森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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競争だよ、世の中は- 橋下知事の言い分
競争だよ君、世の中は。
こんな調子で橋下知事はいうのでしょうね。
伝えられるところによれば、教育とは競争であるかのような橋下氏の発言です。
「子どもが将来の夢を実現するためには競争に耐える力をつけることが必要」ですって。
もっと凄いのは、
橋下知事は「競争できる子から競争を奪ってはいけない」と答えた(参照)
とか。
ここまでくると、私には、経団連が、日本の人づくりと教育について、つぎのようにのべていたのを思い浮かべるのです。冒頭から競争命みたいな文章なのです、これは(参照;21世紀を生き抜く次世代育成のための提言)。これが、財界の考える日本の将来にむけた人づくり戦略なのです。一読いただいて、どんな感想をもたれるのでしょうか、皆さんは。
資源の乏しいわが国にとって、競争力の源泉は人材である。とりわけ、少子化・高齢化が進展する中で、活力ある経済・社会をつくるためには、国民一人ひとりが目的をもって生き生きと活躍することが必要である。 戦後の高度成長を可能としたのは、国民一人ひとりの高い勤労観と倫理観に加え、全ての国民に対して高い水準の義務教育が実現し、均質な人材が社会に送りだされたことであった。 これに対して、21世紀はIT化、グローバル化が進展し、情報が瞬時に共有化され、多様な価値観がぶつかり合い融合する時代である。その中で、わが国企業は、創造的な製品、サービスを供給することでグローバルに展開される競争を勝ち抜いていかなければならない。 |
これはまさに、橋下氏が強調するところと寸分もちがわないのではないでしょうか。競争を勝ち抜ける人材をつくる、これこそが教育だといわんばかりです。
ですから、「情報公開の原則」などをちらつかせて、学力テスト結果の公表を迫ることになる。点数競争の道を生徒に歩ませることになる。
じっさい、文科省はどんな立場をとってきたでしょうか。
文部科学省の実施要領は、「序列化や過度な競争につながらないよう十分配慮」「都道府県教育委員会は、個々の市町村名・学校名を明らかにした公表は行わない」などと明記しているのです。
だとすれば、結果公表はこの実施要領に照らしても問題だと指摘するのが筋でしょう。たとえば学力テストの結果の公表を求めている一人は財界です。日本経団連は「結果を学校ごとに速やかに公表する」ことを「重点的に講じるべき方策」の一つに掲げています。教育を点数至上の競争原理で染め上げて、安上がりに、従順な労働者をつくる教育にしようとしてきたといってよいと思います。
橋下氏はこれに追随しているにすぎない。
氏の政治的立場がここでも立証されているわけです。
ただ、財界・大企業のために。そこに、立脚点がある。
それは、例をあげれば、日本国憲法にたいする態度、あるいは道州制にたいする態度にも、鮮やかに表れているわけですけれども。
競争を謳歌したネオリベ。いまや米国の今日にまつまでもなく、その負の遺産は万人の共通の認識になりつつあります。自由競争の結果、社会にどんな影を落とすのか、米国に端を発したここ1年余りの世界経済の展開は、それを如実に示しているのではないでしょうか。
したがって、だから、記事で伝えられる人びとの発言に一縷の望みを私は見出すのです。こんな発言が出るうちは、大阪はまだ復元力をどこかに蓄えているのではないでしょうか。橋下の発言と対比のうえで。
(「世相を拾う」08245)
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木に縁りて魚を求む。
教育基本法1条(教育の目的)
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
元はこうでしたが。
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
こっちの方がいいですね。
