ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

おかえりなさい、ミカ。

2006-11-29 22:54:05 | F1
色んなことが一度に起きてるので、とてもここでは全部拾い切れないんですが、一言だけ。

ミカがF1に帰って来るってそれマジっすか?

……いや、もちろんテストだけだろうけど。でも嬉しい。
今まで噂は色々あったけど、でも現実にはならないだろうと思ってたので。
DTMでレースに復帰してくれただけでも十分嬉しかったし。
マクラーレンに協力するって言っても、多分アドバイザーとかそんなのだと思ってたので。
マシンに乗るの? マジで?

もうそれだけで望外です。

日本放送協会杯

2006-11-29 22:35:58 | 日記
こんにちは、虹川です。
私が楽しくオペラ座のファントムくん(原作版)と遊んでいるうちに、いつの間にかNHK杯が近づいて参りました。

ちなみに、ありとあらゆるファントムくんに会える楽しいサイトがこちらにあります。
オペラ座の怪人がいっぱい!
若干辛口なので人を選ぶかも知れませんが。
オペラ座の怪人 VS シャーロックホームズとかそんな夢の対決マジで見てみたい。

それはともかくNHK杯です。
……どっかのTV局がGPSのことを「世界一決定戦」とぶち上げていますが、そもそも私みたいな素人には、GPSのシステム自体中々そう簡単には理解できない訳です。
今までだと取りあえずオリンピックとNHK杯くらいしかテレビでフィギュアを見る機会はなかった訳で、オリンピックはともかく昔からやってるNHK杯っていうのが一体どういう大会なのか、実を言うと今年になって初めて知りました。
順位をポイント制にするって、ちょっとモータースポーツっぽいですね。
でも何位になって何点取ってーとか言うのは、大ちゃんはあんまり考えてないような気がします。
少なくとも私は、これに関しては専門外です。色々考えても結局は「本人が納得できる演技が出来ればそれでいい」って結論になるんですよね。ある意味、それが一番難しいのかも知れませんが。
とりあえず私としては「大ちゃん今度はどんなオペラ座やってくれるのー?」とかそういうことを考えながら待つことにします。

とかいいつつ、ループ飛ぶ前の転倒が万が一ファントムの呪いだったりしたら困るので、念のために魔除けの蹄鉄を貼っときます。

「オペラ座の怪人」の原作で、ファントムの噂におびえるバレリーナたちが事務所の机に蹄鉄を置く、という場面があるのです。昔の人は鉄に魔を払う力があると考えてたようで、支配人が鉄製の鍵に触る(これも魔除け)場面もありました。
(どうでも良いけど、ラッキーチャームとかって蹄鉄の形の、ゴールドとかシルバーとかのアクセサリーがありますけど、ご利益があるのは蹄鉄の形じゃなくて、素材が鉄って所なんじゃないのか?と思わないでもありません)


そしてこんな時に限って土日に予定が入ってます。ていうか日曜日は休日出勤だし。そこからまた修羅場に突入する予定だし(涙)。
会場にいらっしゃる方はどうぞみなさんお気を付けて。私のぶんまでしっかり声援を送って来て下さい。
私はファントムくん(原作版←なにげにお気に入り)とワルツを踊りながら、東の方に念を送っておきます。

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拍手コメントへのお返事
こちらこそ、読んでいただいてありがとうございます。ノクターン、確かに疲れが癒されて元気になるようなプログラムですね。音楽も美しいです。

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「オペラ座」原作読了後の見解。
ファントムとエレファントマンの関係について。時代からしてガストン・ルルーが「エレファントマン」のモデルであるジョン・メリックのことを知っていて、何らかの参考にした可能性は十分あると思います。
でもメリック青年は繊細で思慮深く、心優しい青年であったと思われますので……芸術家で頭もいいけど人格破綻者で連続殺人犯で、フラれた腹いせに無差別自爆テロ起こそうとしてたファントムくんと一緒にするのは申し訳ないような気がします。

