昨日に引き続き、
調子に乗って日本人について書いてみようかと。
察するということ。
以前の日記でもチラッと書いたことですが、
これまた日本人の美しい心の一つです。
お察しするに・・・や、
~をお察しいたします。
など物事の事情などを推し量ってそれと知る、もしくは推測をすることを、
察するといいますね。
英語にするとI guess とかI believeという言葉になりますでしょうか?
しかし察するということには、
I guess や I believeといった表現にはない意味が含まれています。
察すると言う言葉には、
相手の状況を自分に当てはめてみて(推し量るという部分)理解をすることで、
相手の立場になって考えることが前提なのですね。
なんとも日本人らしい素敵な考えです。
I guess や I believe という言葉には、
単に自分が考えるにという自分が中心なのですね。
相手の立場になって考える。
相手の心情を共有する心が察すると言うことの表れです。
今の相手の状況を考えると、
こうしてあげた方が良いだろう。
であるとか、
状況がこうなので、こうしない方が良いだろう、
とかちょっとした心遣い。
この察すると言う心、
そして心遣いは海外でもとても喜ばれることです。
しかし この察するという言葉は、
最近では滅多に聞くことがなくなりました。
聞く頻度が少なくなると共に、
この心も薄れてきているような気がします。
調子に乗って日本人について書いてみようかと。
察するということ。
以前の日記でもチラッと書いたことですが、
これまた日本人の美しい心の一つです。
お察しするに・・・や、
~をお察しいたします。
など物事の事情などを推し量ってそれと知る、もしくは推測をすることを、
察するといいますね。
英語にするとI guess とかI believeという言葉になりますでしょうか?
しかし察するということには、
I guess や I believeといった表現にはない意味が含まれています。
察すると言う言葉には、
相手の状況を自分に当てはめてみて(推し量るという部分)理解をすることで、
相手の立場になって考えることが前提なのですね。
なんとも日本人らしい素敵な考えです。
I guess や I believe という言葉には、
単に自分が考えるにという自分が中心なのですね。
相手の立場になって考える。
相手の心情を共有する心が察すると言うことの表れです。
今の相手の状況を考えると、
こうしてあげた方が良いだろう。
であるとか、
状況がこうなので、こうしない方が良いだろう、
とかちょっとした心遣い。
この察すると言う心、
そして心遣いは海外でもとても喜ばれることです。
しかし この察するという言葉は、
最近では滅多に聞くことがなくなりました。
聞く頻度が少なくなると共に、
この心も薄れてきているような気がします。
相手の立場に立って思いやる心を『察する』ことならば、心そのものが崩壊の危機に直面してるのかも知れません。優しさがないわけではありません。人の痛みや、これをこうしたら、こうなる、という想像力が失われているのだと思います。イマジネーションが欠落したら、もはや日本人としてのアイデンティティが危なくなる!というのは言い過ぎでしょうかね。
あっという間に1月も後半ですよ。
小浜、もといオバマ大統領には国民の相当な期待と希望がありますが、誰が大統領になったとしてもこの危機的な状況を脱するのは至難の業。
駄目もとで全力で頑張って欲しいですね。もしかしたら良い方向に進むかもしれない?!
え~と、私の読解力が足りないのでコメントして頂いた後半部分が少々理解ができているか心配です。
今度お会いしたときにどのような意味で書かれたのかお聞かせください。
『察する事は相手の立場で物事を考える事 →相手の立場で想像する
・・・・その想像力が働かない →察する事が出来ない →日本人の特徴のひとつだったのでは? →日本人としてのアイデンティティの崩壊の危機か?』
位のちょっと強引な論法でした! o(^-^)o
察すると言うのは日本人独特な性質な気がします。
大事にしたいですね!
察すると言うのは日本人独特な性質な気がします。
大事にしたいですね!
「察する」って日本人の素敵な文化ですよね
確かに察するという言葉は最近では滅多に聞かなくなりましたね・・・
少し前に流行った若者言葉「KY(空気読めよ)」
空気を読む=周囲の状況、相手の反応に応じて相応しい行動や言動をとること。
これって、察する文化に通ずるものだと思いません?
KYって言葉はちょっと軽いですし、あまりいい言葉として使われていないですが、
「察する」は今でもちゃんと日本人の心であり、これからもそうであって欲しいですね
kanakoさんのブログも度々拝見させていただいていますよ!ジェネレーションギャップのお話は思わず、「あ~、あるある!」なんて思いながら読ませていただきましたw。
なるほど、KY。
確かにそうですね。空気を読むというのも正に察するに通ずることですね。
ちょっと今思ったのですが、察するという使い方は文章中で、「辛い状況であるかとお察しいたします」のように、完全に見えない状況の相手の立場を考えて物事を考えると言うとても高度なコミュニケーションスキルで、空気を読むと言うのはその場の雰囲気を考慮する(相手が一人ではなく複数の状況もありえる)ことなので、これまた高度なテクニックですね。
KYはどちらかと言うと欧米的な感覚かも?!なんて思ってみたりw。この場の雰囲気をよくしようと思うのは米人、並びにヨーロッパ人が得意とすることで、he is not tuned in とか同じような意味を表す表現はあります。
どっちにしろ 察する や 空気を読むという 相手のことを考えた言動や行動は思い遣りがあり良い文化ですね。
と書いている私もたまに酔った時とか思いっきりKYなことや人の按配を察することができなくて自己嫌悪に陥ることが度々ございます。。。^^;まだまだ精進が足りませんw。