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Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

TURANDOT (Sat, Jan 9, 2010)

2010-01-09 | メトロポリタン・オペラ
1/4は、今シーズン、リチートラが初めてカラフを歌った公演でした。
その公演を見ていたオペラ警察が電話をかけてきて、
”こんなトゥーランドットをかけるなんてメトもいよいよ終わりだ。”と嘆き悲しんでいました。
同じ事を考えていた人はオペラ警察だけではないようで、
滅多なことでない限り、Bキャストのレビューは掲載されないNYタイムスに、トマシーニ氏の評が登場し、
なぜかそこにはリチートラが昨シーズンの『イル・トロヴァトーレ』にキャスティングされながら
結局歌わなかった事実などが書かれていました。
私がいつも愛読しているチエカさんのブログの読者の間では、トマシーニ氏はからっきし人気も信用もないので、
いつもののりで、”なんでまたトマシーニはこんな関係のない古い事実を持ち出してくるんだ。”
”そーだ、そーだ。”という、軽い非難のコメントが飛び交い始めた頃、
ある人がぴしゃっとこのようなコメントを入れました。
”関係なくなんかあるもんか。この批評で、トマシーニは暗にリチートラのキャリアが終わった、と宣言してるんだから。”
それ以降、トマシーニ氏への批判のコメントがぴったりと止みました。
誰もそのコメントに対して直接に返事を返す人はいませんでしたが、
我々、読者は思ったのです。”そうだ、、その通りだ!!”と。
私がオペラ警察から伝え聞いた、4日のリチートラの歌の内容は、それはもう惨憺たるもので、
”誰も寝てはならぬ”の後に、拍手すら出なかったというのです。
トマシーニ氏に、キャリアの終わりを話題にされても、仕方がないくらいに。

それからコメントの内容は、2002年に『トスカ』でパヴァロッティの代役をつとめて大絶賛を受けた、
あの華々しいメト・デビューの日から、どうやってリチートラが今のような状況に転落したのか、という議論になって、
その中でこんな内容のことを書いた人がいました。ただし、内容の真偽のほどはわかりません。

”彼はもともといい声を持ってはいたが、発声方法と技術には常に大きな問題があった。
周りの心ある人たちは、彼に、ちゃんと先生について、技術を洗いなおせ、と言い続けて来たが、本人が耳を貸さなかった。
メトの2008-9年シーズンの『トロヴァトーレ』に出演するにあたって、
シーズン前の夏に、スタッフの前で歌唱を披露したとき、その内容があまりにひどいので、
メトは彼を『トロヴァトーレ』の舞台には立たせられない、と判断した。
オペラ界のある重要な人物は、彼に、この夏の間に行いを正し、きちんとした歌唱を身につけない限り、
今後、彼を一級のオペラハウスにブッキングすることは出来ない、と宣言した。
(この重要人物というのが、オペラハウスの人間なのか、エージェントなのかは不明。)
彼はそこで、世界のオペラハウスで活躍していたある著名な女性歌手に師事することになるが、
レッスンは2回しかもたなかった。
(この”もたなかった”も、先生の方があきらめたものか、リチートラがあきらめたものか不明。)”

改めて言うようですが、このコメントの真偽のほどはわかりません。
けれども、”一時は未来を嘱望されたテノールがこんなことに、、哀れじゃのう、、。”という反応がほとんどで、
”そんな馬鹿な!”と反論する人がいるどころか、みんな”十分ありうる話”と受け止めたようでした。
連れにその話をすると、彼も”なんだか悲しい話だなあ、、。”と言い、
私が1/9にリチートラの歌が本当にそんなにひどいのか、実際に聴くのが楽しみ!というと、
”そんなことを言うもんじゃないよ。”と諭されました。

