1/4は、今シーズン、リチートラが初めてカラフを歌った公演でした。
その公演を見ていたオペラ警察が電話をかけてきて、
”こんなトゥーランドットをかけるなんてメトもいよいよ終わりだ。”と嘆き悲しんでいました。
同じ事を考えていた人はオペラ警察だけではないようで、
滅多なことでない限り、Bキャストのレビューは掲載されないNYタイムスに、トマシーニ氏の評が登場し、
なぜかそこにはリチートラが昨シーズンの『イル・トロヴァトーレ』にキャスティングされながら
結局歌わなかった事実などが書かれていました。
私がいつも愛読しているチエカさんのブログの読者の間では、トマシーニ氏はからっきし人気も信用もないので、
いつもののりで、”なんでまたトマシーニはこんな関係のない古い事実を持ち出してくるんだ。”
”そーだ、そーだ。”という、軽い非難のコメントが飛び交い始めた頃、
ある人がぴしゃっとこのようなコメントを入れました。
”関係なくなんかあるもんか。この批評で、トマシーニは暗にリチートラのキャリアが終わった、と宣言してるんだから。”
それ以降、トマシーニ氏への批判のコメントがぴったりと止みました。
誰もそのコメントに対して直接に返事を返す人はいませんでしたが、
我々、読者は思ったのです。”そうだ、、その通りだ!!”と。
私がオペラ警察から伝え聞いた、4日のリチートラの歌の内容は、それはもう惨憺たるもので、
”誰も寝てはならぬ”の後に、拍手すら出なかったというのです。
トマシーニ氏に、キャリアの終わりを話題にされても、仕方がないくらいに。
それからコメントの内容は、2002年に『トスカ』でパヴァロッティの代役をつとめて大絶賛を受けた、
あの華々しいメト・デビューの日から、どうやってリチートラが今のような状況に転落したのか、という議論になって、
その中でこんな内容のことを書いた人がいました。ただし、内容の真偽のほどはわかりません。
”彼はもともといい声を持ってはいたが、発声方法と技術には常に大きな問題があった。
周りの心ある人たちは、彼に、ちゃんと先生について、技術を洗いなおせ、と言い続けて来たが、本人が耳を貸さなかった。
メトの2008-9年シーズンの『トロヴァトーレ』に出演するにあたって、
シーズン前の夏に、スタッフの前で歌唱を披露したとき、その内容があまりにひどいので、
メトは彼を『トロヴァトーレ』の舞台には立たせられない、と判断した。
オペラ界のある重要な人物は、彼に、この夏の間に行いを正し、きちんとした歌唱を身につけない限り、
今後、彼を一級のオペラハウスにブッキングすることは出来ない、と宣言した。
(この重要人物というのが、オペラハウスの人間なのか、エージェントなのかは不明。)
彼はそこで、世界のオペラハウスで活躍していたある著名な女性歌手に師事することになるが、
レッスンは2回しかもたなかった。
(この”もたなかった”も、先生の方があきらめたものか、リチートラがあきらめたものか不明。)”
改めて言うようですが、このコメントの真偽のほどはわかりません。
けれども、”一時は未来を嘱望されたテノールがこんなことに、、哀れじゃのう、、。”という反応がほとんどで、
”そんな馬鹿な!”と反論する人がいるどころか、みんな”十分ありうる話”と受け止めたようでした。
連れにその話をすると、彼も”なんだか悲しい話だなあ、、。”と言い、
私が1/9にリチートラの歌が本当にそんなにひどいのか、実際に聴くのが楽しみ!というと、
”そんなことを言うもんじゃないよ。”と諭されました。
それから数日後、今日の公演を観る前に、別演目のシリウスの放送で、
なんとリチートラがインターミッションのゲストに登場しました。
数日前にひどい歌を披露したうえ、ヘッズにこんな噂までされて、シリウスの放送に登場するとは、並の神経じゃない、、、
と思っていたら、なんと、彼の口から、一昨年に(ローマで、と言ったと思います)生死に関わるような事故に巻き込まれ、
脊椎をやられたため、一時は舞台に戻れるかどうかもわからなかった。
今でも声を支えるのがとても辛い。”という話がありました。
私は彼がそんな大きな事故にあった、という話は聞いたことがなかったのですが、
リチートラの話と、上のヘッドのコメントの内容とは、時期的にも両立が不可能なので、
どちらかが真っ赤な嘘、ということになります。
そこで、私が連れに、”さすがにこんなことで嘘をつかないだろうから、
やっぱり不調なのには大怪我という理由があったんだね、、可哀想に。”と言うと、
”いや、わかんないぞ。オペラの世界はエンターテイメントの世界と一緒だ。保身のためなら何を言うやら。”
、、、、、この人ってば、突然ドライになるんですもの、わけがわかりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/bf/9269855d404333d994d217b1a06fe320.jpg)
というわけで、本当ならマチネの『ばらの騎士』の余韻に浸っていたく、
