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[橋下思想調査]捏造に問題を回収してはならない
大阪の思想調査問題が一つの画期を迎えています。
嘱託職員が職員リストを捏造したことが発覚しました。この事態にあわてたのが橋下市長と「維新」であるのはまちがいないでしょうが、市長はすでに当該の職員の問題だとして捏造に問題を回収してしまおうとしています。
しかし、それではこの思想調査問題を単に一つの出来事として終わらせることになり、人びとの記憶をなきものにしてしまうのではないかと思います。この思想調査という事件は、やはり日本の歴史にとどめておくべき、その意味で価値をもつものだろうと考えるのです。
捏造は問題だけれど、しかし何よりも、当の市長が全職員を対象に労働組合活動や思想・内面に至るまで聞き出そうとした憲法違反の調査を企てたのですから。しかも、市長自身が法律家を名乗っているというおまけまでつく教訓に満ちたものなので、忘れ去るわけにはいかないものだと思えます。
だから、最初に画期といったのは、今これまでの経過をふりかえり、このような懲戒をちらつかせるという圧力をかけ、人の内面を調べ公表し、場合によっては職業まで奪いかねなかった憲法違反は許されないと明確な態度を表明しうる、換言すれば断罪する機会にもなるし、そうすることで憲法の価値をあらためて確認しうるからです。
市長のこの発言で、疑問に思うところは
およそ少なくみてもこの程度は問題があろうと考えます。あやしいと市長が思えるようなリストを使って彼の率いる政党の議員が質問し、その上、「信ぴょう性が非常に高い」などと発言して「犯人」を断定したに等しいのだから、市長も「維新」も欺瞞に満ちた態度をとったわけです。
発言どおりにリスト自体の信憑性を疑っていたのなら、市長は結果的に「やらせ質問」を仕組んだ共犯ともいえるでしょう。「維新や杉村市議には何の問題もない」のではなく、自身と「維新」にこそ責任を認めなくてはなりません。しかも、発端は市長の指示にあるのですから(参照)。
橋下市長がめざそうとしている目的とそれをめざす上での言動と運動、および彼に同調し、あるいは支持する者すべてをふくめて仮に<橋下なるもの>とよぶとすれば、<橋下なるもの>が<橋下なるもの>ではないものすべてをあぶりだそうとしたのが今回の思想調査だろうと私は考えます。ですから、ある人はこれを赤狩りに見立てていますが、そうではないと思えます。赤、つまり共産主義者だけをねらい討ちにするものではない。そうではなく、<橋下なるもの>ではないすべてを明らかにし、一束にし、制裁を加えるという深刻な内容の調査をたくらんでいたのですし。
むしろ今回の調査の事実を知って思い出すのは、有名なニーメラーの言葉(注参照)です。ニーメラーが描き出すのがナチスの告発であるのは自明ですが、彼が訴えるのは沈黙することの危険な側面です。いわゆる主義者でなくとも、「フツーの人」も最後には捉えられていく現実をみつめ、そこに人びとの沈黙が深く根ざしていることを浮き彫りにしたといえます。
現に市長は、自分と異なる意見をもつ者は去ってもらって結構だといっているのですから(参照)。これを言葉の上だけの問題としてとらえるのではなく、彼の思想が表出したものとみなければならないでしょう。意見というものがそれぞれの価値観によっている以上、橋下市長と異なる意見をもとうものなら、ニーメラーの言葉を再現する結果となってしまうという、まず放置できない事態を招く。その可能性は摘みとらなければなりません。
市長を支持する人も<橋下なるもの>にふくめましたが、そこにはニーメラーにならって、沈黙という行為をとる消極的支持もふくめなければなりません。今、求められているのは、理不尽な言動にはそう感じた時点で声をあげることであって、そこからはじめないといけないだろうと思います。
おそらく、市長はこうした展望が開けることをもっとも恐れているのではないか。だから、彼は、なによりもまず職員に責任をなすりつけ、責任回避の発言を残したのでしょう。職員に責任を転嫁することは、この思想調査問題を捏造問題に矮小化することを意味し、憲法違反の事件の性格を一方で切り捨てるものといわざるをえません。
