Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

八月納涼大歌舞伎~お国と五平・怪談乳房榎 (Tues, Aug 18, 2009) 前編

2009-08-18 | 歌舞伎
東京に住んでいた頃、一時期同じ会社に勤めていた縁でとても仲良くなった友人たちがいます。
私を入れて4人なので、当時流行していたSATC(セックス・アンド・ザ・シティ)のキャリーたちと自分たちを重ね合わせ、
(当時はこういう勘違い4人組が世にゴマンといたはず、、。)
その会社を離れた後も、4人全員は揃わなくとも、そのうちの最低二人は
1週間に一回くらいは会ったりしていて、恋の話、仕事の話、これからの生き方の話、
よくもまあこんなに話すことがあるもんだ、と思ったものです。

その彼らと今回帰省で会えるのは一番楽しみにしていたことの一つで、
案の定、会った途端、その頃にタイム・スリップしたかのように、お互いの近況報告で大盛り上がり。
やがて、友人の一人が最近出会ったある男性の話になりました。

その男性の趣味は歌舞伎を観る事。つまり彼は歌舞伎ヘッドなわけで、
なんと二回目のデートに、”歌舞伎を見に行きませんか?”とのお誘いがありました。
彼女は特に歌舞伎ヘッドなわけではないのですが、デートに歌舞伎というのも面白いかも!と快諾。
一緒に観るのは夜の部だったので、彼女としては出来れば開演前に軽く一緒に夕食を食べるか、
もしくは幕間に歌舞伎座の中にある食事処で一緒に、、、と思っていました。
だって、結局、デートというのは、そういう、どこで何をしようか?という部分を考えたり、
実際に行動に移すのが楽しく、また目的であるわけですから、、。

しかし、彼から宣告された無情な言葉は、”食事は各自持参で、幕間に休憩場所で食べましょう。”
ええっ!!??せめて、一緒に買いに行くという選択肢もないのか、、、?
しかし、優しい彼女は”わかりました。ではそうしましょう。”と言って、
当日、コンビニで調達したおにぎりなどを持参して歌舞伎座に出かけていきました。
いよいよ、幕間。ホールにしつらえられた長椅子に座り、おにぎりを取り出す彼女。
ふと彼を見ると、仕事帰りのアタッシェケースを開けたそこには、
某製パン会社の、あんパンとスティック・パンがぎっしり、、。
”スティック・パン、お一ついかがですか?”とすすめる彼に、
ああ、この男性との次のデートはないかも、、と彼女は思うのでした。
もうこの話を聞いた時は、おかしくてお茶していた喫茶店の椅子から転げ落ちるかと思いましたが、
ふと、我に返ると、私も自分が彼女の立場なら、彼女と全く同じように感じることに間違いはないのですが、
その一方で、紛れもないヘッズである私には、ひとごとと思えず、
思わず身につまされる部分もありました。

ヘッズの基本ルールはこれ。
”自分の偏愛の対象(オペラであれ、歌舞伎であれ、、)に付き合いの浅い友人、特に異性を巻き込まないこと!”
これは相手の方が同じ対象に興味を持っていない限り、
まさに目を覆いたくなる大失敗になること、間違いありません。

それはなぜかというと、まず第一に、ヘッズなら、
いい加減に、もしくは緩い気持ちで、オペラや歌舞伎を鑑賞することはもはや不可能だからです。
いつの間にか、つい、デートでは最も肝心なはずである相手の女性・男性のことよりも、
オペラや歌舞伎の方が第一になってしまったりして、、
しかし、これはデートにおいては相手の方に対してとっても失礼です。

そして、第二には、劇場に通いつめていると、ある種の行動パターンが出来上がってしまって、
それを崩すのが苦痛になるということです。
私も、メトに行く場合、化粧室に行く段取りとか、幕間に行く場所、またそこで何をするか、など、
自分が一番リラックスしてオペラを見れるように組み立てたルーティーンがあって、
最早これを変えることは不可能なんじゃないかと思います。
例えば化粧室に行きそびれると、次の幕でパニック・アタックを起こしそうになります。
会社では全然トイレに行かなくても平気なのに。
私の友人がデートしたこの男性の食事の仕方、食べ物の選び方から、
それと同種の匂いを感じます。
いつもあんパンを食べているんだろうな、幕間に、、、という。
まあ、そうやってオペラや歌舞伎のためなら、人様のことも顧みず、
自己チューになってしまうところに、次のデートはない理由があるわけですが。

