ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

パンドラの箱

2014-02-09 20:24:00 | 日記
相変わらずご無沙汰しております。虹川です。
いよいよソチオリンピックもはじまりました今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。
私の方では、4年に一度のオリンピックシーズンとあって、すべての情報を追う事はすでにあきらめております。

ほんと、オリンピックって色んな事が起こるなあ…(遠い目)。
いやはや、とんだシラノ・ド・ベルジュラックの登場でした。

という訳で、ソナチネ佐村河内ゴーストライター騒動です。
もうニュースへのリンクとか張らないけど、皆とっくに知ってるだろうからいいよね。答えは聞いてない。

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私の、ゴーストライターというものに対する基本的なものの考え方については、実は以前に以下の記事で書いてます。

シラノ・ド・ベルジュラック~ゴーストライターの密かな歓び~
http://sea.ap.teacup.com/lightbug/351.html

世にもてはやされる音楽が本当に自身の才能から生まれたものかどうかは、本人が一番良く知っているはず。「自分が」創り出した作品が認められる歓び、プライスレス。お金や名声には代えられませぬ。

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それにしても…なんなんだろう、この展開。

芸術って、美しいだけのものではない。
寧ろ、美しい虚構の仮面を剥いで、醜くとも真実へ目を向けさせるのが芸術の真に目指すべき所なんじゃないかと思います。
(誰の言葉だったか、芸術家を炭坑のカナリアに例えた言葉がありませんでしたっけ?他の人が見ていないこの世の真実にいち早く気付くのが芸術家の感性であり、表現とはその真実を伝えるための手段、みたいな)
私が大ちゃんにハマったのも、彼が踊った「ノクターン」の中に、そういう深淵が見えてしまったのがきっかけでした。「バチェラレット」なんかもそう。「鬼婆」なんて映画にインスピレーションを受けたりしてる辺り、ビョークは確実に深淵を見てる。

そうして見ると今回の一件は、とりまく状況自体が、なんていうか、ある意味芸術的なんですよね。
美しい虚構が崩れて、嘘と私欲に塗れた真実が明らかになるなんて。

本来フィギュアに使う音楽って選手は勝手に選んで使ってるだけで(権利関係は大会主催者とかでまとめて処理されるらしい)、大ちゃんのソナチネも、プログラムのためにオーケストラに新録させたものでもなければ、生歌(演奏)コラボありきで「企画」された訳でもなく、普通に「選んだ」だけなんですが。
(宮本さんは多分大ちゃんにバイオリンの音で滑って欲しかったんだろうし、大ちゃんは定番の古典的クラシックじゃなくて現代曲を使いたかったみたいだし)

有名フィギュアスケーターがオリンピックシーズンのプログラムとして曲を選ぶって事は、それだけ大きな影響力を持つって事なんだろうけど…それにしても。

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義手というハンディを持ちながら、音楽の道を志す少女。
しかし邪な野心を持った人間が彼女に目をつける。彼女の恩師に曲を作らせ、「耳の不自由な作曲家が義手の少女の為に作った曲」として売り出し、名声を得る。
少女がインチキな金儲けの道具として利用されているのを、恩師はどうする事もできない。
既に共犯者として取り込まれていて、真実を話せば自分も社会的な地位や信用を失ってしまう。
そんな折、件の曲が有名フィギュアスケーターのプログラム曲として採用される。
大きな試合で曲が流れ、大々的に報道され、その曲はますます有名になる。
折しも今年は冬季オリンピックの年。
このままでは、オリンピックという大舞台を通して、世界中に嘘が広められてしまう。
何も知らないフィギュアスケーターにまで嘘を背負わせる事になってしまう。
ここに至って恩師は遂に決意する。
それは自分自身をも告発する事を意味していたが、これによって虚構は暴かれ、少女もまた真実を知る…。

