Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

マリエッラ・デヴィーア声楽公開レッスン 第二日目(Sat, Aug 15, 2009)

2009-08-15 | マスター・クラス
第一日目より続く>

しかし、それにしても東京は暑い!
NYの夏も実は結構湿度が高くて体感温度が高く、
私は暑いのも湿度が高いのも割と平気な方だと自負しているのですが、
それでも、成田で飛行機の外に足を踏み出した瞬間、
一息吸い込んだその空気の湿度の尋常じゃない高さに熱帯雨林かと思いました。

こりゃ、きつい 

で、デヴィーアも同じように感じたのかどうかはわかりませんが、昨日(14日)のマスター・クラスでは、
木綿の真っ白いワンピに、ウェッジソールのサンダルという、
これからビーチにでも行くのか?というような、ギャル的いでたちで登場。
でも、気持ちわかるなあ。この暑さじゃ、何にもまして快適なのが一番ですもの。

その昨日のマスター・クラスの後、当ブログが縁で初めて直接にお会いさせて頂いた方も含め、
何人かの方と駅ビルでお茶をしていたところ、向こうから、見覚えのある、白いはためく木綿の布が、、
ああああっっっ!!!! デヴィーアではないですか!!!
世界のベル・カントの女王が、小田急線新百合が丘駅の駅ビルを歩いてる!!
(っていうか、普通、車の送り迎えがついているものじゃないんでしょうか?ちょっとびっくりです。)
そのあまりにシュールな絵に、カメラもペンも手元にあったのに、
それもすっかり忘れて猿のように手を振るだけで精一杯、、。
デヴィーアの隣にいらっしゃったマネージャーかスタッフの方と思しき女性が
デヴィーアに”あそこにお猿さんがいますよ。”と教えてくださったおかげで、
にこやかに手を振り返してくださったデヴィーア。
だめ、、、あまりに不思議な図過ぎて、この世のものとは思えない、、
小田急線駅ビルを白いワンピと厚底サンダルで歩くデヴィーア、、
この像は一生瞼に焼き付いて離れないと思います。

というわけで、今日はどんなお洋服で登場されるのかしら?と、そちらも楽しみだったのですが、
今日は黒いフレアーのスカートに、黒をベースに赤など色々な色を散らしたニットのトップという、
昨日のギャル・ファッションから180度転換の大人モード。
それにしても、女性の年齢の話をするのは無粋ですが、
60歳を超えている(生まれは1948年だそうです)とは思えない姿勢の良さや筋肉の付き方に、
まさに、歌唱と同様、生活スタイルもストイックであることが見てとれます。

昨日に引き続き、今日も、デヴィーアが登場する前に、現在昭和音大の学長を務めている
五十嵐喜芳氏がデヴィーアの紹介も兼ねて挨拶を兼ねて短いスピーチを行ったのですが、
両日共に来場している人が多いこと位、想像のつきそうなものなのに、
内容が、一語一句に至るまで、ほとんど昨日と全く同じで、
(それもどこの劇場、何の演目でデヴィーアを聴いて感動した、といったそんなことばかり、、)
舞台芸術という客とコミュニケートしてなんぼ、の世界の指導にあたっている方が、
二日続けてテープを流しているかと勘違いするような、
ほとんど全く同じ内容(一つだけ新しいエピソードを加えてましたが)のスピーチを
デリバーできるということがすでに驚きです。
もう、この時点で、歌とかどうとかいう前に、客の前に立つ人間の心構えというものを、
学生に教えられていないんだろうな、ということが予想されてがっくり来てしまいます。
今回は歌手としてではなく、大学の学長という立場でスピーチをしているのだから、と言われるかもしれませんが、
かつて歌手であった人なら、こういうのはもう血のなかに埋め込まれているはずなのではないか、と思うのですが。

と、ちょっと”いらっ”とさせられてスタートした今日のマスター・クラスは、
受講生の年齢が少し上がって、音大の学部もしくは院卒で、すでにセミプロ、
もしくは完全なプロで歌っている方々。