それから数日後、今日の公演を観る前に、別演目のシリウスの放送で、
なんとリチートラがインターミッションのゲストに登場しました。
数日前にひどい歌を披露したうえ、ヘッズにこんな噂までされて、シリウスの放送に登場するとは、並の神経じゃない、、、
と思っていたら、なんと、彼の口から、一昨年に(ローマで、と言ったと思います)生死に関わるような事故に巻き込まれ、
脊椎をやられたため、一時は舞台に戻れるかどうかもわからなかった。
今でも声を支えるのがとても辛い。”という話がありました。
私は彼がそんな大きな事故にあった、という話は聞いたことがなかったのですが、
リチートラの話と、上のヘッドのコメントの内容とは、時期的にも両立が不可能なので、
どちらかが真っ赤な嘘、ということになります。
そこで、私が連れに、”さすがにこんなことで嘘をつかないだろうから、
やっぱり不調なのには大怪我という理由があったんだね、、可哀想に。”と言うと、
”いや、わかんないぞ。オペラの世界はエンターテイメントの世界と一緒だ。保身のためなら何を言うやら。”
、、、、、この人ってば、突然ドライになるんですもの、わけがわかりません。



というわけで、本当ならマチネの『ばらの騎士』の余韻に浸っていたく、
中途半端に出来の悪い公演を見せられたら発狂しそうですが、
この公演は中途半端どころか、底辺のそのまた底辺な演奏になる可能性があるうえ、
しかもこのちょっとゴシップ的な興味のせいもあって、ダブル・ヘッダーの疲れゼロ、
ぎんぎんモードでサイド・ボックスから舞台を見つめています。
ここはかなり舞台に近いので、リチートラのちょっとした表情の変化も見落とすまい!と。

私、ネルソンスの指揮を見るのは今日で2回目なんですが、すっかり彼の指揮の物まねを会得しました。
早速この公演の後にオペラ警察にそれを披露して爆笑されたんですが、
なんでそんなことが可能かというと、彼の指揮って本当にワンパターンなんです、毎回。
それでも、11月に聴いた時よりは、演奏はほんの少し、ましだったように思います。
ただ、オケ側はもう彼をある程度見限っているし、彼もそれに気付いているように見受けました。
オケが指揮者を尊敬している時って、すぐにわかるし、それはまた指揮者側に自信となってあらわれるものです。
それでも若くて話題のアーティストは全部捕獲!がモットーのゲルブ氏には気に入られたのか、
ネルソンスは来シーズンも複数の演目で登場するようですが、
大変だなと思います、この信頼感を失った中でオケを率いるのは。

リューが11月の公演のポプラフスカヤから、Bキャストのコヴァレフスカ
(名前が微妙に似ていてややこしい!)に変わっていたのですが、
今日、コヴァレフスカとネルソンスの息がとても合っていて、コヴァレフスカが歌いやすそうにしているので、
”なんで??!!”と思いましたが、良く考えるとこの2人は共にラトヴィアの、それも同じリガというところの出身。
私がネルソンスの指揮で、しっくり来ない部分も、ラトヴィア人同士には通じ合うのかもしれません。
それにしても、ラトヴィアは美形が多い国なんだろうか、、。
(下の写真はコヴァレフスカ。アジアン・メイクも似合ってます。)



私は今日の公演で、本当に声とか発声について色々考えさせられたことがあって、
舞台全体、また、『トゥーランドット』という作品そのもの、として感激を受けたり、
満足が行くものではありませんでしたが、観に行った価値は大変にあったと思っています。

まず、コヴァレフスカなんですが、彼女は決して声に恵まれているタイプではない、というのを実感しました。
超美声でもないし、他のソプラノと比べて、”あ、コヴァレフスカだ!”とすぐにわかるような、
際立った個性があるわけでもない。高音域にはあいかわらずストレインがあるし、色々問題もあるんですが、
それでも、今日のメイン・キャストのうち、最も拍手が多かったのが彼女です。
それは、もちろん、リューはいいアリアがあって、役得という面もありますが、
何より、音を発した時に、きちんと芯があってそれが前に飛んでいる。
だから、皮肉なことに、他の2人(トゥーランドットとカラフ)と比べても、
最も音がしっかりとオペラハウスに鳴っているのが彼女なんです。