さて、私はオペラでも、自分の趣味、主義、主張全開!のスタンスで書かれた書物が大好きで、
あたりさわりのないことしか書いていないと、全く読む気になれません。
以前、三浦しをんさんの『あやつられ文楽鑑賞』がおもしろかった!とご紹介したことがありますが、
今回、東京の本屋でふと手にとった、小山觀翁さんの書いた『歌舞伎通になる本』、これがまた面白い!



御年80歳になられる小山さんは古典芸能の評論家で、
歌舞伎座でのイヤホンガイドの監修をされているのみならず、どうやら松竹の顧問ですらいらっしゃるのに、
その歯に衣着せぬ物言いは、まさに真性の歌舞伎ヘッド!
冒頭の方ではそうでもないのですが、段々とエンジンがかかり始め、早くも第二章では炸裂しておられます。

歌舞伎とは嘘を楽しむ心意気がなければならない、ということを語る章で、
歌舞伎において、大道具小道具はもちろん、話の筋の細かい点における適切な時代考証の有無は、
”一言にしていえば「ゼロ」である”
とばっさり断言したかと思うと、歌舞伎座の桟敷席については、
”その席の位置たるや、横の一番はずれにあり、
もしかりに、これが椅子席であったなら、ここはひどい席である。
現に桟敷のない国立劇場などで、こんな席を押し付けられたら、文句のひとつも言いたいところだ。”
など、その炸裂ぶりはとどまるところを知りません。
しかし、その文章には、長年舞台を見続けて来られた方特有の歌舞伎への愛が底流に感じられ、
中でも、もはや演劇、いえ”芝居”論と言ってもよい第二章は、
オペラなど、他の舞台芸術のフォーマットにも共通する部分もあり、
大いに鑑賞の参考になる内容がつまっています。
(小山さんは、現在の演劇・芸術としての歌舞伎よりも、昔の”芝居”であった頃の
歌舞伎が好きでいらっしゃるるので、”芝居”論なのです。
演劇と芝居の違いについては、同書で詳しく触れられています。)
今回の舞台を鑑賞した後に同書を読み始めたのですが、
実際に舞台で見た事と、書かれている内容がリンクする部分が多く、大変興味深く読ませて頂きました。

楽しかった日本滞在の最後の夜に、歌舞伎を鑑賞しました。
多くの方がご存知の通り、歌舞伎座は今年の公演をもって建替えが行われることとなり、
約3年間、工事のために閉場されてしまうので、
どうしても今回の帰省で含めたかったのが歌舞伎鑑賞でした。
なぜならば、15年以上も東京に住んでいながら、歌舞伎座には一度も行ったことがないので、、。



各座席についての好みなどというものは、その劇場にかなりの数通わないと決められないもので、
わからないときはとりあえず贅沢をしておくに限ります。
というわけで、今回は発売後比較的間もなく、桟敷席狙いでチケットを探しはじめたのですが、
いつもこんなに人気があるのか、現行の歌舞伎座の最後のシーズンということで特にそうなのか、
私が日本に滞在する日程のうちで、桟敷席が、それも一席だけ、残っていたのは、
この8月18日の、それも第三部(夜の公演)しかなかったのです。
というわけで、出演者や演目を吟味する余地もなかったのですが、結論、私は運が良かった!!

八月第三部の狂言は(歌舞伎の世界では、演目のことを狂言というのだそうで、
芸術形態としての狂言とは別の意味で使われています。)、
『お国と五平』と『怪談乳房榎(ちぶさのえのき)』。



平成中村座のNY公演で観た『連獅子』は舞でしたが、
今回は『怪談乳房榎』に下座による音楽の演奏がある以外には、
メインの出演者による歌も踊りもない、台詞中心の作品のカップリングです。

