この記事は2022年1月に書いたものをずっと公開せずに温めていたもので、この度公開することに致しました。
先日ある方にメールのお返事をしていてふと気がついた事がありましてね。
以前から一部の日本人の異常とも思える食への執着心を気持ち悪く思っていて、でもはっきりとした理由が自分でも分っていませんでした。でもメールを書いていて、あっそうだと気がついたのです。
私も美味しい物は好きですし、不味い物を食べるなら美味しい物を食べたいのは当たりまえ。飲食店で不味いもの食べた時には人生の内の一食を食べる時間を無駄にしたと後悔すらします。でも大金を出してまで豪華な食事をしようとは思いませんし、美味しい物を食べたい!!などと言う強い思いは無く、愛情のこもった料理でちゃんと出汁をとった美味しい味噌汁でも あぁ幸せと思います。
食への欲求というのは人間の三大欲求の一つである通り、多くの人にとって重要な位置づけ。人は食べなければ生きてはいけません。ただその欲求は尽きる事無く麻薬のように更に美味しい物を食べたいという欲求へと変わり、空腹は満たされても美味しい物を食べたいと言う欲求は永遠に満たされることがありません。
食から得られる美味しいと言う感覚は言わば快感のような物で、人間は一度覚えた快感を繰り返したくなりますし、その快感を繰り返せば慣れて快感を味わえなくなるのでより強い快感を得たい欲求に肥大します。そしてその食から得られる快感は一時的なもので、その食べている瞬間にしか得ることができません。なので過度に食に重きを置く人は不幸なことに一生幸せになれない可能性があります。また薬物の如くお金をつぎ込み続けるので大変コストパフォーマンスの悪い幸福感の得方だと思います。
幸せとはその現状に幸福感を感じられることで、その幸福感を感じるハードルが低い人ほど幸せな状態が続く。そんな小さな事で幸せだなんてちっぽけな奴なんて思う人間もいるでしょうけれど、小さな事に幸せを見いだせる人ほど幸福感が高い気がします。
日本人の幸福度が世界的にも低いと統計的に出たそうですが、日本は世界を見渡しても大変恵まれた国。欧米諸国に憧れて、あ~アメリカって素晴らしいなんてついつい良いところを見てしまいがちですが、貧困も有り差別も有りドラマや映画のような世界なんてほぼ虚栄の世界。現実はそうでもないのです。
何故食の話しをしたかと言うと、一部の日本人の食への異常なまでの執着心は食はお金さえ出せば容易に得られる薬物のようなもので、薬物同様 食から得られた快感はその食事が終れば薄れ、反動で気持がプチ鬱状態に陥りやすく、それを打破するためには再度同じか更に美味しい物を食べたいと言う欲求から抜け出せなくなってしまう危険なトラップで、人を一時的には幸せにはできるけれど、それは極一時的な幸福感であって本当の幸せではない。
日本人の幸福感が薄いというのはこの短絡的な一時的な快楽を追い求める傾向に一部起因しているような気がします。勿論他にもありますが。
まだ海外の観光客が日本に沢山来てくださっていた頃、弊店にいらした海外からの観光客に日本に来た感想を聞くと、何割かは食を主目的にいらしている方々がいらっしゃいました。そう この日本人の食への欲求は日本の食文化を飛躍的に向上させミシュランの☆の数では世界的にも日本が一番多いと聞きます。
そんなに美味しいレストランが日本に多いのに、日本人の幸福感が世界的に低いのはやはり食のレベルは人間の求める幸福感とは違うと言う事。日本人に欠けているのは自分たちが恵まれた環境にいるにも関わらず、そのことに気がつくことができない心ではないでしょうか。勿論日本にも悪いところは沢山あります。でもそんなのは他国も同じで完璧な楽園なんてものはこの地球上どこにもない訳で、そもそもこの世に生きると言う事は人生を通しての生存競争と学びなんじゃないでしょうかね。少なくとも他の生きる動物達は逞しく生きています。
ツイッターを見ていると不平不満ばかりをつぶやく人達のツイートを良く目にしますが、不平不満のようなネガティブなオーラには同じような不平不満を抱えた人達が群がり大きなブラックホールのようにネガティブな塊を形成してしまいます。勿論間違ったことに意見することは大切ですが、他人への理不尽な攻撃は見ている方も不快です。
それより小さな気づきと喜びは人の感性を育て、そして幸福感をより増幅させてくれる気がします。このお出汁美味しいな♪あっ、道端に花が咲いてる♪ そんな小さな幸せが人生をより楽しく凄く奥義のような気がします。
そして幸せでない人が食へ走るという傾向はこれに関係する気がします。
まぁあくまでも個人的な見解ですがw。