リチートラは、聞いていたほど悲惨ではない、と思いました。
というか、悲惨なのかもしれませんが、私は何よりきちんと役の準備をしていない人が嫌いで、
そういう人が案の定悪い結果を出すと、気分がむかむかするんですが、
リチートラの歌はそういうんでは決してないんです。
というか、フレージングを聴くと、むしろ、”役自体”は、相当頑張って準備して来たという風に感じます。
問題は、それ以前の、声と発声です。
まず、彼の声には、このカラフ役を歌うことを正当化できる要素が何一つありません。
今すぐに、この役からは手を引くべきだと思います。
彼は、メトにカヴァラドッシでデビューして、それが成功を収めてしまったことが、
ずっとキャリアにおいて、誤った方角に行く源になってしまったように思います。
彼は本来、かなり軽めなテクスチャーの声で、そのテクスチャーは声量で押しても変わるものではありません。
4日の公演の評判が悪かったのも多分耳にしているでしょうし、
何より彼自身、自分の歌が最悪だった、というのはわかっているはずです。
今日はそれを取り戻そうと、全力を振り絞っているのはわかるんですが、
必死になって声量一杯一杯にあげて歌っても、テクスチャーがこの役と合っていないんですから、それは無意味です。
それから、コヴァレフスカみたいな人と比べると良くわかるんですが、
彼が出す音は、音の芯がないというか、中心がはっきりせず、頭の周りで横に拡散してその場で消えてしまうような感じがします。
以前の彼はこんな風ではなかったと思うんですけれども、、。
それとも、これが脊椎を損傷して、踏ん張れなくなった結果なのか?

”誰も寝てはならぬ”の低音は、ジョルダーニと違ってちゃんと存在してましたが、
(ジョルダーニはこの曲の低音が全く出ていなかった。)
逆に高音の方は出来るだけリスクを取りたくないのか、二幕のトゥーランドットとの一騎打ちの最後で、
慣例的にハイCを出す個所がありますが、ジョルダーニは毎公演、この音を出していた
(かなりきつそうだったですけれども。)のに対し、リチートラは4日と今日の両方、その音を避けています。
頑張ってはいるんですが、この世の中、頑張りだけではどうしようもないこともあるんです。
オペラで自分の声に合わない役を歌おうとしても、頑張りだけではとても埋め合わせられるものではありません。



それから、キャリア・パスという面で。
先にふれた、因縁の『トロヴァトーレ』交代劇で、リチートラの代わりにマンリーコを歌ったマルセロ・アルヴァレスですが、
私の基準では、アルヴァレスのマンリーコはもちろん、今シーズンに歌った『トスカ』のカヴァラドッシなんかにしても、
軽い方の部類に入るんですが、
ただ、リチートラとアルヴァレス、同じようにこれらの役を歌っても、
アルヴァレスは、ベルカント、ヴェルディの軽めのテノールの役(アルフレード、マントヴァ公)、
フランスもの、などをきちんと経ながら、そこに至っていった、という経緯があります。
逆にリチートラはいきなりカヴァラドッシの代役で成功してしまったことが仇になったか、
少なくともメトでは、本来は軽い声なのに、(それから、もしかすると、ベル・カントなんかを歌える技術がないから?か、)
重いほうへ、重いほうへ、とレパートリーが流れてしまっていったように思います。
(私は数年前のリチートラのカヴ・パグは役の解釈とか演技が新しくて面白いと思いましたが、
声だけの話をすれば、ヴェリズモももちろん彼には負荷が大きいと思います。)
その結果、アルヴァレスがまだまだ健康的な声で歌えているのに対し、
リチートラは、下手すると彼のキャリアは終わりか?というような話までされてしまうほどに
今、やばい状況になってしまっているのです。
10年前にスカラで彼をマンリーコ役に抜擢したムーティ、、、重罪です。
あんな怖いおっさんに魅入られた日には、リチートラもNOとは言えないでしょう。
でも、言うべきだったのです、きっと。

アリアの後に変な沈黙にならないよう、今日はネルソンスが気を利かせ、
”誰も寝てはならぬ”の後は観客に拍手の判断をゆだねる時間を与えないよう、
オケをとめずにサクサクと進んでいきましたが、(だし、私は仮にアリアがすごく上手く歌われても、
ここで止まらずに、ガーッとすすんでいく方が好きなんですが。)、
最後のカーテン・コールに出て来た時に、まるで死刑判決を待つ罪人のように、
弱気な、おびえた表情をしていたのには本当に胸が痛みました。
たった数年前までは、こんな心配をしたことがなかったはずの彼が、です。
観客からは温かい拍手が出て、ほんの少し安心したようですが、それでも、歌手というのは、
自分の力が落ちて来た時、他の誰よりも自分でわかっているものですので、
短く切り上げて、すぐに幕の後ろに姿を消したのも、見ていて辛かったです。
この後の公演の出来にもよるのかもしれませんが、もしかしたら、メトで彼を見るのはもう最後に近いか、
もしかしたら、実際に最後になるかもしれない、、という思いがふっと頭を掠めました。



