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ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

F1はどこへ向かってるんだ?

2008-12-14 20:52:25 | F1
私が「次はF1ネタでも書こうかなあ」と言った翌日に狙ったようにHONDAの撤退発表がありました。
私もかれこれ20年ばかりF1を見てきて、色んなチームやドライバーがF1を去っていくのを見送って来たのですが。
今回、いつもと違っていたのは、このHONDAの決定を受けて、以前から薄々感じていた「F1はこれからどこへ行こうとしてるんだ?」という疑問が頭から離れなくなってしまったということでした。

気になるのは、HONDAの社長の言葉にあった、「自動車産業が誕生してから最初の100年が終わり、次の100年への転換期を迎えている」、という下り。
確かに。これまで車と言えばスピードを追求するもので、「地上最速」であるF1はその技術の最先端として君臨していた。
最先端の技術を集めたレースだからこそ、そこで結果を出す事に大きな意味があった。
けれど今、車に求められる技術は、スピードから別のものへと変化しつつある。ような気がします。
やたらエコエコ言うのも偽善っぽくてあんまり好きじゃないんですが、石油が有限の資源である以上、いずれは化石燃料による内燃機関に代わる新しい駆動系が必要になるのも現実なんですよね。
で、もしも世界の自動車開発がそっち方向へ完全にシフトしてしまった時、果たしてF1はその時も「最先端」であり続けられるんだろうか、と。

HONDAは結構本気で燃料電池とバイオエタノールの実用化を考えているようだし、そうするとガソリンエンジン使用の上エンジン開発凍結とか言われるF1よりも、エタノール燃料のエンジン積んで走ってるIRLの方がやりがいあるかも…と思ってしまいます。

それにしても、エンジン開発凍結・統一エンジン・何か空力的にも変なマシン・さらにはポイント制やめてメダル制とか、何か本気でバーニーさんは何がやりたいんだろう?と思うような案が色々出て来るし。(いや、お金がかからないようにしたいっていうのは分からないでもないんですけど、それで下位カテゴリーとやってること変わらなくなっちゃったら意味ないんじゃないかと…なんかその後も色々変わって、統一エンジンだけは当面は免れたみたいですが)。
でもなんか今まで、ドライバーが入れ替わってもチームが入れ替わってもレギュレーションが変わってもF1はF1、と思って来たけれど、正直今ちょっとその感覚が揺らいでます。

それでも、佐藤琢磨には何とかシート獲得して復活して欲しいし、旧HONDAチームにも買い手がついて、違う名前でも良いから来年も出て来て欲しいし、多分なんだかんだ言いながら鈴鹿には行きたいなあとは思うんですけどね。

***

話は変わりますがミカ就職おめでとう。イリヤ様と別れちゃったのが個人的には微妙ですが。
てっきりマクラーレンのチームに携わるのかなと思ってたのでマネージャー業というのは意外な気もしますが、今のマクラーレンはもうミカに帰って来て欲しいチームという感じではなくなったし。ロン・デニスも最近はヤキが回ってるように見えるし。
それにミカ自身、昔のインタビューでマネージャー業に興味を示していたような記憶があるので、これはこれでアリかなと思います。
自分自身が同国の先輩でもあるケケ・ロズベルク師匠の引き立てでF1入りし、師匠のパートナーであるディディエさんとの二人三脚でチャンピオンにまで上り詰めたことにかなり感謝しているようだったし、過去の言動を見てても、割と自分が先輩にやって貰ったことを、次は自分が後輩にやるという考えを持っているようなので。
今度は自分が、将来有望な若者のために道を付けてあげる番だと考えているのかなと思いました。
(でもケケ師匠が息子のニコをF1まで押し上げた事を考えると…ミカもいずれは自分の息子を…とか考えてたりして)

12/25追記
何か似たようなことを書いてる人を見つけたのでリンク。

日本のメーカーに必要か!? ~モータースポーツのこれからを考える
http://www.webcg.net/WEBCG/news/n0000020317.html


コトバのチカラ、コトバの罠。

2008-12-13 21:45:59 | 日記
「結果を出して脚光を浴びるのは、それはたまたまのことに過ぎない。人間が本当に成長できるのは、試練の中で苦しんでいるとき。君が今苦しい思いをしているのなら、それは君が成長している証拠だ」
…とこないだ会社の人が言ってたんですが、これってどこか出典があるんでしょうか。
確かに最近の私には苦しみが足りないかも。安穏とした日々ばかり過ごしていたんでは、人間、進歩できないのかも知れませんね。

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私は基本的にコトバの国に生きている人間なんですが、大ちゃんと「言葉」の係わりには、感心させられることがしばしばあります。
言葉を操るのに器用な方ではなさそうなのに、「何を言うべきか」の選択がいつも的確でびっくりします。いいんですよ、そこさえ押さえていれば。「正しい日本語」として体裁を整えるのは、ライターなりなんなり、それこそプロの「日本語職人」がやれば良い事。プロの日本語職人が正しい日本語を操れなかったらとても困りますけどね。