中途半端に出来の悪い公演を見せられたら発狂しそうですが、
この公演は中途半端どころか、底辺のそのまた底辺な演奏になる可能性があるうえ、
しかもこのちょっとゴシップ的な興味のせいもあって、ダブル・ヘッダーの疲れゼロ、
ぎんぎんモードでサイド・ボックスから舞台を見つめています。
ここはかなり舞台に近いので、リチートラのちょっとした表情の変化も見落とすまい!と。
私、ネルソンスの指揮を見るのは今日で2回目なんですが、すっかり彼の指揮の物まねを会得しました。
早速この公演の後にオペラ警察にそれを披露して爆笑されたんですが、
なんでそんなことが可能かというと、彼の指揮って本当にワンパターンなんです、毎回。
それでも、11月に聴いた時よりは、演奏はほんの少し、ましだったように思います。
ただ、オケ側はもう彼をある程度見限っているし、彼もそれに気付いているように見受けました。
オケが指揮者を尊敬している時って、すぐにわかるし、それはまた指揮者側に自信となってあらわれるものです。
それでも若くて話題のアーティストは全部捕獲!がモットーのゲルブ氏には気に入られたのか、
ネルソンスは来シーズンも複数の演目で登場するようですが、
大変だなと思います、この信頼感を失った中でオケを率いるのは。
リューが11月の公演のポプラフスカヤから、Bキャストのコヴァレフスカ
(名前が微妙に似ていてややこしい!)に変わっていたのですが、
今日、コヴァレフスカとネルソンスの息がとても合っていて、コヴァレフスカが歌いやすそうにしているので、
”なんで??!!”と思いましたが、良く考えるとこの2人は共にラトヴィアの、それも同じリガというところの出身。
私がネルソンスの指揮で、しっくり来ない部分も、ラトヴィア人同士には通じ合うのかもしれません。
それにしても、ラトヴィアは美形が多い国なんだろうか、、。
(下の写真はコヴァレフスカ。アジアン・メイクも似合ってます。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/08/afe4d8eab596904e93abec04caa812b0.jpg)
私は今日の公演で、本当に声とか発声について色々考えさせられたことがあって、
舞台全体、また、『トゥーランドット』という作品そのもの、として感激を受けたり、
満足が行くものではありませんでしたが、観に行った価値は大変にあったと思っています。
まず、コヴァレフスカなんですが、彼女は決して声に恵まれているタイプではない、というのを実感しました。
超美声でもないし、他のソプラノと比べて、”あ、コヴァレフスカだ!”とすぐにわかるような、
際立った個性があるわけでもない。高音域にはあいかわらずストレインがあるし、色々問題もあるんですが、
それでも、今日のメイン・キャストのうち、最も拍手が多かったのが彼女です。
それは、もちろん、リューはいいアリアがあって、役得という面もありますが、
何より、音を発した時に、きちんと芯があってそれが前に飛んでいる。
だから、皮肉なことに、他の2人(トゥーランドットとカラフ)と比べても、
最も音がしっかりとオペラハウスに鳴っているのが彼女なんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/2a/ede5bc8702079639ecae3602fd92ebf9.jpg)
リチートラは、聞いていたほど悲惨ではない、と思いました。
というか、悲惨なのかもしれませんが、私は何よりきちんと役の準備をしていない人が嫌いで、
そういう人が案の定悪い結果を出すと、気分がむかむかするんですが、
リチートラの歌はそういうんでは決してないんです。
というか、フレージングを聴くと、むしろ、”役自体”は、相当頑張って準備して来たという風に感じます。
問題は、それ以前の、声と発声です。
まず、彼の声には、このカラフ役を歌うことを正当化できる要素が何一つありません。
今すぐに、この役からは手を引くべきだと思います。
彼は、メトにカヴァラドッシでデビューして、それが成功を収めてしまったことが、
ずっとキャリアにおいて、誤った方角に行く源になってしまったように思います。
彼は本来、かなり軽めなテクスチャーの声で、そのテクスチャーは声量で押しても変わるものではありません。
4日の公演の評判が悪かったのも多分耳にしているでしょうし、
何より彼自身、自分の歌が最悪だった、というのはわかっているはずです。
今日はそれを取り戻そうと、全力を振り絞っているのはわかるんですが、
必死になって声量一杯一杯にあげて歌っても、テクスチャーがこの役と合っていないんですから、それは無意味です。
それから、コヴァレフスカみたいな人と比べると良くわかるんですが、
彼が出す音は、音の芯がないというか、中心がはっきりせず、頭の周りで横に拡散してその場で消えてしまうような感じがします。
以前の彼はこんな風ではなかったと思うんですけれども、、。
それとも、これが脊椎を損傷して、踏ん張れなくなった結果なのか?
