Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

HANSEL AND GRETEL (Sat Mtn, Jan 2, 2010)

2010-01-02 | メトロポリタン・オペラ
素晴らしい公演はもちろんなんですけれども、
なんじゃこりゃぁ!?というようなあまりにクオリティの悪い公演も実は比較的に感想が書きやすかったりします。
なんですが、一年に一度くらい、滅茶苦茶質の悪い演奏というのでもないのに、
すごく筆のすすまない公演というのがあって、
例えば、一年半前の『賭博師』を思い出します。
”咀嚼できてから”って、一年半経って、まだ咀嚼できてないのかよ!って感じなんですが、
今日の『ヘンゼルとグレーテル』も実は同様の方法で半トンずらしてしまおうか、
来週の土曜は『ばらの騎士』と『トゥーランドット』というヘビーなダブル・ヘッダーもあることだし、、
なんて、考えてしまった私をお許しください。



あらかじめ強調しておくと、この子供向けと見せかけて毒を吐くリチャード・ジョーンズの演出が、
実は私は全く嫌いではないんです。
ちょうど二年前、やはりマチネでキッズに囲まれて見た公演の感想にも書いた通り(Part 1Part 2)に。
ラングリッジの、もはや地がわからない強烈な魔女への化けっぷりとはじけっぷりに笑い、
シェーファーの本当に少女のように見えるあの演技の上手さに舌を巻き、
とにかく、今考えてみれば、二年前の公演は勢いがありましたっけ。



さて、一ヶ月以上に渡ってNYに滞在し、『フィガロの結婚』『エレクトラ』、『ヘンゼルとグレーテル』という、
どれも違った理由で指揮をするのが大変な三作をルイージがかけもちでこなしたことについては、
これまでのそれらの演目の公演についての感想等でふれてきた通りなんですが、
なぜそんなことになってしまったかと、良く考えてみたら、
もともと『ヘンゼルとグレーテル』に予定されていたアンドリュー・デイヴィスが、
個人的な理由によりキャンセルせざるを得なくなり、そのカバーに入った為で、
本来はルイージが振る予定ではなかったのでした。
この一ヶ月の間には、ルイージがほとんど毎日指揮台にあがっているように思えるときもあって、
”誰がこんなはちゃめちゃなスケジュールを組んだんだ?!”と思っていたんですが、
やむをえない状況だったようです。
その彼の長く過酷だった今年のNY滞在最後を飾るのが、今日の『ヘンゼルとグレーテル』です。



2007-8年シーズンの演奏に続いて、今年も英語版による上映で、
ガキ、、いえ、お子様たちの姿がさらに客席に目立つようになったように思います。
ところが、気のせいでしょうか?2007-8年シーズンはちびっ子たちもおしゃれして、
男の子はちび背広にネクタイといった背伸び気味の格好で、
静かに鑑賞している様子が実に可愛らしかったのですが、
なんだか2年間で客層の変化に拍車がかかったような気がします。
というか、実際のところ、子供よりたちが悪いのは、同伴して来た大人の方で、
子供がオペラハウスに入れるというこの状況に便乗して、
自宅のリビング・ルームからワープしてきたようなだらしない、限りなくスエットに近いような格好で現れ、
オケの奏者がチューニングを始めても、スナック菓子の袋をばりばり言わせながら、
ひたすら食べ続けている私の隣の座席に座っている祖母、、、
ここはヤンキー・スタジアムじゃねーんだよ、、、ったく、げんなりしてきました。
グランド・ティアでこんな状態ですから、ファミリー・サークルまで上がったなら、
どんな動物園ぶりが展開しているかと、考えるだに、げに恐ろしい。
一級のセットで、ルイージが、メト・オケが、ラングリッジが、キルヒシュラーガーが、ペルションが演奏してくれる、
このありがたさを全くわかっていない様は嘆かわしいという言葉以外、何物も思いつかないほどです。
しかし、真の恐怖がサイドでなく、バックに控えていたとは誰が予想したでしょうか。



