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空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

映画『ジプシー』

2022年08月18日 23時00分00秒 | 映画関係

[旧作を観る]

公開時、観た映画だが、
なぜ今回観ることになったかというと、
メルカリに演劇プログラムのセットを出品したら、
常連さんが購入してくれ、
おまけとして、「ジプシー」のアメリカ版プログラムを付けたところ、
その人が「ジプシー」のファンで、大変喜んでいただけた。
で、ベット・ミドラー版の「ジプシー」のサントラを聴いているうち、
映画を観たくなり、
ツタヤDISCASにあったので、
取り寄せ、DVDを観た次第。

ブロードウェイ・ミュージカルの映画化。

原作は、アメリカン・バーレスクの大スターだった
ジプシー・ローズ・リーの回想記。

ジプシー・ローズ・リー(1911~1970)は、
アメリカの伝説的なストリッパー。
女優として映画やテレビにも出演し、
マイク・トッド、オットー・プレミンジャーらと浮名を流している。
また、作家でもあり、1957年に回想録「Gypsy: A Musical Fable」を出版、
それ以外に推理小説も執筆している。
母ローズは1954年に結腸癌で死亡、
これで訴訟される危険を冒さずに自由に書くことができるとして、
1957年、回想録を執筆
1970年、肺癌でロサンゼルスで死去した。

この回想記に基づき、
「ウエスト・サイド物語」のアーサー・ローレンツ
1960年にミュージカル化。
主演の母親役はエセル・マーマン
トニー賞では作品賞・主演女優賞・助演男優賞・助演女優賞・演出賞・装置賞・衣裳賞
などにノミネートされたが、受賞には至らなかった。

その後、1975年にはアンジェラ・ランズベリー
1990年にはタイン・デイリー
2008年にはパティ・ルポン主演で
古典的名作として繰り返し上演され、
そのいずれの時もトニー賞のミュージカル部門主演女優賞を獲得している。
つまり、この母親役は、女優としては、やりたい役、おいしい役なのだ。
日本では草笛光子MIE鳳蘭宮沢りえの共演で
2度上演されている。
その後、ベット・ミドラー主演でテレビドラマ化もされた。

舞台初演の翌年、1962年に映画化。

序曲は本物のオーケストラボックス。

俳優のトップはロザリンド・ラッセル。


当時の大スターで、
このミュージカルの実質的主役は、母親役だからトップにクレジット。

二番目はナタリー・ウッド


「ウエストサイド物語」(1961)の次の作品。

三番手は、名優のカール・マルデン

タイトル。

作曲はジュール・スタイン

作詞は「ウエストサイド物語」のスティーヴン・ソンドハイム


後に作曲もするようになり、
ブロードウェイの大御所になる人。

オリジナルの振付として、ジェローム・ロビンスの名が。

脚本はアーサー・ローレンツ

ジプシー・ローズ・リーの名前も。

そして、監督はマービン・ルロイ

ボードビル華やかなりし、1920年代の初期。
ステージママのローズ(ロザリンド・ラッセル)は

娘のジューンををスターにするのに懸命だった。


姉のルイーズ(ナタリー・ウッド)は、
その妹の影になって目立たない存在だった。

俳優のハービー(カール・マルデン)をマネージャーにし、

全国をジプシーのように旅する毎日。


娘のジューンとルイーズは
学校にも通わせてもらえない。


一時はジューンを人気者にすることに成功したが、
トーキーの普及でボードビル(演芸場)が次々と閉鎖し、
出演機会は次第に減っていった。
加えて、二人の娘の成長があった。

「ベイビー・ジューンと仲間たち」という演目は、
娘の年齢に合わなくなり、
古くさく、観客の需要に耐えられなくなっていたのだ。

演目がワンパターンで、
焼き直しの連続、というのも笑わせる。

いつまでも子ども扱いする母親に反抗して、
ジューンは一座の男性と駆け落ちしてしまう。
他の団員も退団するという。
今こそハービーと結婚して、
ショービジネスから足を洗ってくれることを望むルイーズだったが、
ローズは、今度はルイーズをスターにするという夢を持つのだった。

