Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

THE SONG CONTINUES:JAMES LEVINE (Tue Jan 19, 2010)

2010-01-19 | マスター・クラス
往年の名歌手、または彼らの家族によって設立された基金(ファンデーション)が、
アメリカの若手歌手の育成の中で果たしている役割は決して小さくありません。

リチャード・タッカー・ファンデーションによる、お馴染みタッカー・ガラは、
本来は彼らが一押しでサポートする期待の若手歌手のお披露目かつファンド・レイジングとしての場所だし、
ジョージ・ロンドン・ファンデーションは、自らがサポートして、大舞台に羽ばたいていった、
もしくは羽ばたきつつある歌手達にリサイタルを依頼し、
そのチケットの売り上げがまた次世代の歌手達への投資の一部を支えているといった具合です。
リチャード・タッカーとジョージ・ロンドンはもう亡くなっているので、
家族を中心としたスタッフによって運営されているのですが、
ここに、存命の歌手によるアクティブなファンデーションがもう一つ存在しています。
その名もマリリン・ホーン・ファンデーション。

私がオペラを聴きはじめて比較的日が浅い時に購入したCDの一つに、
ジョーン・サザーランドとマリリン・ホーンが共演した『セミラーミデ』があって、
このCDで初めてマリリン・ホーンの歌声を聴いた時、私がまず思ったのは、
”これ、男、、、?”
そんな、まるで野郎のような野太い声で、ロッシーニおよびその他のベル・カント・レパートリーに必要な
テクニックを持っていたメゾ・ソプラノ、マリリン・ホーンは、今でもNYのヘッズたちに深く尊敬されている歌手の一人です。
今年、75歳になるホーンですが、癌を乗り越え、今でもオペラ界に睨みを効かせ、
リサイタルやコンサートで、観客席に姿を見かけることもしばしばです。

そのマリリン・ホーン・ファンデーションが一年に一度恒例で行っているのが、
”The Song Continues (そして歌は続く)”という企画で、1~2週間にわたって、
人気歌手を招いてのガラ形式の演奏会、若手歌手によるリサイタル、
学生対象のマスター・クラスなどが、連日開催されます。

今日はそのマスター・クラスの企画でジェームズ・レヴァインが講師に登場する日。
会場はカーネギー・ホール内にある、ザンケル・ホールで、
一般にカーネギー・ホールといって思い浮かべるスターン・オーディトリアムとは別の、
やや小ぶりで、音響はそれなりにしっかりしていますが、純粋な演奏会のため、というよりは、
今回のような講演目的に適したホールです。

舞台にあらわれたレヴァイン、何事もなく手を振って聴講客の拍手に答えてますが、
あの額に見えるのは一体何、、?
椅子から転げ落ちたか、メトのオケピに入る時に高さの寸法を測りそこねて、
鴨居で額を打ち付けたのか(って、あのオケピで演奏してきた年数の長さを考えると、
その寸法を測りそこねること自体、大丈夫?って感じですが、、。)、
ものすごい大きさのこぶと傷が額のど真ん中にあるのです。
”ちょっと頭を打ちまして。”というような言い訳や説明が何もないところが余計な邪推をかきたてます。

今日レヴァインにアドバイスを受けるのは、5人の本受講生。
さらに、加えてオルタネートと呼ばれる、時間が余れば歌を聴いてもらえる予備の受講生が2人。
それぞれ3~4曲の歌を受講候補曲として、2人のピアニストのうちのどちらかと準備して来ていて、
レヴァインがその中から、実際にここで歌って欲しい歌をその場で指定する、という手順です。

今回の聴講生の中にはデュパルクの曲を選択した人が数人いて、それにあたって、
彼は残された作品(注:彼は多くの管弦楽の作品を含む自分の作品の大半を自分の手で破棄してしまったという経緯がある。)
のうちに声楽曲が占める割合が猛烈に高いため、
今ひとつ一般の認知度が低いけれども、彼の書いた作品群は本当に素晴らしい、という話がレヴァインからありました。
ジョージ・ロンドン・ファンデーションのリサイタルで、
彼の作品の素晴らしさを知った私は、これには大きく頷きます。

