美術と本と映画好き...
徒然と(美術と本と映画好き...)




医学と芸術をキーワードにいろんなものを並べています。絵画、彫
刻、映像、インスタレーション。それらに対峙させて医療器具、解
剖図、図鑑などなど。見せることを意識した作品と、使うこと、記
録することを目的とした実用品が、お互いの領界を侵しなから整然
と並べられています。

第一部 身体の発見
本展の白眉はレオナルドの『頭蓋骨の習作』。とても精緻に描かれ
た頭蓋骨...丸みを帯びた質感までを描写するペン先からは美学が感
じられます。

応挙の『波上白骨座禅図』や河鍋暁斎の『骸骨図』を横目にやや刺
激的な展示室へ入るとエコルシェがたくさん...

エコルシェは人物画や絵画、彫刻において、皮膚を除いて筋肉を表
しているものを言うそうです(エコルシェ - Wikipedia)。

筋肉をも剥がれてしまった骨たちが、踊っていたり、動物と一緒に
ポーズをとっていたりします。動物とともに描かれた骸骨はまるで
見せ物のようなのですが、そのイメージが脳内でアベドンのモノク
ロームの写真と重なってきます。

注)展示作品ではありません

なんだか見せ物とエレガントなモデルの境界がゆらゆらしてきたと
ころに解剖を取り囲むひとびとの版画、そしてそれを見せ物にして
いた頃があるというキャプション...

当たり前でないものが当たり前のものとされる世界にくらくらしつ
つ、では、私が当たり前に思っているものは、いったいいつまで当
たり前なのだろうか...?

そんな自問自答にぐるぐるしてきます...

第二部 病と死との戦い
狩野一信の毒々した『五百羅漢』脇にはダミアンハーストが描いた
『外科手術』のスーパーリアリズム。ダミアンはストレートなペイ
ンティングも描くのだな。

その脇には貞操帯や治療器具やエベレストに持って行かれた救急箱。
さらには体の中に電流を流すための小さな檻(!?)。それらが整然
と並べられる様子...
# ヴァルター・シェルスの写真、『ライフ・ビフォア・デス』は
# 撮られなければならないものなのかなぁ...?

第三部 永遠の生と愛に向かって
ヤン・ファーブルの『私は自分の脳を運転する』。学生の頃のサー
クルの先輩で、自分のことを競馬の騎手に例えた人がいました。そ
の人の感覚では肉体は馬、それを操る精神は騎手なのだということ。
この作品にも同じような感覚を感じたのですが、運転している私の
脳は誰に操られているのだろうな...

老いの立体二つ。ジル・バルビエの『老人ホーム』とパトリシア・
ピッチニーニの『ゲーム・ボーイ・アドウァンス』。現代に突きつ
けられた歪んだ老い...
# 私は自然に枯れたいなぁ...

それにしてもピッチニーニなんてかわいい名前だけど、あぶない人...
パトリシア・ピッチニーニのサイト

最後の展示室は外が望める白い空間です。外の風景を背景にした
銀色に輝く横長の『クリムソンクイーンメイプル』がいい感じ。
で、近づいてみると枝先に実をつける、自意識の、罠...

他にも遺伝子を操作した作品や脳波で動く車イスなどなど...

あきらかに美的であるレオナルドのドローイングから、ほとんど似
非科学(というか似非美術?)の緑の兎まで、こちらの感覚をビビッ
ドに反応させる危ない展覧会です。

私は人にはすすめません。

医学と芸術展 (森美術館) - 2010/2/28

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