Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

八月納涼大歌舞伎~お国と五平・怪談乳房榎 (Tues, Aug 18, 2009) 後編

2009-08-18 | 歌舞伎
中編から続く>

 二幕目第四場 高田南蔵院本堂の場

(あらすじ:いよいよ重信が龍に目を入れるだけとなった天井絵のために集まった人々。
そこへ、正助が転がるようにあらわれ、重信が殺されたと言う。
しかし、誰もまじめに取り合わない。重信は今、方丈で住職と話をしているのだから、と。
正助は重信がすでに霊となって現れた、とおののく。
やがて住職とともに皆の前に姿を現わした重信は、
龍の目を入れ、笑いを浮かべたかと思うと、煙と共に消えてしまう。)

この芝居の中で、ドラマ的にはハイライトの一つであるオカルト・シーン。
ここでは、二幕一場で見せた善人かつ優れた絵師と敬われる人間としての重信からシフトして、
この世のものでない雰囲気をかもし出しつつ、心に浪江らへの復讐心を抱き、
また復讐の成功を確信しているような不気味な雰囲気を漂わせなければなりません。
それを龍の目を入れる場面を使って表現したのはこの作品の上手いところ。

小さい役なのだけれど、住職の雲海を演じた坂東彌十郎が、
登場した瞬間からすでに重信の霊にひっぱられて、
あちらの世界に片足を踏み入れているようなまなざしと雰囲気で好演していました。
彌十郎は本当に大柄で立派な体格なので、
この雲海などは必ずしも大きくある必要はない役かもしれませんが、
他の、ある種の役では舞台で非常に映える人なのではないかと思います。

意外だったのは勘三郎のこの場面の割とあっさりした演じ方で、
もっと無念さを出すかと思ったのですが、そうでもなかった点です。




 三幕目 菱川重信宅の場

(あらすじ:重信が殺された日から百か日。浪江はある種の魅力があるので、
地紙折の竹六もすっかり騙され、お関に、”もう浪江さんんと再婚しちゃえば?”などと言い出す始末。
実は、重信を殺したのが浪江であるとは夢にも思わぬお関は、表向き彼女を支えてくれている浪江に、
菱川の家を継がないか、ともちかけていた。
しかし、赤ん坊の真与太郎にすべてを見透かされている気がする浪江は決心がつかないでいる。
そこで、次は正助に真与太郎を処分するよう言い、
お関の前で真与太郎を里子に出してはどうかと持ちかけた。
里子に出すふりをして正助に真与太郎を家から連れ出し殺害させる算段である。
浪江に逆らえない正助は真与太郎を抱いて出発する。
浪江が一人残ると、三次があらわれ、これを買い取ってもらいたい、と、
重信の殺害現場に浪江が落とした印籠を持ってあらわれた。また、たかり。ちんぴら魂大全開。
浪江は三次を殺そうとするが二人の力は拮抗し、勝負がつかない。
ここで三次を殺すのは難しいと判断した浪江は、
滝に向かった正助と真与太郎を殺害するのも条件で、金を出す。)

中編で福助のお関は上品で、粋で、云々、、ということを書きましたが、
非常に表現も細やかで、この場面では特にそれが光っていたと思います。
というのも、お関が舞台に登場するのは浪江と関係を持ったことが示唆される二幕一場以来なのですが、
この三幕になって、浪江と共に現れた途端、もうすっかり浪江に心を許しているらしいお関の様子が伝わってくるのです。
関係が出来た男女の間特有の慣れあった空気といいますか、、。
そこで、どうやらあの一回だけではなく、この二人はもうはっきり”出来ている”と呼んでもいいレベルに
至っているらしいことが、一瞬にして伝わってくるのです。
なので、竹六の言葉が出てくるときも、”え?そんな事態になっているの?”ではなく、
”ああ、そうなこったろうなあ。”と観客が納得してしまえる。
重信が亡くなったばかりというのに、先の幕より艶っぽくなったお関を見ると、
げに女性は恐ろしい、、と思えてきます。

その一方で浪江を演じている橋之助。こちらもやっぱりとても良い。
色悪というものの、どこか、そうはお関にのめり込んでいなさそうな、
冷淡で自分勝手な様が実に格好よいです。
ただ、さらに後から良く考えてみると、印籠を落とすというどじを踏んでみたり、
実は戦ってみると三次とそれほど腕の覚えに差がなかったりして、
なんだ、それ?ちょっと格好悪くない?とがっくりさせられる浪江なんですが、
そこを舞台が走っている間は深く考えさせず、
格好よさで押し切ってしまうところが橋之助の同役の良さでもあるわけです。