最後にトゥーランドット姫を歌ったリンドストロームについて。
彼女はシーズン初日に、病欠のグレギーナに変わって同役を歌い
グレギーナとは全く違うタイプのトゥーランドットとして話題を集めました。
何より、グレギーナの磨耗しきった声とは違って、まだ声がみずみずしく、
リリカルにこの役を歌える、として、グレギーナに食傷気味だったヘッズは、彼女の登場を歓迎しました。
私も大体似たような考えでしたので、今日の公演で彼女を聴けるのを楽しみに来たのです。

しかし、彼女が登場して、”この宮殿の中で In questa reggia"を歌い出した瞬間、思いました。
”声、細っ!”
これだから、今までに一度も生で聴いたことのない歌手に関しては、シリウスはやっぱりあてにならない、、。
マイクを通してだと、グレギーナまでは行かなくても、もう少しサイズのある声かと思ってました。
綺麗な声なんですけどね、すごく。
綺麗というのは、文字通り、ちょっと鈴の音のような感じがあって、
トゥーランドットよりも合う役があるんじゃないかな、、と思います。
どういう経緯でトゥーランドットがレパートリーに入ったのかわかりませんが、
フル・スロットルで出す高音は音が痩せ気味になるので、本来、あまりこの役に向いた歌手ではないと私は思います。
彼女の第ーの魅力である、声の美しさを保てる音域で勝負できる役が他にあるでしょう。
彼女はあと、舞台ですごく綺麗に見える、得なルックスをしてます。
本人の地の写真を見るとそんなに痩せているようには見えないんですが、舞台ではすごくスリムに見えますし。
もう一つ評価できるのは、彼女らしいトゥーランドットを作ろうとしている意志を感じる点です。
一幕、カラフが謎解きに挑戦することを知らせるために銅鑼を打つ場面で、
それまで紗のむこうで長椅子に横になっていたトゥーランドットが、のそーっと頭をもたげる様子は、
寝ていたヤマタノオロチが起きた様を彷彿とさせ、
トゥーランドットが化け物みたいに思われ、怖かったですが、
二幕以降、実際に舞台に姿を現わして歌う場面になると、彼女が冷たさの中に隠している恐れ、
女性としての弱さがきちんと感じられる役作りで、グレギーナよりは、姫らしい感じがします。

ただ、何と言えばいいのでしょう、、、
やはり、声のパワーというのは、それ自体に魔力があって、
ある面では今日のキャストがグレギーナじゃなくて良かった、、と思いつつ、
ふと、あのばりばりと歌いこなせるパワーが懐かしくなったりもしたのでした。
リンドストロームの雰囲気と、あの声のパワーがあれば最高なんですけれども、
そうは上手くいかないものです。


Lise Lindstrom (Turandot)
Salvatore Licitra (Calàf)
Maija Kovalevska (Liù)
Hao Jiang Tian (Timur)
Bernard Fitch (Emperor Altoum)
Joshua Hopkins (Ping)
Tony Stevenson (Pang)
Eduardo Valdes (Pong)
Patrick Carfizzi (Mandarin)
Anne Nonnemacher, Mary Hughes (Handmaidens)
Antonio Demarco (Executioner)
Mark DeChiazza, Andrew Robinson, Sam Meredith (Three Masks)
Sasha Semin (Prince of Persia)
Linda Gelinas, Alexandra Gonzalez, Annemarie Lucania, Rachel Schuette (Temptresses)
Conductor: Andris Nelsons
Production: Franco Zeffirelli
Set design: Franco Zeffirelli
Costume design: Anna Anni, Dada Saligeri
Lighting design: Gil Wechsler
Choreographer: Chiang Ching
Stage direction: David Kneuss
Grand Tier SB 35 Front
ON