”誰も寝てはならぬ”の低音は、ジョルダーニと違ってちゃんと存在してましたが、
(ジョルダーニはこの曲の低音が全く出ていなかった。)
逆に高音の方は出来るだけリスクを取りたくないのか、二幕のトゥーランドットとの一騎打ちの最後で、
慣例的にハイCを出す個所がありますが、ジョルダーニは毎公演、この音を出していた
(かなりきつそうだったですけれども。)のに対し、リチートラは4日と今日の両方、その音を避けています。
頑張ってはいるんですが、この世の中、頑張りだけではどうしようもないこともあるんです。
オペラで自分の声に合わない役を歌おうとしても、頑張りだけではとても埋め合わせられるものではありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/eb/3c37017d4f55f2f927e28a5cdaa695e8.jpg)
それから、キャリア・パスという面で。
先にふれた、因縁の『トロヴァトーレ』交代劇で、リチートラの代わりにマンリーコを歌ったマルセロ・アルヴァレスですが、
私の基準では、アルヴァレスのマンリーコはもちろん、今シーズンに歌った『トスカ』のカヴァラドッシなんかにしても、
軽い方の部類に入るんですが、
ただ、リチートラとアルヴァレス、同じようにこれらの役を歌っても、
アルヴァレスは、ベルカント、ヴェルディの軽めのテノールの役(アルフレード、マントヴァ公)、
フランスもの、などをきちんと経ながら、そこに至っていった、という経緯があります。
逆にリチートラはいきなりカヴァラドッシの代役で成功してしまったことが仇になったか、
少なくともメトでは、本来は軽い声なのに、(それから、もしかすると、ベル・カントなんかを歌える技術がないから?か、)
重いほうへ、重いほうへ、とレパートリーが流れてしまっていったように思います。
(私は数年前のリチートラのカヴ・パグは役の解釈とか演技が新しくて面白いと思いましたが、
声だけの話をすれば、ヴェリズモももちろん彼には負荷が大きいと思います。)
その結果、アルヴァレスがまだまだ健康的な声で歌えているのに対し、
リチートラは、下手すると彼のキャリアは終わりか?というような話までされてしまうほどに
今、やばい状況になってしまっているのです。
10年前にスカラで彼をマンリーコ役に抜擢したムーティ、、、重罪です。
あんな怖いおっさんに魅入られた日には、リチートラもNOとは言えないでしょう。
でも、言うべきだったのです、きっと。
アリアの後に変な沈黙にならないよう、今日はネルソンスが気を利かせ、
”誰も寝てはならぬ”の後は観客に拍手の判断をゆだねる時間を与えないよう、
オケをとめずにサクサクと進んでいきましたが、(だし、私は仮にアリアがすごく上手く歌われても、
ここで止まらずに、ガーッとすすんでいく方が好きなんですが。)、
最後のカーテン・コールに出て来た時に、まるで死刑判決を待つ罪人のように、
弱気な、おびえた表情をしていたのには本当に胸が痛みました。
たった数年前までは、こんな心配をしたことがなかったはずの彼が、です。
観客からは温かい拍手が出て、ほんの少し安心したようですが、それでも、歌手というのは、
自分の力が落ちて来た時、他の誰よりも自分でわかっているものですので、
短く切り上げて、すぐに幕の後ろに姿を消したのも、見ていて辛かったです。
この後の公演の出来にもよるのかもしれませんが、もしかしたら、メトで彼を見るのはもう最後に近いか、
もしかしたら、実際に最後になるかもしれない、、という思いがふっと頭を掠めました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/0d/fe02f3916044e84a46f9004d0a83ad18.jpg)
最後にトゥーランドット姫を歌ったリンドストロームについて。
彼女はシーズン初日に、病欠のグレギーナに変わって同役を歌い、
グレギーナとは全く違うタイプのトゥーランドットとして話題を集めました。
何より、グレギーナの磨耗しきった声とは違って、まだ声がみずみずしく、
リリカルにこの役を歌える、として、グレギーナに食傷気味だったヘッズは、彼女の登場を歓迎しました。
私も大体似たような考えでしたので、今日の公演で彼女を聴けるのを楽しみに来たのです。
しかし、彼女が登場して、”この宮殿の中で In questa reggia"を歌い出した瞬間、思いました。
”声、細っ!”