第1の参加者は、メゾのジュリア・ドーソン。
オべリン大の音楽院に在学中の学生で、ブロンドの髪で可愛い感じの小柄な美人。
”ブロンドは頭が弱い”なんて俗説、は私はもちろん信じてないですが、
レヴァインに、”じゃ、シューベルトの若い尼僧 Die junge Nonne、行ってみようか。
まず、この作品についての君の考え(your take)を聴講しているみなさんに話した後、
歌ってもらいたいんだけど。”と言われ、
彼女が延々と歌詞の訳を語り始めたときには、あちゃーっ!、俗説にも真理はあるかもしれない、、、と思ってしまいました。
”Your take”と言われたら、自分はどのように歌の内容と登場人物について解釈したかを話さなきゃ!
単なる歌詞の英訳なんて、配られた資料にあるんですから。

そして、レヴァインは、あまり頭の回転が素早くない人には許容量が小さいらしく、
彼女の持ち時間中、ピアノの配置に延々こだわり続け、(このマスタークラスでは、ピアノの奏者にも、
伴奏者としてどうあるべきか、というアドヴァイスが与えられます。)
やっと一曲目を歌い終わったと思ったら、
”この曲は君にはテッシトゥーラが低いんじゃないかな。君は高音の方が綺麗だから
(と、そっと誉め言葉を挿入するのも忘れないし、この指摘は実に的確で、
レヴァインが声について、きちんとした理解を持っていることがわかります。)”
ここで、いつぞやのマスター・クラスで、”あなたはメゾでない!”と言われ、立ち往生した学生さんとは違い、
そこはきちんと候補の曲の中に、やや高めの音域で勝負できる曲を盛り込んでいるのはさすがなんですが、
その曲ですら、”あまり準備が出来てないみたいだから。”とおざなりなアドバイスしか出ません。
レヴァイン、冷たっ!
しかし、彼女の方にも考えるところがあるんじゃないかな、とも思います。
彼女の声自体は軽めながら高音も綺麗だし、むげに駄目出しされるようなものではなくて、きちんとした発声もしているんですが、
”君は何のために歌うのか?”
この問の答えで大失敗してしまったために、また、おそらくは彼女の歌からも、そのような意志を十分に感じられないがために、
せっかくレヴァインに貴重なアドバイスをもらえる機会を棒に振ってしまったのではないかと思います。

それと対象的だったのが、二番目に登場した、マンハッタン・スクール・オブ・ミュージックに在学中の、
ソプラノのロリ・ギルボー。
いわゆる”オペラ歌手”的体格で、なんだか、着るものによっては、
ヘビメタ姉ちゃんみたいな感じになりかねない風貌でもあります。
音域によってはすごく若くみずみずしくなったグレギーナのように聴こえる部分もあり、
実際、ものすごく声量もあるので、観客受けしやすいタイプの歌手ではあります。

まだ高音が完全には出来上がっていない感じがするのと、テクニックの面で磨いていかなければならない部分はありますが、
観客の耳を引くポテンシャルのようなものは持っていると思います。
何より、彼女のいい点は、きちんと何かを表現しよう、という意志を感じる点です。
レヴァインは彼女に関して、何かひかれる部分があったのか、
次々と色んな曲を歌わせてみたい、という感じで、3曲もトライさせたのは参加者の中で彼女一人だけでした。
その3曲目というのは、選択曲にも入っていない曲でしたが、何か英語の歌を、とリクエストされて歌ったもので、
”ここのフレーズを、最大の決心をもって宣言するような感じで歌って。”など、
次々とニュアンスを変えて歌うように指示されても、臆するどころか、
歌と表情の両方で、きちんとそれを表現できていたのは見事でした。
”誰か目の前に自分がものすごく恐れている人がいて、その人の前でおそるおそるおびえながら話すような感じで。”と言われた時には、
”まさしく今の(自分とレヴァインの間の)ような状況ですね。”と切り返す余裕まであるのですから、大したものです。
そんな彼女に、”今、君が操ったのは、母国語である英語だけれども、
そのような自由さで、どんな言葉の曲でも歌えるようになることが大事。”とレヴァイン。