*** プッチーニ トゥーランドット Puccini Turandot ***

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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
体型の変化 他 (シャンティ)
2010-01-18 21:28:20
私が初めてリチートラの映像を見たのはスカラ座”トロヴァトーレ”。その時は朝青龍のようだったのに、2003年のアルヴァレスとのDVDでは、やせてきてました。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1915787
その後二人の体型は逆転...。アルヴァレスは加速度がついたように太り、重い役を歌うようになりました。でも、先日念願かない、アルヴァレスを初めて生で聴いたのですが、アンドレア・シェニエを(デル・モナコ、コレッリとは全然別物として評価した場合)アリアてんこ盛りの主役をペース配分し、彼なりに歌いこなし、高音も輝かせて、だてに太ったのではないと思いました。
かたやリチートラは2年前の来日時にインタビューでもう少しやせたいと言っていた記憶があります。でも、自分のレパートリーは重い役にあるのだとも...。わたしは今までCDを聴いたり、DVDを見て一度は生で聴いてみたい!と思ったことはないのです。(このくらいの重い役に欲しい迫力もそれに代わる訴えるものも感じられなくて。)やせたことで失ったものがあるのかも。
リチートラは68年生まれのまだ41歳。日本では人気があり、今年もコンサートがあります。
http://www.ints.co.jp/licitra2010/index.htm
わたしの心を捉えることはこの先もないかもしれませんが、奮起して欲しいものです。
でも、不調の原因は事故の後遺症のせいかもしれませんね。歌劇場も後遺症のある歌手=キャンセルする可能性あり と契約はしたくないでしょうから、”事故にあった”と発言したのは勇気ある行動だと思うのですが、本当はどうなのでしょうか?
返信する
かつてのニュー・パヴァロッティはどこへ行く? (みやび)
2010-01-19 00:22:21
私が初めてリチートラを聴いたのはスカラ座引っ越し公演の「運命の力」でした。その時、リチートラの名前は知っていました。少し前にイタリアで「仮面舞踏会」を歌ったことが記事になっていて、指揮をしたダニエル・オーレンが「ニュー・パヴァロッティを見つけた!」と評したというので、楽しみにしていました。
その公演では、まだまだ元気だったグレギーナを始め、パワー溢れる歌手陣に押されていましたが、キラキラ感が声に感じられ、もっと他の役で聴きたいな、この役ではかわいそうだったな、と思ったのを覚えています。

その時私がイメージしたのはアルフレード、ロドルフォ、グスターヴォといったあたりでした。
ところが、インタビュー記事など読むと本人も同じように思っているようでした。翻訳、編集という作業を経てニュアンスが変わって捕らえられてしまっている可能性はあるのですが、ベル・カントからスタートしたパヴァロッティと違って自分はキャリアの初期からヴェルディを歌っていること、「運命の力」も歌っているしいつかは「オテロ」を、という内容でした。
そればかりか、日本の評論家にも彼を「ドラマティック・テノール」と評する人がいて、意気投合して会話がはずんでいるようではないですか…。

その後、ふたたびスカラ座来日公演でリチートラを聴きました。「マクベス」のマクダフでした。もちろん、マクダフとしてはかなり豪華なキャストで、歌も立派なものでした。ただ、リチートラは私の期待したのとは違う方向へ行ってしまうかな…と思い、ちょっと心配になりました。

>私の基準では、アルヴァレスのマンリーコはもちろん、今シーズンに歌った『トスカ』のカヴァラドッシなんかにしても、軽い方の部類に入るんですが

私もこの基準に賛成で、アルヴァレスのマンリーコやカヴァラドッシが良いのは、本来の声のサイズを超える役柄であるにもかかわらず上手く表現している、ということであって、決して彼の声にぴったりのレパートリーだとは思いません。
そもそも、ドミンゴすらデル・モナコやコレッリに比べれば「軽い」声で、昔の評をみているとしばしば「ラダメスにしては声が軽い」「彼のオテッロは彼の軽めの声に合わせて工夫されたもの」とかいう記述にぶつかるというのに…。

