Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

Sirius: CARMEN (Sat Mtn, Jan 16, 2010)

2010-01-16 | メト on Sirius
注:このポスティングはライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の収録日の公演をシリウスで聴いたものの感想です。
ライブ・イン・HDを鑑賞される予定の方は、読みすすめられる際、その点をご了承ください。

ぬかりました。
HDの収録日の公演なのに、チケットを抑えていませんでした。どうせ、とれるだろう、と思って。
大晦日の公演が終わった時点ですでに、普通にウェブではチケットが買えなくなっていて、
公演の前日まで、毎日メトにキャンセルになったチケットが出てきてないか、電話をかけ続けました。
しまいには親切なパトロン・デスクのスタッフのおじ様が、
”この公演日は異常な人気になっているから、多分、チケットをとるのは無理だよ。
悪いことは言わない。努力と時間の無駄になるから、おあきらめなさい。
ボロディナとジョヴァノヴィッチのチケットならたくさん残っているから、それを抑えてあげようか?”
いや、それじゃ意味ないから!
”それだったら、もう一日、カウフマンが登場する公演日のチケットを足します。”と、
意味なく、全然違う公演日のチケットを買い足したりして、
しかし、自身が猛烈なヘッドであり、やはりカウフマンが大好き!でいらっしゃるおじ様と、
”2006-7年シーズンの『椿姫』でのカウフマンを聴いたか?”
”もちろん!あれで私はカウフマンを好きになったんですものー。”という話で盛り上がり、
さらには共にコレッリが最大のアイドルであるという共通点まで発覚。
おじ様と1時間以上も話し込んでしまいました。

しかし、いかにも彼は正しかった。
そう言われつつも、毎日電話をかけ続けたのに、やっぱりチケットはとれなかった、、、人生最大の不覚、、
考えてみたら、今シーズンのチケットをまとめて買った時、ゲオルギューがカルメンを歌うはずだったから、
2回も聴く必要ないや、と抑えずにいて、そのまま来てしまったのでした。

実演が駄目なら、HDがある!!
と、今日は映画館でHDを観るつもりだったんですが、なぜか、いつもは元気一杯で手に負えない次男(犬)が、
珍しく昨夜から体調を崩し、連れと2人で夜通し様子を見て、今日もとても心配なので、家でのシリウス鑑賞に予定変更です。
でも、これも神様の思し召しか?実演をあきらめなければならなかったとしたら、断腸の思いだったでしょうから。
いくら私がオペラヘッドと言っても、次男への愛はそれ以上です。

というわけで、今日は近所を顧みず(っつーか、どうせ、あらゆる音が筒抜けの安普請な戦後に出来たアパート
だから細かい気を使っても意味ない。)、
映画館にいる気分でスピーカーから大音響で『カルメン』を鳴らさせて頂きます。

まず、びっくり仰天のアナウンスがありまして、
今日のエスカミーリョは、予定されていたマリウス・クウィーチェンが病気なのに変わって、
テディ・タフー・ローズが代役で登場です。
クウィーチェンのエスカミーリョはかなりヘッズの間で評判が悪かったですから、
DVDにもなってしまうかもしれないHDで、一生の生き恥を刻印するよりも降板することを選んだものか、
本当に病気なのかは良くわかりません。一応、インターミッションでは、
ローズがメトから交代決定の電話があったのは朝の10時だった(公演は1時開演)と語っていましたが、
彼の登場を楽しみにしていた方には残念としても、完璧なコンディションでない状態で歌うのをクウィーチェンが避けたのは
賢明な選択かもしれないとは思います。

ちなみに、テディー・タフー・ローズは、2007-8年シーズンの『ピーター・グライムズ』で、
ネッド・キーン役を歌っていたニュー・ジーランド出身のバリトンで、シックス・パック系ナイス・ボディで、
これなら衣装がちんちくりんでほとんど漫画のキャラ化しかけていたクウィーチェンのエスカミーリョと違って、
あの衣装が映えて見目麗しいだろうなあ、、と思いますが、今日はその姿を想像しながら聴くしかありません。


