(写真:水俣病慰霊の碑にて 悲しいですが、しかし現実です。)
連合政策委員会「環境問題小委員会」にて熊本県へ視察
九州新幹線(つばめ)に初めて乗りましたが、その快適さは山陽新幹線以上の居心地を提供してくれました。新水俣駅到着後、宿に向かいました。
水俣に来るのは今回が初めてですが、小学校の時の社会科の教科書に掲載された「水俣病」イメージが先入観として拭えません。駅から7,8分位で急に視界が開けて不知火湾が一望できるとても景色の良い場所がここ水俣には存在します。遠くは天草から雲仙まで見ることが出来るそうです。
いま改めて「水俣病」とは?
1908年にチッソ工場が水俣にできて、化学肥料の生産を始めました。やがて日本の主要な化学工場となり、戦後の日本の経済成長を支える企業となりました。
しかし、チッソが水俣湾に流した水銀を含む有害な工場廃水によって、魚は汚染され、それを知らずに魚を食べた人たちは次第に体調が悪くなり、奇病や伝染病とされ差別を受けることになりました。国は水俣病が発見されてから12年後にその起因がチッソにあることを認めましたが、それから長い交渉と裁判を行うこととなりました。
現在の水俣市は・・・
環境に関する取り組みでは市民意識や行政対応などどれをとっても最先端をいく地方都市となっています。
釣鐘に書かれていた文章を紹介します
水俣病の犠牲になった全ての生命にお祈りします。
海や全ての生き物たちにお願いします。
海の者も山の者もそして街の者も
精一杯力を併せてこの海を守っていきます。
大事に大事に使わせてもらいます。