベーレンスはブリュンヒルデ)と
『エレクトラ』の映像で写し出された時には会場に静粛な空気が流れました。
『エレクトラ』はもう一公演、ニルソンとリザネクが共演したものも。
『マイスタージンガー』でモリス演じるザックスが靴底を打つ場面が紹介されましたが、
彼はこの役に関しては、この映像の頃よりも最近の公演の方が渋みが出て良くなっています。
他には『フランチェスカ・ダ・リミニ』や『トゥーランドット』(現在と同じプロダクション)の映像も含まれていましたし、
他には『アルジェのイタリア女』でのマリリン・ホーンの姿などが見られました。
しかし、私が最も息をのんだのは、1981年と表記されていたと思うのですが、
レオンティン・プライスが歌った『アイーダ』の公演で、
”我が祖国”の高音のありえないほどの美しさに陶然としました。
1981年というのは、彼女のプライムを完全に超えているな、と思い、
家に帰ってから調べて見ると、彼女は1927年生まれですから、当時54歳だったんですね。
今、彼女より若いソプラノですら、どんなに太刀打ちしても敵わない瑞々しいその声と、
それをコントロールする能力、それから内から溢れてくる表現力、、短い映像でしたが、素晴らしい歌唱でした。
実際、今、このアイーダ役をこのような説得力を持って歌えるソプラノって本当に少ないと思います。

それを言うと、気になったのは30作全ての紹介が終わってみれば、
ライブ・イン・HD時代の映像はおろか、90年代以降の映像が極めて少なかった点で、
特に2000年代の公演は1、2本にすぎませんでした。
もちろん、あまりに現役な歌手が絡んでいるものはレヴァインの立場上選びにくい、
ということもあるでしょうが、こうして映像を見てみると、今よりも魅力的な歌手や公演が多いのも確かで、
これは実に寂しいことです。

最近、レヴァインは、車を運転中にシリウスのメト・ステーションが放送する
自分が指揮した過去の公演を聴くことが多いそうなのですが、(さすがオペラ中毒です!)
公演最中は、細かい自分の気に入らない点が気になって気になってしょうがなかったのが、
こうして、時間を経てあらためて聴き直してみると、なかなか美しい場面が多々あって、
”悪くないなあ”と思うことが増えたそうです。

また、これは今日のイベントで私が最も興味深いと思ったレヴァインの発言なのですが、
”こうしてベスト30を選んでいると、素晴らしい公演だな、と思うと同時に、
映像の限界というものを感じる”といいます。
”この30映像の中でも特にすばらしかったスコットとヴィッカーズの『オテロ』の映像なんかを見ていると、
主演の歌手たちの丁々発止の歌唱の中から、ここからは舞台のテリトリーよ!という主張が聴こえる。
そして、それこそが彼らの舞台が素晴らしかった理由である。”と。
つまり、彼らの歌を真に素晴らしくしているものは、実際に劇場で聴かないと本当には伝わらない種類のものである、ということです。
もちろん、映像だって、その舞台の素晴らしさをかなりの程度伝えることは出来ますが、
レヴァインはそれを、souvenir of the performance=実際の公演のおみやげという、
上手い言葉で表現していました。
また、それが、ライブ・イン・HDを含めた映像の限界でもある、とはっきり述べていました。
これは会場にいたゲルプ氏に対する痛烈な皮肉だと思うのですが、
これを皮肉だときちんと感じられる感性がゲルプ氏にあるかどうかは私にはわかりません。

最後にグルーバー氏がレヴァインに、
これから挑戦してみたい、今まで指揮したことがない作品はありますか?という質問を向けると、
少し考えた後で、Noという答えが出ました。
”例えば『西部の娘』など、自分が大好きだけどなかなか演奏する機会がない・少ない作品というのは結構あるんですが、
自分の性格として、すでに手がけたものでも、次に指揮するときは、
こういう風にしたい、ああいう風にしたい、という考えが溢れてきてしまうんです。
なので、今は新しいものに手を染めるよりも、これまでに演奏した作品を
もっとよい演奏にしたいという気持ちの方が強いですね。”とのことでした。