そしてもうひとつ、今回ちょっとびっくりしたのは、「ネガティブな事は思っても口に出さない。言葉にすると頭にインプットされてしまうから」という発言でした。
(これの引用元も明示した方がいいのかな。Web上での発言です。ここに来る方はご存知かも)
言葉の役割は情報の伝達。そしてもうひとつの重要な作用は、意識を明確にすること。
思うだけなら漠然とした影に過ぎなかったものが、言葉になり、名前を持つことで明確に認識され、実体を持つ。
そういう言葉の性質を、あの若さで認識してるってちょっとすごいかも。

でも同時に、言葉に依存しない表現を実現できる彼らしいかも、とも思いました。
音楽の元となるストーリーやその登場人物を演じるのではなく音楽そのものを表現する、とか、敢えて「どう演じる」とは自分では言わない、見た人に感じ取って欲しい、とか。
普通の人には言えないと言うか、言っても実現できないと思うんですが。

言葉というのは便利なもので、思考を明確にし、整理した上に記録して他の人に伝えることまでできてしまいます。この便利なツールを使わずに表現を理解し、自分のものにするのは難しい。少なくとも私には、それがどういう作業なのか見当も付かない(私は言葉に依存しちゃってるから余計にそうかも知れません)。
でもその反面、言葉によって明確になった思考は固定化する。
思い込みは思考にバイアスをかけ、目に映るものまで変化させてしまう。

言葉に捉われない自由な表現は、言葉を使わずに感覚をダイレクトに表現できる人だけに許されるものなのかも知れません。彼はそれができる人…と感じたことが、未だに彼にどっぷりハマっている原因であります。
だから私は、彼のスケートに惹かれたというよりも、彼のその、言葉によって固定されない自由な感性と表現に惹かれたのだと思います(でも同時に彼の生い立ちを思えば、スケート以外の方法では、彼の表現は世に出ることはなかったのではないかとも思いますが)。

以上、言葉の国の住人のたわごとでした。

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Web拍手へのお返事

12月5日0時頃
ベルネル選手が寅年なのは知ってましたが(衣装的に)、ポンセロ選手もそうだったんですか。言われてみるとそれっぽいですね(笑)。バンクーバーでは、年男組の活躍を期待したいですね。

12月5日17時頃
オタクはファンタジーには詳しいのです。アニメやマンガの元ネタだから(笑)。
前向きに待ちましょう。

12月5日23時頃
これまでも十分、数奇な運命を乗り越えてここまでやって来たのです。彼の強運を私も信じてます。

12月7日23時頃
こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます。
信じることで、皆で良い空気感を作って行けたらいいですね。

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誰も期待してないかも知れないけど、F1のネタもそのうち書くつもり…。
その他、オタクなネタの数々も(笑)。

占ってみようかな

2008-12-04 23:34:24 | 日記
前置き。
私はここでもよく占いやらおまじないネタやらを出しますが、別に霊感とかがある訳では全くないです。このテのことに詳しいのは、言ってみればヲタクのたしなみのようなものであります(ファンタジー系のネタを仕込むために占いグッズ買ったりもしてます)。
それに、正直自分自身「占い」というものに対して納得がいかない部分も多いし、実際なんら実体はないものなので、余り占いをアテにしてそれに振り回されるのもどうなのかなーと思っています。

ですが、今はこういう時なので。ヒマつぶしを兼ねまして、ちょっとしたお遊びでつらつらと。

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大ちゃんのことなんですが、彼はどうやら四柱推命でいうと子丑の年が空亡に当たるらしいです。私は四柱推命は今までノーチェックだったし、空亡のことを大殺界だの天中殺だの言って恐怖感を煽るのがあんまり好きじゃなかったんですけどね。個人的には、「空亡」というのは、外に結果を求めるよりは、内に向かって力を蓄えるのに向いている時期、と解釈しています。
で、バンクーバー五輪がやって来る2010年は、空亡が明けるのでまたガンガン外向きに戦えるはずの時期。面白いのは、西洋占星術の方で見ても、やっぱり2010年に入る辺りで運気が上昇するみたいなんですね。不思議なことに。ジュピターリターンにも入りそうだし。
もうひとつ不思議なのは、西洋占星術で見ても四柱推命で見ても、「芸術的センスに恵まれる」という星がちゃんと入ってること(ついでにすごく勘も良さそう)。
あと西洋占星術で見ると、この生まれの人は非常にタフで逆境に強いと出てました。
タフと言えば、大ちゃんの生まれた1986年は五黄の寅年。九星で一番強いと言われる五黄土星と、十二支の中で一番強いと言われる寅年が重なったこの年の生まれの人は、俗に「五黄の寅」と呼ばれているそうですね。強烈な運気を持っているだけに浮き沈みが激しく、落ちる時にはとことん落ちるのが五黄の寅。でも落ちた奈落の底から這い上がって来る強さを持っているのも五黄の寅。恐るべし86年組。