(2007年、オペラ・オーストラリアの『ドン・ジョヴァンニ』に表題役で出演中のローズ。
顔が隠れてますが、決して隠さなければまずいような顔だからではありません。どちらかというと男前です。
髪が薄いですが、それは突然に髪が豊かになったカレイヤに習って対処すればノー問題です。)

まず、ネゼ・セギャンの指揮とオケ。
今日は本当に気合が入っていて、大晦日の公演より、ずっと、ずっと、いいです。
大晦日の公演では序曲の部分から全開の、彼のスピーディーな指揮
(中には早く終わらせてとっとと年明けを祝う乾杯でもしたかっただけなんじゃないか?
と皮肉っているヘッドもいましたが。)が話題になっていましたが、
私には、少しスピードが空回りしているように感じました。
けれども、今日の演奏は、同じ早いスピードにありながら、それが上滑りせず、エキサイティングな演奏になっていて、
数箇所、合唱とオケのコーディネーションが悪い個所はありましたが、
(大晦日の演奏でも、一つどころに集中しすぎるあまり、よそがお留守になる、という現場をみかけました。)
全体として、活き活きとしたいい演奏で、今後を期待される若手指揮者という評判は、誤りではないと思います。

ガランチャ。彼女はまだ完全に熟す前だとしても、本当に優れた歌手だと思います。
よそのブログで、彼女をメゾ・ソプラノ版のダニエル・デ・ニースと呼んでいる人がいて、
どこをどう聴いたらそうなるんだ、と、PCのスクリーンに向かって熱い茶でもふっかけてやりたい位でした。
要はルックスだけで実力が伴っていない、ということを言いたいんだと思いますが、
今日の公演の彼女の、”花の歌”のすぐ後の、
”いいえ、あんたは私をもう愛しちゃいないのよ Non, tu ne m'aimes pas!"という言葉のpasの音の表現力とか、
こういうのを聴いてもまだ彼女のことをハイプと感じる人は、耳垢がつまっているんだとしか考えられない。
スタミナやペースの配分も申し分がないし、とにかく彼女は公演による出来、不出来の差が小さいのもすごいです。

それに比べると、大晦日から、ずっと風邪なの?と突っ込みたくなるアラーニャ。
下で紹介する音源からもわかると思いますが、健康的な(概念としてではなく、実際に)声にはとても聴こえないんですが。
彼に関しては、『カルメン』に限らず、ここ数年で私が観た公演のおよそ2/3くらいがこういう感じなので、
私はもうこれが彼のデフォルトの声になり始めているんじゃないか、と思っているくらいです。
HDで張り切りすぎたか、声をかばおうとして、必要以上に歌唱が芝居がかっているのも私にはちょっと下品に感じられるんですが、
これは聴く側の好みもあるかもしれません。
大晦日の公演時は、こんなオーバーな芝居を入れる余裕がなかったのがかえってよかったのかも、、と思います。
ずっと、声のコンディションが悪く、初日から”花の歌”のラストのB♭をしくじっているので、
今日はもうアラーニャが最初からすごく固くなっているのがわかります。
私はこの歌は、こんなに最初から力まないで歌われる方が好きで、古い録音(1928年)なゆえ、
歌唱スタイルもレトロで、今の時代に標準に比べると技術もやや粗い感じがするかも知れませんが、
このジョルジュ・ティルの歌唱のようなのが理想です。
いい声なんですよね、このティルが。




ここでのティルはB♭を思い切り歌い上げる方法をとっていますが、
今日のアラーニャはこれをピアニッシモで歌おうとして意識しすぎ、
B♭の音自体よりも、ピアニッシモで歌い初めたその音を含めたまとまったフレーズの最初の音から、
音をきちんとサステインできなくて、持ち直さなければならなくなってしまいました。
大晦日の時はここまで音を絞らずに歌っていたように思ったんですが、アラーニャ、勝負に出て見事に散ってしまいました。
合掌。