また、この場は、『マクベス』の、自分の起こした悪事が引き起こす、
無意識レベルの罪の意識によって、だんだんと精神の均衡を失いはじめるストーリー・ラインに似ています。
そこの変化をはっきりつけるのも一つの方法かもしれませんが、
私は今回の橋之助のような、最初から浮世と少し離れた世界で生きていそうな、
それゆえに、お関に手をかけても金を盗んでも何事も真の満足に結びつかないような感じのこの役作りが結構好きです。

さっきまで殺し合いをしていた人間(浪江)に、
”じゃ、これまでのことはなかったことにして。この金あげるから、俺のために殺人をしてきて”と言われても(三次が)、
普通、誰がするか!ってなことになりそうですが、ワルの世界には独自のルールがあるのか、
そこは歌舞伎だからか、軽く流していく。面白いな、と思いました。
この二人の闘いのシーンも、二人の身につけている着物の色のコンビネーションの美しさ、
そして動きの美しさもあって(またもヘッズの叫びどころ!)、見所のひとつです。

 大詰 角筈十二社大滝の場

(あらすじ:真与太郎を連れて滝までやって来た正助。
真与太郎を助けたい心はやまやまだが、子連れでは働けないし、今助けてもいつか浪江に見つかって殺されるだろう。
ならば、むしろ、何もわからない赤ん坊のうちに自分の手で、、と滝壺に真与太郎を放り込むと、
真与太郎を抱いた重信の霊が現れる。)

幕が変わった途端、滝のセットから起こる、どーっ!というすごい水の音。
この個所が話題になっているとは聞いていましたが、こんなに大掛かりなセットだとは。
というか、一階正面の最前列のお客さんには水しぶきがとんでました。
現代は色々なテクノロジーがありますのでともかく、昔はこの部分、どうやって演出していたんでしょう、、?



最後はとにかく話の筋よりも何よりも三次、正助、重信の間の、
もう、まさに、めくるめくとしか形容のしようがない、早替りが最大の見せ場なので、
実際、各登場人物が最後にはどうなってしまったのか、私の記憶にないくらいです、、。

特に三次と正助が滝の中、殺そう、または殺されてたまるか、と、
くんずほぐれつになりながら、もちろん、早替りで死闘を繰り広げる場面は圧巻です(上の写真)。

今回、重信、三次、正助というスタンダードな三役に加えて、
最後に円朝がエピローグのようなものを語って幕、となるため、
”勘三郎四役早替りにて相勤め申し候”となっているのですが、
この四役目を一緒に数えるのはちょっと苦しいところもあるかもしれません。
落語家の衣裳で出て来るのですから、ああ、これは円朝なんだな、ということが
私もすぐわからなければいけなかったのですが、
当ブログのコメント欄でご指摘を頂くまで、ずっと、勘三郎本人として喋っているのかと思っていました。
歌舞伎座の一時的なクローズを受けて、”今日いらっしゃるお年を召したお客様の中には、
新しい歌舞伎座をご覧になれない方もいらっしゃったりして、、”などという、
定番の冗談が入っていたものですから。

しかし、それにしても、この作品は本当に面白い!
というか、今まで歌舞伎を一度も見た事がない人でも大興奮すること間違いなし。
こういう作品をこそ、NYに持ってきてほしいなあ。
セットや早替りのような部分ではなくて、
芝居や舞といった、歌舞伎のコアな部分でNYの観客を感心させたい、という気持ちもわからないのではないですが、
まずは歌舞伎が面白い!ということを、
まだ歌舞伎になじみのない人間に知ってもらうことこそ、最も大事ではないでしょうか?
それにはうってつけの演目だと思いますし、早替りだって、歌舞伎が育んできた技の一つとして評価されるはずです。
先にも書いた通り、勘三郎が、”体が動くうちに上演しておかねば”なんて言っているくらいなので、
もう、次回のNY公演にでも早速!!!
本来、歌舞伎を上演するための場所ではないホールで、
歌舞伎座と全く同じ長さの花道を作るのも、
また、早替りのための、移動用の舞台裏スペースを確保する事も頭痛のタネでしょうが、
絶対大熱狂をもって迎えられると思いますし、何より、私自身がもう一度観たいのです!!