しかし、指示は市長にしかできなかったし、実際に懲戒をかかげる一方で全職員に徹底したのは市長以外にはいなかったのです。この記憶を消してはなりません。逃れようのない責任が市長にはある。
ですから、日本国憲法に価値をおく人であれば、すべからく橋下市長には不同意という態度をとってよいだろうし、とらなければならないと考えてほしいものです。
注;Martin Niemoller(ドイツのプロテスタント、ルター派神学者。1892.1.14~1984.3.6)
ナチスが行った数々の弾圧を傍観し、自分たち神学者にその手が伸びるまで行動を起こさなかった事を悔やみ、下記の有名な言葉を残している。
やつらは共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらは社会主義者と労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。
そして、やつらが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。
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嘱託職員が職員リストを捏造したことが発覚しました。この事態にあわてたのが橋下市長と「維新」であるのはまちがいないでしょうが、市長はすでに当該の職員の問題だとして捏造に問題を回収してしまおうとしています。
しかし、それではこの思想調査問題を単に一つの出来事として終わらせることになり、人びとの記憶をなきものにしてしまうのではないかと思います。この思想調査という事件は、やはり日本の歴史にとどめておくべき、その意味で価値をもつものだろうと考えるのです。
捏造は問題だけれど、しかし何よりも、当の市長が全職員を対象に労働組合活動や思想・内面に至るまで聞き出そうとした憲法違反の調査を企てたのですから。しかも、市長自身が法律家を名乗っているというおまけまでつく教訓に満ちたものなので、忘れ去るわけにはいかないものだと思えます。
だから、最初に画期といったのは、今これまでの経過をふりかえり、このような懲戒をちらつかせるという圧力をかけ、人の内面を調べ公表し、場合によっては職業まで奪いかねなかった憲法違反は許されないと明確な態度を表明しうる、換言すれば断罪する機会にもなるし、そうすることで憲法の価値をあらためて確認しうるからです。
誰が、何のために作成したかがわからず、刑事告発の応酬にまで発展していた大阪市長選を巡る職員リスト問題は26日、市交通局の嘱託職員による捏造
だったことが判明した。しかし、動機面の解明は残されたまま。「信ぴょう性が高い」と判断し、内部告発されたリストの公表に踏み切った大阪維新の会市議団には、強気と動揺が交錯している。
「議員の調査権には限界がある。詰めるところは詰めて質疑をしており、何一つ間違っていない」。リストを最初に公表し、市議会委員会で取り上げた維新の杉村幸太郎市議は26日の記者会見で、そう強調した。
杉村市議は「リストに加工された部分があるという議論は当初、市議団内でもあった」と認めつつ、「質疑をするという我々の責務を遂行した。市議団の指示で、個人で勝手にやったことではない」と釈明した。
2月の委員会で、杉村市議はリストを示し、「交通局と組合が組織ぐるみで市長選に関与していたことを裏付けるものだ」と追及。内部告発者が実名を名乗って持ち込んできたことから、「信ぴょう性が非常に高い」とも主張していた。
維新代表の橋下徹市長も当初はツイッターで「今回のえげつなさは、(リストに)幹部職員も含まれていること」などと組合関与を決めつけるような書き込みをしていた。しかし、組合側が全否定すると調査を指示し、慎重姿勢に。橋下市長はこの日、報道陣に「法律家としてちょっと危ないなと感じていた」とした上で、「捏造をした職員の責任で、維新や杉村市議には何の問題もない。部下である市職員がやったことは大変申し訳ない」と話した。
リスト捏造 何のため…PC履歴で判明
市長のこの発言で、疑問に思うところは
- 「法律家としてちょっと危ないなと感じていた」のなら、「維新」代表でもある市長は、リストを公表する前になぜ「維新」に吟味させなかったのか。
- 杉村市議は「リストに加工された部分があるという議論は当初、市議団内でもあった」と認めつつ、「質疑をするという我々の責務を遂行した。市議団の指示で、個人で勝手にやったことではない」というのだから、「維新」市議団は「やらせ質問」の確信犯といえるのではないか。