今日のイベントの最後のしめくくりとして紹介されたのは、
やはりPBSでテレビ放映され、DVD化もされている『ローエングリン』の1986年の公演から第一幕への前奏曲。
グルーバー氏が、この映像の特徴は前奏曲の最後まで、
テレビ・カメラが決してレヴァインを離れないこと、と紹介したとおり、
存分にレヴァインの姿を楽しめる(?)映像になっています。
しかし、じっと彼の指揮を見ていて思うのは、彼の指揮を通して
的確に彼が自分の体で感じている音楽のビートが伝わってくること。
レヴァインについては音楽性がないと貶める意見も時々聞きますが、
最近こういった基本的な技術もない指揮者がしばしば指揮台に立つのを見るにつけ、
やはりレヴァインはある側面では非常に優れた指揮者であるとの認識を新たにします。
また、彼がメトに与えた影響というのは指揮だけの範囲で括れないものがあり、
そういった全体像を見ないで彼を語ることは非常に片手落ちだと感じます。
メトに通う観客が彼をリスペクトする理由は指揮だけじゃない、そういうことです。


The Metropolitan Opera Guild presents
Met Legends - James Levine

Paul Gruber, Executive Producer and Host
Jane L. Poole, Michael Snider, Associate Producers

Orch Row L left
Alice Tully Hall

*** Met Legends - James Levine メト・レジェンズ ジェームズ・レヴァイン ***

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7 コメント

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レヴァインの指揮 (Boni)
2009-09-21 17:28:58
>じっと彼の指揮を見ていて思うのは、彼の指揮を通して的確に彼が自分の体で感じている音楽のビートが伝わってくること。

優れたオペラ指揮者は概してそういうものなのかもしれませんが、彼ほど演奏中に明快な指示をしてくれる指揮者は少ないのでは。
このことは、彼の指揮に慣れたメトロポリタンでの演奏より、客演したときの指揮に良く現れているように思います。

ザルツブルク音楽祭で、まだ若々しいレヴァインがウィーン・フィルを指揮した「魔笛」の映像がありますが、序曲での指揮振りを見ると、実に明快で、彼がどのように演奏して欲しいかがはっきりと解るのです。

これもまたウィーン・フィルなのですが(もう何年前のことだか忘れてしまいましたが)レヴァインの指揮による来日公演の模様がテレビで放映されたときも同様の印象を受けました。

まあ、名指揮者と呼ばれる人たちの中にも、カルロス・クライバーのように、解りにくい指揮をする人もいますし、しかも楽団員からも熱狂的な支持を得ていたそうですから、必須の条件と言うわけでもないのでしょうが。

依然どこかで読んだ記憶があるのですが、まだウィーン・フィルの団員だった頃のヴィリー・ボスコフスキーが、フルトヴェングラーに向かって、「もう少し解りやすく指揮して欲しい」と申し入れたところ、「私の指揮の何処がわかりにくいと言うのだ」と返されたそうです。
随分と勇気が必要だったことでしょうね。
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レヴァインの忠告 (le Grand Condé)
2009-09-21 23:12:35
リザネクについてのレヴァインのエピソード興味深いです..

> あなたがベームのような巨匠と一緒に仕事をしてきたから、みんなこのことを遠慮して言えなかったんでしょう。

ベームは、オペラ指揮のスタンスとして歌手、ブレスをとても大切にしていたと思いますので、
> あなたがベームのような巨匠と一緒に仕事をしてきた
のに、なぜリザネクの息が浅くなったのか、不思議ですね.

劇場叩き上げの指揮者ベームが、歌手と指揮の関係においてブレスについていかに気を配っていたかは、「よく皆にいうのですが、叩き上げでない指揮者は困ります.特にオペラでは練習指揮者の経験が必要です.歌手達に慣れる必要がある.指揮者が「フレーズを長く」と言うと、歌手はブレスの位置をきいてくる.指揮者は歌手と一緒にブレスできなければいけません.例えばモーツアルトのアリアではブレスが必要なフレーズとそうでない場合があります.練習指揮者をすればすぐに学べることです.」という発言にも表れており、

また、クリスタ・ルートヴィッヒは、指揮者ベームについて、「彼は歌手の声についてよく知っていました.声の状態をよく見て、来年へ再来年へと導いてくれたのです.歌手たちの父と呼べる人でした」などと評してます.