さすがに昨日の受講生たちよりは、あまりに下品なポルタメントも影を潜め(とはいえ、その傾向はやはりあるのですが)、
歌のレベルは明らかに数段上なのですが、
その一方で、昨日と共通したところで、
問題の根深さがよりはっきりと見えていた部分もありました。
中にはこれまでの誤った訓練のせいで、非常に直すのが手強い、
性質(たち)の悪い癖が身についてしまっているように見受けられる歌手の方もいらっしゃいました。

まず、デヴィーアが爆弾を落としたのが、一人目の受講者である山邊さん。
(今日もデヴィーアの指摘やアドヴァイスを●で表示します。)

● あなたはメゾではない!!

ロッシーニの『アルジェの女』からメゾのピースを歌った山邊さんですが、
いや、私も全くデヴィーアの言葉どおりだと思います。
というか、この山邊さんの歌唱のどこをどう聴いたら彼女をメゾだと思えるのか?
山邊さんの弁によると、一時期ソプラノとして勉強していたこともあるが、
指導者と相談のうえ、メゾにスイッチしたとのことなんですが、
そうなると、指導者にソプラノとメゾの声質を見分ける能力がない、ということになるんですけれども。
メゾとソプラノをわける基準というのは、出せる最高音が何か?ということではなくって、
むしろ、声の持っている質感、つまりソプラノらしい声質であるか、
メゾらしい声質であるかということである、という点は、
声楽に携わっている方なら常識として知っていることだと思うので、
彼女をメゾに転換させたということは、指導者の方に声の質感への理解が欠けていると、
そう理解するしかなさそうなのですが、これはもう身の毛がよだつほど恐ろしいことです。

山邊さんの場合、確かに少し超高音に苦手意識があるのか、そこでは音が開拓されていない感じはありますが、
総じてソプラノにこそ求められるといって良い高音域での音の方が充実していて、
(スピントのかかったやや重めの高音で、なかなか魅力的です)
むしろ、メゾで充実していなければならないはずの低音域では、本来、彼女に合わない音域なので、
● 無理にメゾっぽい低音を作ろうとして、不自然な発声になっています。

正しい発声スタイルが身についていれば、出せる最高音を上げていくことは可能で、
実際、多くのソプラノたちは彼女たちの最高音を努力の末に手に入れています。
もし、歌うレパートリーで必要とされる最高音を獲得出来なければもちろん歌手としてやって行く事は難しくなるわけですが、
本来メゾではない声でメゾの役柄を歌っても、多分、それ以下に歌手として成功する可能性は低くなるだけですので、
恐れずチャレンジしてほしいものです。
もし指導者の方が、声質について良く理解されていて、その上で、
このような長期にわたるかもしれない苦労を避け、
インスタントな結果だけを求めるためにメゾへの転向をすすめたのだとしたら、
もっと性質が悪いです。