まあ、いずれにしても教育の目的は商売の競争に勝つこととは何ら関係ない。
商売の競争に勝つには脱法行為も辞さない連中は、教育に余計な口出しするよりも、まず己の人格の矯正に努めるべきですな。
実社会で競争がある事は確かですが、競争だけでない事も社会の一面ですし、そういう多面性も含めていろんな選択肢や考え方を生み出す力を育てるのも公教育に期待される一面でしょう。しかし公教育の行政目的が競争とその成果としての学力テスト結果順位だ考えているならば相当にお粗末なものだといえます。
そして、知事のそういう価値感こそが、教師に対する罵倒(いつもの敵作りの意味もありますが)や蔭山某と大手進学塾SAPIXの導入につながるんでしょう。(これって随意契約&教育利権だと思うんですけど、いいんですかね)
知事が力説する競争の場面では、競争に敗れた者や競争の後の事について将来的な発言が無い様に記憶しています。明確な事は公立高校に行けなかった程度の敗者に対し、生活保護程度のセーフティネットで議論を封じ、気に入らなければ日本を出て行くといった絶対的自己責任を負う事を求めたという事ですが。
馬鹿でも敗者でも幸せになれるビジョンを指し示すのが為政者たる知事の役割だと思っているんですが、これについては、ディベート技術で議論の軸を破壊したり、敵を作って大衆を扇動するほどの能力は無いようで、政治的判断といった言葉でひたすらごまかし続けるのがせいぜいといったようです。
競争を絶対視するという事は、結果を絶対視するという事ですし、結果とそれに伴う不利益を従順に受け止める社会人を育成するという事だと思います。そういう意味では財界の意向に沿った教育方針でもあるのでしょう。曰く契約社員やネットカフェ難民にしかなれなかった者の自己責任で不利益を甘んじて受け止めろと。
そういった不利益を享受する、君が代斉唱といった命令に従う事を求める場面では思考停止の絶対服従を求める点も橋下知事の特徴だったりします。で、逆に不利益の改善など知事側に何かを求める場面では、本人の思考と努力が足らないと自己責任論で逃げるわけです。まあ政府の言いなりで事がはこぶ中国が相当うらやましい様ですから、偉大なる首領様の国などは知事にとって理想の国家像(関西州?)かもしれません。
本来自己責任というからには本人の行動と自らに返ってくる結果に因果があるべきですが、競争にさらされる生徒や先日の私学高校生にそこまでの責任は無いでしょう。むしろ知事は予算が無かったり、自分の執政能力不足で誰かに泣いてもらわなければならないのなら頭を下げてお願いする立場であるはずで、ふんぞり返って高校生を言い負かしてご満悦の立場ではないはずです。
因果で言うならば、朝日新聞の記事に激昂した件など自分の行動と結果が直結した自己責任そのものだと思うのですが、自らの事となれば随分と責任の範疇が変化するようです。(従業員の事をネタにしていましたが、新聞の記事が従業員に影響を及ぼしたならば、従業員に謝るのは知事でしょう)
また財政状態を理由に因果なき責任を府民、職員、学生に至るまで負わせている以上、公用車(警備専用車とか言い訳してましたが)の私的利用や見栄目的での出張時の贅沢は許されないでしょう。一つ一つに理由をつけて正当化したとしても税金で満額負担は自らに大甘な姿勢を晒す事になっています。仮にどうしても必要ならばエコノミーとの差額は自己負担で、公用車の私的利用にかかる燃料代と人件費も自己負担というのが筋でしょう。
このダブルスタンダードがある限り橋下知事の口から再三出てくる重い責任を負っているという台詞が空々しく聞こえてしまいます。実際に彼は「そんな知事を選んだ府民の責任」という言葉を発していますから。
学ぶ者に競争を強いるだけでなく、教育制度そのものを企業のいいなりにしようとしているのですから。ようは、彼らのための人づくりです。
>さら_さん
>競争に敗れた者や競争の後の事について将来的な発言が無い
でしょう。我が亡きあとに洪水よ来たれ、ですもの。新自由主義とはこんなもの。
だから「馬鹿でも敗者でも幸せになれるビジョンを指し示すのが為政者たる知事の役割」といわれる、さらさんの立場は至極当然では。