レヴァインは具体的な歌唱テクニックについてのアドヴァイスはもちろん一切しないのですが
(それは声楽の先生の仕事の領域なので、、)、
微妙なリズムの取り方とか、アクセントなど表情のつけ方で、
どれほど曲の雰囲気や完成度が変わるか、ということを具体的に見せてくれる腕は本当に確かなものがあります。
彼女が一曲目に歌ったデュパルクの”フィディレ Phidylé”での、
Et les oiseaux, rasant de l'aile la colline(そして、鳥達は丘を翼でかすめながら)のrasant以降を
つい重くダダダダと歌ってしまう彼女に、気持ちテンポを前にとって!というだけで、
全然フレーズの雰囲気が違って聴こえたり、
また、二曲目のフォーレの”マンドリン”については、曲中に登場する連音符がどういう意味をもっているか考えなさい、
垂直に打ち付けるような音の取り方でなく、水平にしゃらんとなでるように、軽く!と説明するなど、
具体的なテクニックよりも、イメージを説明に多用して、歌手から望む歌を引き出すという手法です。
そして、能力のある歌手が歌うと、実際にそれですごく歌の雰囲気が変わるのが面白いのです。

ギルボーがエラルド・オペラ・コンペティションに登場した時に歌った、
ボーイトの『メフィストフェレ』から”いつかの夜、暗い海の底に L'altra notte in fondo al mare"の映像が
You Tubeにありましたので、参考までに紹介しておきます。




三番手のセシリア・ホールはジュリアード音楽院で勉強中のメゾで、
もちろんパートが違うせいもありますが、それよりも歌の持つ雰囲気の面で、
ギルボーと全く対照的な持ち味の歌手なのですが、地味ながらいいものを持っていると思います。
彼女は、ギルボーのように最初から観客に強い印象を残す声ではないのですが、
声がまろやか、歌唱が知的で、その歌には、いつの間にか引き込まれてじっと聴いてしまう、という種類の力があって、
私の真後ろで聴講していた女性も、”私、彼女の歌、好きだわ。”とおっしゃっていましたが、
それは、歌の内容を良く考えて歌っているからだと思います。
一曲目のブラームスの”永遠の愛 Von ewiger Liebe"での”相手の女性の答えが聞けないくらいなら
もう死んだ方がいい!”と思っているような切羽詰った男性の表現を含め、
緻密に物語を構築するのも上手いですが、
(ここではレヴァインから彼女に、男性、女性、
それぞれどのような気持ちが各フレーズにこめられているか、という質問が飛びました。)
マーラーの”Wer hat dies Liedlein erdacht? 誰がこの歌を作ったのだろう?"について、
レヴァインのお馴染みの”Your takeは?”の質問に、”おちのないジョークのような歌!”と答えながら、
そのナンセンスな歌をすごく魅力的に歌っていると思いました。

ただ一箇所、彼女はこの曲の最初のヴァースの最後に登場するHeideという言葉の長い音型を、
ワンブレスで歌うのが苦しいようで、ブレスできる個所になる前に、
溺れ死ぬ直前の遊泳者のように毎回空をもがいてレヴァインに助けを求めるのが面白かったです。
そんなにひどい切れ方ではないのですが、
フレーズの最初の方の音と質感を均質にしたいのに、それが出来なくて苦しんでいるんだと思います。
意識し過ぎて息を吸いすぎるのも良くない、など、色々アドバイスも出ましたが、
何度歌っても、ガス欠ならぬ、空気欠になってしまうので、
”しばらくは、もう一箇所ブレスしてもいいのでは?”という妥協案でおさまりました。