琵琶の演奏についての記事でも書いたとおり、
私は結構日本の伝統芸能について、言葉に対するフォビアがあって、
同じ日本人同士であるのに相手の言っている言葉がわからない、というのがすごく嫌です。
なので、一応、両作品ともあらすじを予習して行ったのですが、
それでも、目の前で意味のわからない言葉が行き交うと、もうそれだけでやる気を失う予感があったので、
すごく心配だったのですが、歌舞伎って、こんなに聞き取りやすい日本語を話しているんですね。
知りませんでした。
昔(昭和の初め頃)の公演の録画をDVDなんかを見ると、役者が語る言葉がほとんど私には意味不明なのですが、
それは時代による発声のせいなんでしょうか?
それとも、現代の公演は現代人にわかりやすいようにある程度言葉がアレンジされているのでしょうか?
(多分後者だと思う、、その理由は後ほどふれます。)
感触的には、テレビで時代劇を見ている感じに近い。
そんな言葉、現代、普段の生活では使わないけど、意味は十分わかる、というレベルの。
なので、開演前にイヤホンガイドを劇場からお借りしておいたのですが、
語られている言葉の意味を理解するという点では、全く必要ありませんでした。

というか。初見の作品で、リブレットや字幕やらの助けなしに、
語られている言葉が一語一語までわかるのって、本当に楽しい!
日本人で良かった、、と実感する一方で、オペラをもっともっと楽しむには、
もっともっとイタリア語、ドイツ語、フランス語(ロシア語は手強そうなので、多分、
死ぬまでに間に合わないと思う。)を勉強せねば!と野望に燃えるのでした。

まず歌舞伎座の劇場部分に入って驚いたのが、空間の縦横の比率。
すごく横に広くて、縦(前後)に短いんだなあ、、と。
今回は、実際の公演の内容もさることながら、細かい部分で見られる歌舞伎の上演のしきたりとか、
舞台機構としての歌舞伎座に感心したり面白さを感じた部分がたくさんあって、
こればっかりは、どんなに即席で花道とかを作っても、
エイヴリー・フィッシャー・ホールでは再現不可能な、
実際の歌舞伎座の空間の中だけでしか体感できないものだと思いました。

これはオペラも同じだと私は思っていて、海外の歌劇場が、引越し公演の形で、
セットから衣裳からオケから合唱から、全てを持ってくることは出来ますし、
それはそれで、とてもありがたいことではあるのですが、
やはりその劇場の個性というのは、その劇場が実際にある場所でしか完全には感じられないものなのではないかと思います。
だからこそ、新国立劇場には、早くレジデントのオケも作って、
そういった唯一無比の存在になるべく、がんばってほしい!と思うわけですが、、。
おっと、いけねえ。今日は歌舞伎の話でした。

前半の『お国と五平』。
これは、谷崎潤一郎の作品。歌舞伎には、他に三島由紀夫が書いた作品などもあって、
こういう優れた作家とのコラボがちゃんと昭和まで続いているのも楽しい。
(平成については、そもそも三島由紀夫や谷崎潤一郎級のすぐれた作家と呼べる人が
いないような気がする。寂しいことです。)

谷崎潤一郎は、『痴人の愛』を含む一部の作品で、
主人公の行動の馬鹿馬鹿しさ、奇天烈さを、ほとんど読者に
”馬鹿じゃないの?この人。”もしくは”なんかキモチ悪い、この人。”
と思わせるほどに、ユーモラスに、かつ意地悪に描写しながら、
しかしその一方で”ついそうせずにおれない哀しさ””痛さ””しぶとさ”を描いていますが、
それと同じ雰囲気をこの『お国と五平』から感じました。
ある意味、とても谷崎潤一郎らしい作品だと思います。