ローズのエスカミーリョは、声の質に関しては、クウィーチェンより、ずっと役にマッチしていて、
低音域の音がしっかり出ているのが魅力です。
実際、バス・バリトンではなく、バリトンとして通しているにしては、低音が強い人だな、と感じます。
ただ、この大舞台で頭が真っ白になっているのが、ラジオで聴いているこちらにまで伝わってきて、
私までどきどきしてしまいました。
オケから段々歌が走り出して、必死でネゼ・セグインが合わせているのも涙ぐましい。いやー、どきどきしますぅ!
そして、”a grand fracas!"のところ、一体、何が起こったんでしょう?
完全にオケと外れてしまったんですが、あまりに堂々と歌い上げているので、
オケの方が全員おかしいのかも、(そんなわけない!)と、思ったくらいです。
これだけ、正気を失っている歌手に、何とか最後までついていったネゼ・セグインは本当によく頑張りました。
また、それ以外の場面も、クウィーチェンの方が技術としては基礎能力が上で、
ローズは聞いていて、危なっかしい個所があちこちにあるんですが、
こうして、悪いことばかりあげつらっているようでも、これらの欠点にもかかわらず、
私はクウィーチェンより、彼の歌唱の方がスリルがあって(色んな意味で!)、面白い歌唱だったと思います。
歌と言うのは本当に不思議なものです。
ただし、彼は高音域に少し難があって、低音の強さと少しアンバランスな感じがします。

ティルの”花の歌”に続いて、エスカミーリョの”闘牛士の歌 Votre toast"での私の理想は、
もちろん、今までこのブログのあちこちのコメントで開陳して来た通り、サミュエル・レイミーです。
下の映像は1987年のメトの舞台で、指揮はレヴァインです。
カルメンは言わずもがな、のバルツァです。(座ってるだけなのに、すごい迫力。怖い。
理由もなく、ごめんなさい、と、謝ってしまいそうです。)




なんて、格好いいの。こんな猿顔なのに。
ただし、今日のローズは、このレイミーよりもさらにしっかりした低音を出していたように思って、ちょっと驚きました。
まあ、歌全体の完成度は比べるべくもありませんが。

ミカエラを歌ったフリットリは、初日から少し高音が苦しそうだったんですが、
今日の公演が一番安定していたと思います。
ビジュアルがあると、彼女の演技力もあって、ミカエラがホセの母親とオーバーラップしているようで面白いんですが、
こうやって音だけ聴くと、ちょっと老けた感じがするのは否めません。
彼女のこの役での歌の良さを感じるには、映像と一緒の方がいいと思います。

最後に今日の公演から、ホセがカルメンを刺し殺すに至る、
ラストの”C'est toi! C'est moi! あんたね!俺だ!”以降の音源をご紹介します。
ホセに向かってカルメンが言う”Eh bien, frappe-moi donc, ou laisse-moi passer!
いいわ、なら、刺してみなさいよ、そうでなきゃ、そこどきな!”(7'44")の迫力、
そして、カルメンが指輪をぽろんと落としながら吐く、憎たらしい”Tiens!"(8'30")や、
いつもはフライング拍手の嵐のメトにしては珍しく、最後の音の後まで聴いて
一瞬間があった後に拍手が出ている様子など(ああ、劇場にいたかった、、)をお聴きください。





Elīna Garanča (Carmen)
Roberto Alagna (Don José)
Teddy Tahu Rhodes replacing Mariusz Kwiecien (Escamillo)
Barbara Frittoli (Micaëla)
Keith Miller (Zuniga)
Trevor Scheunemann (Moralès)
Elizabeth Caballero (Frasquita)
Sandra Piques (Mercédès)
Earle Patriarco (Le Dancaïre)
Keith Jameson (Le Remendado)
Conductor: Yannick Nézet-Séguin
Production: Richard Eyre
Set and Costume design: Rob Howell
Lighting design: Peter Mumford
Choreography: Christopher Wheeldon
Associate costume designer: Irene Bohan
Solo dancers: Maria Kowroski, Martin Harvey
OFF