歌舞伎座さよなら公演 八月納涼大歌舞伎

『お国と五平』
谷崎潤一郎 作
福田逸   演出
坂東三津五郎 (池田友之丞)
中村勘太郎 (若党五平)
中村扇雀 (お国)

『怪談乳房榎』
三遊亭円朝 口演
實川 延若  指導
中村勘三郎(菱川重信・下男正助・蟒三次・円朝の四役)
中村橋之助 (磯貝浪江)
中村福助 (重信妻お関)

8月18日 第三部
歌舞伎座 1階西桟敷1

*** 歌舞伎座さよなら公演 八月納涼大歌舞伎 お国と五平 怪談乳房榎 ***

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40 コメント

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最後は? (sora)
2009-09-13 20:01:08
密かに楽しんでいたのですが、最後はどうなってしまうのですか?
敢えて書かれなかったのですか?
返信する
やっとDon Carloに行きました (みやび)
2009-09-14 02:19:05
後ほど、皆様の輪に加えていただきたく存じまする。

「乳房榎」、私も観れて満足でした公演でしたが、Madokakipさんのおかげでもう一度観た気になれて更に嬉しいです。
私もできることならもう一度観たいものだと思いますし、多くの人に観ていただきたい!のですが…やはり舞台機構上、海外公演は難しそうな気が…。それに加えて、勘三郎も吹き替えの役者さんも代わりが全く効かない点(想像ですが、多分他の人では無理だと思います。)も、海外公演としてはリスクが大きすぎるかもしれません。

>まずは歌舞伎が面白い!ということを、まだ歌舞伎になじみのない人間に知ってもらうことこそ、最も大事ではないでしょうか?

勘三郎もそのつもりで「夏祭浪花鑑」や「法界坊」を選んだのだと思います。特に、平成中村座で公演しているバージョンは、両方とも演出家(串田和美)がついていて、ストーリーを若干整理したり、照明や演出も現代向けの工夫がされています。(歌舞伎は本来は演出家がいなくて、座頭の役者が全体をまとめる役割をするのが伝統だったようです。)
特に海外公演では「夏祭」では幕切れにパトカー&ポリスが出てきたり、「法界坊」では台詞の一部を英語にしたり、最後の舞踊劇の振り付けをちょっと派手にしたりということもしています。これを「遊びすぎ」「客に媚びている」という意見もあります。一方、お国柄に合わせた「趣向」は歌舞伎の遊び心の範囲内、と考える人もいます。
早替わりは勘三郎のお得意ですし、面白さと形だけでなく性根まで一瞬に変わるという、歌舞伎の芸のみせどころでもありますから、「乳房榎」でなくとも、なんとかなりそうなものがあるかもしれません。

(ところで、昔の話を蒸し返して恐縮ですが、勘三郎の「伝統芸能としての歌舞伎ではなく、現代に生きている歌舞伎で勝負したい」という路線からは例の「連獅子」は大きく外れています。実際のところ、「連獅子」を踊ったことについては、公演後随分後になって、たまたまNY timesの過去記事を見つけるまで全く知りませんでした。「あまりに特殊な公演ではないか」と思ったのはそのためです。)

>soraさん、
結末はMadokakipさんにまとめていただくのが良いと思いますので、一緒におねだりしましょう♪
ただ、正直なところ、特に今回の上演は「早替わり」がメインになっている構成でして、話の方は少々尻切れトンボになっている感が否めません。
歌舞伎をよくご覧になる方は「切り口上」をご覧になったことがあると思いますが、ほんっとに話の途中で(立ち回りの途中とかで)いきなり「本日はこれ切り~」といって終わってしまうことがあります。
今回は、円朝役が結末をまとめて喋っていましたのでそれよりマシですが、怪談噺としては一番怖いところをはしょった形になっています。(実際のところ、そこは期待されていなかったようですが。)
返信する
結末は、、 (Madokakip)
2009-09-14 12:01:11
頂いた順です。

 soraさん、

>密かに楽しんでいたのですが

ありがとうございます。
最後は本文にも書いた通り、

>実際、各登場人物が最後にはどうなってしまったのか、私の記憶にないくらいです、、。

なんですが、記憶を探ってみるに、
一応、三次はくたばり、
正助は結局真与太郎を連れて去っていく、
(いずれも重信の霊の助けの結果だと思います)
というのが舞台上で演じられた部分です。