ここまでが前半。
舞台では、ここで休憩が入る。
アンジェラ・ランズベリーがトニー賞の授賞式のパフォーマンスで
この場面を演じていたが、
かなり盛り上がり、
主演女優賞も納得の仕上がり。

なお、途中で別れた妹(ジューン・ハヴォック)も、その後、女優になった。

新たに若い娘たちの髪をブロンドに染めて出直した一座だったが、
ルイーズはジューンのようにうまく役がこなせない。
オファーは少なく、ホテル代をうかせるためにテント生活をする有り様。

最後に行った劇場は、
連絡の手違いでストリップ小屋(バーレスク)だった。


「警察の目を誤魔化すために出演させた」との話。
それでも1週間の契約をこなす。

↓は、ストリッパーがルイーズに手ほどきする場面。

コミカルな場面で、舞台では大受け。
後にジェローム・ロビンスの振付のアンソロジー、
「ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ」の中にも入っているから、
評判だったに違いない。

どん底の行き着くところまで来たと、
さすがにローズは気落ちして、
ハービーとの結婚をする気になったが、
出演不可能になった踊り子の代役を要請されると、
金に目がくらんでルイーズを舞台に出すことにしてしまう。
娘にストリップをさせるなどと、
さすがに怒ったハービーは、結婚を破棄して去ってしまう。

ここからが、このミュージカルの最大の見せ場

衣裳を付け、鏡の前に立ったルイーズは、
自分が美しいことに初めて気づく。

無理やり舞台に立たされたルイーズだったが、

ここで意外な才能を発揮して、
ストリッパーとして大受けに受けてしまう。

そして「ジプシー・ローズ・リー」という芸名に変えたルイーズは、
瞬く間にスターに上り詰め、
次々と各都市の劇場に進出、

(デトロイト、フィラデルフィアと都市を上がるにつれて、
劇場が良くなり、衣裳が豪華になり、
音楽も洗練される。
そして、ルイーズの所作も自信に満ちたものに変わる。


なによりナタリー・ウッドのスタイルの良さが輝く。
なお、ご心配の方もいるかと思うが、
ナタリー・ウッドはヌードにはならない。
水着程度の衣裳をつけた、おとなしいものである。)

最後はニューヨークの舞台にまで立ってしまう。
終幕は、その劇場の楽屋。
豪華な楽屋を与えられ、
メイドまでついたルイーズは、
ようやく母親の庇護から逃れたと思っていたのに、
まだ母親は干渉しようとする。
激しく口論する二人。

その後、ローズは、終演後の舞台に立ち、


真情を歌いあげる。

それを見守るルイーズ。
ようやく母子の和解はなったのだ。

1963年のアカデミー賞で、
撮影賞、編曲賞、衣装デザイン賞にノミネート。
ゴールデングローブ賞では、
ロザリンド・ラッセルが最優秀主演女優賞を受賞。
ミュージカル作品賞、最優秀主演男優賞(カール・マルデン)、
最優秀主演女優賞(ナタリー・ウッド)、
最優秀監督賞(マービン・ルロイ)にノミネート。

背景に時代の変化に対応出来ない旅回りの一座という、
「滅びゆく者」の悲哀があり、
母親の果たせなかった夢を子どもに託する理不尽さがある。
そして、母娘の葛藤
古くは感じるが、いつの時代にも通じる普遍的なテーマを内包する。

私はこのミュージカルが好きで、
公開時、2度観ている。
1963年4月6日、渋谷宝塚でと、
同年6月13日、武蔵小山バラ座で。
そして、74年には渡米先ワシントンDCの
ケネディー・センターで、
アンジェラ・ランズベリーの舞台。
また、日本では、
1982年、三越ロイヤルシアリーでMIEのもの、
1991年、新宿厚生年金ホールで宮沢りえの舞台も。