ひとかどの武士であった夫伊織を、同じ武家の、
つまり一種の身内であるはずの友の丞の裏切りによって殺されてしまい、後家になったお国。
逃げた友の丞を見つけ仇を討つため、忠実な従者の五平を伴って行脚を続けて早や五年が経っている。
そんな二人の前に虚無僧姿の友の丞が現れ、、というストーリーなんですが、
実はこの友の丞は、お国の昔の許婚で、あまりの駄目さにお国の家族同意で婚約を破棄させられたものの、
お国のことがあきらめられず、お国が彼を探していたつもりのこの5年、
実は彼の方が姿を隠しながら彼女をずっとストーキングしていて、
なんと、お国と五平の間が一線越えてしまったものになっていることも知っている。
二人が一線を越えている間にじとっとそれを外で感じ取りながら座り続けていたであろう友の丞。怖い。
最後にはそれを質に、そのことは一家に黙っておいてやるから、
かわりに何が何でも自分の命だけは助けて欲しい、と交渉する大変女々しい男なのです。
この女々しい男が女々しさ全開ついでに、最後に爆弾を落とす。
もはや主従関係を越え、相思相愛の仲になっているお国と五平の前で、
自分もお国の体を知っているぞ!と言い始めるのです。
んまっ!結婚前に!意外とガードが緩いぞ、お国!って感じなのですが、
その言葉を最後まで言わせまい、とつい刃物をとって友の丞を刺し殺すお国。
その行為こそが、それが本当であることを物語ってしまう。ガードが緩いだけでなく、頭も悪いお国!
ついに復讐を果たし、邪魔者がいなくなって、一緒になれてハッピー!のはずのお国と五平、、。
だが、しかし。
優しい五平のこと、何もなかったようにその後も振舞っていくのでしょうが、
あの友の丞の爆弾発言により、二人の間になんともいえない後味の悪いしこりが残ってしまうのです。
友の丞、死と引き換えに、見事な毒を二人に放っていきました。

私は予習であらすじを読んだ段階では、何としてでも添い遂げる!という、
お国と五平の純愛物語かと思っていましたが、とんでもない。
谷崎が書いた台詞の一語一句が実際に舞台で交わされるのを聞いて、
お芝居から観る側が感じ取るものというのは、あらすじなんかじゃなくって、
台詞の読み方を含む演技の仕方によって規定されるのだと思います。

友の丞を演じたのが坂東三津五郎(ちなみに、私も含め歌舞伎役者にあまり明るくない方のため、
下の写真の向かって前列右に座っている方)です。

話は脱線しますが、私のようなオペラファンにとって、歌舞伎で最もなじみにくいことの一つが世襲制度で、
役者さんの名前が、お魚のように若いときから段々と名前が変わっていくというのも、
また姓も名も同じ人が時代をまたがって複数(それも時には10人以上!)いるというのも、ややこしすぎます。
家の芸を継承する、というコンセプトはわかるんですが、オペラで、
いくら師弟関係を結んでいるからと言って、マイヤ・コヴァレフスカがいつの間にか
ミレッラ・フレーニに名前を変えている、なんてことはないし、
後世にわたってミレッラ・フレーニが何人も出てくる、なんてこともありえない。
伝統というのは、面白いことを考え出すものだな、と思います。



坂東三津五郎の友の丞は、私には、非常に谷崎文学の味を忠実に舞台で表現しているように思いました。
あらすじを読んでイメージしていたところでは、友の丞が憐れに見えるはずの場面で、
客席から爆笑が起こっていたりして、一瞬、あれ、これでいいのかな?と思うのですが、
これでいい。というか、谷崎がこのように作品を書いているのだからしょうがない。
『痴人の愛』の譲治に、美しさや哀れをすぐに感じる人はいないのと同様に。
譲治は最初から最後まで、格好悪い。読み終わった後ではじめてじわっと、
あれ?もしかしたら、ちょっと可哀想な人?と思うわけです。
それと同様に、友の丞は徹頭徹尾、女々しく、おかしな人でよい。
それで、作品が終わった後に、あ、そういえば、奴、すごい置きっ屁をして死んでいったな、と思わせる、
もともとそういう作品なんだと思います。

それでいうと、ちょっと演技がオフ・フォーカス気味に感じたのはお国を演じた中村扇雀。
(上の写真の二列目中央。)
というか、この作品で実は最も奥が深く、演技が難しいのは、お国役かもしれない、と思います。
この作品中、唯一、伊織、五平、友の丞全員と直接に深い絆があるのは彼女だけで、
これは、伊織は舞台には登場しない人物なのでともかく、
自分なりのお国像を作りながら、五平と友の丞の役の演じ方にそれを合わせて行くことも求められているといえます。
そもそもお国も一筋縄ではいかない女性であることは、上で書いたあらすじからも感じられ、
まず、自分なりのお国像を作るという段階ですでに難関です。
この部分も私には少し曖昧に感じられて、お国がどういう女性なのか、今ひとつ伝わって来ませんでしたし、
五平と友の丞、特に友の丞とのケミストリーも、しっくりしない感じがありました。
五平はその点、友の丞の爆弾発言のシーンまでは、割と一本気な役なせいもあってか、
中村勘太郎(写真では三列目の向かって右)の初々しい感じが雰囲気にもマッチしていたと思います。
もう少し演技に深みが出るともっといいかな、、、
長旅で足に辛さを感じているお国の片足をそっと持ち上げて、
ひざまずいた腿にそれをのせて、いたわる場面がありますが、
ここに、二人の深い仲が凝縮されなければいけない。
その濃さが今ひとつだったと思います。
それは勘太郎だけではなく、扇雀側にも言えることかもしれませんが。
また、言葉の響きも少し平たいというか、若者が一生懸命喋っている古風な日本語という感じがややします。

