フランスの画家オディロン・ルドン。ルドンと聞いて、『ああ~、あの黒くて不気味で気持ち悪い絵を描く人』と思った方。正解です。印象派の絵画が好きな日本人にも、お馴染みです。
日本でもルドンの展覧会は、結構開催されています。そのため、一度はルドンの絵をご覧になった方も多いかと思います。しかし、やっぱり気持ち悪い?いえいえ、あれには意味があるんです。
ルドンは1840年4月22日フランスのボルドー出身。本名をベルトラン・ジャン・ルドンと言い、実は父親の名前を継いだそう。しかし母親の名前に由来する愛称“オディロン”を名乗ります。
そして生涯その名前で通します。裕福な家に生まれたのですが、生後2日目にボルドー近郊のペイルルバードへ里子に出されたそうな。親元を離れ、病弱で内気な子供だったそうです。
しかし20歳の頃、植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、顕微鏡下の世界に魅せられるようになり、自然科学への関心とつながります。それが後の版画集「夢の中で」に反映されています。
1872年フランスに定住。1879年『夢の中で』を初出版。ルドンは、1880年代後半にフランスで始まった反写実主義的な美術運動、“象徴主義”の画家です。そんな難しいことはともかく…
ルドンの展覧会が西新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催されます。それが「オディロン・ルドン -夢の起源-」なんです。もしまだルドンの作品を見たことがない方には、ぜひ!
この展覧会では、油彩画、パステル画を約150点あまりを展示。主な展示作品は、ポスターになった『蜘蛛』(1887)、『聖母』(1916)、『神秘的な騎士』(1892)、『アポロンの戦車』(1909)
『起源』(1883)、『樹(樹のある風景の中の二人の人物)』(1865年頃)、『花』(1905~10年頃)など。ルドンは、1916年7月6日パリで亡くなります。76歳でした。
日本でもルドンの展覧会は、結構開催されています。そのため、一度はルドンの絵をご覧になった方も多いかと思います。しかし、やっぱり気持ち悪い?いえいえ、あれには意味があるんです。
ルドンは1840年4月22日フランスのボルドー出身。本名をベルトラン・ジャン・ルドンと言い、実は父親の名前を継いだそう。しかし母親の名前に由来する愛称“オディロン”を名乗ります。
そして生涯その名前で通します。裕福な家に生まれたのですが、生後2日目にボルドー近郊のペイルルバードへ里子に出されたそうな。親元を離れ、病弱で内気な子供だったそうです。
しかし20歳の頃、植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、顕微鏡下の世界に魅せられるようになり、自然科学への関心とつながります。それが後の版画集「夢の中で」に反映されています。
1872年フランスに定住。1879年『夢の中で』を初出版。ルドンは、1880年代後半にフランスで始まった反写実主義的な美術運動、“象徴主義”の画家です。そんな難しいことはともかく…
ルドンの展覧会が西新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催されます。それが「オディロン・ルドン -夢の起源-」なんです。もしまだルドンの作品を見たことがない方には、ぜひ!
この展覧会では、油彩画、パステル画を約150点あまりを展示。主な展示作品は、ポスターになった『蜘蛛』(1887)、『聖母』(1916)、『神秘的な騎士』(1892)、『アポロンの戦車』(1909)
『起源』(1883)、『樹(樹のある風景の中の二人の人物)』(1865年頃)、『花』(1905~10年頃)など。ルドンは、1916年7月6日パリで亡くなります。76歳でした。