しかしながら、巨匠ベームを引き合いに出すとは、
当時、若造レヴァインの気負いの発言だったのでしょうか(笑)
返信する
クラリティ命! (Madokakip)
2009-09-25 05:34:49
 Boniさん、

指揮者と一口に言えど、交響曲系の指揮とオペラの指揮では少し求められるものが違うように思いますし、
さらにオペラの中でもドラマを表現するのに優れたタイプと、
”事務系”とでも名づけたくなるような、
交通整理とかドラマ以外の部分でかいがいしく働くのに長けている人もいますね。

一般的にはドラマ表現派の方が評価が高く、
事務派は、やれ、音楽に深みがない、などと貶められる傾向にありますが、
ことオペラの指揮者、特に長年にわたって
一つのオペラハウスをしめていく指揮者には、
キャストを連れてきたり、
トレーニングしたり、オケを育てる、というような、
事務的音楽能力もすごく大事だと思うんですよね。

レヴァインはまさに”事務系”の人だと思います。
事務系なので、きっちり、くっきり、の、
クラリティ命!なんですよね。
クライバーとかフルトヴェングラーのように、
立ち上ってくる音楽性みたいなものはないかもしれませんが、
これはこれで一つの才能だと思います。

>彼の指揮に慣れたメトロポリタンでの演奏より、客演したときの指揮に良く現れているように思います

興味深いご指摘です。
彼は最近メトとBSOしか振らないので、それを生で確かめる機会がないのが残念です。
返信する
そして今も (Madokakip)
2009-09-25 07:56:02
 le Grand Condéさん、

このリザネクの話が出たときに、
一番肝心なレパートリーの名前を聞き逃しました。すみません。

ただ、その後の文脈で、その演目はレヴァインが何度か指揮をしたことはあるが、
リザネクは一度も歌ったことがないレパートリーということでしたので、
ベームとは一度も組んだことがない演目であることは確かです。

”自分のキャリアの最後1/3”云々という発言とともに、
裏をとるには彼女がどういったレパートリーをキャリアを通して歌っていてか、という資料を見ないとなんともいえませんが、
このレヴァインとの出会いあたりから、
新しいレパートリーが開拓されていった可能性もあります。

また、レパートリーによって望まれる歌唱に多少違いもありますし、
また彼女自身の年齢による声の変化など色々なファクターがあるでしょうから、
ベームの謎はそのあたりが関係しているのかもしれません。

>当時、若造レヴァインの気負いの発言だったのでしょうか(笑)

そして、それから何年も経った今でもそんな思い出を引っ張り出してくるところを見るに、
今も気負ってるかもしれません(笑)
返信する
JAMES LEVINE – Celebrating 40 Years at the Metropoitan Opera (みやび)
2010-08-18 12:01:29
DVDセットは21枚組、CDセットは32枚組…のようですね。えーと…色々と興味深いセットではあるのですが、ばら売りしてくれないと、これだけの枚数でセットにされるとお高いです(苦笑)

http://www.sanfranciscosentinel.com/?p=84017
返信する
DVDセット (素人耳)
2010-08-18 12:56:37
「ヴォツェック」「ルル」「トロイ人」「モーゼとアロン」「エレクトラ」・・・観たいものばかりじゃな(好みがかたよってる?)。
いっそ、クラシカ・ジャパンかNHKで全部やってくれぬか?

「アリアドネ」は単品で出るようじゃな。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3875794
返信する
頂いた順です。 (Madokakip)
2010-08-22 09:27:42
頂いた順です。

みやびさん、

なんと!情報ありがとうございます!!!
こんな大きなセット、我が家には置く場所がありませんが、、?って感じですが、
それなのに、両方(CDとDVD)、買う羽目におちいりそうです。

メトのサイトからの商品紹介のリンクをこちらにあげておきますね。

http://www.metoperashop.org/product/detail/1080.aspx

http://www.metoperashop.org/product/detail/1000005533.aspx

でも、これには、なんといっても、先シーズンのドミ様との『シモン・ボッカネグラ』を入れてほしかったですよね。
あの、カーテンにぶらさがったレヴァインを見ることで、彼の40年のキャリアがコンプリートするというのに、、。

それにしても、これはレヴァインのセレクトなんでしょうね、、。趣味が全開してます!!


素人耳さん、

ということで、

>観たいものばかりじゃな(好みがかたよってる?)。

ということは、レヴァインと趣味が一致されているということなのです!!
それにしても、これ、ギフトショップで買ったら、持って帰るのに難儀しそうです、、。
私はインターネットでオーダーしてから、到着するまでの時間が嫌いで(せっかち!)、
店頭買いできるものはできるだけ店頭買いしたいのですが、こればかりは送ってもらうしかなさそうです。
返信する

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