*** ビゼー カルメン Bizet Carmen ***

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97 コメント

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レイミー??? (ゆみゆみ)
2010-01-17 21:33:44
震えていませんね?細い声ですね?
上手いですね?
本当にカッコイイです。
昨夜日本でも聴けたはずの公演ですね。私はクーラの「サムソンとデリラ」が聞けるはずだったのでこちらを選択しましたが、みごと失敗しました。確実に聞ける「カルメン」の方にすれば良かった
ガランチャがルックスだけなんて、私も怒ります。生を見たことの無い私が音源だけでも惚れる人です。
歌うのに必死なだけでないから、何を聴いても、新たな発見をさせてもらえるのではないかと楽しみになるタイプです。
5月のウィーンの「カルメン」に行きたいと無い知恵を絞って休む口実を考え中です^^。
返信する
そうです! (Madokakip)
2010-01-18 01:04:48
 ゆみゆみさん、

>昨夜日本でも聴けたはずの公演ですね

そうです!
マチネだったので、日本では夜の3時から放送されていたと思います。
クーラの『サムソン』ということは、リアルタイムの放送じゃないですね。
彼は今メトで『スティッフェリオ』に出演中ですから、、。

>震えていませんね?細い声ですね?
上手いですね?

1987年といえば、さすがに20年以上前ですからね、
その頃から震えていたら、やばいですけれども(笑)。

インターミッションのインタビューで、ローズが同じことを言っていましたが、
エスカミーリョって、あまりオーバーに色気やしゃれっ気を出しすぎると失敗するんですよね。
彼も言っている通り、すでにトレアドールである、
というこの事実だけで、そういった特質はカバーされているわけです。
よって、やり過ぎないことが肝心です。

大抵のエスカミーリョは、やたら決めようとし過ぎているか、
逆に本人に全くカリスマがなくて、トレアドールである、
その雰囲気もない、か、このどちらかが多いんですけれども、
レイミーのこの絶妙なバランスはどうでしょう!!
かっこよすぎ。カルメンでなくても惚れるってもんです。

>5月のウィーンの「カルメン」に行きたいと

きゃー!!行ってください、行ってください!!!
返信する
DECCAって?わかんないです (jun)
2010-01-19 21:49:36
CD業界不振というのに、このキャスティングで予算を組んで新録音出してしまうDECCAって不思議です。
4757646 2枚組  ビゼー:歌劇《カルメン》全4幕
アンドレア・ボチェッリ(テノール:ドン・ホセ) 
エヴァ・メイ(ソプラノ:カルメン) 
ブリン・ターフェル(バス・バリトン:エスカミーリョ)他 
フランス国立放送フィルハーモニー
指揮:チョン・ミョンフン

さらにさらに驚くべきことに こちらも
4782382 ジョルダーノ:歌劇《アンドレア・シェニエ》全4幕
アンドレア・ボチェッリ(テノール:アンドレア・シェニエ) 
ヴィオレッタ・ウルマーナ(ソプラノ:マッダレーナ) 
ルチオ・ガッロ(バリトン:ジェラルド) 
ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団 
指揮:マルコ・アルミリアート
売れるんでしょうか???みなさんどー思います


返信する
ボチェッリですか..... (keyaki)
2010-01-19 22:57:37
ボチェッリのCDは、一定数売れることになっていると思います。
私は買いませんが.....
本物のオペラ歌手さんたちはボランティアのつもりもあるのではないですか?
返信する
追い込まれた共演者たち (Madokakip)
2010-01-21 15:59:36
 junさん、

ほんとに、、、もう、どうしましょう。

こういうことを言うと、Madokakipはなんて冷酷な奴だ、と言われるかもしれませんが、
もう言われていると思うので言ってしまうと、
私はボチェッリのことをオペラ歌手だとは思ってないんですよね。

