変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




別に縁起を担ぐ方ではないと思う。そもそも「縁起」って何だ?
本来的な意味は兎も角、類似した事象を繰り返し発生させる要因だったり
きっかけだったりする何物かのことを指すのだろう。ここではそう定義する。

「縁起」の根拠は希薄だと思う。
敢えて理由付けするなら、こんな具合か。
精神的にある程度成熟した人間は、精神に変動を来たす事象に遭遇した
時、その内容が類似していれば類似した行動を起こす。精神的な「反射」と
言ってもいいかもしれない。結果的に、その精神活動に伴った行動も同様
のものになっていくのだろう。
スポーツ選手が、縁起を担いで髭を剃らない、なんて話はよく耳にする。
この行動を上記理由に当てはめてみる。例えば、不調かあるいはより上を
目指すべき状況下に置かれたとする。その時、選手たる者は一心不乱に
練習に励むことだろう。髭を剃る暇も惜しむか、そんなことに注意を払わな
くなる位に。その賜物として、不調からの脱出や成績の向上という結果が
訪れる。つまり選手が、自らの成績を向上させなければならないと精神的に
追い詰められた時、彼は「猛練習」という行動を起こし、結果的に髭が伸びる
訳である。

今月は車を買い替えた。
振り返ってみると、大学3年の時に初めてマイカーを購入した時以来、6台目
になる。最初の一台は除き、欲しい車を買って来た。勿論、買える範囲で。
どれも安い買い物ではない。何がきっかけで、何の衝動で購入を決意したの
だろう?
今思えば、生活の根底が脅かされそうな心理的プレッシャー、といったもの
があったように思う。
1台目は親父を亡くした頃。2代目は、研修が終わっていよいよ実社会に躍り
出た時。3台目は、面倒見が良く優しい上司の元を離れた時期。4台目は、
おいらが培って来たスキルが通用しない分野へ挑戦した時代。そして5代目
は、会社的に「お前使えねぇから辞めろ」的プレッシャーが最高潮に盛り上が
った時。

と言う訳で、過去からはネガティブな時に車を買い替えていたことが窺える。
さてさて6台目が来月に納車される現在、現状はおいらにどんなプレッシャー
を与えているのか。
常に追い込まれてはいる。当然。だが、常日頃と今の何が違うのかが分か
らない。後になって振り返った時にしか理解できないものなのかな。

何かやばいんすか。今のおいら。
心に問うてみる。

結論。
分かんないこと考えてもしょうがねぇ。
今までも結局は乗り越えられたんだから、車が縁起物だったってことで。

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