オペラ座読了

2006-11-25 21:52:38 | 読書感想文

そういう訳で、「オペラ座の怪人」読了しました。

■おフランスってトレビアン
ミステリーっぽい出だしにコナン・ドイルやエドガー・アラン・ポーを思い出し、ドキュメンタリー風の構成にはブラム・ストーカーの『ドラキュラ』っぽいなと思ってたんですが。
ファントムがクリスティーヌを地下の隠れ家に連れてった辺りから、モーリス・ルブランのルパンシリーズが頭から離れなくなりました(ルパンシリーズ、3冊くらいしか読んだ事ないんですけどね)。
あの場面、映画では絵的に映えるようにわざと派手派手な演出にしてるんだろうなーと思ってたら、原作はもっと派手だった。
そういや『奇岩城』もこんな感じだったっけと懐かしく思い出してしまいました。ファントムが姿を現さずに、手紙で指示を与える所は『八点鐘』っぽい。
これがおフランスのミステリーなのね、と妙に納得。

■たのしいダンジョン大冒険
ALW版の舞台&映画では話を三角関係に絞っているため、冒険活劇的な要素はごそっと省かれてますが、原作ではすごいです。ていうか楽しいです。
オペラ座の地下ってそこんじょらの地下室とはスケールが違うんですねー。地下五階のややこしく入り組んだ壮大な空間に舞台装置のからくりあり、貯蔵庫あり、地下水脈&地底湖あり、パリ・コミューン時代の牢獄あり。ワンダリングモンスターみたいな得体の知れない連中も住み着いている。そこへペルシア帰りの稀代の奇術師・落とし穴大好き&からくり大好きのファントムくんが住み着いて勝手に改装を重ねてる(ていうか、建築段階ですでに潜り込んでたらしい。あんたいったい歳いくつなんだ)。これはもうダンジョンですよ。ウィザードリィの世界ですよ。
これ、ピーター・ジャクソン辺りに原作準拠で違う映画を作って貰ったらそれはそれで楽しいだろうなーと思いました。ロマンス:ラウルくんの不思議のダンジョンの比率が2:8くらいで。でも巨大ゴリラでロマンスが描けるPJだったら、原作版の歩く腐乱死体みたいなファントムでも普通にラブロマンスがやれそうです。ていうか、嬉々として原作に忠実なファントムを撮りそう。
もちろんゲームも出します。ラウルになってダンジョンを攻略するヤツ(バイオハザードみたいなの)か、ファントムになって侵入者を罠にハメまくるヤツ(影牢みたいなの)。あー楽しい。

■それでも最後は愛なのね
そんなこんなで冒険者気分を楽しんでたら、最後がいきなり映画と同じようなオチでびっくりしました。
原作のファントムくんは映画のようなダンディーなおじさまではなく腐乱死体で、しかも見た目が死体っぽいからって棺桶の中で寝るお茶目さんで、芸術と心中しそうな映画版と違って、クリスティーヌとの平凡な新婚生活を夢見る小市民的な側面も持ってたりする愉快なヤツです。
そして原作のクリスティーヌは、ファントムの正体を知ってからはひたすら怖がる一方で(歌には惹かれてたみたいですが)、ラウル一筋。
だからまさか、そんなクリスティーヌが最後の最後にファントムの想いを受け止めてやるとは思ってなくて、不意を突かれてしまいました。
しかもそれに対するファントムが……たった1回のキスと涙ですべてをゆるせてしまうほど、そんなにも愛に餓えてたのかと思うといじらしいやら不憫やらで、なんとも言えない気持ちになってしまいました。
あと、映画と原作では後日談も違うんですが、よく考えたらファントムがあの後もずっとクリスティーヌに魂を捧げてたって意味では一緒なんだなあと思いました。

■映画と原作
映画の方で気になったのは、途中まで恩着せがましく「お前の歌に翼を与えてやった」と歌っていたファントムが、一番最後には「きみが私の歌に翼をくれた」に変わっていたこと。一方的な師弟関係ではなく、クリスティーヌもまたミューズとして、ファントムの芸術の成就に欠かせない存在だったことが伺えます。
これに対して原作では、何せファントムくんの野望は「平凡な新婚生活」なので……魅惑の声もクリスティーヌを釣る餌でしかないのかも。クリスティーヌは覚醒した後も、お師匠様には叶わないと思ってたみたいですしね。スゴ過ぎる原作ファントムの歌は、人間には多分再現不可能。
この点に関しては映画の方が好きですね。音楽による魂の結びつきが表現されてて。
ちなみに舞台&映画では劇中劇のオペラもオリジナルですが、原作では実在のオペラになってました。クリスティーヌの歌う夜の女王のアリアとか、ちょっと聞いてみたかったかもと思いました。『魔笛』って魔術的な内容だから、この話に似合うと思います。