2007-8年は、ヘンゼルとグレーテルの両親をプロウライトとヘルドのコンビが歌っていて、
今年もプロウライトは据え置きで全公演、また父親の方はドウェイン・クロフトとヘルドのダブル・キャスト、
というのが当初予定されていたキャストだったんですが、
ヘルドはご存知の通り、シーズン開始数ヶ月前に急遽パペの代わりに
『ホフマン物語』のヴィレインズ役に引き抜かれてしまいましたので、
それに伴い、父親役は全てクロフトが歌うことになりました。
結果から言うと、今日の公演で一番私が歌唱として楽しんだのは、このクロフトの歌唱です。
この役に関しては、ヘルドと比べ、かなりのグレード・アップと言ってもよいと個人的には思います。
ヘルドは実際にワシントン・ナショナル・オペラなどで歌い始めていて、
かつ、ホフマンの際の歌唱でも多少その片鱗が感じられた通り、
ワーグナーの役も歌えなくはないサイズの声をしています。
ただ、彼の泣き所は微妙なニュアンスがなく、歌が平板な感じがする点で、
2007年の彼の父親役はそれに加えて声がうるさくて辟易しました。
(あの時の歌に比べれば、今年の『ホフマン』での歌唱はかなり良くなっているとは思いましたが。)
クロフトはメトのハウス・バリトンと言ってもいいくらいの感じで、
今日に至るまで、本当にたくさんの公演にキャスティングされているんですが、
(昨年の『蝶々夫人』のシャープレスなどが記憶に新しい。)
今ひとつ華がないのと、公演によって若干のアップ&ダウンがあるからか、
世界的なレベルでは、完全にブレークし損ねてしまったように思うのですが、
彼が好調な時は、声にヴェルヴェット的な質感があり、音が深くて、なかなかいい歌唱が聴けるんです。



最近の彼といえば、『椿姫』のジェルモン父や『蝶々夫人』のシャープレスなど、
すっかり親父キャラが板について来た感じなんですが、
実は『マノン・レスコー』のマノンの兄みたいなスタイリッシュな雰囲気も出せる人で、
いずれにせよ、細身な体型のせいもあって、どの役にもやや繊細な雰囲気が漂うのが特徴ですが、
この『ヘンゼルとグレーテル』の父役では普段の面影がないほどはじけまくっています。
見て下さい、二枚目の写真を!!!
しかし、この、役柄としてはじけることが必要であったことが効を奏したのか、
歌の方もいつもより一皮剥けたような感じがします。
こうして聴くと、彼はオペラハウスで歌える声のサイズも十分ある(それもメトで!)んですが、
音色自体が甘渋くて非常にいいものを持っているので、
ミュージカルのようなマイクを使って歌う舞台作品でも、力を発揮できるんじゃないかな、と思います。
特に今日のような作品で舞台ではじけまくっている彼を見ると、
もしかすると彼がオペラで歌えるレパートリーの中心を占める、シリアスで神妙な役柄より、
軽さ、楽しさでも勝負できるミュージカルのほうが適正があるのかも、と思うほどです。
彼のシリアスな役はちょっと鬱々しているところが強いんですが、
もしかすると、無理にそうしている部分もあるのかもしれません。
今日の公演ではキルヒシュラーガーとペルションのヘンゼル&グレーテル兄妹を除いた全員が
英語圏の歌手ですが、歌詞がきちんと聞こえるという点でも、他の歌手より群を抜いていました。

プロウライトは2007年とほとんど歌唱の内容が変わらず、
一番印象に残っているのはあのバレーボールの選手かと思うようなでかさ
(実際にどうなのかはわかりませんが、舞台でやたら大きく見えます。)、という点も変わりません。



今日、歌唱陣で楽しみにしていたのは主役のヘンゼルとグレーテルの2人。
特にヘンゼル役のキルヒシュラーガーは生で聴くのが初めて。
声は温かみがありながらクリーンで魅力的な音色なんですが、
正直、メトでは彼女のようなタイプの歌手は残念ながら、持ち味が発揮できないと思います。
彼女の場合、もう少し規模の小さい会場で、もっと親密な形、
たとえばピアノの伴奏のリサイタル、とかで聴いた方がいいのかもしれないなと思います。
声量が足りないのもそうなんですが、オケとブレンドしてしまいやすい種類の声というのがあって、
彼女にはそれを感じます。2007年のクートよりも音が抜けてこなくて、
オケの音に完全に埋没してしまっている個所が一つや二つではなかったです。
音色に面白いものがあるだけに、残念なんですが。



一方で、高音が、特に前半で硬くてコチコチだったのはペルション。
『ばらの騎士』のゾフィーで観た時はそうでもなかったので期待していたんですが、
彼女はその後にシリウスで聴いた『ばらの騎士』などを総合すると、
少し日によって声のコンディションや歌唱にむらがあるような気がします。
顔が可愛らしいので、ビジュアル的にはグレーテルの役にぴったりのように思えるのですが、
あの2007年の、完全に童化していたシェーファーに比べると、
どこか演技に大人が子供のふりをしているような、本当じゃない感があって、
子供率の多い観客のために必死になればなるほど、
ピン・ポン・パンのお姉さん的なものを感じてしまいます。
”さあ、みんな一緒に『ヘンゼルとグレーテル』の世界に行きましょう!”
”はあああああああ~~~~い!!”というような。
その微妙な大人感のせいで、魔女に扮するラングリッジがグレーテルの口に食べ物を入れるシーンでは、
ローティーンの少女に趣味を持つ変態親父というような倒錯したムードが漂っていました。
これは『ヘンゼルとグレーテル』であって、ロリータじゃないのに。