これだから、今までに一度も生で聴いたことのない歌手に関しては、シリウスはやっぱりあてにならない、、。
マイクを通してだと、グレギーナまでは行かなくても、もう少しサイズのある声かと思ってました。
綺麗な声なんですけどね、すごく。
綺麗というのは、文字通り、ちょっと鈴の音のような感じがあって、
トゥーランドットよりも合う役があるんじゃないかな、、と思います。
どういう経緯でトゥーランドットがレパートリーに入ったのかわかりませんが、
フル・スロットルで出す高音は音が痩せ気味になるので、本来、あまりこの役に向いた歌手ではないと私は思います。
彼女の第ーの魅力である、声の美しさを保てる音域で勝負できる役が他にあるでしょう。
彼女はあと、舞台ですごく綺麗に見える、得なルックスをしてます。
本人の地の写真を見るとそんなに痩せているようには見えないんですが、舞台ではすごくスリムに見えますし。
もう一つ評価できるのは、彼女らしいトゥーランドットを作ろうとしている意志を感じる点です。
一幕、カラフが謎解きに挑戦することを知らせるために銅鑼を打つ場面で、
それまで紗のむこうで長椅子に横になっていたトゥーランドットが、のそーっと頭をもたげる様子は、
寝ていたヤマタノオロチが起きた様を彷彿とさせ、
トゥーランドットが化け物みたいに思われ、怖かったですが、
二幕以降、実際に舞台に姿を現わして歌う場面になると、彼女が冷たさの中に隠している恐れ、
女性としての弱さがきちんと感じられる役作りで、グレギーナよりは、姫らしい感じがします。
ただ、何と言えばいいのでしょう、、、
やはり、声のパワーというのは、それ自体に魔力があって、
ある面では今日のキャストがグレギーナじゃなくて良かった、、と思いつつ、
ふと、あのばりばりと歌いこなせるパワーが懐かしくなったりもしたのでした。
リンドストロームの雰囲気と、あの声のパワーがあれば最高なんですけれども、
そうは上手くいかないものです。
Lise Lindstrom (Turandot)
Salvatore Licitra (Calàf)
Maija Kovalevska (Liù)
Hao Jiang Tian (Timur)
Bernard Fitch (Emperor Altoum)
Joshua Hopkins (Ping)
Tony Stevenson (Pang)
Eduardo Valdes (Pong)
Patrick Carfizzi (Mandarin)
Anne Nonnemacher, Mary Hughes (Handmaidens)
Antonio Demarco (Executioner)
Mark DeChiazza, Andrew Robinson, Sam Meredith (Three Masks)
Sasha Semin (Prince of Persia)
Linda Gelinas, Alexandra Gonzalez, Annemarie Lucania, Rachel Schuette (Temptresses)
Conductor: Andris Nelsons
Production: Franco Zeffirelli
Set design: Franco Zeffirelli
Costume design: Anna Anni, Dada Saligeri
Lighting design: Gil Wechsler
Choreographer: Chiang Ching
Stage direction: David Kneuss
Grand Tier SB 35 Front
ON
*** プッチーニ トゥーランドット Puccini Turandot ***
その公演を見ていたオペラ警察が電話をかけてきて、
”こんなトゥーランドットをかけるなんてメトもいよいよ終わりだ。”と嘆き悲しんでいました。
同じ事を考えていた人はオペラ警察だけではないようで、
滅多なことでない限り、Bキャストのレビューは掲載されないNYタイムスに、トマシーニ氏の評が登場し、
なぜかそこにはリチートラが昨シーズンの『イル・トロヴァトーレ』にキャスティングされながら
結局歌わなかった事実などが書かれていました。
私がいつも愛読しているチエカさんのブログの読者の間では、トマシーニ氏はからっきし人気も信用もないので、
いつもののりで、”なんでまたトマシーニはこんな関係のない古い事実を持ち出してくるんだ。”
”そーだ、そーだ。”という、軽い非難のコメントが飛び交い始めた頃、