追記:原作ファントムの野望が『平凡な新婚生活』っていうのも、考えてみたら切ないですね。人の羨む才能に恵まれていながら、普通の人が普通に手に入れている『平凡な一市民としての生活』だけがどうしても手に入らなかったっていう所が。


表現力って何だろう

2006-11-25 21:40:38 | 日記
例によって、スケートのよくわからない語りです。

フィギュアスケートで言うところの「表現力」って、私の思う「表現」と多分違うよね、ということをずっと考えてて、でも考えがまとまりません。
私にとって一番大事なのは、私自身の感性なので。他人がなんて言おうが思おうが、自分が美しいと思うものを好きなように楽しめばいい、というのが私のスタンスです。
(それでもやっぱりこんな所で書き散らしてるのは、ちょっとくらいは他人様にも同意して欲しいと思ってるってことなんでしょうが)
だから実を言うと、「審査員の考えてることなんて私の知ったことか!」というのが私の本音でした。

審査員が評価するのって、結局「形」だと思うのです。仕方のないことではあります。競技としてやる以上、「形」になって現れたものを見るしかないと思います。
でも私は、表現の本質って形じゃないと思う訳です。
センスの有無っていうのは、形にならない本質を感覚的に掴めるかどうかってことになるのかな。センスって平等じゃないです。技術は訓練で補えるけど、センスってものはある人にはあるし、ない人にはない。
センスのない人は形しか見ないので崩せないけど、センスがあれば本質だけ押さえて、形の方はどうにでもできる。お手本を忠実に再現できるのが技術、お手本を応用して、本質を損なわずに自分なりの表現を創れるのがセンスってことじゃないかと思うんですが。

高橋くんの「ノクターン」を見た時、その表現の自由さに衝撃を受けました。「感じるままに滑ります」という言葉がハッタリでもなんでもなく、本当にその時の感覚をそのまま表現しているような演技。
表現の本質みたいなものを押さえてるから、形の方は自由に変えられるんだろうなと思います。
多分このプログラムには決まった完成形はなくて、演じる度にその時、その時の感覚を反映した違うもので、そしてそのどれもが正解なんだと不思議な気分になりました。ひとつの決まった理想形へ向かって完成度を高めて行くのとは根本的に違うというか。
そして多分オペラ座でも、彼はそれをやろうとしている(ような気がする)。キャンベルとスケートカナダで、もう違いますから。キャンベルの時には三人の間で揺れ動いていた意識が、スケートカナダでは終始ファントムに共鳴していた。「オペラ座」の物語自体曖昧な部分が多くて、角度によって色んな見方ができるんですよね。見る度に感想が変わるというか。彼はその、変化して行く感覚を演技に反映させているのかも知れません。ファントムに対する見方も視点によって変化する可能性はあるし(何せファントムは色々面倒な人だから)、次見る時にはまた違ったものになるかも。

そういう訳で、オペラ座原作読了しました。原作ファントムも結構好きです、私。

そういえば、「のだめカンタービレ」は音大が舞台の漫画ですが、あんまり技術的な話はしませんよね。表現の本質を捉える、感覚的な話が主軸になってます。実際の音大ではもっと技術的な勉強をするんだろうけど、それを漫画にしてもきっと素人は楽しめないだろうし、上手いなあと感心したのをふと思い出しました。大ちゃんって、ついラフマニノフつながりで千秋さんに重ねたくなるんですが、本質的には寧ろのだめや峰くんに近い人なのかも知れないと思ったりすることもあります。どうでしょう。

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J:comマガジンの表紙がいきなりフィギュアスケートでびっくりしました。特集は日本女子中心ですが、男子も紹介してくれてます。「なまめかしい表情」って……。

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拍手コメントへのお返事
ありがとうございます! こんな所で何ですが、お礼を申し上げたいと思います。
「目には見えないものが見えている」というのは、こういう意味でもあったりします。
ちなみに私が言う所の「妖精」って、結構怖いヤツが多いですよー(笑)。