やはり最高はアンジェラ・ランズベリーの舞台で、
初めてルイーズがバーレスクの舞台に立つ時、
幕の内側と外側が一瞬の間に入れ変わる演出が素晴らしかった。
そして、ルイーズが
「マイ・ネーム・イズ・ジプシー・ローズ・・・リー!」
と言いながら、新しい自分に目覚めていく心境の変化
よく演じられていた。
ラストは映画では、二人が肩を組んで退場するが、


DC版では、ルイーズを先に行かせて、
ローズが少しだけ残って、
自分の敗北を悟るような寂しげなアンジェラの所作が印象的だった。

ところで、風営法と同法施行令で、
ストリップ劇場については、
「性的好奇心をそそるため衣服を脱いだ人の姿態を見せる興行」
(法第2条第6項第3号)というのだそうだ。
笑える。

 


レンホウという病

2022年08月17日 23時00分00秒 | 政治関係

参院選で議席を減らし、
惨敗を喫した立憲民主党の「反省会」として
7月25日に開かれた拡大両院議員懇談会で、
蓮舫参院議員が泉健太代表に詰め寄ったという。

「あなた、街頭演説で100人聴衆が集まったことがあるんですか?」
「私も候補者だったんです。
全国の応援に回っている間、
自分の票がどんどん減っていると思い不安でした。
党は私に何をしてくれたんですか!」

6年前、東京選挙区で蓮舫は117万票のトップ当選だった。
ところが今回は67万票で、
50万票も減らし、4位に終わった
(当選は6位まで)
そのことで焦っているらしい。

だが、議員懇談会は、
敗北を反省し、改善して、
今後どうするかを検討し、
党代表を中心に一丸になって再出発する場のはず。
それを、自分の票が減ったからといって、
執行部を批判するとは。

街頭演説で100人聴衆が集まったことを自慢しているようだが、
だから、どうだという。
大体、100人だなんて、少なくないか?
党の代表代行だったこともある人だ、
地方議員の応援に行くのは当然だろう。
それを「党は私に何をしてくれたんですか」って、
一体、何をしてほしかったんだ。

これに対しては、同僚議員たちの感想が厳しい。

「民進党時代には代表まで経験したベテランなのに、
まだ一候補者みたいなことを言っているのかと呆れました。
そもそも蓮舫さんのああいう態度が、
党勢低迷の一因になっている自覚がない」

「ヒートアップする蓮舫さんに、皆引いている。
結局、あの人についていこうという議員はほとんどいない」

報道陣も見守っている公的な場所で、
執行部を舌鋒鋭く感情的にキャンキャン非難する。
常に自分が正しいと、傲慢に上から目線で見下す。
奥ゆかしい日本女性とは思えない。
あっ、そうか、この人は元々日本人ではなかったんだ。

それにしても、他の議員たちで、
この人の発言をたしなめる人はいなかったのか?
こういう人を抱えていること自体、
立憲民主党の票が減るのは当然という気がする。
いわば「レンホウという病」を抱えているわけで、
類似の病気に、長い間世話になった社民党を見捨てて
立憲民主党に移り、
衆議院で落選した途端に
参議院に鞍替えして、
比例で当選しながら、
執行部批判をする「辻元病」というのもある。

いずれにせよ、
立憲民主党は、こうした病巣を抱えている間は、
回復は難しい。

この発言に対して、ネットの投稿は、厳しい。

○本当に最悪な発言だと思う。
彼女が今まで衰退してきた本当の理由は
このような発言や姿勢が国民に露骨に伝わるからではないか?