「声に合わない役、本来の声よりも大きい役を歌うと壊れる」というのは確かに迷信なのかもしれません。声楽に関しては科学的に解明されていないことが多いように思います。発声に使われる筋肉が外からは見えないこと、個人差があまりにも大きいこと、なども問題なのかもしれません。
でも、私はアラーニャがドン・カルロを歌い出した頃のグルベローヴァのコメントが忘れられません。彼女はアラーニャについてこう言いました。「せっかくベル・カントを歌える歌手がでてきて、これは伸びるな、と楽しみにしていたのに。ドン・カルロなんか歌ってしまったら、もうダメ。」

リチートラの不調の原因はわかりませんし、今後、彼が昔のような声を取り戻すことができるのか、あるいは技術を磨いて別の方向を目指すことになるのかもわかりません。でも、まだ引退するには若いように思います。良い方向が見つかればよいのですが。
返信する
リチートラ (keyaki)
2010-01-19 02:23:00
私のブログで一度だけリチートラの名前が出て来る記事があるんですが、
http://colleghi.blog.so-net.ne.jp/2009-05-16
コメントに、2009年1月に健康上の理由でコンサートをキャンセル....というのが紹介されています。
Tenor Salvatore Licitra can't travel because of a bad back

でもスケジュールを見るとかなりギチギチにつまっていますね。オペラだけでなくコンサートも多い.....働き過ぎでしょ。
返信する
面白い人。 (ゆみゆみ)
2010-01-20 22:04:59
初めてリチートラを見たのは、「仮面」の時でした。1曲目のアリアを歌った後「どうだ」と言わんばかりの得意げな表情でした(この顔は子供みたいで可愛かった)が、拍手が殆ど有りませんでした。その時の不思議そうな表情が忘れられません。そして、ホロ様が対照的に物凄い拍手だったので、その後力を入れて歌いまくられたのですが・・・・・。
この時に面白い人だな・何故拍手が来ないのか、勘違いしてるのかなと思いました。
どのように音楽と関わるのか、もう1度考えてみても良いですよね、若いのですから。
一回り大きくなったリチートラが見れますように。
返信する
度々お邪魔します (Kid)
2010-01-20 23:16:45
>一昨年に生死に関する事故に巻き込まれ.....

一昨年といえば、2008年3月にウィーンで「ホフマン」のついでに観た「運命の力」にリチートラが出演していましたね
事故があったとすればその後ということでしょうか

>今でも声を支えるのがとても辛い

そのような状況で何故トーランドットに出演させたのでしょうか
また出演をOKしたのでしょうね






返信する
リチートラのカレン・カーペンター化 (Madokakip)
2010-01-21 13:11:59
 シャンティさん、

そういえば、確かに段々痩せてきてますよね、リチートラ。

2年前といえば、オペラの基準では決して太っている感じではなくなっていたのに、

>2年前の来日時にインタビューでもう少しやせたいと言っていた記憶が

カレン・カーペンター化してますね、、。
痩せなくていいですよ、もう、リチートラは。
アルヴァレスはちょっと前までもうちょっと痩せた方がいいんじゃないの?と思いましたが、
(顔に大きなにきびとか出来てましたし、、。

今シーズンの『トスカ』ではすっきりしていて、
あれくらいでいいと思います。

>自分のレパートリーは重い役にあるのだとも

人気演目には重い役が結構あるので、
”歌いたい”という気持ちはわかりますが、
気持ちと本当に合ってるものは必ずしも同じではないですよね。
私は彼が重い声だと思ったことは、ちなみに一度もありません。

41歳って普通なら、いい時期なんですけどね、、。
まだ声が老化する前で、かつ、若い頃と違って、
段々解釈にも深みが出始めてくるという、、。
大きな試練ですが、頑張って乗り越えてほしいです。
ちなみに今日(20日)、シリウスで『トゥーランドット』のライブが放送されています。
リチートラが歌ってますが、私が鑑賞した時と同じくらいな感じですね。
こんな声が重いわけないです。
返信する
そんな話もありました、、 (Madokakip)
2010-01-21 15:00:08
 みやびさん、

そうでしたよね、そんなこともありました。

>「ニュー・パヴァロッティ」

一つにはメトのパヴァロッティの代役で成功したので、
”ニュー・パヴァ”と言われていた面もあるかもしれませんが、
オーレンが、そう言ったというのは象徴的ですね。
だって、パヴァロッティも軽い声ですもの。
声量がある、ということと、声質は全く別問題なのに、
ここを混同している人が多いんですよね。
というか、シャンティさんのコメントを読むに、
本人も混同しているんじゃ、、、。

