Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

帰属と呪縛

2007-01-13 23:17:45 | 業務関連


今日は大型の写真集や図録などを中心に、2束ほどの本を古書日月堂へ持ち込み、とりあえず査定していただく。なにしろ部屋が狭いので、今後の制作に資する本以外は蔵書を整理することとしたのだが、お世辞にも保管状態がよいとはいえない本ばかりなので、実は迷惑をかけてしまったのではないかと、いささか後ろめたい気持ちになる。



それにしても、本当に恥ずかしい話ではあるのだが、自分は古書日月堂サイトにある年頭の挨拶を音読できない。
それも、ちょっと突っかかるととこがあるとか、そういうかわいらしい話ではなくって、半分も読めないのだから本当に救いようがない話である。
毎日新聞によると、日ごろからインターネットばかりやっている人間は「人間としての程度が極めて低い」そうだが、まぁ問題の逆切れ文芸部記者氏も、さぞかし日ごろからネットに接していたのだろう。
それにしても、インターネットって「やる」ものなのかしらん?



さておき、夕方には知人と合流して、夕食をご馳走になりながら、だらだらと世間話をする。
幸か不幸か、いや多分に幸運なことなのだが、自分は帰属意識とかなんとか、そういった類のものにはほぼ全くといってもいいほど鈍感で、 かつ他者がどこのナニに帰属していようがしていまいが、さして気にも留めない人間なのだが、それでも知人の話にはいささか理不尽なものを感じざるを得なかった。
まぁ、話の取っ掛かりからして毎日新聞の理不尽で扇情的なWEBバッシングだったのだが、知人自身もまたお世辞にも合理的とは言えない問題に直面していた。ありがちな話だが、知人は同人あがりの商業作家なので、商業的に見込みの無い企画のいくつかを、同人もしくはWEBで展開しようと考えた。
ただ、いちおうは知人が持ち込んだ企画でもあったので、念のため最初に持ち込んだ編集者にお伺いを立てたところ、なぜか反対されたのだという。もちろん、持ち込んだとはいっても最終的に却下された企画であり、編集者は企画を拘束できないのだが、ともかく「そういうことは作家としてよくない」の一点張りで、口調や態度は穏やかだったものの、最後までその編集者は反対し続けたという。



これは、編集者が作家の独自行動に反対することで、作家の帰属意識や規範意識を高めようとしたと見て、さほど問題にはならないだろう。ただ、知人は当該編集部への帰属意識や規範意識が薄かったため、双方に肯定的な結果をもたらさなかったが、もしも知人が作家としての個人よりも集団への帰属や規範を重視する人間であったら、あるいは個を主張しつつ集団的思考へ埋没する個別主義者であったなら、恐らくは編集者の意に従って同人誌への企画転用を撤回したか、そもそも最初からそんなことなど思いつかなかったかもしれない。



作家とは、基本的に「個を主張する立場」に身を置いていると思うが、そうは言っても完全に個を個として生活することは不可能といっても過言ではない。近代的自我と前近代的集団意識とを対立的に論じるのはたやすいが、完全に個を個として生を全うするどころか、そのような生き方を目指すことさえ、多くの人々にとっては極めて苦しく、かつ困難なものらしい。
そして、実際には個を個として主張しきれない、どこかで組織に寄りかかりたい人が多いというか、ほとんどの人はそうらしい。もちろん、だからこそ編集者は知人が企画を同人転用することに反対し、知人もまた多くの人々と同様に組織への帰属意識や規範意識を高め、知人個人よりも組織の発展に寄与しうる企画を考えるように仕向けたのだろう。



まぁ、そんなわけだから「近代的自我なんてのは西洋文明が押し付けたまやかしで、日本の風土になじまない」などという、あまりの脳天気ぶりに悶絶しそうな自虐コントを、それもよりによって近代的自我の申し子であるWEB空間で発信するという、ある意味ではゼロ次元も真っ青のハプニングが展開されているのだが(WEBでその種の言説を垂れ流している連中は、大衆的で保守的で反革命的で規範的で、しかもナイーブな美を嗜好している点において、文字通り「鏡の国のゼロ次元」といえるかもしれない)、かといって本当に前近代的集団意識というかムラ社会というか、そういうリアル息苦しい社会に順応できる人がどれほどいるかというと、それまたはっきり言って大いに疑問なのだが、少なくとも作家なんて因果な商売に手を染めない限りは、ぼちぼちうまいことやっていけるのかもしれん。



ちゅうか、近代的自我を究極まで推し進めると、実は前近代的集団意識へ還元されるのではないか、それはパトリック・シルベストルのたどった道なのではないかと、そんなことを考えてもしまう(えらそうな口を叩いているが、自分は『初期革命評論集』も『戦争と革命への省察--初期評論集』も読んでませんし、童貞でもありません)。
個人的には、個とは近代的自我でもあり、前近代的集団式でもありという、なんとも煮え切らない、宙ぶらりんの状態が、実は最も自然で居心地のよい状態なのだろうと思うのだけど、なんかそういう宙ぶらりんにも耐えられない人が少なくはなさそうで、なんだかしょぼぉ~んな気持ちですよ。