デヴィーアに、以前歌っていたなら、何かソプラノのアリアを歌ってみて欲しい、と要求されて戸惑うばかりの山邊さん。
ここ最近で集中的に準備・練習したソプラノのアリアがないのもわかるし、
ピアノの伴奏の兼ね合いもあるので、躊躇するのはわかるんですが、
こういう時は、ピアノなしでもいいから、ソプラノのアリアを披露できるような度胸がないと、
舞台に立つ人としてはちょっと厳しいよなあ、、と思ってしまいます。
というのは、デヴィーアが見たかったのは、曲の最高音がきちんと出るか、とか、
アジリタの技術の完成度がどうか?とかそんなことではなくって、
(天下のデヴィーアが、まだまだ未熟なアジリタの出来・不出来を細かく云々する気はないに決まっているじゃないですか!)
それよりも、むしろ、山邊さんがソプラノのアリアを歌った時に
どのようなサウンドを歌にもたらすのか、その雰囲気を知りたかったんです。
そして、そのことは、山邊さんにとって、装飾技巧についてのアドバイスを一つもらうよりも、
ずっとずっと大切なことを教えてもらえるチャンスであったかもしれないのに、、。
それなのに、”この曲しか準備していない”と、延々とこのロッシーニのアリアに拘り、
途方に暮れ続ける山邊さん、、、。
その様子を見ていると、こういう場で本当に大切なことは何か、
つまり、デヴィーアに褒めてもらうことが大切なのではなく、
自分にとって、もっと大きな視野で、いかに有益なアドバイスを引き出すか、
ということの方が大事であることを見落とし、
小手先の技術ばかりに目が向いてしまっているように思うのですが、
それは教える側がそういうことばかり求めているからかもしれません。
しかし、完全にパニックモードになってうろたえるばかりの彼女を見ていて、
本当に彼女の指導者とやらは、罪深い、、と感じました。
こういう指導者が、もしかすると才能のある若い歌手たちを遠回りさせて彼らの時間を浪費し、
さらに最後にはせっかく持っていた才能を潰しまくっているのではないかと思うと怒りすら感じます。

二人目に歌ったテノールの曽我さんは、私は彼の声を聴いて完全には快い気分になれず、
それはどこか無理がある部分があるからではないか?と個人的には感じ、
あまり好きな歌唱ではないのですが、
デヴィーアが比較的見込みのある参加者として、細かいアドバイスを与えていた受講者の一人でした。
彼の素晴らしい点は、果敢にイタリア語でデヴィーアとコミュニケートし、
また比較的勘が良いのか、デヴィーアが与えたコメントに対して、
比較的歌にそのレスポンスが素早く現れる点です。
今日のレベルの受講者になると、デヴィーアの言葉に対する理解力の良さ、
それをすぐ歌に反映させられる実行力、これらの差が受講者間で如実に現れていたように感じます。
テッシトゥーラ(曲の中で多用され、よって、中心となる音域の高さ)が猛烈に高いこの曲を
へとへとになるまで一生懸命歌っている姿も好感が持てるのですが、
ただ、そのために、心と体が構えてしまって、
● ソとラを歌っているときにも、すでに(それより高い方の)ドとレを歌っているような
ポジショニングになっている
という指摘がありました。
このアドバイスの後、何度か歌ううちに、構えて歌っていた最初の時よりも、
ずっと柔らかくて耳に優しい音が出てくるようになってきたのは印象的でした。
聴いている側に悪い意味での緊張を強いるような歌は、もうその時点で×なんだ、ということを再実感します。
他に、
● 子音と母音の間に不必要な音が入っている
という指摘があり、彼もまた、口の開け方が不必要に大きく、
音が日本人歌手一般の例にもれず、ぴゃら~っと平たくなる傾向があるので、
● 口を開けるのは響きを作るためであり、それ以上の何物でもない、
という説明と
● 少し音を暗くする気持ちで、後ろにではなく、前に音を飛ばすように心がけなさい、
という注意がありました。