パヴァロッティは声量があるのと高音が出るので、
それこそ、”誰も寝てはならぬ”なんて、
あたかも自分の持ち歌のように、三大テノールのコンサートで歌ってましたが、
彼の全幕のカラフって、私はちょっと違うかな、と思います。

>ベル・カントからスタートしたパヴァロッティと違って自分はキャリアの初期からヴェルディを歌っていること

それがそもそもの間違いのもとだったんじゃないかと、、。

>「運命の力」も歌っているしいつかは「オテロ」を

彼の『仮面』での歌唱を聴いたことがある方なら、
ここは、ただ笑って流すしかありません。

>日本の評論家にも彼を「ドラマティック・テノール」と評する人がいて

誰ですか?そんなあんぽんたんなことを言っている評論家は。
見識を疑います。

>意気投合して会話がはずんでいるようではないですか

そういう無神経に、考えなくおだてた言葉が、
今こうやって彼の歌手生命をピンチに追いやった要素の一つになったかと思うと、
あのデヴィーアのマスター・クラスの時に、
生徒を指導している先生たちに感じたのと同じ種類の怒りを感じますね。
ま、もし、こちらのヘッズの間の噂が本当だとしたら、
心あるアドヴァイスに耳を貸さない本人の性格も関係があるかもしれませんが、、。

>アルヴァレスのマンリーコやカヴァラドッシが良いのは、本来の声のサイズを超える役柄であるにもかかわらず上手く表現している、ということであって

まったくもってその通りですよね。
彼の場合は、あの声で出来ることを、
よく最大限に、上手にこなしているな、という、
そういう感嘆の仕方なんですよね。

>「声に合わない役、本来の声よりも大きい役を歌うと壊れる」というのは確かに迷信なのかもしれません

私はこれは迷信だとは思わないんですよね。
これが迷信になるのは、本人にものすごく強い意思があって、
どんな役を歌っても、どんなサイズのオペラハウスで歌っても、
どんな分厚いオケがバックに鳴っていても、
自分に合った歌い方で歌い続けられます、という鉄の神経の持ち主の場合だけですね。

もちろん、そんな神経があったとて、
まず、観客の方がそんな歌は求めないと思いますが。

極端な例を考えるとわかりやすいと思うんですよ。
例えば、フローレスのような声の人が仮にカラフを歌ってください、と言われたとします。

彼がもし、いつものベル・カントを歌うような感じのまま、
舞台に立って、カラフのパートを歌うとしたら(そんなことが出来るとして)、
多分、それは声にほとんど負担はないでしょう。

でも、もし、彼が、いわゆる”カラフを歌えるテノール”に一般的に求められるカラー、
声量を意識して歌い始めたらどうでしょう?
声に負担がかからないわけがありません。
そして、そんな負荷が何日も何日も続いたら、
どんなことが起きるか、想像に難くないですよね。

だから、私が思うには、押して歌わなければいけない状態が、
過密に続いた場合、
この二つのことが重なった場合、
つまり自分の持っている声に対して、
何をどのように歌っているか、ということと、頻度のコンビネーションで問題が起ると思います。

前者だけでも、もしたった1回、2回のことであれば、問題でないのは明らかです。
そんな急に壊れるものじゃないですから。
また、後者だけでも、問題にはなりません。
もし、それが問題になるようなら、歌手は毎日の練習ができなくなってしまいます。

リチートラ、それから最近のジョルダーニ、
それからアラーニャもそうだと思うんですが、
彼らに起っていることというのは、
基本的には同じだと思うんですよね。
最近の彼らの歌唱を聞いてまず思うのは、
”健康な”声に聴こえない、ということなんです。

どんな歌手だって、重い役を思い切り歌って、
観客を喜ばせたい、
オケの音に負けたくない、
大きなオペラハウスで声を届かせたい、
そういう気持ちがわきあがってくるのが普通ですからね。
この気持ちにはまず勝てない、ということを前提に置いて、
レパートリーを選ぶ必要があると思います。
返信する
辻褄が合ってます (Madokakip)
2010-01-21 15:38:07
 keyakiさん、