妖精を見るには、妖精の目がいる

2006-11-21 23:06:29 | 日記
今読んでる本から。

■「オペラ座の怪人」ガストン・ルルー
色んな所から出ていますが、とりあえず訳の新しそうな角川版で。

まだ途中までしか読んでませんが、ちょっと感動したところ。
映画版でははっきりとは描かれていなくて、でも私が「こういう意味もあるのかな?」と漠然と感じていたことが、原作ではきっちり書いてあった、という部分が2箇所ありました。

ひとつは、「マスカレード」の解釈。前の記事で「世の中のすべての人間が仮面を被っているようなものだと歌ってるんじゃないか?」と書きましたが、原作の最初の方にそれを示唆する記述があります。
「パリの人たちはいつも仮面舞踏会をやっているようなものだったから(以下略)」
あ、やっぱりそういう含みだったんだ。

もうひとつは西洋の「妖精」について。
私はファントムという存在に「妖精」の面影を感じたのですが、原作にはちゃんと、ラウルとクリスティーヌが幼い頃に妖精たちの物語に親しんでいたこと、クリスティーヌの父親も妖精に詳しく(スウェーデン出身という設定はここで活きてくるんですね。スカンジナビア半島はケルトと並ぶ妖精の本場だし)、「音楽の天使」の話もそれら妖精の話に混じって語られていることが描写されています。
やはり「音楽の天使」の「天使」はキリスト教における神の忠実な僕ではなく、キリスト教によって駆逐されてしまった古代宗教の神、その零落した姿である妖精の仲間なんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。
クリスティーヌのパパによると、「音楽の天使」は音楽に対する神秘的なひらめきを与えてくれる存在のようですが……どうしても私は「リャナン・シー」のような存在を連想してしまいます。
リャナン・シーは女の妖精で、彼女に恋した詩人に天才的な霊感を与える代わりに、精気を吸い取って早死にさせてしまうんだそうです。

そういった部分は、原作から舞台化する際に描写としては省かれてるんですが、ちゃんとその本質は伝えてたんだなあと、これは舞台の脚本を担当した人の仕事ですね。すごいと思いました。

というわけで、リャナン・シーの出て来る漫画↓
■「妖精標本(フェアリー・キューブ)」由貴香織里
その他の妖精についてもよく調べてます(←偉そう)。3巻で完結。
でも由貴さんの漫画に関しては、こういうスペクタクルなラストより、初期のカインシリーズみたいな身もフタもない終わり方の方が好きですね。個人的には。
3巻に関してはなんだか、「母の愛炸裂!」っていう感じで、ああ、そう言えばこの人子供生まれたんだなあと思いました。作者のそういう心境の変化って、やっぱり作品にも反映されるのかも知れませんね。
相変わらず絵は美麗で素敵です。ちょっとホラーも入ってるけど。

おまけで、オススメの妖精あんちょこ本です。これ1冊で結構知ったかできます。
■「妖精の誕生―フェアリー神話学―」トマス・カイトリー
それからこっちは私の趣味。水木サン大好き♪
■「カラー版 妖精画談」水木しげる

ちなみにエントリータイトルの「妖精を見るには、妖精の目がいる」は「戦闘妖精・雪風」より借用。
「戦闘妖精・雪風(改)」神林長平
「グッドラック―戦闘妖精・雪風」神林長平

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で、まあ、今回「オペラ座」を演じることになった件の彼は、多分妖精の目を持ってるんじゃないかと私は勝手に思ってます。目には見えないものを見、耳には聞こえないものを聞かなければあんな表現は出来ないと思うので。そんな彼が、これからどんな「オペラ座」を作り上げて行くのか、とても楽しみです。

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という訳で、拍手コメントへのお返事。

エリックという名前自体はフランスでよくある男性の名前のようなので、元ネタの有無までははっきりとは分かりませんね。
でも、ガストン・ルルーが「エレファントマン」のモデルであるジョン・メリックの存在を知っていて、「オペラ座」を書く上で参考にした可能性はあると思います。
原作を読み終わってから、また何か思うことがあればここに書くと思います。
興味深い話題をありがとうございました。