三番目に歌った納富さん。
今日の受講者中、唯一私が本当のオペラ歌手らしい声だと感じた方。
といいますか、実際、かなり魅力的な声でいらっしゃいます。
納富さんの強みは、もともと声に備わっているトーンもさることながら、
発声が終わった後に独特の美しい残響がある点で、
ほとんどの場面で無理のない発声ができているので、聴いていて非常に快いです。
唯一の課題は、おそらくご本人が取り組んでいる真っ最中であるかもしれないので、
あえてここで書く事もないのかもしれませんが、高音です。
というか、潜在的には楽に出る能力をお持ちだと思うのですが、
まだそれを毎回再現できる方法を模索中であるように思います。
”高音が来るぞ”と思うと無意識にテンス・アップしてしまうようで、
それが一層、それまでの快く軽々と出ている音に比べて違和感を生む、固くて、
やや耳障りな音につながっています。
デヴィーアはこの点について、
● 音を支えるということと、押すということは違う
という見事な説明をしていました。
納富さんの優れた点は、曽我さん以上に、とにかく飲みこみが早いことで、
スポンジのようにデヴィーアのアドバイスを吸収し、歌に反映させていました。
高音も、デヴィーアのアドバイスを受けるうちに、何度かは美しく無理のない音が出始めていたので、
彼女のような人にこそ、デヴィーアのようないい先生がつけば、
素晴らしい歌手に成長する可能性があるのに!と思います。
基本的な発声が良く出来ているので、納富さんに関してはデヴィーアからも細かいアドバイスが出てくるようになって、
● レチタティーヴォ(アリアのように旋律がはっきりしている部分の前や間にある、旋律度の低い部分。
納富さんの例だと、Eccomi in lieta vestaから、Oh! quante volteに入る前まで。)は、
どうしても段々とテンポが遅くなりやすい傾向にあるので、もっと表情をつけた歌唱を心がけた方がよい、
というアドバイスもありました。
高音、それから細かい部分の装飾技巧の完成度をアップさせること、
これらを良い先生についてマスターされた暁には、是非全幕で聴いてみたい方です。

第四番目の受講者である丹呉さんは、歌に非常に悪い癖がついてしまっていて、
これを取り除いて再度正しい歌い方を身につけるのは至難の技だと思いますが、
山邊さんと同じく、恐れず挑戦していただきたい。
それにしても、なぜこんなになるまで、指導者の方は放っておいたのでしょう?
丹呉さんの場合、昨日の受講生で指摘されていた方の多かった、”声が喉にはりついている”パターンで、
ここをまず変える必要があると思います。
まずそこでつまずいているのに、パワーのある歌を歌おうと、
ガリガリばりばりと歌う癖がついてしまっているので、
● そんなに大きな箱は必要ないですよ!
という、デヴィーアの声が早速飛んでいました。
それから丹呉さんの歌唱のもう一つの大きな問題点は、
● 音が上下するたびに、声のカラーが変わってしまう
点です。
これは、丹呉さんが、歌っているときに、いつも持っていなければならない拠り所=正しいポジションを体得していないことを示していて、
それは、つまり、正しい発声が身についていない、ということになると思います。
● まずは、常に同じカラーで歌える練習をしなさい
というデヴィーアの言葉がありましたが、
これは昨日の受講生がしばしば注意されていたレガートの習得と同じことで、
まずは、均一に、安定した音色で次の音に移行していく訓練が出来ていないと、
ここに何を足しても崩壊してしまう、ということなのだと思います。

ラストの正岡さんは、納富さんの温かい響きとは対照的な、
少し硬質な音色が特徴のように感じられ、
本当は、今日歌われた『愛の妙薬』のアリアなんかはあまりご自身の個性にマッチしたレパートリーではないように感じます。
いや、それを言うと、いわゆるベル・カント・レパートリーにはあまり向かない方かもしれません。
それでも、ベル・カント歌唱をマスターすることはどんな歌手の方にとっても有益なはずです。
正岡さんに関しては、私はもっといい声と歌唱が隠れているのに、
何かがそれを覆ってしまっていて、そこに完全には到達できていないようなもどかしさを感じました。
時々出てくる音は硬質ながら面白いトナリティーを持っていて、
訓練の仕方によってはもっといい発声が出来る方ではないかと思うのですが、、。
デヴィーアが何度も指摘していたのは、
● 音に空気が入っている
ということ。
ご自身はそうしないと声が届かない、という不安があるのか、
全ての音に一杯一杯空気を消費していて、そのことが常にかすかに空気の音が聴こえるような発声につながっています。
特にこの”Prendi”がどんな場面で歌われるか、ということを考えると、
熱さの中にもしなやかさが絶対に必要で(特に最初の部分)、
こんなにいっぱいいっぱいに聴こえてしまう歌唱は全くふさわしくありません。