ある人がぴしゃっとこのようなコメントを入れました。
”関係なくなんかあるもんか。この批評で、トマシーニは暗にリチートラのキャリアが終わった、と宣言してるんだから。”
それ以降、トマシーニ氏への批判のコメントがぴったりと止みました。
誰もそのコメントに対して直接に返事を返す人はいませんでしたが、
我々、読者は思ったのです。”そうだ、、その通りだ!!”と。
私がオペラ警察から伝え聞いた、4日のリチートラの歌の内容は、それはもう惨憺たるもので、
”誰も寝てはならぬ”の後に、拍手すら出なかったというのです。
トマシーニ氏に、キャリアの終わりを話題にされても、仕方がないくらいに。
それからコメントの内容は、2002年に『トスカ』でパヴァロッティの代役をつとめて大絶賛を受けた、
あの華々しいメト・デビューの日から、どうやってリチートラが今のような状況に転落したのか、という議論になって、
その中でこんな内容のことを書いた人がいました。ただし、内容の真偽のほどはわかりません。
”彼はもともといい声を持ってはいたが、発声方法と技術には常に大きな問題があった。
周りの心ある人たちは、彼に、ちゃんと先生について、技術を洗いなおせ、と言い続けて来たが、本人が耳を貸さなかった。
メトの2008-9年シーズンの『トロヴァトーレ』に出演するにあたって、
シーズン前の夏に、スタッフの前で歌唱を披露したとき、その内容があまりにひどいので、
メトは彼を『トロヴァトーレ』の舞台には立たせられない、と判断した。
オペラ界のある重要な人物は、彼に、この夏の間に行いを正し、きちんとした歌唱を身につけない限り、
今後、彼を一級のオペラハウスにブッキングすることは出来ない、と宣言した。
(この重要人物というのが、オペラハウスの人間なのか、エージェントなのかは不明。)
彼はそこで、世界のオペラハウスで活躍していたある著名な女性歌手に師事することになるが、
レッスンは2回しかもたなかった。
(この”もたなかった”も、先生の方があきらめたものか、リチートラがあきらめたものか不明。)”
改めて言うようですが、このコメントの真偽のほどはわかりません。
けれども、”一時は未来を嘱望されたテノールがこんなことに、、哀れじゃのう、、。”という反応がほとんどで、
”そんな馬鹿な!”と反論する人がいるどころか、みんな”十分ありうる話”と受け止めたようでした。
連れにその話をすると、彼も”なんだか悲しい話だなあ、、。”と言い、
私が1/9にリチートラの歌が本当にそんなにひどいのか、実際に聴くのが楽しみ!というと、
”そんなことを言うもんじゃないよ。”と諭されました。
それから数日後、今日の公演を観る前に、別演目のシリウスの放送で、
なんとリチートラがインターミッションのゲストに登場しました。
数日前にひどい歌を披露したうえ、ヘッズにこんな噂までされて、シリウスの放送に登場するとは、並の神経じゃない、、、
と思っていたら、なんと、彼の口から、一昨年に(ローマで、と言ったと思います)生死に関わるような事故に巻き込まれ、
脊椎をやられたため、一時は舞台に戻れるかどうかもわからなかった。
今でも声を支えるのがとても辛い。”という話がありました。
私は彼がそんな大きな事故にあった、という話は聞いたことがなかったのですが、
リチートラの話と、上のヘッドのコメントの内容とは、時期的にも両立が不可能なので、
どちらかが真っ赤な嘘、ということになります。
そこで、私が連れに、”さすがにこんなことで嘘をつかないだろうから、
やっぱり不調なのには大怪我という理由があったんだね、、可哀想に。”と言うと、
”いや、わかんないぞ。オペラの世界はエンターテイメントの世界と一緒だ。保身のためなら何を言うやら。”
、、、、、この人ってば、突然ドライになるんですもの、わけがわかりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/bf/9269855d404333d994d217b1a06fe320.jpg)
というわけで、本当ならマチネの『ばらの騎士』の余韻に浸っていたく、
中途半端に出来の悪い公演を見せられたら発狂しそうですが、
この公演は中途半端どころか、底辺のそのまた底辺な演奏になる可能性があるうえ、
しかもこのちょっとゴシップ的な興味のせいもあって、ダブル・ヘッダーの疲れゼロ、
ぎんぎんモードでサイド・ボックスから舞台を見つめています。
ここはかなり舞台に近いので、リチートラのちょっとした表情の変化も見落とすまい!と。