彼が仮にどれだけいい声をしていても、
リサイタルとかせいぜい少人数のジョイント・コンサート、
ソロのレコーディングなんかをやっている分には、
好きにしてください、と思いますが、
オペラの舞台に立つ、とか、オペラ全幕の録音をします、
と言われたら、ちょっと待ってよ!と思います。
だから、彼は”歌手”かもしれませんが、”オペラ歌手”ではない。
(それに、そもそも、彼の歌も声も特別だとは全然おもってないんですが。)

視力が2.0ある歌手でも、指揮者やオケ、共演者と息を合わせてやっていくのは大変だっていうのに、
目が見えなくて、超能力者でもない限り、
ソロの楽器ならともかく、
オペラで、どうやって他の人たちと息を合わせて歌えるかのか?と思います。

激太りの人がスーパーモデルにはなれないのと同じで、
オペラを歌うなら全ての五感が使え、
いや、それどころか、ものすごく高度に発達していないとだめなのに。
それは、差別でも何でもなくて、
そういうものだと割り切るしかない。
オペラ歌手というのは、周りと五感全てを使ってコミュニケートして成り立つ職業のはずで、
声さえよければ、歌さえよければいいだろう、というのは、
とんでもない間違いですよね。

というわけで、私がオペラ歌手なら、
ボチェッリと共演してくれ、と言われたらすごく困ります。
だって、指揮者が、”あ、今オケがこういう風に鳴っているから、
今はこういう風に歌ってほしい!”と思って、
その場で指示を出しても、
ボチェッリにはそれが見えないんですから、、。
彼が出来るのはあらかじめ計画された指示通りに歌うのが限度で、
演奏時の流れから生じるスポンテニアスな指示に対処する力が、
目が見えないせいで100%ではないのです。
これでは、演奏の良さに限度が出来てしまいます。

上に書いたような理由で、一緒に仕事をしたいわけではないが、
もしオファーを断ったら、まるで意地悪で差別的な人のように見えてしまう、、。

このような断れない状況に人を追い込んで、
無理矢理共に仕事をさせるとは、ひどいぞ、ボチェッリ!です。

この顔ぶれ、見てくださいよ。
マルコをはじめ、嫌といえなさそうな人たちばかりです。
(除:ブリン。)
返信する
スピーカーを投げ飛ばす (Madokakip)
2010-01-21 16:15:39
 keyakiさん、

>ボチェッリのCDは、一定数売れることになっている

”Time to Say Goodbye"効果でしょうか。
今でも、あるんですよ、たまに。
レストランやカフェに入ると、
この曲が大音響でスピーカーから鳴り響いて来るということが。

以前、連れとイタリアン・レストランに行って、
テノールのアリアが次々流れて来たんです。
2人で考えても、どうしてもどのテノールかわからなくて、
とても気持ちが悪いので、
ウェイターを呼んで、誰のアリア集ですか?と聞くと、
満面の笑みで、”ボチェッリです!!”

、、、、、あ、そう。

やがて、その時かかっていたアリアが終わると、
続いて、”Time to Say ~”が大音響でスピーカーから轟いてきました。
気に入ったから尋ねたと思われたのか、
わざわざディスクを変えて、、、。
そんな余計な心遣い、いいのに、、。

大嫌いです、あの曲。
返信する
ボチェッリとオペラ (keyaki)
2010-01-21 19:53:25
>私はボチェッリのことをオペラ歌手だとは思ってないんですよね

