Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

MET ORCHESTRA CONCERT (Sun, Jan 24, 2010)

2010-01-24 | 演奏会・リサイタル
今シーズンのメト・オケ演奏会、第二弾です。

シューベルトの『未完成』とベートーベンの第五番にはさまって、
ディアナ・ダムラウが、『ナクソス島のアリアドネ』の"偉大なる王女さま Grossmächtige Prinzessin"を含む、
R.シュトラウス作品攻撃をしかけてくるという、まさに、これぞ、私にとっては捨て曲のない、夢のようなプログラム!

一昨日の『シモン・ボッカネグラ』でのレヴァインとオケには一抹の不安を感じましたが、今日は、、?

演奏が始まってすぐに思ったのは、
”今日のために、一昨日の『シモン・ボッカネグラ』が犠牲になったのね、、。”ということ。
今日のこの演奏会への相当な力の入りようを見るに、
おそらく演奏会のためのリハーサルでエネルギーと神経を使い果たして、
『シモン・ボッカネグラ』は”燃焼後”状態だったということが大いに考えられます。
来るHDの2/6の公演は、もうその余計なストレスから解放され、
『シモン・ボッカネグラ』に全パワーを注げるわけですから、レヴァインとオケが生まれ変わることもあるでしょう。
というか、生まれ変わってもらわねば。

では、なぜ、そんな風に、今日の演奏会に力が入っているかというと、
一つには、プログラムの内容のせいもあると思うのですが、もう一つには、
テレビ番組の企画なのか、メトのギルドの企画なのか、よく趣旨はわからないのですが、
現在レヴァインが主役のドキュメンタリーを作成しているそうで、
今日も、舞台上のマイクはもちろん、テレビカメラが設置されているボックス席まであるからです。
疲れた姿を映像には残せん!という気合からか、
あのマスター・クラスの時に、もしや半寝なのかと思わせるような、微妙な瞬間があったのに対し、
今日は最初から全開モードのレヴァイン。アクセルふかしすぎて、途中から疲れなきゃいいんですけれども。

一曲目、シューベルトの『未完成』は、その気合とオケの演奏の丁寧さには好感が持てるのですが、
マイクロ・マネジメント的な演奏というか、この曲を縛り付けてしまったような感じがあります。
もう少し音楽が自由に息をしている感じ、それを感じれるスペースが欲しいかな、という風に感じました。
おもしろいのは、オペラの全幕公演の場合でも、レヴァインが指揮するうち、
特に、ハイ・プロフィールな公演日(オープニング・ナイトやHDなど)には、ややそれと似た傾向があって、
成功させたい、失敗すまい、という気持ちが、つい細かいところまでがちがちに固めたくさせるのかもしれません。
レヴァインの指揮をつまらないと言う人がいますが、こういう事が一因なのかもしれないな、と思います。
その、少ししゃちほこばった感じがする点をのぞけば、しかし、非常に真摯で、私は嫌いなタイプの演奏でなないんですが、
他のオーディエンスはそう感じなかったか、もしくは続きのプログラムに比べて、
もともとあまり期待する演目ではなかったからか、非常にしけた拍手だったのが悲しかったです。
そこまでつまらない演奏じゃなかっただろう!と、鼻から湯気を出して、自らの拍手の量を倍化させておきました。
多すぎても、少なすぎても、演奏の内容に見合わない拍手や歓声は私は大嫌いなゆえ。

オーディエンスがオケへの拍手もそぞろに、すっかり心を移しているのは、この後に続く、ダムラウとのコラボ。
インターミッションの前までに歌うのは全てR. シュトラウスによる歌曲群で、
”小川”、”花束を作ろうと”、”万霊節”、”献呈”、”あした”、”セレナーデ”、”子守唄”、”愛の神”という内容。

彼女が舞台に登場して観客から”待ってました!”とばかりの大きな拍手。
、、、ん、拍手はいいんですけど、何ですか、この衣装は?一体。
お母さんが趣味で作ったパッチワークのブランケットが家に転がっているのを、
体に巻いて出て来たのかと思いました。
若々しい彼女にはフィットしていて(体にもキャラクターにも)、
ファッション・ショーにでも出るのであれば、決して悪い選択のドレスではないと思うのですが、
カーネギー・ホールにこの衣装はないよな、、。
しかも、『アリアドネ島のナクソス』からのアリアはともかく、歌曲群の雰囲気ともマッチしてないし、、。
なんでこんな今時のトウィーンズが選ぶようなドレスを選んだんだろう、、と不思議に思っていたすぐ次の月曜に、
バーンズ&ノーブルにCDを買いに行って謎がとけました。
今月発売の注目の新譜たちのコーナーをブラウズしていると、見覚えのあるドレスが目に飛び込んで来ました!