歌舞伎というよりは、普通の演劇に近い位置に立っているこの作品は、
(効果音をスピーカーで流したりするのはちょっとどうかと私も思いました。)
歌舞伎好きの方に必ずしも完全に受け入れられているわけではないようで、
幕間に、”まあ、こういう作品もあるのね、、って感じかしらね。”などと、
ファンと思しき方に言われていました。

私は、これはこれで、歌舞伎らしくはないとしても、それなりに興味深く拝見させていただいたのですが、
ただ、鑑賞後の、演技ではなく作品そのものから来るなんとも悪い後味に、
谷崎潤一郎は、やっぱり意地悪な作家だなあ、と思いました。
最後に告白すると、谷崎潤一郎のそういうところが、あんまり好きじゃないんですよね、私。
すみません。

<怪談乳房榎で大興奮!の中編に続く>


歌舞伎座さよなら公演 八月納涼大歌舞伎

『お国と五平』
谷崎潤一郎 作
福田逸   演出
坂東三津五郎 (池田友之丞)
中村勘太郎 (若党五平)
中村扇雀 (お国)

『怪談乳房榎』
三遊亭円朝 口演
實川 延若  指導
中村勘三郎(菱川重信・下男正助・蟒三次・三遊亭円朝の四役)
中村橋之助 (磯貝浪江)
中村福助 (重信妻お関)

8月18日 第三部
歌舞伎座 1階西桟敷1

*** 歌舞伎座さよなら公演 八月納涼大歌舞伎 お国と五平 怪談乳房榎 ***

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10 コメント

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歌舞伎座にも! (みやび)
2009-09-06 19:49:43
なんともハードスケジュールのようにお見受けしますが、歌舞伎座へもいらしていたのですね。

最近の歌舞伎座は改修前ということでいつもより盛況であるのは確かですが、勘三郎はもともと集客力が高いのです。今年は新橋で海老蔵が歌舞伎公演をしていたせいか、いつもの納涼歌舞伎より少なめなくらいだったかもしれません。でも、桟敷が取れて良かったですね!今年の3部は絶対に花道が見える席でないと!(という話が、後編で読めるわけですよね。)

>昔(昭和の初め頃)の公演の録画をDVDなんかを見ると、役者が語る言葉がほとんど私には意味不明なのですが、
>それは時代による発声のせいなんでしょうか?
>それとも、現代の公演は現代人にわかりやすいようにある程度言葉がアレンジされているのでしょうか?

今回の3部は昭和の新歌舞伎と、乳房榎も世話物でしたから、初めてでも日本人ならついていけるのですが、やはり時代物とか、義太夫や清元とかは何をいっているのか良く判らないときがあります。なので、演目にもよるかな…とは思います。
ただ、やはり観客を相手にした舞台ですから、多少なりとも時代に合わせて変化していく部分はあると思います。全く別の話になりますが、驚いた時などに「しぇ~っ」というのですが…これを昔どおりにやると客席が爆笑になってしまうので、最近は控えめにしているとか。

昭和の時代のものが新歌舞伎と呼ばれるようですが、やはり「歌舞伎っぽくない」ところがあり、好みが分かれるようです。内容的にもちょっと理屈っぽいものが多いかも…。「どこまで歌舞伎か」というのもよく論争になります。が、新しいものに挑戦するのが歌舞伎、という部分もあるようなので、平成になっても新作は上演されていて、毎回、「これは歌舞伎か?」という論争を巻き起こしています。