私も同じです。
しかし、実際に舞台に立っている、それが一度ではないんですから、あきれてしまいます...最初は、地元の劇場で端役だったので許せますが、その後、《ボエーム》《トスカ》《ウェルテル》《カルメン》.....もう裸の王様状態だと思います。また、これは有名な話しですが、インタビューは、目が見えないことについての質問はしない...というのが条件だそうです。これも不遜だわ...なんて言ったら世界中のボチェッリ信者から石を投げられますね。(笑
実は、ボチェッリには全く関心がなかったのですが、グリゴーロとなんだかんだ関係があって、二人ともトスカナ出身のせいもあるのかもしれませんが、グリゴーロも2004年のインタビューでは僕が書いた曲をボチェッリにプレゼントするんだ....なんて言ってるんですよ。でも、2006年には、グリゴーロとボチェッリが衝突....なんて記事が書かれたり....ボチェッリ信者とかからグリゴーロは嫌われてるんですよ。生意気だって....
それで、私も「ボチェッリとオペラ」というテーマで記事を書こうかな....と思ったんですが、「前置き」だけで、なんかバカバカしくなったので、そのあと書いてないんです。一応リンクしますね。

★ボチェッリとオペラ (1) 前置き:グリゴーロとの関係など...
http://keyaki.blog.so-net.ne.jp/2008-09-19

★オペラ《カルメン》のドン・ホセはボチェッリだった....
http://keyaki.blog.so-net.ne.jp/2008-06-20
返信する
イージー・リスニング (チャッピー)
2010-01-21 20:15:56
みたいなもんだと思います@ボチェッリ
カフェで流すのは最適のような・・・
Time to Say Goodbyeはフィギュアスケートの定番でもあります。
あくまで主役はスケートなので、曲に聴き入ってもらっては困るんです。

ボチェッリのCD、「ドジャースタジアムで三大テノールを聴いた」雨友の家にありました。
ボチェッリと三大テノールって、客層は被ってるかもw
返信する
う~~~ん (jun)
2010-01-21 23:40:44
>私はボチェッリのことをオペラ歌手だとは思ってないんですよね
誰か思っている人がいるんでしょうか??

Kyakiさんの記事を読むまで実際に舞台で歌っているとは私は知りませんでしたが、この人とかポール・ボッツとかオペラ歌手とマスコミ紹介してほしくはないですね。
仮にどんな事情があったとしても、仮にレコーディングオンリーのオベラ歌手がいてもけっこうだと思いますが(笑)、それには正統的な発声、素晴らしい声のキャラクター、そして何より心に届く歌を歌ってくれなきゃ。
しかもエヴァ・メイがミカエラならともかくですよ
DECCAはもっともっと話題になりそうなカルメン録音するならバルトリだってカウフマンだって使えるんですから!!このボチェッリ企画って何かの記念なんですかね?
返信する
腫れ物をさわるように (Madokakip)
2010-01-22 17:05:47
 keyakiさん、

>実際に舞台に立っている、それが一度ではないんですから、あきれてしまいます

そうなんですよね。おそろしや。
私は、彼がブレイクして間もない頃、
なんで、もう10年位前だと思いますが、
確か、『ラ・ボエーム』で、実際に舞台に立っている全幕の映像を見ました。
上で書いた彼に対する意見はすべて、それを見て感じたことです。
(Time to say~については、別に思うこともなかったというか、、。)
やっぱりオケや共演者の歌への反応が遅い(かまたはない)んですよね。

それにミミと見つめあってるはずのシーンでも、
視線の方向があってないためにリアリティがなかったり、とか、
オケは多分、指揮のほうが彼に合わせている、という感じで、
本末転倒です。
目の見えない人にそんなこと言って、
keyakiさんに石が飛んでくるとしたら、
私など岩が飛んで来そうですが、
近頃では、ちょっと太っていたり、
見目麗しくない程度ですら、ごちゃごちゃ歌手が難癖つけられる時代だってのに、
演技、歌唱、表現上の欠陥というこんな大きな問題が、
どうして腫れ物をさわるように扱わなければいけないのか、
さっぱりわかりません。

ロドルフォも目が見えない、という設定だ、と思えばいいのかもしれませんが、
そんな風に思い込んで鑑賞できる回数には限度があるってもんです。
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