四番目の参加者はシンシナティ・カレッジの音楽科に在籍中のポール・ショルテン。バリトン。
まず、ラヴェルの『ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ』から
”ロマンティックな歌 Chanson romanesque"を歌うようレヴァインに指示された彼。
しかし、この曲の彼の歌唱が、びっくりするほどつまらなくて、なんだか音まですべてフラット気味に聴こえるんですけれども。
お経か何かと間違えそうです。
二番手、三番手と優秀な参加者が続いて、レヴァインも精根を使い果たしたか、
ふと見ると、”しゅーっ!”という顔(瞼が閉じて口がとがっている)になっていて、
起きているのか、寝ているのか、よくわかりません。
曲が終わった途端、おもむろに、”これ、全然つまんないから他のにしよう。”
あ、聴いてたんだ。一応。
レヴァインは、以前はマスター・クラスでも、全然そんなことがなくてどんな時にも精力的だったように思うのですが、
年齢や健康問題のせいで、前ほど我慢がきかなくなった感じがあり、今日のマスター・クラスでも、
歌に聴くべきものがない、と感じると、それが、もろ、表情や言葉に出ます。
この『ドゥルシネア~』は三曲セットになっているんですが、真ん中をとばして、次は”乾杯の歌 Chanson à boire"に。
さすがにさっきのお経よりは歌唱はましになったんですが、まだレヴァイン的にはつまらないのか、
乾杯の歌というよりも、酔っぱらいの歌と言ったほうがよい感じな歌だけに、
”(歌の内容は)悪くないよ。後は、しゃっくりを一つか二つ入れれば完璧。”と、
冗談とも真面目ともつかないアドヴァイスを飛ばし、
(それでもやっぱり半分はまじめなのか、ちゃんと、”ここで、こうやって!”と、
場所ややり方まで、指定はしてました。)
挙句の果てには、あのギルボーの時に、”これ歌ってみて。””次はこれを聴かせて。”と言っていたのとは対照的に、
”じゃ、残りの選択曲のシューベルト、どれでも好きなの歌っていいよ。”
、、、、。 どうでも、よくなってますね、レヴァイン。

とはいいながら、ふと、こいつに魔王を歌われたら、名曲が、またどんな退屈なお経になるか、、と思ったか、
”ミューズの息子”はどう?と尋ねるレヴァイン。
すると、”ピア二ストのニールセン君の希望もあり、魔王がいいです。”
レヴァイン、”本当に魔王でいいの?”
ショルテンとニールセン・コンビが顔を見合わせて、がっちり。”はいっ!!”

これはとんでもない珍品になるんじゃ、、と聴講者が耳を澄まし始めたその”魔王 Erlkönig"。
いや、これが予想に反して、すごく面白かった!
ピアニストのニールセンが自分で弾きたい、と言っただけあって、緊張感のある伴奏だし、
語り手、父親、息子、そして魔王の四者を、顔と声色全部使って、くるくると変身するショルテンが強烈。
なんだか、一人マペット・ショーみたい、、。
おそらく一番地声に近い語り手の部分、それから少し深めに威厳をもって歌う父親のパート
(ここでの彼の声は魅力的でした。)はともかく、
魔王の姿(あるいは幻影)を見始めている病の息子に扮して、目をおっぴらいて頼りなげなちびっ子声で歌う子供のパートに至っては、
私の隣に座っていたおば様はあまりの強烈さに耐えられなくなったか、下を向いて肩をひくひくさせていました。
しかし、私が彼の歌で上手いと思ったのは、魔王の部分の味付けで、
最初の猫なで声で擦り寄ってくるところの不気味さは鳥肌が立ちましたし、
それが段々と子供を落す(つまり、死に至らせる)に至って地が出てくるかのように、
声に力が漲っていくところとか、すごく良い表現だと思いました。
こういう歌は、フィッシャー=ディースカウのような洗練された歌とは全く反対の極地にあるんでしょうが、
こういう歌が存在していて、どうしていけないのでしょう?
曲が終わった時に、この曲って、こんなにどきどきさせられるような歌だっけ?と思い、
家に帰ってから、色々音源を聴いたりしてみましたが、上手いな、と思う歌は数多あれ、
今日の彼の歌から受けたようなダイレクトな感じは味わえませんでした。
歌の最初から最後まで0.1秒ともだれる瞬間がなかったのですから、これはすごいことです。