私、ネルソンスの指揮を見るのは今日で2回目なんですが、すっかり彼の指揮の物まねを会得しました。
早速この公演の後にオペラ警察にそれを披露して爆笑されたんですが、
なんでそんなことが可能かというと、彼の指揮って本当にワンパターンなんです、毎回。
それでも、11月に聴いた時よりは、演奏はほんの少し、ましだったように思います。
ただ、オケ側はもう彼をある程度見限っているし、彼もそれに気付いているように見受けました。
オケが指揮者を尊敬している時って、すぐにわかるし、それはまた指揮者側に自信となってあらわれるものです。
それでも若くて話題のアーティストは全部捕獲!がモットーのゲルブ氏には気に入られたのか、
ネルソンスは来シーズンも複数の演目で登場するようですが、
大変だなと思います、この信頼感を失った中でオケを率いるのは。
リューが11月の公演のポプラフスカヤから、Bキャストのコヴァレフスカ
(名前が微妙に似ていてややこしい!)に変わっていたのですが、
今日、コヴァレフスカとネルソンスの息がとても合っていて、コヴァレフスカが歌いやすそうにしているので、
”なんで??!!”と思いましたが、良く考えるとこの2人は共にラトヴィアの、それも同じリガというところの出身。
私がネルソンスの指揮で、しっくり来ない部分も、ラトヴィア人同士には通じ合うのかもしれません。
それにしても、ラトヴィアは美形が多い国なんだろうか、、。
(下の写真はコヴァレフスカ。アジアン・メイクも似合ってます。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/08/afe4d8eab596904e93abec04caa812b0.jpg)
私は今日の公演で、本当に声とか発声について色々考えさせられたことがあって、
舞台全体、また、『トゥーランドット』という作品そのもの、として感激を受けたり、
満足が行くものではありませんでしたが、観に行った価値は大変にあったと思っています。
まず、コヴァレフスカなんですが、彼女は決して声に恵まれているタイプではない、というのを実感しました。
超美声でもないし、他のソプラノと比べて、”あ、コヴァレフスカだ!”とすぐにわかるような、
際立った個性があるわけでもない。高音域にはあいかわらずストレインがあるし、色々問題もあるんですが、
それでも、今日のメイン・キャストのうち、最も拍手が多かったのが彼女です。
それは、もちろん、リューはいいアリアがあって、役得という面もありますが、
何より、音を発した時に、きちんと芯があってそれが前に飛んでいる。
だから、皮肉なことに、他の2人(トゥーランドットとカラフ)と比べても、
最も音がしっかりとオペラハウスに鳴っているのが彼女なんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/2a/ede5bc8702079639ecae3602fd92ebf9.jpg)
リチートラは、聞いていたほど悲惨ではない、と思いました。
というか、悲惨なのかもしれませんが、私は何よりきちんと役の準備をしていない人が嫌いで、
そういう人が案の定悪い結果を出すと、気分がむかむかするんですが、
リチートラの歌はそういうんでは決してないんです。
というか、フレージングを聴くと、むしろ、”役自体”は、相当頑張って準備して来たという風に感じます。
問題は、それ以前の、声と発声です。
まず、彼の声には、このカラフ役を歌うことを正当化できる要素が何一つありません。
今すぐに、この役からは手を引くべきだと思います。
彼は、メトにカヴァラドッシでデビューして、それが成功を収めてしまったことが、
ずっとキャリアにおいて、誤った方角に行く源になってしまったように思います。
彼は本来、かなり軽めなテクスチャーの声で、そのテクスチャーは声量で押しても変わるものではありません。
4日の公演の評判が悪かったのも多分耳にしているでしょうし、
何より彼自身、自分の歌が最悪だった、というのはわかっているはずです。
今日はそれを取り戻そうと、全力を振り絞っているのはわかるんですが、
必死になって声量一杯一杯にあげて歌っても、テクスチャーがこの役と合っていないんですから、それは無意味です。
それから、コヴァレフスカみたいな人と比べると良くわかるんですが、
彼が出す音は、音の芯がないというか、中心がはっきりせず、頭の周りで横に拡散してその場で消えてしまうような感じがします。
以前の彼はこんな風ではなかったと思うんですけれども、、。
それとも、これが脊椎を損傷して、踏ん張れなくなった結果なのか?