>because of a bad back

は、そうすると本人が語っている背中を痛めた、というのと、
辻褄があっていますね。

昨シーズンの『トロヴァトーレ』からの降板が決まったのは、
シーズン前の8月中頃でしたから、

http://blog.goo.ne.jp/madokakip/e/2ef66c46d8b8f2fcee8baa52984aa025

『トロヴァトーレ』を降りた理由も直接この事故とやらに関係があるとすれば、
(別の可能性もありますが、、)
今もまだ声の支えをとりにくくて辛い、と言っていることからして、
かなり深刻だったのかもしれませんね。
でも、全然そんな話がこれまで伝わって来なかったのはなぜだろう、、とも思います。

>オペラだけでなくコンサートも多い.....働き過ぎでしょ

コンサートは、レパートリーにもよりますが、
彼が自分でドラマティコと思っている限り、
そういう選曲になってしまうでしょうから、
そうなると、全幕の中の見せ場の場面、
つまり歌うのが大変な部分を連続して見せるようなもので、
それはある意味、全幕より喉への負担が大きいかもしれないですよね。
それをハード・スケジュールでこなしたら、、。
これぞ、上のみやびさんへのコメントで書いた、
”不健康な声”への階段を転がり落ちるルートです。
ヴィラゾンとかも、似たケースですよね。

ヴィラゾンといえば、イギリスで、
へんてこりんな、ポップ・スターがオペラ・スターを目指す!というような、
妙なリアリティ・ショーに、司会かメンターかで、
レギュラー出演するみたいですよ。
この人もまた何を考えているんでしょうね。
復帰に向けて準備すべき時に、、。
返信する
なんか、悲しい、、 (Madokakip)
2010-01-21 16:50:01
 ゆみゆみさん、

なんか、、、そこはかとなく悲しい”ああ、勘違い”ですね。

確かに、『仮面』の時の彼は良くなかったですものね、、。

ただ、彼はその前にはいい歌を歌っていた時期もあるんですよね。
ラダメスもまあまあでしたし、
彼の『道化師』は歌はこの役には超ライト級でしたが、
まだ、声が思い通りにならない、というような状態には至っていなかったので、
演技に集中できていて、私は面白いものを観たと思いました。
非常にユニークな、他のテノールとは違うカニオでした。

>どのように音楽と関わるのか、もう1度考えてみても良いですよね、若いのですから。

そうですね。
今日、シリウスの『トゥーランドット』に登場しました。
頑張ってるんですけどね、、、
でもただ頑張るだけではなくて、少し柔軟になった方がいいかもしれないです。
自分がドラマティコである!との思い込みを捨てる、ということも込みで、、。
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どうぞどうぞ! (Madokakip)
2010-01-21 17:03:16
 Kidさん、

>2008年3月にウィーンで「ホフマン」のついでに観た「運命の力」

またそんなの歌って、サルヴァトーレ!!


ちなみに、メトでは、AB(after blog)のみですが、
2006年10月 カヴ・パグ(パグのみ)
2007年1月  カヴ・パグ(ダブル)
2007年5月  三部作(外套のみ)
2007年12月  仮面舞踏会
2008年4月  仮面舞踏会
(2008-9年シーズン休業?)
2009年12月  三部作(外套のみ)
2010年1月   トゥーランドット
という感じなんですが、2007年1月のカヴ・パグをダブルで歌った頃から、
声が荒れてるな、と感じた覚えがあります。
2008年4月にメトに登場しているので、
そうですね、この後から8月の半ば(2008-9年シーズンの『トロヴァトーレ』の降板が発表された。)までの、
4ヶ月の間のことだと思います。

>そのような状況で何故トーランドットに出演させたのでしょうか
>また出演をOKしたのでしょうね

本人はやはりあまり長い間休んでいると自分の居場所がなくなる、という恐怖感があるんではないでしょうか。
オペラハウス側は、契約があるし、
代役を立てるのは大変だし、本人が歌いたい、というのであれば、
そっちの方がいい、ってな感じなんだと思います。
この辺りになると、本人の良識ある判断が必要、ということになるんだと思います。
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