レヴァインも曲が終わった瞬間、両手で親指をあげて彼の歌を賞賛し、一言。
”こういう歌へのコミットの仕方をされると細かいことはどうでもよくなるね。”
、、、誉めてるんだか、微妙にけなしてんだか、よくわからない表現ですが、
でも最後に、”でも、こういう歌への取り組み方は素晴らしいし、私は大好きだよ。”
また、ピアノの伴奏では定評のあるレヴァインが、
この曲の伴奏の基調になっている繰り返し現れるフレーズは設定が実は非常に難しいのに、
ピアノはよく頑張った!と、伴奏者にもお褒めの言葉がありました。

最後の本参加者は、オクラホマ大学に在学中のセリア・ザンボン。
英語に少し訛りがあるな、と思ったのですが、フランスの方のようです。
どこか、ジャッキー・O(ジャクリーン・ケネディ)を思わせるレトロな佇まいのソプラノ。
彼女が挑戦したのは、シューベルトのこちらも大メジャー曲、”ます Die Forelle"。
彼女の歌に関しては、”綺麗な声”としながらも、”少しプレゼン的すぎる”との指摘がレヴァインからありました。
そこで、英語で歌詞の意味を言ってみてくれる?と言われると、
”きらきら輝く小さなせせらぎに、、”とさらさらさら、と英語で歌詞の内容を喋り出した彼女。
するとレヴァインが、”そう!今話したような感じで歌ってみて。お友達に今日あった出来事を話すような軽い感じで。”
しかし、どうしても歌い始めると私、歌ってます!という感じになってしまう。
それから、彼女はある旋律に来ると、”きゃぴっ!”と両手を鞄を下げているような形に持ち上げる癖があって、
”そんな風に、この曲はかわいいの!とアピールすることはないんだよ。”とレヴァインにばっさり斬られてました。
少し声が浅い感じがするのと、本人の持ち味なのか、歌えるレパートリーに、
技術というよりはむしろ、このお嬢キャラのために限界があるのではないか、と感じる、
ちょっと不思議な、ある意味は個性の強いタイプの歌手です。

オルタネートにも、機会をあげたいのですが、というレヴァインの提案で、
ドミニク・ロドリゲス(オベリン大/テノール)はデュパルクの”ローズモンドの屋敷 Le Manoir de Rosamonde"を、
マシュー・ヴァルヴェルド(イーストマン・スクール・オブ・ミュージック/テノール)は
ドビュッシーの”憂鬱 Spleen"を歌いましたが、
本参加者に比べると、かなり技術が粗く、声もきちんと出来上がっていないような印象を持ちました。
ただ、レヴァインも気遣っていましたが、ここに至るまでには、
全く歌わずにおよそ2時間半座りっぱなしだったので、それでいきなり歌うというのは難しい面もあったかもしれません。


Participating Artists
Julia Dawson, Mezzo-Soprano
Lori Guilbeau, Soprano
Cecelia Hall, Mezzo-Soprano
Paul Scholten, Baritone
Célia Zambon, Soprano

Alternates
Dominick Rodriquez, Tenor
Matthew Valverde, Tenor

Pianists
Lio Kuokman
Adam Nielsen

Zankel Hall

*** The Song Continues... Master Class: James Levine
ザ・ソング・コンティニューズ マスター・クラス ジェイムズ・レヴァイン ***