ダムラウのアリア集!タイトルは『COLORatulaS』(コロラトゥーラたち)。
しかも、”色”という言葉とかけたCOLORSについては大文字でよろしく、です。
そうか、、アリア集のジャケ写で着たドレスをプロモーションに着て歌ったのですね。納得。
これを知らなかったなら、衣装のセンスの悪いソプラノ、で終わってしまうところでした、危ない、危ない。

そして、当然のことながら、パッチワークのドレスを着たダムラウが一人、私のお買い物かごの中へ直行。
それにしても、本当にすごいドレスですな、、、、見れば見るほど。



ダムラウについて、私のこれまでの印象を言うと、テクニカルな面では文句のつけようがなく上手いのに、
なぜか歌から感情が伝わって来にくい、というか、
特に、イタリアもの+悲劇的な話のコンビネーションでそれが顕著なような気がします。
なので、私は彼女のルチアとかジルダがあまり好きでない。
イタリアもの+悲劇のコンビネーションに関して言うと、テクニカルな面でも、
そうできる能力は絶対にあるのに、こういう風に歌えばもっと色気(セクシーという意味でなく、
歌の内容と感情がもっとダイレクトに伝わってくる、という意味で)のある歌になるのにな、と私には思える部分を
そういう風に歌わない個所があるんです。結局、センスの問題、いえ、正確に言うと、
彼女と私の間でのセンスの相違、ということになるのかもしれませんが。

例えば、この購入したばかりのアリア集に、
『リゴレット』からジルダのアリア”慕わしい人の名は Caro nome"が収録されているんですが、
彼女の場合、まずジルダ(それからルチアでも)にしてはちょっと”音色が強い”感じがあって、
それに加えて繰り返しのcaro nome, tuo saraのnomeなんかに顕著に現れているように、
表現をつける時に、強い方に寄る傾向があるように思います。
私はこういうところは逆に引いた方が、つまり、音を絞って柔らかく歌う方が効果的だと思うのです。
実際、テクニカルにも引く方が難しいと思うのですが、
彼女の歌を聞くと、決してその能力がないわけでもないだろうに、どうしていつも、音を強く出すことで
色づけしようとするのかな、というのが、前から疑問としてありました。

アリア集の一曲目のグノーの『ロメオとジュリエット』の”私は恋に生きたい Ah! je veux vivre"に至っては、
もう全曲に渡って力いっぱい!という感じで、この曲が持つ良さを構成している要素の一つである軽さが全く感じられません。

生で聴いた彼女の歌でこれまででいいな、と思ったのは、アリア単位ですが、
タッカー・ガラで聴いた『キャンディード』からの”着飾って、きらびやかに Glitter and be Gay"がぴか一で、
この曲での彼女は最高でした。
なので、今日は、『アリアドネ』からのアリアは多分すごくいいものが聴けるのではないか、という予感があるのですが、
前半に歌う歌曲群、これはどうかな?というのが想像つかない部分であり、楽しみな部分であったわけです。

歌曲で始まるプログラムというのは一曲目がウォーム・アップ曲になってしまう、ということがままあるように思うのですが、
今日の彼女は一曲目の一声目から、コンディションを最高のところに持って行っているのが素晴らしい。
だし、これまで聴いたどの彼女と比べても、歌のテクニックの安定度が増し(まだこれ以上増すというのが驚きですが。)、
表現が一回り大きくなったような感じを受けます。
最近のオペラの世界の問題の一つは何事もあまりにペースが速くて、
自分がしっかりとした意志を持ってレパートリーを厳選するのでもない限り、
新しいレパートリーに追いつくのが精一杯、という歌手が多く、
表現力とか歌唱力が成長している、と感じさせるようなケースになかなかめぐり合えないのが現実なんですが、
(最近見た、”Callas Assoluta"というマリア・カラスについてのドキュメンタリー映画で、
カラスがブレイク・ダウンした最大の理由を、オナシスとの恋愛ではなく、その点に見ていたのはユニークだと思いました。)
今日の彼女にはそれを感じて、すごく嬉しかったです。
特に音を繊細に操り、響かせる能力、これを彼女はやはり十分すぎるほど持っているということがはっきりわかりました。
一つには、彼女の母国語で歌えている、というのも大きいのかもしれませんが。

”献呈”なんかは、ジョージ・ロンドン・ファンデーションのリサイタルで聴いた、
モリスの押して押しての歌唱とは違って、しなやかさのある歌唱で、
男性女性いずれが歌っても、雰囲気は全く異なり、よって想像する背景の物語も変わってくるのですが、
いずれも私は好きです。