○つじもとさん、あなたは比例で当選したんですよね、
あなたの力ではなく党の力ですよ、
当選させてもらった執行部批判て
どういう性格してんの?
こんな党には国民は期待できない。

○蓮舫さんや辻元さんが目立つ話題の時だけ
大声で反対したりするから支持率が落ちてしまったのだと思う。

○蓮舫議員が自分の票数が少ないのを
党のせいにするのはお門違いなのではないか。
また辻元議員は比例だから
自分の力で復活できたわけではない事をよく覚えておいたほうが良いと思う。
この方たちが女性議員のイメージを悪くしているのではないかな。

○不満があるのなら、立憲から出るべきでは。
身内同士で、怒鳴りあっていて何一つ変わるはずがない。
国民からなぜ支持を得られないのか。
よく考えるべきです。

○この方は人間的にも政治家的にも全く成長が見られない。
反省すべきは自身の発言であったり発信であるということに
気付かなければならないのに。
このような方が所属議員としている限り
立憲民主党は野党としても政党としても
存在価値がないと思う。
日本の悲劇のひとつは
このような存在意義のない野党しかないということにもあるのでは?

○立憲民主の中でこの人が目立っているのは唯声が大きいから。
政権にあった時まず行った事業仕分けで迷言を残し、
そこから国民の期待が失望に変わり始めた。
政治の勉強より先に、人間としてどうあるべきかが重要だ。

○執行部や代表の責任を追及した所で何も変わらないと思います。
なぜ立憲に票が集まらないのか?
大きな要因として政策そのものが弱く、
質疑の場でも政策のぶつけ合いでなく、
政府の案に批判から入り、
代案が弱く逼迫した国民生活の打破に結びつくとは思えない事だと思います。
また蓮舫氏の言動や振舞も良い物だとは
手放しで言えない事にも大きな要因があると思われます。

○蓮舫氏は知名度があるため一定数支持する人がいますが、
彼女の言動に反感を持っている人の方が圧倒的に多いと思います。
蓮舫氏の存在が立憲民主党の支持率を押し下げているのです。
参議院選の敗北の責任は執行部以上だと思います。
しかし、傲慢で他責的な彼女がそのことを認めることはないでしょう。

○己の立ち位置をまるっきり無視し自己中心的に語るこの姿勢は
政治家としては不向きと思う。

○蓮舫氏や辻元清美氏など問題を指摘されている人物を
野放しにしてきたのだから、
それによって票が離れていくのは当然だし、
抑えることもできないくらい増長させてしまった。
執行部を一新したといいつつ
問題議員の発言を大きいままにさせていたのだから
党内運営の限界が透けて見える。
党内も抑えられない連中が
国政をうまく運ぶことなどできないのは自明の理。

○敗因理由を蓮舫自身は自分自身が行なってきた行為にあることが
わかっていないのかもしれません。
騒いだ割には対案は大した事なく、
批判する割には身内議員の不祥事追及は甘く、
口は達者ではあるが現場を知らない理想論で政治を行おうと思ってる。

○そもそも、立憲民主党の衰退への道筋は、
蓮舫や辻元が執行部にいた時代に出来上がったと、
誰もが思っているのではないか。
自分たちがしたことを棚に上げて、
自分の人気がなくなっているから衆議院選で落選するし、
今回の参議院でも票を減らすし、
全て自業自得なのに、自己反省もなく
現執行部に欲求不満をぶつけるみたいに糾弾?
この人は何様なんだろう。
こんな党に国民の支持が集まるわけがない。
常に自分を正当化し、相手をヒステリックに詰問するようなおばさんは、
もうこりごりである。
後ろをみたら誰もついてきていないということに気付くのも時間の問題であろう。

○結局、党内でも人のせいにする体質なんですかね?
政党支持率や得票数、政策、公約の実行率等を検証・評価した上で
前向きに対策案を掲げて冷静に議論したら良いのに、
感情的になって自らの反省点を精査せずに人のせいばかりだと
当選すら危うくなると思います。

○立憲民主党は過去の社民党のように
選挙ごとに議席を減らして行き最後は消滅してしまうでしょう
票が激減するのは
多くの有権者が見放していると言うことに外ならない

○選挙活動の結果が選挙結果。
票数が伸びなかったのは、政党の責任よりも
候補者としての魅力が減ったことですね。
それを理解しないで、党の選挙対策を責めても意味が無いですね。