原作ではさらに続きがあって、真与太郎が浪江を討つのが本当の最後なんですが、
そこの部分は円朝に扮する勘三郎が語って終わり、という形に今回はなっていました。
なんで、みやびさんがおっしゃるとおり、
ちょっと終わりが唐突な感じがありました。
ただこうやってはしょったおかげで、
スピード感が失われることがなく、
上演時間の長さ的には丁度良かったとは思いますが。

その最後に至る間にも、
原作にはお関の乳房に腫れ物が出来て、
それを取ろうと刀の刃を浪江が立てたら、
深く刃が入りすぎてお関が死んでしまい、
乳房の中から鳥(なんで鳥なんだろう、、)が飛び出したり、
という、エピソードもあります。
このあたりが、みやびさんが怪談話としては一番怖いところ、とおっしゃっている部分だと思います。


 みやびさん、

(ドン・カルロ鑑賞、おめでとうございます!)
そうですね、確かにこの作品は歌舞伎座あってこそ、で、
他の劇場では非常に上演の難しい作品であること、
また代役の効かない勘三郎&相手役、と、
すべておっしゃるとおりだと思うのですが、
必要は発明の母、ということで、
何とか工夫ができないか、としつこく望んでしまうわけです。

『連獅子』は確かに異色だったのかもしれないですね。
なぜでしょう?在NYの日本人に喜んでもらうため、、?

次はどんな演目を持ってNYに来てくれるのか、
楽しみです。
返信する
そのむかし (まんまる)
2009-09-15 01:49:01
怪談乳房榎!
私も随分昔一時期歌舞伎にはまったとき
そのきっかけになった)作品です!
勘三郎(勘九郎だった)、橋之助、福助(児太郎だった)、
みなさんもうちょっとお若くてまさに「花形」だったころです。
ちょっとしたブームみたいな感じでした。
懐かしく拝読しました。
本当に面白い作品ですよね。

「連獅子」と言えば、これまたその昔、
ひょんなご縁から、一度勘九郎さん時代の勘三郎さん(ヤヤコシ)とお食事の席をご一緒する機会があったとき
「連獅子がコクトーの「美女と野獣」のヒントになった」という話をされようとしたとき、
「ジャン・コクトー」の名前が勘九郎さん思い出せず、
「誰だっけ?」となり、お答えしたら「若いのにエライねぇ。」とお褒めいただいたのを思い出します。

ひさびさに歌舞伎も観たくなりました~。

返信する
どんどんカミングアウト! (Madokakip)
2009-09-15 11:49:51
 まるまるさん、

>一時期歌舞伎にはまったとき

おお!ここに、もうお一方、歌舞伎に詳しいお方が!!
この乳房榎は、勘三郎の存在のおかげか、
ずっと人気があって、今まで割とコンスタントに舞台にかかってきたようですね。
それなのに、全然今回鑑賞するまで、
この演目の名前すら知りませんでした。
ああ、無知って怖い、、。

でも、一般人の間でそんな知名レベルにおいておくのはもったいない作品だと思います。
私はこういうエンターテイメントに徹した演目、
すごく好きです!

勘三郎さんと食事だなんて、歌舞伎が好きでいらっしゃったら、
もうたまらないイベントじゃないですか?!
しかも、褒めて頂けたなんて!!

私もつい、コレッリと食事して、褒められているところを想像してしまいました
故人だけれども。
返信する
吹き替え (みやび)
2009-09-16 00:41:59
(Madokakipさん、私としても色々反省すべき点があり、少し自重しようと思っているところです。が、そういいながら、この件については是非お話ししたく、書き込ませていただくことをお許し下さい。)

本当に偶然ですが、勘三郎の吹き替えをやっている役者さんについてTVで知る機会があり、「乳房榎」に関するお話も面白く、またその役者さんの人柄や芝居にかける思いがとても素敵で、是非ともご報告したいと思ったので…。

松竹はCSで歌舞伎や能、落語など伝統芸能に関するチャンネルを持っているのですが、その番組に「芸に生きる」という対談番組があります。昨夜みていたら再放送のようですが(本放送が何時だったか不明)ゲストは中村蝶十郎さんという歌舞伎役者さん。大道具から始まって、途中で師匠を変わったりと異色の経歴です。泳げないのだが、仕事で本水(布や書割のセットを水に見立てるのではなく、本物の水を使うこと)を使うので少し水泳の練習を始めた、という話。「これがその舞台ですね」とでてきたのは「乳房榎」の大詰め、ここの上の方に出ている写真とそっくり!この人が吹き替えだったのです。今回の筋書きを確認すると、今月の出演俳優の中に確かに名前がありますから、今回も蝶十郎さんだったに違いありません。