しかし、今日の歌曲の中での白眉は、何といっても、”あした”でした。
この曲に入る前に、レヴァインがダムラウの顔を一分近く見つめたままになった場面があって、
NYタイムスのレビューには、レヴァインがダムラウに何か指示を出していた、と書いてありましたが、
私のいる場所から見えた限り、言葉を交わしたのは二言、三言といった感じで、
その後は、ただひたすらレヴァインがダムラウの顔を穴を空くほど見つめていただけのように思えました。
あまりにその時間が長いので、またレヴァインが危ない人化しているか、
座ったまま寝ているか、あるいは呼吸が止まっているのではないか、と心配し、
心なしか、ダムラウからも戸惑いを感じ始めた頃、やっと、レヴァインの指揮棒が動いて、
ヴァイオリンのソロ(曲の途中で再び現れるソロは息が出来なくなるかと思うほど素晴らしかった!)が始まりました。
実際に呼吸が止まっていたかどうか、真相はわかりませんが、この異様な間が素晴らしい効果をもたらし、
直前の”献呈”から、全く違う曲想であるこの曲に、空気を変える手助けとなり、
見事にオケとダムラウが曲に入っていったのがわかります。
もし、あのまますぐに演奏に入っていたら、これほどまでの集中力を引き出せたかどうか、、。

この曲での彼女の表現力は、嗚呼!!!!
こんな力があるのに、どうして、ルチアやジルダはああなるのか?というのは疑問ですけれども。
この曲の場合、曲になかば強制されている部分が幸いして、全編、抑えて抑えて歌う中から、
えも言われぬ美しさが漂って来ます。
音楽だけ聴くと、死をも感じさせる曲なんですが、歌詞は、恋人とまたあしたも会える喜びを歌ったもので、
このダムラウのような歌で聴くと、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』にも通じる、
恋愛の昂揚感と死の強い結びつきを感じます。
また、マーラー5番のアダージェットと雰囲気が似ているのですが、
シュトラウスが”あした”を作曲したのは1894年で、5番より先なので、
私はマーラーの方がばくったのだ、と勝手に信じてます。
さっきも書いたように、途中でダムラウのヴォーカル・ラインと受け渡しする
ソロのヴァイオリンがこれまた素晴らしく、息苦しいほどのテンションの高さで、
それこそ私まで彼岸に行ったような気がした、至福の数分でした。

シュトラウス歌曲プロの部分の最後の曲は”愛の神”でしたが、その一つ前の、
”子守唄”で終わっても良かったのではないのかな、と思う位、
今回の彼女はゆっくりした曲での表現力が素晴らしかったです。
歌曲でこんなにいい歌を聴かせる歌手だとは予想してなかった、、。
それには、レヴァインが指揮したオケとの相乗効果もあったように思われ、
彼女は良い指揮者やオケに恵まれれば、まだまだ開いていく部分を持った歌手だと感じます。
これからがさらに楽しみ!

インターミッションをはさんでは、いよいよ、『ナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタのアリア。
このアリアに必要な楽器の奏者だけが彼女の周りを囲んで演奏するという形にしたため、
フル・オケがついていた前半の歌曲プログラムとはまた違った、室内楽団との演奏のような緊密な感じが素敵。
全幕の公演では当然のことながらオケはピットに入っているので、この雰囲気は演奏会ならでは、です。

それにしても、ダムラウも人が悪いです。
というのも、『ナクソス島のアリアドネ』は今シーズンのメトのレパートリーの一つで、2/4がシーズン初日。
その全幕の公演では、あの『ホフマン物語』のキャスリーン・キムがツェルビネッタ役を歌う事になっているんですが、
いやー、こんな歌を初日前にNYのオーディエンスに披露された日には、キムさん、ちょっと可哀想、、。
ダムラウのツェルビネッタは、ただ一言、すごいです。
彼女のいいところが全部凝縮されているような歌唱なんですから。
ダムラウの最大の強みは、テクニックの確かさと高音域での音色の強さにあると思います。
キムはダムラウより温かみのある声で、ダムラウとはまた違った種類の美声で、
純粋に声から快さを感じるという意味では、私はキムの方が好きなくらいですが、
それでも、この2点において、キムがダムラウより分が悪いのは否定しようがありません。
キムは、このあたりのレパートリーをダムラウのような歌手と競って歌って行くには、
テクニックは習得出来たとしても、超高音域の響きの弱さが足かせになるかもしれません。
というわけで、私はキムは、超高音域で勝負しなければならないレパートリーよりも、
本当はもう少しキャラクターや表現で勝負できるようなレパートリーの方が、
向いているのではないかと思っているのですが、、。