ここにいたって、いかに2007年のシェーファーの演技が凄かったかということを思い知るわけです。
ヘンゼルとグレーテルの両役が本当に子供らしく、歌い、演技してこそ、
スタート地点であるこの作品の童話としての魅力が初めて出てくるのであって、
この中途半端なグレーテルでは、それは叶わないことです。



歌については、ここまで、何とか耳に入って来たことをもとに書いて来ましたが、
これが限界です。
なぜなら、ヘンゼルとグレーテル2人が野に苺を採りに行く場面以降、
私のすぐ後ろに座っている少女が隣にいる父親をひっきりなしに質問攻め。
”パパ、あの緑のもの何~?””うん?木だよ。”
”パパ、あの人誰~?””うん?あれはね、サンドマンだよ。”
”あっ!何か床から出てきたよ!!あれ、何?””うん、魚だね。”
それも、ひそひそ声じゃなく、普通の会話の音量で。
ありがたい。字幕が要らないほどに、全てのディテールをこの親子が説明してくれるとは。

って、んなわけな~~~~~~~~い!!

もうですね、オケが演奏している音もまともに聴こえないくらいの騒音なわけですよ。
それもノン・ストップ。
ルイージが、オケから良い音を出している、、、、、のかな?
よくわからなーい!だって聴こえないんですもの 

駄目だ。このままこの座席に座っていたら、親子もろともグランド・ティアーから平土間に投げ飛ばしてしまいそうだ。
どうしよう。
と思ったら、後方別の方角からビニールのラップを開ける音が!



不動明王ばりの表情で振り返ると、そこにはまさに大口を開けてブラウニーを頬ばらんとする、
子供を連れた父親の姿が。
おそろしいことに、今日のこの公演では、いつものメトと、価値観が逆になってしまっているのです。
ここで、いきり立っても、私の方が頭のおかしい女と思われることはまず間違いがありません。

結局、インターミッションまで待って、近くのアッシャーに行き、
”別の座席を準備してもらえなければ、多分、嫌なばばあとなって周りを注意をしまくり、
皆さんの楽しい家族のひと時をぶち壊してしまいそうです。”と泣きつき、
とにかく、普通にきちんと音楽が聴こえる環境にしてほしい、
グランド・ティアーより安い座席になっても、
サイドのボックスのようなパーシャル・ビューの席でもいいから、と訴えると、
ほとんど満席だったのですが、ハウス・マネージャーが、
平土間の、通路に面した見やすい座席を準備してくださいました。
いつもながら、彼らの誠実な対応には、感謝いたします



おかげさまで、後半はじっくり鑑賞に集中でき、
ペルションの声に伸びが出てきて、彼女に関してはずっと良くなったんですが、
何か火がつかない公演というか、ラングリッジの歌や演技もルーティーン的な雰囲気が漂っており、
かつ、声の方も二年前より伸びがなくなったように感じたのが残念でした。
この演出においては、魔女役が突き抜けた演技をしないと逆にしらけてしまう。
ほんのちょっとした気持ちの変化がこうして観客に伝わってしまうというのは恐ろしいことでもあります。

ま、しかし、こういう日もあります。
年の初めに見る公演の内容で一年の運勢を図る初メト占いなんてものがあったとしたら、
”末吉”とか、そういう微妙な位置にいそうな公演です。

そうそう、露の精とサンドマンを歌ったモーリーとジョンソンの2人も、
昨年のオロペーザとクックのコンビより一回りスケール・ダウン。
ラストの子供達の合唱、これだけが2年前の公演をしのぐ美声で、健闘していた感じです。


Miah Persson (Gretel)
Angelika Kirchschlager (Hansel)
Rosalind Plowright (Gertrude)
Dwayne Croft (Peter)
Jennifer Johnson (The Sandman)
Erin Morley (The Dew Fairy)
Philip Langridge (The Witch)
Conductor: Fabio Luisi
Production: Richard Jones
Set and Costume Design: John Macfarlane
Lighting design: Jennifer Tipton
Choreography: Linda Dobell
Stage direction: J. Knighten Smit
Translation: David Pountney

Gr Tier C Odd / Orch S Odd
OFF

***フンパーディンク ヘンゼルとグレーテル Humperdinck Hansel and Gretel***