○立憲の選挙戦で一番目立っていたの言うまでもなく辻元であり、蓮舫だ。
この2人が謂わば立憲の選挙戦の顔であり、
相変わらず旧態依然とした批判と揶揄のオンパレードだったから
立憲は参院選に惨敗したのだ。
実際に蓮舫はかなり票を減らし下位当選に甘んじている。
事実上党の方針に反し提案型を放棄した故の下位当選であることは
多くの有権者の思うところだが…。
然るに蓮舫は、自分が立憲の足を引っ張った自覚がなく、
平然と党執行部を突き上げている。
蓮舫がいる限り立憲の蘇生は有り得ない、改めて思う次第だ。

 


小説『錦繍』

2022年08月15日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

1977年に「泥の河」でデビューした宮本輝
1982年の作品。
つまり、宮本輝の初期作品。
友人から薦められて読んだ。

「蔵王のダリア園から、
ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、
まさかあなたと再会するなんて、
本当に想像すら出来ないことでした」

という書き出しからあるように、
10年前にある事件で離別した元夫婦の再会の場面から始まる。

変わり果てた男の姿を見て、
自分でも分からない感情に突き動かされた女は
男に手紙を書く。
しばらくして男の返信があり、
往復書簡が続く。
今となっては珍しい、2人の書簡形式の小説
メールもスマホもない時代、
遠隔地の者同士は、手紙という形式でつながっていた。
私の経験でも、好きな人に出した手紙が
着くまでに何日、相手が返事を書くのが何日、
投函され、着くまでが何日、
と指折り数えて、胸をときめかせて時を刻んだ。
今のように、メールが届くと即座に返事が来るようなのとは、
時代が違う、大らかな時の流れに身を任せていた時代だったのだ。
書簡体文学のこの作品は、
書かれた昭和57年(1982年)だからこそ成立したともいえる。

その書簡の中で、
10年前の事件とは何であったか、
どうして、別れなければならなかったか、
が明らかになる。

再会した二人はどちらも幸福ではない。
女は大学助教授と再婚したが、
知恵遅れの子どもが生まれ、
その子どもを一人前にすることに生涯を懸けている。
夫は教え子と浮気している。
男は元妻の会社の後継者の地位を追われ、
職を転々とし、
借金取りに追われ、
今は女に養われている。

その二人の往復書簡の中で、
過去がさらされ、
未来への曙光が見えたところで書簡は終わる。

30代の男女、
不幸にして別れてしまった人生のほころびを
もう一度織り直そうとする努力。
男も女も魅力的で、
女の父親の建設会社社長、
近所の「モーツァルト」という喫茶店のオーナー夫妻、
男の少年時代の初恋の人で、
事件を起こすことになる女性、
そして、今男がやっかいになっている無学な女、
それぞれが魅力を発揮する。
事件と二人の関係を通じて、
人生や人間の業(ごう) が綴られるのは理解できる。

女がモーツァルトの音楽を聴いて寄せる、
「生きていることと死んでいることは同じようなことかもしれない」
という述懐は、
私には、着いていけなかった。
生きていることと死んでいること
はどう考えても違うので、
宮本輝の語るその境地には到底到達できない。
モーツァルトの音楽を聴いて、
そんな考えに至る人がいるとは。
まして、「宇宙のからくり」「生命の不思議なからくり」などとは。
別にモーツァルトの音楽を持ち出すこともあるまい。

「錦繍」(きんしゅう)とは、錦と刺繍を施した織物のこと。
人と人のつながりが織り重なり、
美しい織物になる。
そんな意味を託している。

しかし、既に円熟の手腕の筆で、
読み手をそらさず、
最後まで読ませてしまう力量は、さすが。
終わりのあたりは、やはり胸を打つ。

2007年に、舞台化されている。

 