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そしてこんな時なので、資料用に買った占いグッズで大ちゃんのことを占ったりもしてみました。
何度も言いますが、私には霊感みたいなものは一切ありませんのでくれぐれも本気でアテにはしないで下さい。でもここでもやっぱり、2種類の占いで似たような結果が出たのが興味深かったのです。

破壊と再生。あるいは、再生のための破壊。大きな変革を強いられる暗示ですが、未来には光が見える結果。危険もありますが、乗り切れます。協力してくれる人がいます。結果として現れるまでには少し時間がかかりますが、焦らずに時期を待つことで良い結果に繋がります。
……と、大まかに言えばそんな感じでした。

私の占いなんてさして当てにはなりませんが、ちょっと気持ちが明るくなる結果だったので幸せのお裾分けということで♪
要するに何が言いたいかというと、物事を良く捉えても悪く捉えても事実は変わらない。そして良い方に捉えて前向きに行動する方が、未来は確実に明るくなるということですね。折角御本人があれだけ前向きな姿勢を見せてくれているのですから、ファンも焦らず前向きに待とうねと、結局はそういうことでした。

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拍手コメント

□11月29日11時頃
こちらこそ、いつも読んで頂いてありがとうございます。コダワリというか、私は「好みのフィギュアスケーター」だから大ちゃんのファンになったのではなくて、ものすごく好きなアーティストを見つけたら、たまたまその人の表現の手法がフィギュアスケートだった、というような事です(汗)。

□11月30日11時頃
そういう訳で、元気を出して下さいね。彼の強さを信じて待ちましょう。
ちなみに大ちゃんのネタはこれからも書くと思います。フィギュアの試合を見なくても、大ちゃんのネタなら多分あると思われるので(笑)。

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次はそろそろ長くご無沙汰していたF1ネタを…書きたいような書きたくないような(遠い目)。

黒いオルフェ

2008-12-01 19:53:55 | 映画感想
「黒いオルフェ」1959年フランス・ブラジル・イタリア
神戸の美術館でビデオ上映会やってたので見て来ました。
名前だけは知ってたんですが、見た事は無かったのでこの機会にと思いまして。
カーニヴァルに湧くリオデジャネイロを舞台にした、ギリシャ神話のオルフェウスの物語。

***

カーニバルを翌日に控えて沸き立つリオの街。市電の運転手である青年オルフェは、従姉を頼って田舎から出て来た少女ユリディスと出会う。実はオルフェはギターの名手で、歌やダンスも得意。オルフェがリオの街を見下ろす貧民街の自宅に帰ってギターを弾いていると、そこへユリディスが現れる。彼女が尋ねて来た従姉とは、オルフェの隣人のことだったのでした。運命的に再会した二人は急速に惹かれ合うのだが…。

冷静になって考えてみると、リオのカーニヴァルにギリシャ神話を落とし込んだ脚本は、必ずしも成功している訳ではない…ような気がします。
ストーリーがかなり元ネタそのままなので、元ネタを知らない人には訳がわからないような気がするし、知っている人には先の展開が読めてしまうし。ギリシャ神話のハイライトである、オルフェウスが冥界に妻を探しに行く下りの再現には、結構無理があるような。

でも見ている時には、そういう冷静な考えがあんまり浮かばない。そういう映画でもあります(笑)。
如何せん、音楽&リズム&ダンスに圧倒されっぱなしになりますので。
黒人のリズム感は我々日本人とは全く違うとは言いますが、改めて見るとなんかもう本当にすごくてカルチャーショックでした。
冒頭、フェリーがリオの港に入る。サンバのリズムが聞こえて来ると、甲板にいる人たちはもう当たり前みたいに全員踊ってる。水汲みの女性たちも、水の入った一斗缶頭に乗せて、歩きながらセクシーにお尻をフリフリして踊ってる。十歳くらいの小さい子供たちまで、平気で複雑なリズムに合わせてステップを踏んでる。遺伝子レベルでリズムが身体に刻み込まれているとしか思えない。なんだこの世界は。

カーニヴァルは一夜の夢。貧しい人々は日々の苦しみを忘れるため、持てる情熱の全てを注いでサンバのリズムに酔いしれる。夜が明ければ夢は醒め、ボサノヴァのけだるい調べと共に、再び日々の生活が始まる。彼らの生活の隣に、いつでも音楽は流れている…。

最後の最後に、神話には(多分)無かったオチがあって、そこが凄く印象的でした。神話と同じ悲劇的なラストで終わる…と思いきや。この映画のラストは明るく、希望に満ちている。
朝日を浴びて歌い、踊る子供たちの姿に、なんとも言えない衝撃を受けた映画でした。

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フランス語版とポルトガル語版があるそうですが、私が見たのはポルトガル語版でした。
とりあえず、「オブリガード(ありがとう)」だけは分かりました。

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カテゴリーが違うので、拍手コメントへのお返事はまた後日に。