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我ながら胡散臭い文章である(笑)。
でも、ゴーストライター氏の話が事実であるとすると概ねこういうストーリーラインなんだよね。
(敢えて小説っぽい書き方をしてみたら何か仰々しい文章になっちゃったけど)

なんかこう、元々の「耳の不自由な作曲家が義手の少女に贈った曲」よりも更に数段ドラマチックになってしまったような気がするのは、私だけでしょうか。

美しい虚構の下から暴き出された醜い真実。でもその醜さの中にこそ、虚構ではない本当の美しさを見出す事ができるのかも知れません。

呆れる事ばかりのこの騒動の中にも、一つの救いはありました。
「ソナチネ」の本当の作曲者が、少女の恩師(の1人と言える人物)であったという事。
作者は違っても、その音楽に込められた、少女を思いやる気持ちは嘘ではなかった。
当初クレジットされていた作者よりも、彼女に取って身近な人物だった分、寧ろこちらの方が本物と言えるかも知れません。

パンドラの箱の底に、ちゃんと希望は残っていた。
事実は小説より奇なりって言うけど、本当にそうですね。

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それにしても(こればっかや)
この一つ前のエントリーで芸術作品におけるコンテクスト(文脈)の事を書いたこのタイミングでこの話(タイミングも何も、前のエントリーから間が空き過ぎである)。

今回の件で、「だまされた!あの曲に感動した自分の気持ちは嘘だったのね!」っていう人は、曲そのものではなくその曲に付随するコンテクストの方を評価していた訳で。
作品単体で評価するのが如何に難しいか、人がどれだけコンテクストの存在に影響されるもんなのかを、如実に表すケースになりましたね。

…って書いてる内に「コンテクスト」って言葉が段々本来の意味から離れて来たような気がする。本来、作品の「内側」に織り込んでおくもんだよねきっと。
しかしこの曲に関しては、この曲をめぐる状況自体がコンテクストになってしまっているような。

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そして、図らずもこういう状況を生んでしまう高橋大輔って、やっぱりボコノン教で言う所のワンピーターみたいな宿命でも持ってるんだろうかと思ってしまいます。
運命の巻きひげ・シヌーカスに巻き取られた私たちは、神の御心を行うカラースの一員となってワンピーターの周りをぐるぐると廻る。

我らがワンピーター、高橋大輔に幸いあれ。
要するに、あの曲に作者が込めたメッセージは本物だし、宮本さんや大ちゃんがあの曲からそれぞれ感じ取ったものにも何ら嘘偽りはないのだから、正々堂々と、大ちゃんの思う演技をしてくれればいいと思います。
試合の結果はどうあれ、それが見られれば私は満足です。

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前にも書いたけど、ボコノン教っていうのは、ヴォネガットの小説「猫のゆりかご」に出て来る架空の宗教です。


「わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、みんな真っ赤な嘘である」
「嘘の上にも有益な宗教は築ける」

ーカート・ヴォネガット・ジュニア「猫のゆりかご」より



そして大ちゃん、いよいよソチ入り。

高橋大輔ソチ入り、佐村河内問題に苦笑
http://www.daily.co.jp/newsflash/olympic/sochi/2014/02/09/0006696955.shtml

「でも正直、彼の背景とかを全く知らずに曲を選んだ。作った人が誰であろうと、どういう形だろうと素晴らしい曲」
ああ、そうですよ。
この人こそコンテクストではなく作品それ自体を評価できる人だったじゃないですか。

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■拍手コメントへのお返事

□2014/1/9 13:43
こちらにも、あの場に実際に居合わせた羨ましい方が!!
リアルにあの場を体験した方に共感して頂けて嬉しいです。
でも本当にお互い、苦しくとも幸せな人にハマってしまいましたね(笑)。
全日本現地に行かれた方は、皆さんすごくエネルギーを使ったみたいで、本当にお疲れ様でした。
いよいよ始まったソチオリンピック、悔いの残らないように、私たちも気合を入れて応援しましょう!!