”誰も寝てはならぬ”の低音は、ジョルダーニと違ってちゃんと存在してましたが、
(ジョルダーニはこの曲の低音が全く出ていなかった。)
逆に高音の方は出来るだけリスクを取りたくないのか、二幕のトゥーランドットとの一騎打ちの最後で、
慣例的にハイCを出す個所がありますが、ジョルダーニは毎公演、この音を出していた
(かなりきつそうだったですけれども。)のに対し、リチートラは4日と今日の両方、その音を避けています。
頑張ってはいるんですが、この世の中、頑張りだけではどうしようもないこともあるんです。
オペラで自分の声に合わない役を歌おうとしても、頑張りだけではとても埋め合わせられるものではありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/eb/3c37017d4f55f2f927e28a5cdaa695e8.jpg)
それから、キャリア・パスという面で。
先にふれた、因縁の『トロヴァトーレ』交代劇で、リチートラの代わりにマンリーコを歌ったマルセロ・アルヴァレスですが、
私の基準では、アルヴァレスのマンリーコはもちろん、今シーズンに歌った『トスカ』のカヴァラドッシなんかにしても、
軽い方の部類に入るんですが、
ただ、リチートラとアルヴァレス、同じようにこれらの役を歌っても、
アルヴァレスは、ベルカント、ヴェルディの軽めのテノールの役(アルフレード、マントヴァ公)、
フランスもの、などをきちんと経ながら、そこに至っていった、という経緯があります。
逆にリチートラはいきなりカヴァラドッシの代役で成功してしまったことが仇になったか、
少なくともメトでは、本来は軽い声なのに、(それから、もしかすると、ベル・カントなんかを歌える技術がないから?か、)
重いほうへ、重いほうへ、とレパートリーが流れてしまっていったように思います。
(私は数年前のリチートラのカヴ・パグは役の解釈とか演技が新しくて面白いと思いましたが、
声だけの話をすれば、ヴェリズモももちろん彼には負荷が大きいと思います。)
その結果、アルヴァレスがまだまだ健康的な声で歌えているのに対し、
リチートラは、下手すると彼のキャリアは終わりか?というような話までされてしまうほどに
今、やばい状況になってしまっているのです。
10年前にスカラで彼をマンリーコ役に抜擢したムーティ、、、重罪です。
あんな怖いおっさんに魅入られた日には、リチートラもNOとは言えないでしょう。
でも、言うべきだったのです、きっと。
アリアの後に変な沈黙にならないよう、今日はネルソンスが気を利かせ、
”誰も寝てはならぬ”の後は観客に拍手の判断をゆだねる時間を与えないよう、
オケをとめずにサクサクと進んでいきましたが、(だし、私は仮にアリアがすごく上手く歌われても、
ここで止まらずに、ガーッとすすんでいく方が好きなんですが。)、
最後のカーテン・コールに出て来た時に、まるで死刑判決を待つ罪人のように、
弱気な、おびえた表情をしていたのには本当に胸が痛みました。
たった数年前までは、こんな心配をしたことがなかったはずの彼が、です。
観客からは温かい拍手が出て、ほんの少し安心したようですが、それでも、歌手というのは、
自分の力が落ちて来た時、他の誰よりも自分でわかっているものですので、
短く切り上げて、すぐに幕の後ろに姿を消したのも、見ていて辛かったです。
この後の公演の出来にもよるのかもしれませんが、もしかしたら、メトで彼を見るのはもう最後に近いか、
もしかしたら、実際に最後になるかもしれない、、という思いがふっと頭を掠めました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/0d/fe02f3916044e84a46f9004d0a83ad18.jpg)
最後にトゥーランドット姫を歌ったリンドストロームについて。
彼女はシーズン初日に、病欠のグレギーナに変わって同役を歌い、
グレギーナとは全く違うタイプのトゥーランドットとして話題を集めました。
何より、グレギーナの磨耗しきった声とは違って、まだ声がみずみずしく、
リリカルにこの役を歌える、として、グレギーナに食傷気味だったヘッズは、彼女の登場を歓迎しました。
私も大体似たような考えでしたので、今日の公演で彼女を聴けるのを楽しみに来たのです。
しかし、彼女が登場して、”この宮殿の中で In questa reggia"を歌い出した瞬間、思いました。
”声、細っ!”