- 「捏造をした職員の責任で、維新や杉村市議には何の問題もない。部下である市職員がやったことは大変申し訳ない」と弁明するが、捏造した職員にすべてを押し付ける責任回避ではないか。
- ゆえに、杉村市議はむろん、「維新」の組織的な責任が問われるだろう。その代表は橋下市長なのだから、彼の責任は重い。
およそ少なくみてもこの程度は問題があろうと考えます。あやしいと市長が思えるようなリストを使って彼の率いる政党の議員が質問し、その上、「信ぴょう性が非常に高い」などと発言して「犯人」を断定したに等しいのだから、市長も「維新」も欺瞞に満ちた態度をとったわけです。
発言どおりにリスト自体の信憑性を疑っていたのなら、市長は結果的に「やらせ質問」を仕組んだ共犯ともいえるでしょう。「維新や杉村市議には何の問題もない」のではなく、自身と「維新」にこそ責任を認めなくてはなりません。しかも、発端は市長の指示にあるのですから(参照)。
橋下市長がめざそうとしている目的とそれをめざす上での言動と運動、および彼に同調し、あるいは支持する者すべてをふくめて仮に<橋下なるもの>とよぶとすれば、<橋下なるもの>が<橋下なるもの>ではないものすべてをあぶりだそうとしたのが今回の思想調査だろうと私は考えます。ですから、ある人はこれを赤狩りに見立てていますが、そうではないと思えます。赤、つまり共産主義者だけをねらい討ちにするものではない。そうではなく、<橋下なるもの>ではないすべてを明らかにし、一束にし、制裁を加えるという深刻な内容の調査をたくらんでいたのですし。
むしろ今回の調査の事実を知って思い出すのは、有名なニーメラーの言葉(注参照)です。ニーメラーが描き出すのがナチスの告発であるのは自明ですが、彼が訴えるのは沈黙することの危険な側面です。いわゆる主義者でなくとも、「フツーの人」も最後には捉えられていく現実をみつめ、そこに人びとの沈黙が深く根ざしていることを浮き彫りにしたといえます。
現に市長は、自分と異なる意見をもつ者は去ってもらって結構だといっているのですから(参照)。これを言葉の上だけの問題としてとらえるのではなく、彼の思想が表出したものとみなければならないでしょう。意見というものがそれぞれの価値観によっている以上、橋下市長と異なる意見をもとうものなら、ニーメラーの言葉を再現する結果となってしまうという、まず放置できない事態を招く。その可能性は摘みとらなければなりません。
市長を支持する人も<橋下なるもの>にふくめましたが、そこにはニーメラーにならって、沈黙という行為をとる消極的支持もふくめなければなりません。今、求められているのは、理不尽な言動にはそう感じた時点で声をあげることであって、そこからはじめないといけないだろうと思います。
おそらく、市長はこうした展望が開けることをもっとも恐れているのではないか。だから、彼は、なによりもまず職員に責任をなすりつけ、責任回避の発言を残したのでしょう。職員に責任を転嫁することは、この思想調査問題を捏造問題に矮小化することを意味し、憲法違反の事件の性格を一方で切り捨てるものといわざるをえません。
しかし、指示は市長にしかできなかったし、実際に懲戒をかかげる一方で全職員に徹底したのは市長以外にはいなかったのです。この記憶を消してはなりません。逃れようのない責任が市長にはある。
ですから、日本国憲法に価値をおく人であれば、すべからく橋下市長には不同意という態度をとってよいだろうし、とらなければならないと考えてほしいものです。
注;Martin Niemoller(ドイツのプロテスタント、ルター派神学者。1892.1.14~1984.3.6)
ナチスが行った数々の弾圧を傍観し、自分たち神学者にその手が伸びるまで行動を起こさなかった事を悔やみ、下記の有名な言葉を残している。
やつらは共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらは社会主義者と労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。
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