ずっと自分を愛してくれていたネモリーノを、うすのろで自分には似つかわしくない、
と退けて来たちょっぴり高ビーなアディーナが(しかし、完全に嫌な女なのではない)、
彼の真剣な思いに心を動かされ、初めて自分も彼を愛しているたことに気付いた、ということを、
ネモリーノに告白するに至るまでの場面です。




(上の『愛の妙薬』の映像はメトの1998年の公演からで、現行の演出と全く同じです。
アディーナを歌っているのはルース・アン・スウェンソン姉さん、ネモリーノは言うまでもありませんが、パヴァロッティです。)

丹呉さん、正岡さんに共通して言えるのは、
一度、こうした間違った発声が身についてしまうと、
悪い部分を指摘されても、そこを自在に変えることが非常に難しくなっている点で、
曽我さんや納富さんがデヴィーアのアドバイスに柔軟に対応できているのに比べて、
お二人がなかなかご自身の癖を抜くことが出来ない様子は、見ている私もいたたまれないものがありました。
ここに至るまでには長い道のりがあったでしょうから、
もっと早い時期に、今日のデヴィーアのような適切なアドバイスを与えられる指導者がいたなら、、と、本当に残念です。

ただ、私は今回、指導者側の問題が大きい、ということを書き、
また、それにはいささかの疑いも持っていないのですが、一方で、
歌の道で身をたてていく決意をしたら、究極的には自分の声や歌唱を守るのは自分自身です。

ビルギット・ニルソンの自伝”ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯”
(原題:La Nilsson: My Life in Opera)には、あのニルソンが、
音大時代、いや、その後も、指導者に恵まれず、自分で正しい発声を模索していった姿が描かれています。
彼女の人柄でしょうか、ユーモアを交え、何でもないことのように書いていますが、
良く読んでみると、その苦闘は壮絶ですらあり、
その渦中にあった彼女の苦しみと努力は想像を絶するものであったはずです。



私達オペラを聴かせて頂く側は、拍手を送る時、
その声の美しさを賞賛しているのももちろんなんですが、それと少なくとも同程度、
いえ、私を含め、多くの方はそれ以上に、その歌唱に至るまでの苦労と努力を思って、
それを賞賛したくて拍手を送るのです。

どうか、歌の道を進むと決めたら、それが時に大変な迂回を意味することになっても、
また茨の道であっても、
どうぞその困難な試練から逃げ出さないで、全力で戦って頂きたい、と思います。
私が生きている間に、いつか、メトで、日本の歌手の方の大活躍に、
それまで払われた努力を思って精一杯の拍手を送れる日が来ることを心から願っておりますので。


山邊聖美 Kiyomi Yamabe (メゾソプラノ)
ロッシーニ『アルジェのイタリア女』より”祖国のことを思って Pensa alla patria”

曽我雄一 Yuichi Soga (テノール)
ロッシーニ『どろぼうかささぎ』より”さあ私の腕の中に Vieni fra queste braccia”

納富景子 Keiko Noudomi (ソプラノ)
ベッリーニ『カプレーティ家とモンテッキ家』より”私はこうして婚礼の衣裳を着せられ~ああ!幾度か
Eccomi in lieta vesta ~ Oh! quante volte”

丹呉由利子 Yuriko Tango (メゾソプラノ)
ベッリーニ『カプレーティ家とモンテッキ家』より”たとえロメーオがご子息を殺めたとしても
Lieto del dolce incarco ~ Se Romeo t'uccise un figlio”

正岡美津子 Mitsuko Masaoka (ソプラノ)
ドニゼッティ『愛の妙薬』より”受け取って Prendi”

伴奏:浅野菜生子 Naoko Asano
講師:マリエッラ・デヴィーア Mariella Devia
解説:小畑恒夫 Tsuneo Obata
昭和音楽大学 テアトロ ジーリオ ショウワ

*** Mariella Devia Master Class at Showa Academia Musicale 昭和音楽大学 マリエッラ・デヴィーア 声楽公開レッスン”