初演の時に集めた吹き替えは3名。3人が交代ではなく、それぞれ持ち場が違うようです。蝶十郎さんの出番は例の花道での入れ替わり(こぶ巻き、というそうです)と大詰め(の滝壺だけ?この辺、微妙です)。一番大変そうなところですね!最初は別の方の予定だったようですが、体格が勘三郎(当時は勘九郎)と合わないので、変わって欲しいとの話。そのときの蝶十郎さんは仕事の予定ではなかったので、日焼けで真っ黒。「若旦那、色が黒すぎて駄目ですよ」「僕が黒く塗るから、とにかくお願い!」ということで決まったそうです。

幸い「乳房榎」は評判になって、再演もされました。ある年、ものすごく水不足の年があったそうです。水は手前のプールにたまったものを滝の方へ循環しているそうですが、1日終わると交換しているそうです。が、水不足で半分しか変えられない…そうすると、だんだんプールの底に溜まった水がぬめぬめしてくるんだとか。足はすべるわ、着物はべたついて着替えにくいわ、ある時は、ヌメヌメのせいで水しぶきがきれいに上がらないからと、ドライアイスを入れたそうで。うっかりドライアイスの上に飛び込んだ蝶十郎さん、痛さで手に持った刀を放り出してしまったそうです。「しまった!若旦那が見得を切るときに刀がないと大変だ!」と、芝居をしながら取りに戻ったり。「何やってんの?!」「刀を落としちゃって…」「そうか、大丈夫?」結構、舞台の上でいろんなことを喋っているものなのですね。

歌舞伎には「名題下」「名題」という区分があって、「名題下」は芝居では立ち回りや群集のその他多勢が主な役回り。昇進試験に合格し(この試験は御曹司でも受けるそうです)、名題昇進のお披露目が終わると、立ち回りはやらなくなり、もっと役が大きくなります。蝶十郎さんはこの時点で名題披露を終えたところだったようです。しかも、「中村」姓ではありますが、「中村屋」ではなくて「萬屋」のお弟子さん。勘三郎の弟子ではないんです。もしかしたら配役表に名前の載らない吹替えをやらなくても…なのかもしれません。が、この役はやはり蝶十郎さんでなければ出来ない芸であること、またご本人が本当に芝居好き、という気持ちから続けているのではないか、と思いました。

他にも踊りの師匠に叱られた話とか、勉強会でのお役の話とか、本当に嬉しそうに楽しそうに話されていました。舞台というのは1人2人の主役だけでなく、こういった脇役さんや大道具、小道具などの裏方さん、大勢の気持ちでいい舞台ができるのだなぁ、ととってもいい話を聴いた気分になり、是非ともお話したかったのです。
返信する
”分”を知る (Madokakip)
2009-09-16 07:15:06
 みやびさん、

とても興味深く、また貴重なお話を紹介頂いて本当にありがとうございます。

まさにおっしゃる通りで、歌舞伎もバレエもオペラも、
主役以外の役、またスタッフの力が揃わないと本当にいい舞台にはならないと思います。

前編で紹介させて頂いた小山さんの本のなかに、
”分”を知る、という項がありまして、
その中で、誰もがキャリアを積んだからとて、
主役に向くものを持っているわけではないこと、
それは良い役者である、歌手である、ダンサーである、ということとはまた別の問題である、ということが述べられていました。
分というと、分際、みたいなニュアンスが入って聞えるせいか、
どうしても、どちらが優れていてどちらが劣っている、というような見方になりがちですが、
そうではなくて、分というのは、自分を生かす役柄、役割を見つけることである、という論旨に
激しく同意しました。

中村蝶十郎さんの場合も、勘三郎のように表に立つ、という分ではなく、
吹き替えという分で自分の力を最高に出されている、ということで、
これは本当に素晴らしいことだと思います。
こういう方がいないと、舞台芸術というのはつまらないものになってしまいますし、
舞台というのは決して主役級のキャストだけで持っているものではありませんよね。