これだから、今までに一度も生で聴いたことのない歌手に関しては、シリウスはやっぱりあてにならない、、。
マイクを通してだと、グレギーナまでは行かなくても、もう少しサイズのある声かと思ってました。
綺麗な声なんですけどね、すごく。
綺麗というのは、文字通り、ちょっと鈴の音のような感じがあって、
トゥーランドットよりも合う役があるんじゃないかな、、と思います。
どういう経緯でトゥーランドットがレパートリーに入ったのかわかりませんが、
フル・スロットルで出す高音は音が痩せ気味になるので、本来、あまりこの役に向いた歌手ではないと私は思います。
彼女の第ーの魅力である、声の美しさを保てる音域で勝負できる役が他にあるでしょう。
彼女はあと、舞台ですごく綺麗に見える、得なルックスをしてます。
本人の地の写真を見るとそんなに痩せているようには見えないんですが、舞台ではすごくスリムに見えますし。
もう一つ評価できるのは、彼女らしいトゥーランドットを作ろうとしている意志を感じる点です。
一幕、カラフが謎解きに挑戦することを知らせるために銅鑼を打つ場面で、
それまで紗のむこうで長椅子に横になっていたトゥーランドットが、のそーっと頭をもたげる様子は、
寝ていたヤマタノオロチが起きた様を彷彿とさせ、
トゥーランドットが化け物みたいに思われ、怖かったですが、
二幕以降、実際に舞台に姿を現わして歌う場面になると、彼女が冷たさの中に隠している恐れ、
女性としての弱さがきちんと感じられる役作りで、グレギーナよりは、姫らしい感じがします。
ただ、何と言えばいいのでしょう、、、
やはり、声のパワーというのは、それ自体に魔力があって、
ある面では今日のキャストがグレギーナじゃなくて良かった、、と思いつつ、
ふと、あのばりばりと歌いこなせるパワーが懐かしくなったりもしたのでした。
リンドストロームの雰囲気と、あの声のパワーがあれば最高なんですけれども、
そうは上手くいかないものです。
Lise Lindstrom (Turandot)
Salvatore Licitra (Calàf)
Maija Kovalevska (Liù)
Hao Jiang Tian (Timur)
Bernard Fitch (Emperor Altoum)
Joshua Hopkins (Ping)
Tony Stevenson (Pang)
Eduardo Valdes (Pong)
Patrick Carfizzi (Mandarin)
Anne Nonnemacher, Mary Hughes (Handmaidens)
Antonio Demarco (Executioner)
Mark DeChiazza, Andrew Robinson, Sam Meredith (Three Masks)
Sasha Semin (Prince of Persia)
Linda Gelinas, Alexandra Gonzalez, Annemarie Lucania, Rachel Schuette (Temptresses)
Conductor: Andris Nelsons
Production: Franco Zeffirelli
Set design: Franco Zeffirelli
Costume design: Anna Anni, Dada Saligeri
Lighting design: Gil Wechsler
Choreographer: Chiang Ching
Stage direction: David Kneuss
Grand Tier SB 35 Front
ON
*** プッチーニ トゥーランドット Puccini Turandot ***