あと、ものすごく蛇足ですが勘三郎の四役というのは菱川重信・下男正助・蟒三次に最後の円朝を加えて四役と数えているようです。最後に円朝が出てくるのは今回のアレンジ(趣向、というべき?)のようで、通常では重信の幽霊まで入れても「三役」と数えているようなので。
返信する
おひさしぶりです (Najalryn)
2009-09-06 21:38:16
おみやげをY女史よりいただきました。
ありがとうございます。お礼が遅くなってごめんなさい。
メールアドレスを聞いてお礼のメールを出そうと思っていましたが、今はあ○○のコンサートでY女史は多忙につきスケジュールが読めず、どうしよう・・と思っていたところに私もコメントをつけられる話題が!
私も同じ演目を見ました。私は1階のS席でしたが(足腰目の弱い母が大体一緒なので、1階以外の席はとれません)。続きのレポ待ってます!
最近歌舞伎友の会に入りました。チケットを取りやすくするために。10月、11月にも見に行く予定です。
ところで鯛焼き食べました?あそこの紅白餅入り鯛焼きはお勧めなんです!
返信する
歌舞伎座 (今泉澄)
2009-09-06 22:58:10
歌舞伎座も、いよいよ取り壊し。
圓朝の怪談乳房榎だから見たいなと思い、
予約開始数日後に、行けそうな日を調べたら
まともな席は、もうありませんでした。
取り壊しが近づいているため、
取れにくくなっているようです。

今日も、東劇で「ファウストの劫罰」を見た帰り
歌舞伎座の前を通ると、相変わらず多くの女性が
デジタル一眼レフで、歌舞伎座の撮影をしていました。
女性の一眼レフブームって本当らしいと、いつも感じます。

さて、東劇でMETの来シーズン予定が置いてありました。
まだ、サイトでは発表されていないようですが
基本的に今シーズンと上映開始時間など同じようです。
ただ、まず「トスカ」で、東劇のみ先行上映になるようで
10月31日~11月6日からでした。
その他は、11月7日からでした。
また、
大晦日の解体前の歌舞伎座上映は
「トゥーランドット」でした。

くわしくは、近々サイトで発表されると思います。
返信する
あ~れ~ (みやび)
2009-09-07 10:48:46
常盤津と清元も区別もつかない素人のくせに、余計なことを書くものだから、大チョンボをしでかしました。

「お国と五平」は大正時代の作ですね。「乳房榎」も、現在の型は大正時代とのこと。

私のイメージでは新歌舞伎=真山青果=昭和、というのがあったもので。「お国と五平」の方は音楽といい照明といい内容といい、いかにも「新歌舞伎」なんですが、そもそも明治後期~昭和くらいまでの作家の作が「新歌舞伎」と呼ばれるようです。私の時代感覚がおかしかったらしいです。

「乳房榎」は、年代的には大正ですが、落語原作を二世實川延若が今の形にしたものとかで、(今度は大丈夫かな…)近代劇志向の新歌舞伎とはちょっと違うように思います。
返信する
まさに、しぇーっ! (Madokakip)
2009-09-08 09:34:50
頂いた順です。

 みやびさん、

はい、今回は一週間で、オペラあり、琵琶あり、
歌舞伎あり、と大変充実した滞在をさせていただきました。

歌舞伎のすごいところは、名前だけだと、
はて?と首を傾げなければならなくても
(特に、本文でも書いた通り、襲名で名前が変わったりするせいで、
私のようなアマ歌舞伎鑑賞者には、
顔と名前を一致させる時点で一苦労です。)、
顔を見ると、ああ、知ってるわ、この人!となるところです。

そうですよー、もうこの乳房榎、
私は西の桟敷だったんですが、花道が本当にすぐそこにあるんですよ。
なので、もう、早変わりの○○がXXで△△でして、、
あー、早くお話したいのですが、後編をお待ちくださいませね。
とにかくすごいエンターテイメント性の高い公演に
大興奮しました。

『お国と五平』、私も昭和の作品かと思っていました。
扱っている時代はさらにさかのぼりますが(武士がいる時代ですから、、)、
お芝居として、演出のせいでしょうか、
随分とモダンな感じがしました。