また蝶十郎さんの場合、それをご本人が誇りを持ち、楽しんでやっていらっしゃるというのが、
本当に素敵だと思います。

また、()内の部分ですが、とんでもございません。
私がみやびさんと同じ知識を持っていたとしたら、全く同じことをしたでしょう。
反省とか自重なんて、どうぞ、お考えになりませんように。
今までのようにコメントをいただけるのを楽しみにしておりますから、、。
返信する
こっそり… (みやび)
2009-09-24 00:38:14
Madokakipさんがそうおっしゃって下さるのに、いつまでも拗ねているのもかえって大人気ないですね…(反省はするとして)。

と、思ってはいたのですが、「ドン・カルロ」へ向けて仕事を詰めていたので疲れたのか(それにしては書き込みばかりしていましたが(汗))、来年の公演予定に眩暈を起こしたか、すっかり気が抜けてしまっていました。

いや、来年、再来年の予定はマジで眩暈がします!
歌舞伎座も4月で閉鎖ですから、見捨てるわけにもいかないですし。知らないうちに「世界遺産」になってる歌舞伎ですが、所詮は松竹の事業なので、営業成績が悪いと大変なことに…実際、上方歌舞伎は一時期壊滅状態だったそうで、本当の「こてこての上方歌舞伎」は、今ではなかなか観られないようです。(私はこのコテコテ加減が良く判らないのですが。)

そして、余計な心配ですが、このチケットちゃんと捌けるのだろうか……と。スカラ座のプログラムを買いましたら、過去の上演記録がついていたのですが、初来日が1981年。しばらくは3~4演目、13~18公演ですが、2000年に入ってからは2演目、計9公演に減っています。初期は数年に1度のお楽しみだったのでしょうが、今や4~5万円クラスの来日公演が年に3つも4つも重なります。全てに通える人はそう多くはないでしょう。自然と、パイの食い合いになっているような気が…。で、余ったチケットを値下げして売るようになり、それが読めてくると買う方は値下げを待つようになり…。

更にTV局とか、わけのわからんプロダクションが招聘元になっている時は、本当に騙されたみたいな値段のチケットになっていることもあり…イタリアの歌劇場がどこでもスカラ座みたいに一流なわけはないんですが。こういう時は主役キャストだけは豪華にしておく作戦のようですが…。ん?来年のアレーナ・ディ・ヴェローナはTV東京では?(笑)確か、アレーナは去年だか今年だかに来日するという噂がありました。多分、採算が取れなさそうということで流れたのだと思いますが、そこへドミンゴをカップリングしてチケットを売ろうという戦略なのでしょう。でも、アレーナの公演を国際フォーラムでやるにしては高いですよね。高い席が高いのはいいんですが、2階席はもっと下げるべきですよね。チケットがちゃんと捌けてちゃんと公演が成立するのか、なにげに心配です。

と、ぐだぐだしているうちに、日本では、シルバー・ウィークとやらいう5連休になっていて(仕事的には邪魔臭い連休だったのですが)だいぶ気を取り直したようで、今日は「オテロ」を観てきました。

なので、またボチボチ皆様にくわわらさせて頂きます。相変わらず、無駄に長い文章ですが、よろしくお願いします。

返信する
なぜ?! (Madokakip)
2009-09-25 14:29:36
みやびさん、

>いつまでも拗ねているのもかえって大人気ないですね…(反省はするとして)。

ええっ!?なぜ、みやびさんが反省しなければいけないんですか??

どうやら私の言葉が舌足らずだったようで、
”ここは生活指導のブログではない”という言葉は、
決してみやびさんに向けたものではありません。

ここではっきりと申し上げた方がいいですね。
私は、ヘッズ魂をつらぬくことが、
人様の健康を犠牲にすることであっていいとは全然考えていなくって、
そんなことをヘッズという名の下でされても困る、というのが正直な気持ちですし、
このブログがそんなことをサポートしていると微塵でも思われたなら、大変迷惑です。

みやびさんも、私も、私達が正しいと思うことはコメントに書きました。
しかし、もうあの時点では、何を言っても、
ご本人の聞きたいようにしか解釈してくださらないように感じましたので、
もう、この件に関する会話はやめましょう、という提案をさせていただいた次第です。
最後にはご本人が決めることですからね。

でも、みやびさんがあえて言いにくいことを、
きちんとお話してくださったのは、
すごく素敵なことだと思いました。
(それが、私も同じ位の知識を持っていたら、
同じことをしたと思います、という発言の根拠になっています。)