映画『プアン 友だちと呼ばせて』

2022年08月14日 23時00分04秒 | 映画関係

[映画紹介]

「プアン」とは、タイ語で「友達」
原題は「最後に、さようなら」で、
英題の「One for the Road」は、「最後の一杯」という意味。

ニューヨークでバーを経営し、
自らもシェーカーを振っているボスの元に、
タイで暮らす親友のウードから電話が入る。
白血病に侵され余命宣告を受けたので、
頼みたいことがあるという。
ボスにとってウードは命の恩人。
お店を休みにして、タイに帰国したボスは、
死ぬ前に元恋人たちを訪ねたいという
ウードの願いを叶えるために、
ドライバーをしてやることになる。
「舞踏会の手帳」を思い出す。
ウードの父親はDJをしており、
その録音テープを聴きながらの旅だ。
ダンス教師、女優、カメラマンと、
順に別れた女性を訪ね、渡すべきものを渡す日々。

で、3人目を過ぎたあたりで、
時計を見ると、およそ半分。
あと半分は誰を訪ねるのか、と思っていると、
ボスの出身地パタヤで、
ウードがあることをボスに打ち明ける
実は、それこそがボスをタイに呼び寄せたわけだったのだ。

そして、後半は、
ボスと恋人のバーテン・プリムとウードとの秘められた関係の話になる。
これがこの映画の本題
ボスの出自、母親との関係、
プリムとの出会い、アメリカに渡っての生活、
と新たな物語が始まる。

快作「バッド・ジーニアス危険な天才たち」を撮った
バズ・プーンピリヤ監督の作品なので観た。
あのウォン・カーウァイが製作総指揮を担当。
サンダンス映画祭ワールドシネマドラマティック部門で
審査員特別賞を獲得した。
タイでの公開では初登場1位の大ヒット。

ロードムービーであり、恋愛物語であり、
友情物語であり、三角関係であり、
観客の予測を裏切るなど、
なかなか凝った作りの作品で、
音楽もカメラもなかなかいいのだが、
話の割にはスマートでないのは、
主役の二人のキャラクターか、
それともタイという国柄のせいか。
また、ボスもウードも
少々いやな人間に描かれているので、
共感性が薄いのも気がかりだ。
3人の彼女らとウードは、
あまり良くない別れをしたようで、
会うことさえ拒絶されるのが、
それを物語る。
ボスもプリムとの別れは心が狭すぎる。
本当に愛していたなら、ああはするまい。

それに時間経過に無理がある。

5段階評価の「3.5」

銀座シネスイッチ他で上映中。

 


東京・関東の建物名所ランキング

2022年08月13日 23時00分00秒 | 様々な話題

毎度おなじみ、テレビ朝日の
「ニッポン視察団」

8月9日の放送では、
外国人の建築家&観光客が絶賛する
東京・関東の建物名所ベスト30。

日本在住の外国人467名に聞いた、
この夏に行ってみたい
東京・関東の建物名所ランキング


第30位 COREDO室町

第29位 下北線路街

第28位 鎌倉大仏

第27位 築地本願寺

第26位 根津美術館

 

第25位 サニーヒルズ南青山

第24位 六本木ヒルズ

第23位 長谷寺

第22位 歌舞伎座

第21位 GINZA SIX

 

第20位 ミヤシタパーク

第19位 牛久大仏

第18位 国立競技場

第17位 国立代々木競技場

第16位 成田山新勝寺

 

第15位 渋谷区の公衆トイレ

第14位 伊勢丹新宿店

第13位 東京国立博物館

第12位 葛西臨海水族園

第11位 東京都庁舎

 

第10位 横浜赤レンガ倉庫

第9位 皇居

第8位 日光東照宮

第7位 レインボーブリッジ

第6位 渋谷スクランブルスクエア

 

第5位 明治神宮

第4位 東京駅丸の内駅舎

第3位 東京スカイツリー

第2位 東京タワー

第1位 浅草寺