乳房榎の方は、プログラムによると、
円朝が創作したのが明治十年代で、
歌舞伎としての初演は明治30年だそうです。
ただ、この時には三次の役は、原作と同様、
存在しておらず、
三次を含めて3人早替りで演じるようになったのは、
大正3年からのことのようです。
(この大正3年の上演が、二世實川延若が関わったものです。)
そうすると、本当、作品として出来上がったのは、
この二作品、意外と近い時期なんですね。
なのに全然スタイルも、喋られる言葉の雰囲気すら違うのが面白いところです。

で、まさに”しぇーっ!”なのは、
四役でして、円朝を数えていませんでした、、。
ご指摘ありがとうございます。文中、訂正しました。
円朝役の話す内容が内容でしたので、
私、あれは勘三郎自身だと思ってました(笑)
叱られますね。

 Najalrynさん、

いえいえ、とんでもない!
コメントを頂いて嬉しいです。
この日の公演、すっごく楽しくて、
他にも色々観てみたいなあ、と思いました。
10月、11月と鑑賞されるのが羨ましい!

歌舞伎座は劇場としてのサイズ、
それから知らず知らずに役者の顔を知っているせいで、
ある意味オペラやバレエより身近な感じがするのが魅力だと思いました。
これから先の公演楽しんでくださいね!

鯛焼き、、それ、知るのが一足おそかった、、。
食べ損ねました。しゅん。

 今泉澄さん、

でしたよね!
超過熱状態のチケット争奪戦に、
オペラ、負けてる、、歌舞伎に、、と思いました。

メトのライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の情報、
ありがとうございます。
『トゥーランドット』が歌舞伎座上映のラストっていうのは、
偶然かもしれませんが、いいですね。
東京にいたら、歌舞伎座で観たいです。
返信する
四役 (みやび)
2009-09-10 10:44:37
>私、あれは勘三郎自身だと思ってました(笑)

四役目は「みてのお楽しみ」にしたかったらしく、ポスターやちらしにも、筋書き(プログラム)にも書いてなかったですからね。逆に「重信の霊」だとかはのってましたし。あれはカーテンコールだと思った方、いらっしゃったようです。実際問題、挨拶がメインで出てきているのでしょう。

>そうすると、本当、作品として出来上がったのは、
>この二作品、意外と近い時期なんですね。
>なのに全然スタイルも、喋られる言葉の雰囲気すら違うのが面白いところです。

ホントに、こんなに時代が近いとは思いませんでした。
「お国と五平」は文学作品が原作で、演出家もついて、内容的にも近代演劇を指向しているのに対して、「乳房榎」は旧来どおり特に演出家の名前がなく、役者本人が構成していて従来の歌舞伎っぽさが出た作品、なのかなと思っています。(私が思っているだけです。)

勘三郎で一番驚いたのは、納涼歌舞伎の四谷怪談で、6時開演だというのに、一幕見席(4階席の当日券)売り場に昼前から行列していました。さすがに真夏に6時間も並ぶ気はせず、あきらめました。そりゃ、襲名披露も盛大でしたけど。そうそう、襲名という習慣がなくなってしまうと、襲名披露という大イベント(&松竹にとっては稼ぎどき)がなくなってしまいますからね、実子でなくても構わないけど襲名はしてもらわないと(笑)
返信する
共感 ( F )
2009-09-10 18:12:49
学生時代の学校行事以外、歌舞伎の経験がありませんので書くのに躊躇したのですが・・・

あんパン&スティックパンの彼をとても笑えません。
自分のフィールドに入ると自らの尺度が絶対になってしまうのですね。
いろいろ思い当ることばかりです(笑)
Madokakipさんの仰る通り、彼はいつも幕間にパンで空腹を満たしていたのですね。
それは「食事」ではなく歌舞伎を見るための生体維持としての栄養補給なのでしょう。
幕の内弁当などの様式美を楽しんでこその歌舞伎、という一般論から突き抜けて
清々しさすら感じます。


>自分の趣味、主義、主張全開!のスタンスで書かれた書物が大好き

まったく同感です。
クラシックやジャズなど、音楽評を読むのが大好きなのですが私も同様に
「これ以外の録音は一切聴く必要なし!!」的な極論が好きです。
たとえその主張が自分と合わなくとも、著者がどのようにしてその境地に至ったのか
考えると面白いです。
しがらみだらけの評論家よりも、突っ走るヘッズの批評はストレートです。
だからこちらのブログもたいへん魅力的なのです。