ですので、この件でコメントを入れにくい、と感じられることのどうぞないように、、。
みやびさんのコメント、いつも楽しみにしておりますので。

さて、大きな歌劇場の来日公演ですが、
確かに3演目以上をさばくというのは厳しいんじゃないかな、と私も思います。
今回のスカラのように、2演目にコンサート(ヴェルレク)やリサイタルと組ませるプランは悪くはないと思いますね。

また、食い合い状態で割りを食うのは、
中堅どころ以下(東欧とか、、)のオペラハウスですよね。
キャストにスターはいない、セットはしょぼい、では、
新国が頑張っているようである今、
高いチケット代を請求できる根拠がありません。
段々淘汰されていくのかな、と思いますね。

シルバー・ウィークも終わり、またお仕事が忙しくなっておられるかもしれませんが、
またコメント、お待ちしています。
返信する
乳房榎ふたたび (みやび)
2011-08-19 19:04:53
この記事から早2年。昨年、新橋演舞場へ引っ越してきてから、8月は「花形歌舞伎」に若返り、「納涼歌舞伎」の芯だった三津五郎、勘三郎が抜けています。今年の第三部では「怪談乳房榎」を勘太郎が初役で演じているので観に行ってきました。勘九郎襲名も正式に日程が決まり、これから頑張ってもらわないと。
http://www.kabuki-bito.jp/news/2011/07/post_268.html

嬉しいのは、小山三さん(91歳!)が変わらず茶屋女のお役でお元気な顔を見せてくれたこと。勘太郎の長男も生まれたことですし、初お目見えいえ、初舞台まで現役でがんばっていただきたい。もう一人、一昨年は替え玉として大活躍された蝶十郎さん(替え玉は3人くらい使っているそうですが、メインはこの人)。勘太郎と勘三郎では体格が全然違いますから、替え玉も他の方なのですが、蝶十郎さんも酔っ払い侍でご出演でした。

勘太郎は今回が初役で、前回同様、円朝を含めて4役早替りとなります。確かに、円朝は1役に数えるには出番が短いのですが、大詰めの場面丸ごと円朝の語りにしているの話の筋的に重要でもあり、何より(滝壺で立ち回りをしたので)頭のてっぺんからつま先までずぶぬれの正助から、カラリと乾いて高座の円朝へ変わるわけですから、ここの早替りはカウントしてあげたいところでもあります。
歌舞伎の場合は「伝統を継承する」ということも大事ですので、教わった役を最初に演じるときは、きっちり教わったとおりに演るのが礼儀だといいますが(この演目はガチガチの古典ではないので、ちょっと違うところもあるかもしれませんが)、勘太郎の(舞台での)声が勘三郎そっくりでびっくりすることがしばしばありました。もちろん、ずっと若い声ですし、特に女形では勘三郎ほどしゃがれた声ではないのですが(笑)。
私が観た日は早替りはきちんとこなしていました。演じ分けの方は、三次は伸び伸び演じていましたが、正助がどうしても誇張した感じがしてしまいます。現代の若者らしく手足が細長く背も高いという体型のせいもあるのか、ちょっと腰を折って歩く動作が少しオーバーに見えるのと、勘三郎そっくりのせりふ回しがちょっと熱弁すぎて浮いた感じになってしまうようです。
本水の大立ち回りは、滝壺が少し狭かったような気がしますが(歌舞伎座よりも舞台が狭いので)、納涼らしくて季節にもぴったりです。

お関はこれも初役で七之助。福助に比べると人妻の色っぽさには欠けますが、ここ数年で随分ときれいになりましたし、薄幸な役が似合うので、ちょっとした隙に付け入られても自分ではどうしようもない、といった雰囲気が出ていました。一部では初役で「櫓のお七」なので、こちらも気になるところですが…多分、観れなさそう。
浪江も同じく初役で中村獅堂(萬屋錦之助の甥)。悪くはないのですが…若くて生きがイイのは花形らしくて良いのですが、怪談っぽさが薄くなるような…大詰めを円朝の語りにせずに上演すればいいのでしょうか(以前はそうしていたようですが、三部制なので尺を短くしたいのか)。

ちなみに、外国からの団体さんがいましたが…イヤホンガイド(英語版があります)をしていないと、早替りに気が付けないようでした。初めて見る東洋人なんて、よっぽど舞台にかぶりつきの席ならともかく、遠目では衣装やかつらが違わないと区別できなさそうですから、無理もないですね。
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