話をダムラウに戻すと、彼女のこの曲の歌唱での完成度の高さはちょっと驚くくらいで、
1回目、彼女の歌と絡むソロのチェロが音を狂わせてしまったのが惜しい!と思っていたら、
アンコールで、その部分を含む、技巧満載の後半部分だけをもう一度歌ってくれたのですが、
1回目でもすごいと思ったのに、2回目もミスがなく技巧が安定しまくっているのはもちろん、
音の輝かしさが増して、もっといい結果になっているんですから、全くもって恐ろしい人です。
2回目はチェロとの掛け合いもばっちりでした。

それにこの曲、ダムラウの素のキャラクターともマッチしていて、
お茶目でコケティッシュなツェルビネッタが物知り顔で、辛気臭くて青臭いアリアドネに、
”あなた、恋っていうものはね、、”と一説ぶっている様子が本当にチャーミングです。
こんなアリアを聴かされたら、彼女のツェルビネッタで『ナクソス島のアリアドネ』を観たい、と思うのが人情ですが、
(ただし、すでに彼女は前回この演目がメトで上演された時に、
グラハムの作曲家、ウルマナのアリアドネを相手に、同役を歌っています。)
彼女は今年は同時期に上演される『連隊の娘』のマリー役にキャスティングされています(相手役はフローレス)。

喜ぶべきは、上でふれたCDにこの”偉大なる王女さま”が収録されていること。
そして、奇遇なことには、『キャンディード』の”着飾ってきらびやかに”も収録されていて、
この二曲がやはりディスクのハイライトとなっています。
ただ、一言付け加えるなら、今日の演奏会での彼女の歌唱は、
このCDの”偉大なる王女さま”のスリルがもっとグレード・アップした感じ、
つまり、彼女のこのアリアの生は、録音よりもっといい、ということです。

そうそう、このディスク、指揮はクラおた的容貌から突然イケ面指揮者仲間入りを図ったイメ・チェンが衝撃的な、
ダン・エッティンガー
が担当しています。(オケはミュンヘン放送管弦楽団。)

彼女の素晴らしい歌に、最近歌手が小粒化して不満がたまっているであろうレヴァインも大感激したか、
アンコール後に両手で彼女の頬を包み、おでこに祝福のキス!
ダムラウが固まっているように見えたのは、私の気のせいだけではあるまい、、、。

今日のもう一つのメイン、ベートーベン5番は、ある意味、一週間前に聴いたウィーン・フィルの演奏と全く対照的な演奏でした。
最終楽章の一番肝心な部分で、ティンパニーが他の楽器よりも先に暴走した時には歯軋りしそうになり、
こんなことはウィーン・フィルでは絶対にありえないことなんでしょうが、
また、一方で、ウィーン・フィルと違って、失う物は何もない、のメンタリティのもと、
(どうせ何をどう演奏したって、特に交響曲の場合、
ウィーン・フィルよりも良い演奏だ、なんて一般的に言ってもらえることはまずないんですから。)
体当たりで演奏したメト・オケの演奏の方が、熱気があって、私はこの曲にふさわしいスピリットを感じました。
ウィーン・フィルの演奏は上手かったかもしれませんが、
いつも結果を出さなければならないオケゆえの窮屈さのようなものを感じてしまいます。
第1楽章の出だしも、メト・オケの演奏は、今の基準から言うと全然スマートじゃない、やや大げさな昔風な部分があるんですが、
私は音楽も男性もスマートすぎて気取っているものが嫌いなので、こっちがいいです。

1回の演奏会で、これだけお腹一杯な気分になったのは久しぶり。
こんなてんこ盛りで、最後にまだレヴァインが息をしていたのはよかった、よかった。


The MET Orchestra
James Levine, Music Director and Conductor
Diana Damrau, Soprano


SCHUBERT Symphony No.8 in B Minor, D. 759, "Unfinished"

R. STRAUSS "Das Bächlein," Op. 88, No. 1
R. STRAUSS "Ich wollt’ ein Sträusslein binden," Op. 68, No. 2
R. STRAUSS "Allerseelen," Op. 10, No. 8
R. STRAUSS "Zueignung," Op. 10, No. 1
R. STRAUSS "Morgen," Op. 27, No. 4
R. STRAUSS "Ständchen," Op. 17, No. 2
R. STRAUSS "Wiegenlied," Op. 41, No. 1
R. STRAUSS "Amor," Op. 68, No. 5
R. STRAUSS "Grossmächtige Prinzessin" from Ariadne auf Naxos
Encore:
R. STRAUSS "als ein Gott kam jeder gegangen" from "Grossmächtige Prinzessin" from Ariadne auf Naxos

BEETHOVEN Symphony No. 5 in C Minor, Op. 67

Carnegie Hall Stern Auditorium
Second Tier Center Left Front
ON/ON up to Amor/OFF

*** メトロポリタン・オペラ・オーケストラ ディアナ・ダムラウ
MET Orchestra Metropolitan Opera Orchestra Diana Damrau ***