返信する
わしらの大切な収入源に何言うか! (Madokakip)
2009-09-11 08:35:18
頂いた順です。

 みやびさん、

>襲名披露という大イベント(&松竹にとっては稼ぎどき)

確かにそうでした(笑)。
これを奪っちゃいけませんね。
実際に頻繁に歌舞伎を見始めると、
襲名披露なんてそんなに頻繁にあることでもないですし、
自然に名前が頭に入ってくるんでしょうが、
私のように突然入った人間は、
”あれ?勘九郎だったはずの名前が勘三郎?
私の記憶力もいよいよ末期を迎えているのか!”とびっくりするという事態になるわけです。
さらに昔の役者の名前が出始めるともう崩壊です(笑)
地道に覚えて行くしかないですね、これは。

 Fさん、

山パン(はい、山崎パンですね)の彼、私も実は笑えません。
まさにおっしゃるとおり、”生体維持としての栄養補給”なんですね。

歌舞伎やオペラは色んな楽しみ方がありますし、
もちろん、幕間や幕後においしいご飯を楽しんで、というのも一つなんですが、
作品を見る、それに集中するために
無駄をそぎ落として、ストイックになってしまう気持ちもわからなくはないんですよね。

メトのオープニング・ナイトなんかは、
そういう意味ではもうヘッズ的鑑賞はあきらめて、
違う楽しみ方をするようにしています。

大体毎年オオープニングの頃は、せっかくオケがいい音を出しているのに、
公演の出来なんかどうだっていいという客が結構多いですし、
(”私のメーキャップとドレスの方が大事なの!!”)
最近ではゲルプ氏のメト・ハリウッド化作戦のせいで、
それに一層拍車がかかっています。
去年はオルセン・シスターズの片割れがいて、
その節操のない人選にめまいがして倒れるかと思いました。
ご招待するのはいいけど、もうちょっと人を選びなさいよ、という、、。
(実際、彼女が普段オペラを観に来ている姿など一度も見た事がない。)

>突っ走るヘッズの批評はストレート

文章とは不思議で、本当に思っていないことを書くと、
やっぱり伝わってしまうと思われませんか?
それが当たり障りのない評を読んでいて、
全然楽しくない理由でもありますね。

>たとえその主張が自分と合わなくとも、著者がどのようにしてその境地に至ったのか
考えると面白いです。

全く同じくです!!!(笑)

これからも、私が極端な境地に至ったプロセスを楽しくFさんに考えて頂けるよう、
”思ったままonly”で突っ走りますので、
どうぞ、よろしくお願いいたします
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襲名披露 (みやび)
2009-09-11 12:37:00
>”あれ?勘九郎だったはずの名前が勘三郎?
>私の記憶力もいよいよ末期を迎えているのか!”とびっくりするという事態になるわけです。
>さらに昔の役者の名前が出始めるともう崩壊です(笑)

確かに、ちょっと目を離すと名前が変わっているというのは混乱のもとではあります。大物は1~2年がかりで襲名興行ですから、目立ちますが。私は数字に弱いので、○代目とか言われると…「え?どれ?」って感じです。

ところで、またまた混乱を招きそうですが、2012年に勘太郎が勘九郎を襲名することが決まりました。歌舞伎座再開前なのがちょっとかわいそうなきもしますが。

今までは現勘三郎を勘九郎と言い間違えてもあまり問題にならなかったのですが、2012年以降はちょっと面倒になりそうです(笑)
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数字に翻弄される (Madokakip)
2009-09-12 05:21:05
 みやびさん、

ひゃーっ!本当ですか?
ますますややこしくなります、、

勘太郎、勘三郎、勘九郎でいうと、
年季が立つにつれて、数字があがっていくか、
さがっていくかのどっちかならいいんですが、
九が三になったかと思うと、一(太)が九になる、、
あがるかさがるかどっちかにしてくれーっ!って感じです(笑)

歌舞伎座が3年もクローズになってしまうので、
待てないんでしょうが、勘太郎、
襲名を歌舞伎座で出来ないというのは、ちょっと気の毒ですね。
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